大隅正人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
大隅 正人
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県
生年月日 (1947-03-27) 1947年3月27日(69歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手 内野手 外野手
プロ入り 1967年 ドラフト3位
初出場 1969年8月26日
最終出場 1981年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大隅 正人(おおすみ まさと、1947年3月27日 - )は、静岡県[1]出身の元プロ野球選手投手外野手内野手)。左投左打。

来歴・人物[編集]

静岡・三島高からサッポロビールに進み、第38回都市対抗野球大会にも出場。1967年のドラフト3位にて巨人に入団するが、あまり出番はなく1970年11月に自由契約となる[1]中日に移籍し、投手から打者への本格的な転向を図る[1]。1972年にウエスタン・リーグで打率.380を記録して首位打者を獲得し、1973年には一軍で主に代打として自己最高の79試合に出場した[1]。しかし翌年は藤波行雄の入団や、谷木恭平の台頭もあって出場機会が激減。1976年オフ稲葉光雄島谷金二と共に戸田善紀大石弥太郎森本潔小松健二との3対4の大型トレードで阪急移籍[1]。守備固めでの出場が多かったが、1977年には再度投手として登板を果たした。1981年現役引退[1]

一塁守備には定評があり、阪急在籍時は守備に不安のある加藤英司高井保弘に代わり終盤の守りを固めた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1971 中日 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 3 0.1 1 0 1 0 0 0 0 1 2 2 54.00 6.00
1977 阪急 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 18 2.1 6 1 4 0 0 1 0 1 7 6 27.00 4.29
通算:2年 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 2.2 7 1 5 0 0 1 0 2 9 8 24.00 4.50

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1969 巨人 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1970 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1971 中日 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1972 21 18 17 0 2 1 0 0 3 2 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .118 .111 .176 .288
1973 79 109 101 7 24 6 0 2 36 15 0 0 0 2 6 0 0 12 6 .238 .275 .356 .632
1974 12 9 9 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .222 .222 .222 .444
1976 7 6 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
1977 阪急 79 25 24 5 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .208 .240 .292 .532
1978 87 28 26 5 3 2 0 0 5 1 0 2 0 0 2 0 0 2 0 .115 .179 .192 .371
1979 81 27 26 1 2 0 0 0 2 1 0 1 0 1 0 0 0 3 1 .077 .074 .077 .151
1980 14 12 12 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .167 .167 .167 .333
1981 3 2 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:12年 388 240 227 18 41 11 0 2 58 21 0 3 0 4 9 0 0 35 8 .181 .208 .256 .464

記録[編集]

背番号[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、104ページ
  2. ^ ベースボールマガジン、1998年夏季号『背番号は生きている』球団別背番号変遷表、77ページ、ベースボール・マガジン社、1998年7月。