大阪府立河南高等学校
| 大阪府立河南高等学校 | |
|---|---|
|
| |
北緯34度29分58.7秒 東経135度35分30.4秒 / 北緯34.499639度 東経135.591778度 | |
| 過去の名称 |
大阪府南河内郡立實科高等女學校 大阪府南河内郡立河南高等女學校 大阪府河南高等女學校 大阪府立河南高等女學校 大阪府立富田林高等女學校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
|
| 学区 | 大阪府内全域 |
| 設立年月日 | 1912年4月29日[1] |
| 創立記念日 | 5月1日 |
| 創立者 | 南河内郡 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 分校 | 松原分校(1951年-1966年) |
| 課程 | 全日制の課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学科内専門コース | eコース(教育コース) |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | D127210000336 |
| 高校コード | 27165K |
| 所在地 |
〒584-0038 大阪府富田林市錦が丘町1番15号 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
大阪府立河南高等学校(おおさかふりつ かなんこうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Kanan High School)は、大阪府富田林市錦が丘町にある公立の全日制普通科高等学校。略称は河南高、通称は
概要
大阪府内で12校目、府内の公立校で9校目の高等女学校であった大阪府南河内郡立実科高等女学校を前身校とする。
学制改革に伴って新制高等学校に改組された翌年の1949年以降、暫く普通科、工業科、商業科、ならびに家庭科を並置する複数学科併置校であったが、相次ぐ専門学科の閉科廃止に伴い、1965年度より全日制普通科高校となる。
2012年(平成24年)度より、教員養成系の国公立大学への進学を目指す学科内専門コースである「eコース」が普通科に設置されており、1年生のコース選択時に募集される。名称の「e」は、esperanza[注釈 1]の頭文字とeducationの頭文字から命名された。
スクール・ミッション
明治以来の南河内地域の伝統校として、未来社会を見据えた多面的思考や洞察力・判断力と、新たな課題に対して検証・探究する姿勢を身につけ、21世紀を生き抜くことのできる、教育や医療・看護、先端科学・工学等様々な分野でリーダーとなる人物を育成する[2]。
めざす学校像
“強い河南”“優しく、華やぐ河南”のスローガンのもと、 学習・部活動・行事、すべてに全力で取り組み、生徒一人ひとりが躍動する学校
スクール・ポリシー
グラデュエーション・ポリシー
カリキュラム・ポリシー
アドミッション・ポリシー
本校は、学習・部活動・行事、全てに積極的に取り組んでいる高校である。学習では希望進路の実現、部活動では全国・近畿大会へ出場、公立最強・最優秀の成果に向けて、高い目標を定めて挑戦する生徒の育成をめざしている。一人ひとりの躍動が“強い河南”、“優しく、華やぐ河南”を創る。
沿革
略歴
学校創立
教育機関としての源流は、1875年(明治8年)に創設された富田林女紅場(にょこうぱ)に遡る[5]。1901年、郡立女学校を設置する決議が南河内郡議会において可決されたが、時期尚早として無期延期となっていた。そこで「先ず裁縫学校を設置し、将来の女学校設置に備える」という構想に沿って、1906年には富田林町妙慶寺の富田林高等小学校に裁縫学校が附設された[1]。
1910年6月27日、文部省告示第192号として、徒弟学校規定による大阪府南河内郡富田林町外六箇村学校組合立女子技芸学校を設置し、同年7月より開校する件の認可が告示された。富田林高等小学校附設裁縫学校は女子技芸学校に改組され、同年7月25日に開校した。
1911年4月の改正高等女学校令施行に伴い、実科のみを設置した高等女学校の設置が可能となったことを受け、南河内郡は延期となっていた郡立高等女学校設置を進めた。1912年3月30日、文部省告示第103号として、高等女学校令による大阪府南河内郡立実科高等女学校を設置し、同年4月より開校する件の認可が告示された。女子技芸学校は実科高等女学校に改組され、同年4月29日に開校した。尚、この実科高等女学校の設置を以て学校創立としている[1]。
1916年(大正5年)12月4日には、実科高等女学校は富田林町大字毛人谷(えびたに)に移転新築されて、富田林高等小学校との併設を解消した。
高等女学校
1918年4月23日、実科高等女学校は、通常科を併置した大阪府南河内郡立河南高等女学校に改編され、1921年4月1日には南河内郡から大阪府に移管されて大阪府立河南高等女学校に改称した[1]。
1927年(昭和2年)2月にシンガーミシン20台が河南高等女学校父兄保護者会により寄付され、1928年には大阪府立富田林高等女学校に再改称された[1]。改称の経緯を示す資料は現存していないが、大阪府から改称指示があったと推測されている[注釈 2]。
1944年、富田林高等女学校は、富田林町大字毛人谷から現在地に移転新築された。跡地は大阪第二師範学校女子部[注釈 3]の校地に転用された[注釈 4]。
河南高等学校
学制改革に伴い1948年4月に新制高等学校に改組された。名称選定にあたっては、富田林高等女学校と富田林中学校は共に所在地名「富田林」を含む名称を使用していた為、その所在地名の継承を巡って調整が行われた。2校間の位置関係から「富田林西高等学校」を富田林高等女学校に、「富田林東高等学校」を富田林中学校にそれぞれ選定する案も検討された。最終的には、所在地名を継承した大阪府立富田林高等学校を富田林中学校に、以前の名称「河南」を冠した大阪府立河南高等学校を富田林高等女学校に、それぞれ選定する事で決着した。
いわゆる高校三原則に基づく男女共学の導入開始にあたり、大阪府立富田林高等学校との間で生徒と教職員の交流を実施し、男女共学となった。この男女共学化に伴う作業が完了し、開校式が実施された同年5月1日を創立記念日としている。
また、既存校地を富田林町立中学校[注釈 5]に明け渡した為、同年5月19日に河南高等学校は富田林高等学校校地へ仮移転し、1951年6月までの約3年間、同校に一時併設された。
翌1949年には、普通科、工業科、商業科、ならびに家庭科を併置する、いわゆる総合制高等学校となった。1951年6月、富田林町立中学校の移転新築に伴い、同校が使用していた現在地が明け渡された為、河南高等学校は現在地へ再度移転した。これに伴い富田林高等学校との一時併設は解消された。
1955年には商業科は普通科商業コースに、家庭科は普通科家庭コースに改編されて閉科廃止となった。工業科は、1962年に新設された大阪府立河南工業高等学校に継承する形で募集停止となり、1965年に閉科廃止されて、総合制高校から全日制普通科高校となった。
松原分校
1951年、大阪府立河南高等学校松原分校が中河内郡松原町立中学校に併設され、定時制課程が設置された。松原市上田3丁目[注釈 6]に所在した校地は、併設校であった松原町立中学校の移転新築に伴い、1956年より松原分校が継承したが、1966年3月には松原分校は閉校され廃止となった。廃止時に在籍していた生徒は、大阪府立河南工業高等学校定時制課程への転籍措置がとられた。
年表
- 1906年(明治39年)4月1日 - 「富田林高等小学校附設裁縫女学校」を開設
- 1910年6月27日 - 明治43年文部省告示第192号において、徒弟学校規定により「大阪府南河内郡富田林町外六箇村学校組合立女子技芸学校」を同府同郡富田林町に設置開校の件認可の告示。
- 1912年
- 1916年(大正5年)12月4日 - 第1期工事竣工。同府同郡富田林町大字
毛人谷 ()に移転新築。 - 1917年12月 - 第2期工事竣工。
- 1918年4月23日 - 大正7年文部省告示第141号において、高等女学校に変更し大阪府南河内郡立河南高等女学校と改称の件認可の告示。
- 1920年1月29日 - 大阪府河南高等女学校と改称。
- 1921年4月5日 - 大正10年文部省告示第282号において、府立に変更し大阪府立河南高等女学校と改称の件認可の告示。
- 1922年4月1日 - 13学級編成となる。
- 1925年12月 - 講堂および家事実習室増築、洗心堂および物置等新築。
- 1926年5月 - 会議室、図画教室、普通教室等竣工。
- 1928年(昭和3年)
- 3月23日 - 昭和3年文部省告示第175号において、大阪府立富田林高等女学校と改称の件認可の告示。
- 4月1日 - 大阪府立富田林高等女学校と改称。
- 1930年8月 - 講堂拡張工事竣工。
- 1932年11月 - 新旧運動場併合工事竣工。
- 1934年9月21日 - 室戸台風で校舎被災。
- 1939年8月 - 位置変更目的で10,000坪買収。
- 1941年4月1日 - 25学級編成となる。
- 1944年4月15日 - 新校舎竣工。現在地に移転新築。
- 1947年4月1日 - 募集停止。二年生と三年生を新制の併設中学校に転籍。
- 1948年
- 1949年4月1日 - 普通課程、家庭課程、商業課程ならびに機械課程を併置し、総合制高校となる。
- 1951年
- 1952年 - 商業科および家庭科を1953年度以降募集停止。
- 1953年 - 松原分校定時制課程家庭科を1954年度以降募集停止。
- 1955年3月31日 - 商業科および家庭科を閉科廃止。
- 1957年3月31日 - 松原分校定時制課程家庭科を閉科廃止。
- 1961年9月16日 - 第2室戸台風により校舎被災。
- 1962年 - 大阪府立河南工業高等学校開設に伴って、工業科を1963年度以降募集停止。
- 1964年 - 松原分校定時制課程普通科および商業科を1965年度以降募集停止。
- 1965年3月31日 - 工業科を閉科廃止。
- 1966年3月31日 - 松原分校を閉校廃止。河南工業高等学校は同分校2年生および3年生を受入れ。
基礎データ
所在地
通学区域
- 大阪府内全域
アクセス
鉄道
バス
- 富田林市コミュニティバス(レインボーバス)「甲田一丁目」停留所より北西へ約650m(徒歩約8分)
自転車
設置する課程、学科、コースならびに定員
2024年(令和6年)度、普通科の募集人員は320名(8学級)であったが、2025年度より再び40名(1学級)減員での生徒募集となる。
入学者選抜
「一般入学者選抜(全日制の課程)」が実施され、また、合格者数が募集人員に満たない場合は「二次入学者選抜」が実施される。入学者は、学力検査の成績に調査書の評定を加えた総合点により選抜された者が、校長により決定される。
総合点を算出するにあたって、「学力検査問題の種類並びに学力検査の成績及び調査書の評定にかける倍率のタイプ」はⅠであり、学力検査の満点は630点、 調査書の満点は270点とし、総合点の満点は900点となる。
また、学力検査における問題の種類については、国語、英語、ならびに数学は「標準的問題(B)」が選択されており、英語のリスニングテストの配点は約20%(5分の1)とされる。
特別活動
学校行事
宿泊を伴うオリエンテーションは無い。水泳大会や水泳合宿といった夏季の体育行事も無い。また冬季の体育行事としては、耐寒登山やマラソン大会、球技大会も無い。文化行事としては、芸術選択科目の作品展示会・発表会や百人一首大会、合唱コンクール、予餞会は無いが、芸術鑑賞会は行われている。
- 1学期
- 4月 - 始業式・着任式・入学式、自転車安全講習(1年)、クラブ紹介、スタディーサポート、1年スマホ講演会、ペナント、3年校内模試
- 5月 - 3年芸術鑑賞・創立記念日、前期自治会役選、スポーツテスト、中間考査
- 6月 - 体育大会、3年校内模試、2年進路フェスタ
- 7月 -期末考査、3年共通テスト説明会、大学説明会、第1回リーダーズ講習会、第1回クラブ体験会、薬物乱用防止教室、終業式
- 2学期
- 8月 - 3年補充授業、始業式、スタディーサポート(1,2年)、大阪大谷大学体験授業(2年)
- 9月 - 3年共通テスト説明会、フェスティバル、第2回クラブ体験会、3年校内模試、分野別説明会(1年)、後期自治会役選
- 10月 - 中間考査、3年校内模試、人権講演会、第1回学校説明会、1,2年遠足(2年)
- 11月 - 1,2年校内模試、3年校内模試、防災避難訓練(地震・Jアラート対応)、2年期末考査
- 12月 - 2年修学旅行、1,3年期末考査、3年校内模試、第2回学校説明会、終業式
- 3学期
部活動
運動部は19、文化部は18あり、クラブ数は37である。
- 運動部
- 文化部
高校関係者と組織
高校関係者組織
- 大阪府立河南高等学校学校運営協議会 - 保護者、地域住民、校長、関係行政機関の職員の中から委嘱された委員による機関。学校運営及び当該運営への必要な支援に関して協議する。
- 大阪府立河南高等学校PTA - 生徒保護者と教員による父母と教師の会(PTA)組織で、会員は入会金及び年会費を納入する。
- 大阪府立高等学校PTA協議会 - 大阪府教育庁に近接する大阪市中央区糸屋町に事務局を置くPTA協議会。大阪府立河南高等学校PTAの会員をもって会員とし、会員は単位PTA分担金として会費を納入する。
- 大阪府立河南高等学校同窓会「たちばな会」 - 前身学校を含む卒業生による同窓会組織。事務所を校地内に所在する同窓会館「たちばな会館」内に置く。
高校関係者一覧
著名な出身者
- 政治(行政)
- 北川嗣雄 - 羽曳野市長
- 経済・実業
- 文芸・芸術
- 舞台芸術・芸能
脚注
注釈
- ↑ スペイン語で「希望」を意味する 。
- ↑ 泉南高等女学校は岸和田高等女学校に、河北高等女学校は寝屋川高等女学校に、三島高等女学校は茨木高等女学校にと、同時期に大阪府立の高等女学校3校は改称しており、河南高等女学校を含む4校はいずれも「(1)郡立から府立に移管、(2)改称前の名称は郡名を冠した名称、(3)改称後は所在地名を冠した名称」という共通点を持つ。
- ↑ 現在の大阪教育大学の前身校の一つ。
- ↑ 1951年には、富田林町立中学校の校地に再転用された。
- ↑ 1947年創立の新制中学校。
- ↑ 現在の松原市立第三保育所付近。
- ↑ 正確には、西へ約600m(徒歩約8分)。
- ↑ 正確には、東へ約4.3km(自転車約18分)。
出典
- 1 2 3 4 5 “沿革”. 大阪府立河南高等学校. 2022年4月17日閲覧。
- ↑ “府立高等学校スクール・ミッション一覧” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月5日閲覧。
- ↑ “令和7年度 学校経営計画及び学校評価” (PDF). 大阪府立河南高等学校. 大阪府立河南高等学校. p. 1. 2025年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月28日閲覧。
- 1 2 3 “府立高等学校スクール・ポリシー一覧〈北河内・中河内・南河内エリア〉” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月5日閲覧。
- ↑ “創立100周年記念事業 募金趣意書 ◆◆◆河南高等学校同窓会◆◆◆”. 大阪府立河南高等学校同窓会. 大阪府立河南高等学校同窓会. 2025年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 【公式】大阪府立河南高等学校 (@kanan_hs.official) - Instagram
- 高校河南 - YouTubeチャンネル
