大阪教育大学附属池田小学校

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大阪教育大学附属池田小学校
過去の名称 大阪府池田師範学校附属池田小学校
大阪府池田師範学校附属国民学校
大阪第二師範学校附属国民学校
大阪府第二師範男子部附属国民学校
大阪学芸大学附属池田小学校
大阪教育大学教育学部附属池田小学校
国公私立の別 国立学校
設置者 大阪教育大学
設立年月日 1909年4月12日
開学記念日 11月1日
創立者 大阪府
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 563-0026
大阪府池田市緑丘1丁目5番1号
公式サイト 大阪教育大学附属池田小学校 _ Ikeda Elementary School attached to Osaka Kyoiku University
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大阪教育大学附属池田小学校(おおさかきょういくだいがくふぞく いけだしょうがっこう)は、大阪府池田市にある大阪教育大学附属の国立小学校である。男女共学。略称は、「附小(ふしょう)」「池附(いけふ)」「池小(いけしょう、大学内での略称)」。

概要[編集]

大阪教育大学の前身の一つである大阪府池田師範学校(1908年明治41年)創設)に1909年(明治42年)、附属小学校が設立される。創立当初は豊能郡池田町立池田尋常高等小学校(現在の池田市立池田小学校池田市建石町)の代用機能をもたせた(学級数20のうち、4学級を代用した。1909年度)ところを始まりとする。1919年大正8年)に代用を廃して独立開校した。

1953年昭和28年)、現在地へ移転。1956年(昭和31年)に大阪学芸大学附属高等学校池田校舎(現・大阪教育大学附属高等学校池田校舎)が設立、1957年(昭和32年)に大阪学芸大学附属池田中学校(池田市城山1002番地。現・大阪教育大学附属池田中学校)が移転し、小・中・高の文教キャンパスとなる。

情操を豊かにし、創造的で自らの考えを表現し、協力し合い、最後までやり抜き、社会の向上に努める子どもを育成することを教育目標としている。子供が主体的、共働的に動くための教育研究活動が行われている。

1996年、国際社会で活躍できる人間の育成を目指して帰国児童の受け入れを開始。帰国児童向けの特別な学級編成は行わず、編入後、帰国児童を普通学級に在籍させることにより、外国での経験を活かし、他の児童と共に学ぶことにより、日本の文化や習慣を理解し、共に国際社会で活躍できる人材となれるように教育活動を行っている。

2001年(平成13年)6月8日附属池田小事件が発生、事件直後の一時期には仮設校舎での授業を余儀なくされた。

2003年(平成15年)2月16日に「8人の児童の追悼式典」(豊中市民会館)が、また同年2月28日に「祈りと誓いの集い」がアゼリアホール(池田市民文化会館)で行われ、以来、6月8日に毎年行事が実施されている。

2004年6月8日、殺害された8人の児童を祈り、事件の再発防止を誓うため、旧正門の近くに祈りと誓いの塔が建立され、除幕式が行われた。

以来、事件を契機に、全教員の共同研究として安全教育を押し進めている。この安全教育の研究成果を踏まえ、2009年(平成21年)4月より「安全科」を設置する文部科学省教育課程特例校として承認されている。さらに、2010年(平成22年)3月には、「安全な環境づくりを進める学校」として世界保健機関 (WHO) のインターナショナルセーフスクール (ISS) の認証を受けた。

その後校舎の改築を経て、2004年(平成16年)に現在地に校舎を復帰している。

2002年に学校災害特別研究児童の受け入れを開始。学校災害による兄弟姉妹が死亡した児童の発達過程と支援のあり方に関する研究を行い、附属小学校においては、その教育的実践を行うことをねらいとしている。

現在のキャンパスは、緑丘の丘陵地に2棟の校舎と体育館、芝生広場、運動場プール、自然観察園を配している。警備員を配置した正門、可視化を図った校舎、非常用押しボタンの設置など、事件の再発を防ぐための安全設備が整った環境にあり、学校安全設備のモデル校となっている。

同じキャンパス内には、大阪教育大学附属池田中学校大阪教育大学附属高等学校池田校舎が併設されている。

使命[編集]

初等普通教育を行うとともに、大阪教育大学の附属学校として教育の実践的な研究や、教育実習生の受け入れなどを行っている。

入試・編入[編集]

通学区域は、大阪府北部(大阪市淀川区池田市豊中市箕面市吹田市)と兵庫県南東部(川西市伊丹市宝塚市猪名川町)のうち学校が指定する地域である。

1996年より帰国児童・外国籍児童の編入募集を開始。対象は第3学年からであり、最大6名を編入している。募集は、7月と3月に行われる。外国での生活経験から得た文化・言語・価値観を大切にし、学校生活の中で生かすと同時に、日本の文化や習慣を理解することを狙いとしている。

学校生活[編集]

編成は、1学級原則40名の3クラスである。それぞれ東組・西組・南組と称し、それぞれ白・赤・青のクラスカラーを定めている。体操帽もこれらの色となっている。運動会では、全校縦割りに編制し、白組・赤組・青組に分かれて競い合う。

学習指導は、基本的に学級担任が行っているが、専科担任による授業も多い。学年が上がるにつれ、専科授業が多くなる。

卒業後の進路は、多くの児童が隣接する大阪教育大学附属池田中学校に連絡進学する。外部の私立中学校等へ進学する児童も存在する。

学校行事[編集]

月に1回、「なごみの日」があり、3年以上では、「華道」「茶道」を体験し「和みの心」を培う。

「わくわく活動」では1~6年生の異学齢集団で団を構成し、「集う」「遊ぶ」「奉仕する」の活動を通して、「助け合いの心」を育む。

  • 4月 - 春の遠足(1年と6年でペアを作る)
  • 5月 - 富士体験キャンプ(6年)
  • 6月 - 祈りと誓いの集い、学校キャンプ(2年)
  • 7月 - 林間学舎(3年)、臨海学舎(5年)
  • 9月 - 運動会
  • 10月 - 秋の遠足
  • 11月 - デイキャンプ(1年)、池田地区附属学校研究発表会
  • 12月 - 附小文化発表会
  • 1月 - 冬季林間学舎(4年)

国際交流[編集]

海外の小学校と交流協定締結を結んでいる。

附属池田小事件とその後の安全教育[編集]

2001年(平成13年)6月8日に侵入者が8名の児童を殺害し、児童13名・教諭2名に傷害を負わせた児童殺傷事件(附属池田小事件)が発生。事件の風化を防ぐため、2004年6月8日には祈りと誓いの塔が旧正門の近くに建立され、除幕式が行われた。以来、事件のあった6月8日には祈りと誓いの塔の周辺で、祈りと誓いの集いを実施している。全校児童や教職員・保護者が参加する[1]

祈りと誓いの塔は、高さ4.5メートル。石材は中国産御影石、敷石はインド砂岩を用いている。8つの鐘と8人の児童の名前が刻まれてある[2]。デザインは、浮川秀信(元大阪教育大学教授)。塔の周りには、本校児童と保護者によって花が植えられている。旧正門の外には、市民向けの銘文碑も設置されている。時計台と塔と銘文碑は、直線で結ばれるよう配置されてある。

事件風化防止や安全教育としての行事では他に、不審者対応訓練を児童対象に1回、教職員対象に5回実施している。毎月8日を「安全の日」と定め、危機管理マニュアルの内容が確実に実施されているかを点検している。

ISS(インターナショナルセーフスクール)[編集]

2010年(平成22年)3月5日に、「安全な環境づくりを進める学校」として、世界保健機関 (WHO) より認証を受けている。ISSは、WHOが安全な学校を認定する制度ではなく、保護者や地域と一体となり安全な学校を目指す活動を評価する制度。2004年(平成16年)以降、スウェーデンや大韓民国、台湾、タイなどの32校が認証されている。

教員[編集]

校長は、管轄である大阪教育大学の教授が兼任する。通常、2期4年務める。副校長は、教員の中から昇格する。

教員の多くは、大阪府教育委員会大阪市教育委員会川西市教育委員会(兵庫県)との人事交流によって着任している。以前は、10数年勤務する者も多かったが、最近は5年前後で転任している。

沿革[編集]

開学記念日が11月1日に設定され、この日は一般の学校の創立記念日に準じるものとして休校となる。この日は母体の大阪教育大学の開学記念日であり、小学校の開校日ではない。しかし、別途開校記念日の設定はなされていない。

校歌は作詞者不明。小部卯八作曲。池田師範学校校歌(1918年制定)をそのまま校歌としている。隣接する附属池田中学校も同じ校歌である。校章は1911年に制定。池田の土地は、早くから拓け、特に呉服、綾羽などの機織りの地名が現存していることから、校章の外枠は糸巻きを図案化している。その糸巻きの中心「附」を配し、永遠に糸が切れることなく続く意味を持たしている。

年表[編集]

  • 1909年(明治42年)4月12日 - 池田尋常高等小学校(現・池田市健石町)の一部を代用附属小学校として創立。
  • 1911年(明治44年)5月1日 - 校章を制定。
  • 1919年(大正8年)3月31日 - 池田尋常高等小学校の代用を廃止し、「大阪府池田師範学校附属池田小学校」が開校。
  • 1939年(昭和4年)
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「大阪府池田師範学校附属国民学校」に改称。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 師範学校の官立(国立)移管により、「大阪第二師範学校附属国民学校」に改称。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 「大阪府第二師範男子部附属国民学校」に改称。
  • 1947年(昭和22年)
  • 1949年(昭和24年)5月31日 - 新制・大学大阪学芸大学の発足により師範学校が包括されたため、「大阪学芸大学大阪第二師範学校附属小学校」に改称。
  • 1950年(昭和25年)10月24日 - 大阪学芸大学池田分校(大阪第二師範学校男子部)内に移転。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 大阪第二師範学校が廃止されたため、「大阪学芸大学附属池田小学校」に改称。
  • 1953年(昭和28年)10月19日 - 池田市下渋谷(現在地)に2年生以上が移転。
  • 1955年(昭和30年)1月10日 - 残る1年生が現在地に移転したため、移転を完了。
  • 1967年(昭和42年)6月1日 - 大学の改称に伴い、「大阪教育大学附属池田小学校」に改称。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」に改称。
  • 1988年(昭和63年)4月1日 - 文部省生活科推進指定校に指定。(3年間)
  • 2001年(平成13年)
    • 6月8日 - 児童殺傷事件(附属池田小事件)が発生。
    • 8月27日 - 旧大阪教育大学池田分校跡地(池田市城南3丁目1番1号)に仮設校舎を設置して授業を再開。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 国立大学法人化に伴い、「大阪教育大学附属池田小学校」(現校名)に改称。仮設校舎から現在地(池田市緑丘)に校舎を復帰。
  • 2008年(平成20年)2月2日 - 第23回小学校算数教育研究全国(池田)大会を開催。
  • 2009年(平成21年)2月23日 - 文部科学省より安全科を設置する教育課程特例校の指定を受ける。(2009年4月より実施。)
  • 2010年(平成22年)3月5日 - 世界保健機関 (WHO) より日本で最初のISS(インターナショナルセーフスクール)に認証される。

出身者[編集]

交通[編集]

備考[編集]

  • 出身者である漫画家・手塚治虫1988年(昭和63年)11月1日、この学校で「命」をテーマにした生前最後の講演を児童対象に行った。
  • 同じ阪急宝塚沿線の雲雀丘学園小学校は、戦後、アメリカ進駐軍の指導に基づいて実施された入学試験の抽選によって、本校に入学できなかった保護者の要望から、設立された。当時、本校から教職員数名が雲雀丘学園に異動し、創立・発展に尽力した。その意味において、雲雀丘学園を本校の兄弟校と称する場合がある。

脚注[編集]

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  1. ^ “「命の尊さ伝え続ける」 大阪・池田小事件から14年”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年6月8日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H1M_Y5A600C1CC0000/ 2015年6月11日閲覧。 
  2. ^ “命の尊さ訴え、鐘は鳴る 付属池田小事件14年”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年6月8日). http://www.asahi.com/articles/ASH6542WNH65PTIL00N.html 2015年6月11日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]