大阪府立登美丘高等学校
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大阪府立登美丘高等学校 | |
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![]() (2017年〈平成29年〉12月撮影) | |
過去の名称 |
大阪府南河内郡黒山村外六ケ村学校組合立黒山高等実践女学校 大阪府南河内郡黒山村外十一ケ村学校組合立黒山高等実践女学校 大阪府立黒山高等実践女学校 大阪府立黒山高等女学校 大阪府立黒山高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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設立年月日 | 1941年(昭和16年)4月 |
創立記念日 | 7月7日 |
創立者 | 南河内郡黒山村外六カ村学校組合 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 27172B |
所在地 | 〒599-8125 |
外部リンク | 公式サイト |
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大阪府立登美丘高等学校(おおさかふりつ とみおか こうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Tomioka High School)は、大阪府堺市東区にある公立の高等学校。前身は太平洋戦争中の昭和初期1941年に新設された府立17番目の高等女学校(修業5年間)。部活動(クラブ活動)ダンス部によるバブリーダンスが2017年(平成29年)You Tube動画の国内トレンド1位となった[1]。略称は「登美高(トミコウ)」[2]。
概要[編集]
学校の源流は大正末期、南河内郡の7つの村による高等小学校に併置の職業学校で、大阪府に移管された後に廃校。第二次世界大戦中に同郡2番目、府立17番目の高等女学校として新設され、戦後の学制改革により新制の高校(男女共学)となった。
教育課程は全日制課程で普通科を設置。「めざす学校像」と題して、次の三つを掲げている(2020年〈令和2年〉度の場合)。
1.勉強と部活・行事の両方本気で取り組む
2.希望する進路を実現する
3.地域から愛され信頼される[3]
生徒の80%が大学や短期大学への進学を目指す[2]。合格者数は延べ人数で国立4名、公立4名。私立最多は近畿大学75名で、関西大学45名を含む関関同立は計64名(2020年度[4])。
沿革[編集]
起源は1924年(大正13年)7月21日、南河内郡黒山村大字阿弥[5]に開校した甲種職業学校[6]の大阪府南河内郡黒山村外六箇村学校組合立黒山高等実践女学校。
当時、黒山村をはじめ平尾村・丹南村・丹比村・野田村・大草村・日置荘村の7カ村[7]による学校組合が1917年(大正6年)4月、黒山高等小学校に併置して乙種農業学校[6](組合立黒山実業学校[8])を設置した。この農業学校の女子部を発展させる形で女学校を開設する、と学校組合が1924年3月22日に決議。同年7月9日に文部省告示で認可され、同年7月21日に校舎併設のまま、組織のみ黒山実女として独立した(本科4年制・専攻科1年制)。
その後、学校組合は1927年(昭和2年)から1928年にかけて、大阪市愛日尋常小学校の旧校舎を、黒山高小の南側の隣接地に移築(黒山村大字阿弥81番地)。1928年、この校地に黒山実女が移転し校舎も独立した。
だが、志願者や生徒数の増加で経費が増大し、学校組合による運営では経済的に困難となり、大阪府への移管を求める声が高まったとして1929年に学校組合を解消。同年4月、黒山実女の設立者を変更(大阪府に移管)し、甲種職業学校の大阪府立黒山高等実践女学校に改編された(文部省告示第183号4月6日付で、設立者と名称の変更を認可[9])。
その後、第二次世界大戦中の1941年、府立黒山実女は廃止され、新たに大阪府立黒山高等女学校が設置された[10](府立富田林高等女学校〈現大阪府立河南高等学校〉に次ぐ南河内郡2番目の高女)。このとき、近隣の泉南郡にある府立佐野実女も共に高女へ昇格している(現・大阪府立佐野高等学校)。
新制の高校、黒山から登美丘に移転[編集]
太平洋戦争後の学制改革により、1947年に府立黒山高女2・3年生を移籍させる形で新制の中学校を併設し[11]、1948年に新制の大阪府立黒山高等学校へ改編された。なお他の高等女学校と異なり、近隣に旧制中学校がなかったため入学試験で男子生徒を募集。翌1949年、男子生徒が入学し男女共学となった。
なお1948年、校舎を新制「学校組合立黒山中学校」(堺市立美原中学校)に明け渡すことになり、黒山高校は、同じ組合立黒山実業学校を源流とする大阪府立農芸高等学校[12](黒山村大字北余部)の校舎の一部を間借りした。
このため大阪府は、黒山高校と農芸高校を(いわゆる高校三原則に基づく)総合制高等学校への統廃合を検討した。だが、農芸高校側が独立校としての存続を強く希望したため実現しなかった。
そこで、黒山高校は独立校舎への移転を検討。既設の私立高校の買収・公立移管によって私学と統合する形での移転も検討され、初芝高等学校と交渉に入ったとされるが、買収案は実現しなかった。また独立校舎の新設を検討し、最終的に南河内郡登美丘町大字西野での独立校舎の新設を決定。1952年4月に校舎が完成して移転。移転と同時に大阪府立登美丘高等学校に改称した(現在地、現校名)。
年表[編集]
- 1924年(大正13年) - 7月7日、南河内郡黒山村に実業学校「大阪府南河内郡黒山村外六ケ村学校組合立黒山高等実践女学校」開校[13]
- 1926年 - 11月30日、設立者の学校組合を「黒山村外十一ケ村」に変更(文部省告示第377号11月30日付で、設立者の変更を認可[14][15])
- 1929年(昭和4年) - 4月1日、大阪府に移管(設立者を変更)され、甲種職業学校の「大阪府立黒山高等実践女学校」に改編[9]
- 1941年 - 3月31日、大阪府立黒山高等実践女学校を廃止(文部省告示第243号3月7日付で、廃止を認可[16])。6月8日[13]、新たに高等女学校令による高等女学校「大阪府立黒山高等女学校」設置(文部省告示第242号3月7日付で、設置と4月開校を認可[16])
- 1948年 - 4月1日、学制改革により新制の高校「大阪府立黒山高等学校」に改編(同じ黒山村の大阪府立農芸高等学校内に移転)
- 1952年 - 4月1日、同じ南河内郡の登美丘町に移転(現在地)、「大阪府立登美丘高等学校」に改称[13]
基礎データ[編集]
交通アクセス[編集]
- 鉄道
象徴[編集]
- 校歌
- 制服
諸活動[編集]
部活動[編集]
- 運動部
- 剣道部
- 硬式テニス部(男女)
- サッカー部
- 柔道部
- 水泳部
- ソフトテニス部(男女)
- 卓球部
- バスケットボール部(男女)
- バレーボール部(男女)
- ハンドボール部(男)
- 野球部
- 陸上競技部
- ソフトボール部(女)
- 文化部
- ダンス部 - 2015年(平成27年)と2016年に夏の日本高校ダンス部選手権全国大会で優勝。2017年の大会では1980年代バブル景気をテーマに、荻野目洋子の1985年(昭和60年)リリース曲『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』をBGMとして「バブリーダンス」を披露し準優勝。その踊りを紹介した産経新聞の産経ニュース公式動画が再生400万回超えとなり、米国の人気ネット・タレント番組から招待を受けるなど、バブリーダンス人気は外国にも波及[1]。同年11月17日には生放送テレビ番組『ミュージックステーション』でダンシング・ヒーローを歌った荻野目洋子[17]や、荻野目を真似るお笑いタレント平野ノラらとテレビ音楽番組となどで共演。同年末の第68回NHK紅白歌合戦で郷ひろみのバックダンサーとして出演し、第59回日本レコード大賞特別賞も受賞した。そのほか全国高等学校ダンス部選手権でも2017年と2018年優勝し、同年の関西元気文化圏賞・ニューパワー賞を受賞[18]。大阪市消防局公式PR動画にも出演[19]。
- 吹奏楽 - 2007年から13年間『大阪府吹奏楽コンクール』南地区大会の高等学校Aの部で金賞(府大会代表に選抜、2019年まで)。
- 演劇部
- 茶道部
- 写真部
- 書道部
- パソコン部
- 美術工芸部
- 放送部
- フォークソング部
- 創作部
- クッキング部
- サイエンス同好会
- ESS同好会
学校施設[編集]
現在の校舎は1970年代の建設で、旧耐震基準の既存不適格のままであり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2011年(平成23年)度から改修を行った[20]。
高校関係者と組織[編集]
関連団体[編集]
- 登美丘高等学校同窓会 - 同窓会。固有の団体名は無し
高校関係者一覧[編集]
- 芸能
- スポーツ
脚注[編集]
- ^ a b “【動画】女子高生の「バブリーダンス」が今年のYouTube国内トレンド動画1位に 大阪・登美丘高校” (日本語). 産経新聞. (2017年12月18日) 2020年9月28日閲覧。
- ^ a b c “どんな学校?(中学生のみなさんへ)” (日本語). 大阪府立登美丘高等学校. 2021年2月4日閲覧。
- ^ “令和2年度 学校経営計画及び学校評価” (日本語). 大阪府立登美丘高等学校. 2020年9月28日閲覧。
- ^ “2020年4月進路だより” (日本語). 大阪府立登美丘高等学校. 2020年9月28日閲覧。
- ^ 現在の堺市美原区・堺市立黒山小学校付近
- ^ a b 1930年代の公立職業学校における女子教育 大阪府立佐野高等実践女学校を中心に - 京都大学徳山倫子2016年(平成28年)
- ^ 現在の堺市東区・美原区の大半、および羽曳野市の一部に相当
- ^ 現大阪府立農芸高等学校の源流で、大正6年4月27日付の文部省告示第96号で、設置と4月開校を認可された「大阪府南河内郡黑山村外六箇村學校組合立黑山實業學校」(官報大正6年(1917年)1917年4月27日 第1419号
- ^ a b 官報昭和4年(1929年)4月6日第678号
- ^ なお1943年に戦時措置に伴う中等学校令により4年制に短縮されたが、終戦直後5年制に復帰している。
- ^ 併設中学校は過渡期の役割を終えた1949年に閉鎖。
- ^ 大阪府立農芸学校(現大阪府立農芸高等学校)は1941年に黒山村大字北余部内で移転している。
- ^ a b c d “沿革・校歌” (日本語). 大阪府立登美丘高等学校. 2020年9月28日閲覧。
- ^ 官報大正15年(1926年)11月30日第4281号
- ^ なお学校組合は1925年に泉北郡百舌鳥村・深井村・東陶器村・西陶器村および南河内郡南八下村の5カ村(いずれも現在の堺市の一部)が加入し、12カ村による学校組合となった。
- ^ a b 官報昭和16年(1941年)3月17日第4256号
- ^ “【11月17日 Mステ出演者・披露曲まとめ】MIYAVI vs 三浦大知、関ジャニ∞、DAOKO×岡村靖幸など6組登場!”. T-SITE (TSUTAYA). (2017年11月17日) 2017年11月19日閲覧。
- ^ 関西元気文化圏賞 大賞に桐生祥秀選手、特別賞に井山裕太十段 ニューパワー賞には登美丘高校ダンス部も 産経新聞 2018年1月23日
- ^ “【動画】あのバブリーを超える? 登美丘高振り付けの「救命ダンス」が熱い” (日本語). 産経新聞. (2020年1月31日) 2020年9月28日閲覧。
- ^ “棟別耐震性能一覧表【府立学校】” (日本語). 大阪府庁. 2021年2月3日閲覧。
参考文献[編集]
- 大阪府立登美丘高等学校60周年記念誌編集委員会『創立60周年記念誌』大阪府立登美丘高等学校、1983年。
関連項目[編集]
- 大阪府立佐野高等学校 - 同じく実業学校から昇格、府立16番目の高等女学校
- 大阪府立河南高等学校 - 同じ南河内郡で最初の高等女学校
- 大阪府立清水谷高等学校 - 大阪府で最初の高等女学校
- 大阪府立大手前高等学校 - 大阪府で最初の女学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
- 大阪府高等学校一覧
外部リンク[編集]
- 大阪府立登美丘高等学校
- 日本高校ダンス部選手権・ビッグクラスで大阪府立登美丘が準優勝 - SankeiNewsチャンネル(主催の産経新聞によるバブリーダンス動画)