大阪教育大学附属池田小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
大阪教育大学附属池田小学校
Osaka Kyoiku University Ikeda elementary school.jpg
過去の名称 大阪府池田師範学校附属小学校
大阪府池田師範学校附属国民学校
大阪第二師範学校附属国民学校
大阪第二師範男子部附属国民学校
大阪学芸大学附属池田小学校
大阪教育大学教育学部附属池田小学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人大阪教育大学
設立年月日 1909年明治41年)4月12日
開学記念日 11月1日
創立者 大阪府
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 563-0026
公式サイト 大阪教育大学附属池田小学校 | Ikeda Elementary School attached to Osaka Kyoiku University
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
テンプレートを表示

大阪教育大学附属池田小学校(おおさかきょういくだいがくふぞく いけだしょうがっこう)は、大阪府池田市緑丘にある国立小学校明治時代、学校教育の研究・実践の場として創立。日本で初めての世界保健機関 (WHO) のインターナショナルセーフスクール(ISS)でもある[1]。同じ敷地に附属池田中学校附属高校池田校舎があり、連携し教育研究活動を行っている。

概要[編集]

1909年明治42年)、大阪府池田師範学校大阪教育大学の前身の一つ)の附属小学校として創立した。教員養成大学の附属学校として、児童に初等普通教育義務教育)のうち基礎的なものを行う「教育活動」と、学校教育と生涯学習の実践的研究や教育実習生の受け入れなど「研究活動」を行っている。通称は「附小(ふしょう)」「池附(いけふ)」「池小(いけしょう、大学内での通称)」で、英語名称は、Ikeda Elementary School attached to Osaka Kyoiku University。

国際社会で活躍できる人間の育成を目指して、1996年平成8年)から帰国児童の受け入れを開始。特別な学級編成を行わず、帰国児童を普通学級に在籍させて他の児童と共に学ぶことにより、日本の文化や習慣を理解し、外国での経験を活かし、共に国際社会で活躍できる人材となるように教育活動を行っている。

国際理解教育のほか、総合的学習や融合型の学習を包括的にとらえ、新時代への教育改革を目指して大阪教育大学附属池田中学校大阪教育大学附属高等学校池田校舎と共同研究を開始。同じ敷地に小学校・中学校高等学校があるメリットを生かし、小・中・高の連携で教育研究活動を行っている。2018年度の場合、「学びの質を高める次世代のICT活用」をテーマに研究[2]し、池田地区附属学校として研究の成果を毎秋に発表。紀要にまとめられている[3]

教育目標[編集]

1.自ら進んで学び、生活をきりひらく主体的な意欲と能力の育成
2.好ましい人間関係を育てることによる集団的資質と社会性の育成
3.自他の生命を尊重し、社会の平和と発展を希求する心情の育成
4.健康の増進と、明るくたくましい心身の育成
5.安全な社会づくりに主体的に参画する人間の育成[4]

附属池田小事件と学校安全モデル校、ISS[編集]

2001年(平成13年)6月8日、附属池田小事件が発生。侵入した男に児童8名が殺され、児童13名と教諭2名も負傷した。

事件の直後、仮設校舎で授業を行い、2004年に改築した校舎に復帰した。事件を契機に全教員の共同研究として安全教育を推進しており、さまざまな事件を防ぐため、正門に警備員を配置し、校舎も可視化を図り、非常用押しボタンを設置。安全設備の整備ほか、不審者対応訓練も児童対象に1回、教職員対象に5回実施したり、毎月8日を「安全の日」と定め、危機管理マニュアルの内容の確実な実施を点検したりするなど、学校安全設備のモデル校となっている。

2002年には学校災害特別研究児童の受け入れも開始。学校災害による兄弟姉妹が死亡した児童の発達過程と支援のあり方を研究して教育的実践を行っており、2009年4月には文部科学省から「安全科」を設置する教育課程特例校に指定された。

2010年3月には「安全な環境づくりを進める学校」として世界保健機関 (WHO) の「 International Safe School (インターナショナルセーフスクール)」(ISS) 認証を受けた。ISSは、認定制度ではなく、保護者や地域と一体となり安全な学校を目指す「活動を評価する」制度。2004年以降、スウェーデン韓国中華民国台湾)、タイなどの32校が認証されている。

なお、事件の記憶の風化を防ぐため、大阪教育大学も含めた取り組みが行われ、大学では2006年から毎年、全学部の学生に特別講義を開講。事件の概要や学校安全などを学ぶ[5]ほか、付属高校池田校舎でも6月8日に全校集会を開き、犠牲児童へ1分間の黙祷を捧げている。

また、事件1年半後の2003年2月16日に「8人の児童の追悼式典」を豊中市民会館で、2月28日に「祈りと誓いの集い」を池田市民文化会館(アゼリアホール)で行い、2004年6月8日に旧正門の近くに、祈りと誓いの塔(犠牲8児童に祈り、再発防止を誓う)を建立。以来、毎年6月8日に塔の周辺で、全校児童や教職員・保護者が参加し、祈りと誓いの集いを開いている[6]。祈りと誓いの塔は高さ4.5メートルで、8つの鐘と犠牲8児童の名前を刻んでいる(石材に中国産御影石を、敷石にはインド砂岩を用いている)[7]。浮川秀信(大阪教育大学の元教授)がデザインし、塔の周りに児童と保護者が花を植えている。旧正門の外に、市民向けの銘文碑も設置し、時計台と塔と銘文碑を直線で結ぶように配置。校外から一般市民も塔に向け祈りやすくなっている。

なお、当時「南組」1年生で事件に遭遇した女子児童の一人は、のちに産経新聞記者となり、2018年に事件の様子について記事に綴っている[8]。また、2020年令和2年)6月8日現在、事件当日を知る唯一の教諭が現在の校長である[9]

沿革[編集]

創立の当初、豊能郡池田町立池田尋常高等小学校(全20学級。現・池田市立池田小学校)の一部4学級で代用し、1919年大正8年)に独立の校舎を設置した。

太平洋戦争後の1953年昭和28年)に現在地へ移転する。1956年大阪学芸大学附属高等学校池田校舎が設立され、1957年大阪学芸大学附属池田中学校が池田市城山1002番地から移転し、小・中・高が整う文教施設となる。

年表[編集]

  • 1909年明治42年) - 4月12日、池田尋常高等小学校(現・池田市立池田小学校池田市健石町)の一部を代用附属小学校として創立
  • 1911年(明治44年) - 5月1日、校章を制定
  • 1919年大正8年) - 3月31日、池田尋常高等小学校の代用を廃止し、「大阪府池田師範学校附属小学校」と改称
  • 1939年昭和4年) - 8月22日、池田市城南町60番へ移転。10月12日、校旗を制定
  • 1941年(昭和16年) - 4月1日、国民学校令により、「大阪府池田師範学校附属国民学校」に改称
  • 1943年(昭和18年) - 4月1日、師範学校の官立(国立)移管により、「大阪第二師範学校附属国民学校」に改称
  • 1946年(昭和21年) - 4月1日、「大阪第二師範男子部附属国民学校」に改称
  • 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革6・3制の実施)に伴い改組。国民学校初等科が「大阪第二師範学校附属小学校」に、国民学校高等科が大阪第二師範学校附属中学校新制の中学校)となる。6月16日、PTAが発足
  • 1949年(昭和24年) - 5月31日、大阪第一と第二の師範学校を包括した「大阪学芸大学」の発足により、「大阪学芸大学大阪第二師範学校附属小学校」に改称
  • 1950年(昭和25年) - 10月24日、大阪学芸大学池田分校(大阪第二師範学校男子部)内(東棟)に移転
  • 1951年(昭和26年) - 4月1日、大阪第二師範学校の廃止により、「大阪学芸大学附属池田小学校」に改称
  • 1953年(昭和28年) - 10月19日、2年生以上の児童が、池田市下渋谷501番(現・池田市緑丘、現校地)に移転
  • 1955年(昭和30年) - 1月10日、残る1年生が移転し、移転を完了
  • 1966年(昭和41年) - 4月1日、クラス増で1学年3学級の編成に
  • 1967年(昭和42年) - 6月1日、大学の改称に伴い、「大阪教育大学附属池田小学校」に改称
  • 1973年(昭和48年) - 4月1日、「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」に改称
  • 1988年(昭和63年) - 4月1日、文部省の生活科推進指定校となる(3年間)
  • 1992年平成4年) - 5月、大阪教育大学が柏原キャンパス(大阪府柏原市)に統合移転し、池田分校(池田キャンパス)を廃止
  • 2001年(平成13年) - 6月8日、侵入男による児童殺傷事件が発生。8月27日、大阪教育大学の池田分校跡地(池田市城南3丁目1番1号)に仮設校舎を設置して授業を再開
  • 2004年(平成16年) - 4月1日、国立大学法人化に伴い「大阪教育大学附属池田小学校」(現校名)に改称。仮設校舎から復帰(池田市緑丘の現校舎)
  • 2008年(平成20年) - 2月2日、第23回小学校算数教育研究全国(池田)大会を開催。11月1日、創立100周年記念式典を挙行
  • 2009年(平成21年) - 2月23日、文部科学省より、安全科を設置の教育課程特例校に指定(同年4月より実施)
  • 2010年(平成22年) - 3月5日、世界保健機関 (WHO) より、日本で最初のISS(インターナショナルセーフスクール)に認証
  • 2018年(平成30年) - 5月17日、文部科学省より、次世代の教育情報化推進事業を委託

基礎データ[編集]

丘陵地の敷地に、2棟の校舎と体育館、芝生広場、運動場プール、自然観察園を配している。

大阪教育大学の開学記念日である11月1日は、本校の開校日ではないが開学記念日に設定されており休校となる。

交通アクセス[編集]

象徴[編集]

校歌[編集]

校歌は、池田師範学校の校歌(1918年制定)を、そのまま用いている。隣接の附属池田中学校も同じ校歌である。なお、校歌の作詞者は不明で、作曲者は小部卯八[10]

校章[編集]

校章は1911年5月1日に制定。池田市古代から拓け、呉服(くれは)の里と呼ばれ、特に呉服、綾羽などの機織りの地名が現存している(呉服町、呉服神社など)ことから、校章の外枠は糸巻きを図案化している。その糸巻きの中心「附」を配し、永遠に糸が切れることなく続く意味を持たしている。

授業[編集]

2020年(令和2年)度の場合、1年生を100名(男子50名・女子50名)で募集・選考されており[11]、入学後1学年3クラスで構成。それぞれを東組・西組・南組と称してクラスカラーを白・赤・青に定め、運動会は全校縦割りで白組・赤組・青組に分かれて競う。

学習指導は学級担任による行われるが、専科担任による授業も学年が上がるに連れて増える。

なお、卒業後、隣接の大阪教育大学附属池田中学校へ「連絡進学」しており、2017年(平成29年)は65人だった[12]。外部の私立校などへ進む児童もみられる。

教員[編集]

校長は、大阪教育大学の教授の兼任で、通常2期4年を務める。副校長は、教員の中から昇格する。教員の多くは、大阪府教育委員会大阪市教育委員会川西市教育委員会(兵庫県)との人事交流で着任する。かつて10数年も勤務する者も多かったが、最近は5年前後で転任している。

国際交流[編集]

海外の小学校と交流協定締結を結んでいる。

学校行事[編集]

月に1回、「なごみの日」があり、3年以上では、「華道」「茶道」を体験し「和みの心」を培う。

「わくわく活動」では1~6年生の異学齢集団で団を構成し、「集う」「遊ぶ」「奉仕する」の活動を通して、「助け合いの心」を育む。

  • 4月 - 春の遠足(1年と6年でペアを作る)
  • 5月 - 富士体験キャンプ(6年)
  • 6月 - 祈りと誓いの集い、学校キャンプ(2年)
  • 7月 - 林間学舎(3年)、臨海学舎(5年)
  • 9月 - 運動会
  • 10月 - 秋の遠足
  • 11月 - デイキャンプ(1年)、池田地区附属学校研究発表会
  • 12月 - 附小文化発表会
  • 1月 - 冬季林間学舎(4年)

入試・編入[編集]

通学区域は、大阪府北部の大阪市淀川区池田市豊中市箕面市吹田市兵庫県南東部の川西市伊丹市宝塚市猪名川町のうち、学校が指定する地域で、通学手段は徒歩または公共交通機関に限る[13]

通学区域に居住を条件とする入学選考(入試)は、「令和2年度 第1学年児童募集」の場合、募集人員100名(男子50名・女子50名)で、願書は前年11月中旬から配布。翌年1月中旬に「面接」と、別の日に「調査・観察」が行われる[14]

1996年より7月と3月に帰国児童・外国籍児童の編入を募集しており、対象は第3学年からで、最大6名を編入する。外国での生活経験から得た文化・言語・価値観を生活の中で生かして日本の文化や習慣を理解する。

著名な出身者[編集]

政治[編集]

財界・経済[編集]

学者・医師[編集]

芸能・芸術[編集]

スポーツ[編集]

備考[編集]

  • 出身者である漫画家・手塚治虫1988年(昭和63年)11月1日、この学校で「命」をテーマにした生前最後の講演を児童対象に行った。
  • 同じ阪急宝塚沿線の雲雀丘学園小学校は、戦後、入学試験がアメリカ進駐軍の指導で抽選となったため、附属池田小に入学できなかった保護者の要望に基づき設立された。また、当時、附属池田小から教職員数名が雲雀丘学園に異動し、創立・発展に尽力しており、雲雀丘学園を本校の兄弟校と称する場合がある。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 世界に認められた「安全教育」―池田小がISS取得 - きょういくじん会議 - 明治図書オンライン「教育zine」
  2. ^ 教育研究・教育実習 - 大阪教育大学附属池田小学校
  3. ^ 教育研究活動 - 大阪教育大学附属高等学校池田校舎
  4. ^ 4. 本校の沿革 1. 本校の教育 2. 校章 3. 校歌 - 大阪教育大学附属池田小学校
  5. ^ 【付属池田小事件15年】大教大で付属池田小事件の教訓学ぶ授業 当時の在校生も講義見学 - 産経新聞2016年平成28年)6月9日
  6. ^ “「命の尊さ伝え続ける」 大阪・池田小事件から14年”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年6月8日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H1M_Y5A600C1CC0000/ 2015年6月11日閲覧。 
  7. ^ “命の尊さ訴え、鐘は鳴る 付属池田小事件14年”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年6月8日). https://www.asahi.com/articles/ASH6542WNH65PTIL00N.html 2015年6月11日閲覧。 
  8. ^ 池田小1年南組だった記者 「死」理解できず被害者が身近すぎて同級生とも語れず…薄れる記憶に焦燥感 - 産経新聞2018年6月8日
  9. ^ 附属池田小事件19年で追悼式典 当時を知る校長「いるべきはずの8人がいない」| MBS - 毎日放送2020年令和2年)6月8日
  10. ^ 各地の校歌や宝塚歌劇の楽曲を作曲している人物
  11. ^ 令和2年度 第1学年児童募集について | 大阪教育大学附属池田小学校
  12. ^ 入学者選考結果について - 大阪教育大学附属池田中学校
  13. ^ 16. 制服 17. 交通アクセス 18. 通学区域一覧
  14. ^ 令和2年度 第1学年児童募集について | 大阪教育大学附属池田小学校
  15. ^ プロフィール | 森口つかさ(新宿区) Official Site
  16. ^ 松浦研究室 プロフィール

関連項目[編集]

外部リンク[編集]