天王寺動物園

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大阪市立動物園から転送)
天王寺動物園
TENNOJI ZOO

天王寺動物園

地図
地図
施設情報
前身 大阪市立動物園
専門分野 総合
所有者 地方独立行政法人
(2021年3月までは大阪市の直営)
管理運営 地方独立行政法人
(2021年3月までは大阪市の直営)
園長 向井猛
開園 1915年(大正4年)1月1日
所在地 543-0063
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-108
位置 北緯34度39分2秒 東経135度30分30.2秒 / 北緯34.65056度 東経135.508389度 / 34.65056; 135.508389座標: 北緯34度39分2秒 東経135度30分30.2秒 / 北緯34.65056度 東経135.508389度 / 34.65056; 135.508389
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天王寺動物園
天王寺動物園に保存されているニホンアシカの剥製
アフリカサバンナゾーン NZABI NATIONAL PARK
アムールトラ

天王寺動物園(てんのうじどうぶつえん)は、大阪府大阪市天王寺区天王寺公園内にある動物園1915年(大正4年)1月1日に開園した、日本で3番目に長い歴史をもつ動物園。面積約11ヘクタールの園内に、約200種1000匹の動物が飼育されている都市型総合動物園。

2006年7月16日に、総有料入園者数が1億人を超えた[1]。国内では恩賜上野動物園に次いで2番目。

大阪市の直営であったが、2020年12月9日の大阪市会で「地方独立行政法人天王寺動物園への職員の引継ぎに関する条例案」他の議案が可決[2]され、2021年4月1日付けで設立された地方独立行政法人天王寺動物園に移管された。

特徴[編集]

天王寺動物園は開園当初から、「動物の研究」と「種の保存」という動物園本来の目的から離れ、商業主義的なレクリエーション性を重視していた。この背景には、阪急宝塚動植物園阪神浜甲子園阪神パーク大軌菖蒲池遊園地など、動物園を併設した遊園地が大阪周辺に相次いで開業したため、「動物を見せること」以外の付加価値をもって対抗する必要があった。

その代表が1932年に来日したチンパンジーの「リタ」(愛称:リタ嬢)で、三輪車竹馬に乗ったり、フォークナイフを使って食事をするなどの芸を披露し、一躍人気者となった。しかし第二次世界大戦中には軍服ガスマスク姿などで戦意高揚の広告塔となった一方で、同園でも空襲に備えた動物たちの殺処分戦時猛獣処分)が行われた[3]。これらのことをふまえ、現在同園では動物に芸を仕込むことは一切行っていない。

開園翌年から、春は夜桜、夏は納涼のため、夜間開園を1937年まで実施していた[4]。戦後も、珍獣の「ライガー」や「タイゴン」づくりなど、「レクリエーション施設」としての客寄せに取り組んでいた[5]

このような商業路線は1970年代まで続いていたが、現在は、ニュージーランド以外では世界的にも珍しいキーウィドリル[6]の飼育展示を日本で唯一行っているほか、シシオザル、ドリル、アムールトラクロサイ、ツル類、ニホンコウノトリホオアカトキヨウスコウワニなどの希少動物の繁殖に力を入れるなど、動物園本来の姿に転換している。特にナベヅルについては、飼育繁殖実績があることから、国際血統登録を担当している。

また、大阪ドームの建設候補地に挙げられたことに端を発する「ZOO21計画」が1990年代後半から推し進められ、以後、動物の生息地の環境を可能な限り再現した生態展示に切り替わった。これまでに、爬虫類生態館「アイファー」、日本初の水中観察プールを有するカバ舎やサバンナの環境を再現したサイ舎を含む「アフリカサバンナゾーン」、アジアゾウを飼育しているタイの国立公園を再現した「アジアの熱帯雨林ゾーン」を開設し、展示環境は一新された。

2006年11月3日 - 11月5日に行われた「絶滅の危機にある動物展」で、保存されている絶滅したニホンアシカ剥製が、初めて一般公開された。

主な展示施設[編集]

北園[編集]

南園[編集]

  • アジア熱帯雨林ゾーン - アジアの熱帯雨林の環境を再現してアジアゾウを飼育していたが、現在は飼育されていない。現在拡張工事のため、改修中。
  • 夜行性動物舎 - 国内で天王寺動物園でのみ飼育されているキタジマキーウィなど夜行性の動物を飼育
  • 鳥の楽園 - 1987年に開設した巨大なエイビアリー(鳥類飼育施設)で3200平方メートルの面積を持ち、国内有数である[9]
  • サルヒヒ舎 - 国内で天王寺動物園でのみ飼育されているドリルなど霊長目の動物を飼育
  • 旧コアラ館 - かつてコアラを飼育していたが、現在は飼育されておらず、エミューなどが飼育されている
  • ホッキョクグマ舎 - 戦前から残る歴史ある獣舎。ホッキョクグマを飼育
  • クマ舎 - マレーグマメガネグマを飼育
  • ふれんどしっぷガーデン - ふれあい広場をリニューアルする形でてんしばゲート横に新規オープン。ヤギヒツジモルモット野間馬などと触れ合うことができる。2022年4月27日オープン[10][11]
  • ペンギンパーク&アシカワーフ - フンボルトペンギンカリフォルニアアシカを展示しており、営巣地の整備や造波装置による海洋環境の再現、大型のアクリル水槽の効果的な活用により生き生きと泳ぐ動物たちの本来の姿を見ることができる。2023年4月26日オープン[12][10]
  • その他 - その他様々な動物を飼育

現在建設中・建設予定の施設[編集]

  • 新ホッキョクグマ舎 - 南園に建設予定。オスとメスを分けて飼育できる施設になる予定。2025年オープン予定[13]

その他の施設[編集]

  • TENNOJI ZOO MUSEUM
    • 標本展示コーナー - 天王寺動物園で飼育していたアジアゾウのユリ子の全身骨格標本と半身のレプリカ展示、絶滅の危機にある動物種の剥製や解説を展示
    • 見せる(魅せる)収蔵庫 - 普段は見ることができない天王寺動物園所蔵の剥製標本(約280点)の一部を、一面がガラス張りとなっている収蔵庫に配置し、定期的に入れ替えながら展示
    • だいしんワクワクホール - 講演や大規模スクールの開催が可能な定員240名のスクリーンを備えた多目的ホール
    • その他 - 動物に関する子ども向けの図書を中心としたキッズライブラリーや、ワークショップ等の開催が可能な実験・作業室、多目的室等がある
  • FooZoo・GooZoo
    • FooZoo - 当園のキリンの柄を模したキリンドッグや、「ディッピンドッツ」のホッキョクグマクレープ等、天王寺動物園オリジナルメニューが楽しめる
    • GooZoo - 日本では天王寺動物園でのみ飼育されているキーウィのぬいぐるみ等のオリジナルグッズが購入できる
    • 授乳室 - 幼児用ベッドや給湯器等を備えた授乳スペース

再生に向けたプラン[編集]

天王寺動物園は、戦前の1934年度(昭和9年度)に有料入園者数が年間250万人を超えるなど、古くから東京の上野動物園と並ぶ都市型動物園として認知されてきた。1972年度(昭和47年度)から中学生以下が入園無料になったことで有料入園者は減少したが、翌1973年度の総入園者は335万人を数えた。

その後、入園者数は減少に転じるが、「アフリカサバンナゾーン」がオープンした2006年度は約184万人[14](有料入場者数は68万1,934人[15])、2007年度は約194万人と増加。その後再び減少に転じ、2010年度は約120万人、2013年度には約116万人まで落ち込んでいる。

2013年4月から、従来無料だった大阪市外の小中学生の入園料を有料とするなど、開園100周年となる2015年に向け、集客を増やすための計画が進められた。その結果、2014年には約136万人、2015年には約173万人と見事なV字回復を見せた[16]

ZOO21計画[編集]

野生動物の種の保存や環境教育に貢献する、新しい動物園のあり方を確立するための計画で、古くなった動物舎を生態的展示の施設に建て替えることが主な目的である。

1995年(平成7年)に大阪芸術大学教授の若生謙二主導の下、爬虫類生態館「アイファー」、1997年(平成9年)にカバ舎、1998年(平成10年)にサイ舎を開設。2000年(平成12年)には「アフリカサバンナゾーン草食動物エリア」、2004年(平成16年)1月31日には「アジアの熱帯雨林ゾーン」、2006年(平成18年)9月には「アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア」が開設され、従来の系統分類展示型から環境デザインが一変した。

2007年6月には入場者数を増やすためビジネスパートナーを初めて公募、150社を超える多数の企業が関心を示した[14][15]

天王寺動物園101計画[編集]

2016年7月21日、天王寺動物園の新たな改革案として、「天王寺動物園101計画」の素案が発表された[17]。20年の長期計画で施設の整備も進めていく予定である。

歴史[編集]

  • 1884年:府立大阪博物場(大阪市東区内本町橋詰町、現:マイドームおおさか)に附属動物檻を設置。
  • 1903年:第5回内国勧業博覧会に開設していた「余興動物園」の動物を大阪府が引き取り、動物檻に収容。
  • 1909年:北区で発生した大火の影響で建物が半焼。これを機に大阪府から大阪市に管轄が移る。
  • 1914年:大阪府より移管を受け新動物園建設市会で決定。内本町橋詰町から南区天王寺玉水町(現在地)へ移転が決まり、動物の「引越し」が行われる。新動物園建設開始、完成。12月26日に開園式挙行。
  • 1915年:「大阪市立動物園」として開園。(当時の入園料:大人5銭、小人3銭、4歳未満無料、飼育動物数:60種以上230点、面積:26,025㎡、年間入園者:約57万人[18])。
  • 1916年:春と夏に「夜桜開園」「納涼開園」と銘打った夜間開園を実施。
  • 1919年:東京帝室博物館よりシロクジャク1羽を譲り受ける。
  • 1921年:スマトラサイを23,500円で購入(日本初)[19]
  • 1925年:ダチョウの人工孵化に日本で初めて成功する。
  • 1926年:アジアゾウ常盤(雌)が来園。
  • 1927年:チンパンジー太郎(雄)が来園(日本初)。
  • 1928年:12月30日、31日を休園日として制定。それまでは無休であった。
  • 1929年:ウォンバットハイイロカンガルー来園。
  • 1930年:武徳殿付近の公園通路を園内に取り入れる(総面積26,670㎡)。
  • 1931年:マンドリル来園(日本初)。
  • 1932年:第1次拡張計画着手。チンパンジーのリタ来園。
  • 1933年:ブチハイエナ初来園
  • 1934年:地下道、東側壁に淡水水族館完成。島根県隠岐島北西の竹島で、ニホンアシカをはじめ16点の海獣、海鳥を捕獲し展示。チンパンジーのロイド入園。チンパンジーのリタの演技が人気を集める。1932年から着手した第1次拡張工事が終了、この工事でキリン舎、ホッキョクグマ舎、海獣舎完成(総面積57,270㎡)。年間有料入園者過去最高251万人を記録。
  • 1935年:開園20周年記念動物園まつり開催。シャム国少年団より親善のためアジアゾウの雌ランプールが贈られる。ゾウ放飼園、カバ舎新設。天王寺公会堂跡を編入(総面積60,570㎡)。
  • 1936年:ニホンアシカ初繁殖。
  • 1937年:オーストラリア、シドニー市タロンガ動物園と動物交流でウォンバット、アカカンガルー来園。
  • 1938年:レッサーパンダ初来園。空襲、天災事変に備えて逃走猛獣捕獲演習実施。納涼夜間開園が中止になる。動物たちにも節約による愛国運動が及び、絶食日や代用食を給与することになり始める。
  • 1939年:輸入統制のため、新しい動物の来園がとだえてくる。
  • 1940年:チンパンジーのリタが死産の後死亡(死後、園内に石像を建立)。リタの動物園葬が行われる。土木部より教育部に所属変更(教育部動物園)。動物の飼料不足始まる。チンパンジー、ロイドの日本名への改名が問題となる。後に勝太と改称。 空襲、天災事変に備えて逃走猛獣捕獲演習を行う。動物にも絶食日や代用食を給与する日が増加。
  • 1941年:紀元2,600年を記念して「動物二千六百年史」発行。教育部より総動員部へ所属変更(総動員部動物園)。
  • 1942年:燃料、飼料不足のためアジアゾウの雌ランプール、雌常盤死亡。総動員部より市民局へ所属変更(市民局動物園)。
  • 1943年:林佐一園長退職、後任、寺内信三園長。阪神パーク閉鎖に伴い、アジアゾウの雌トム、カンガルー、サル、ツル等の無償譲渡を受ける。防空演習、動物射殺の演習を実施。ヒグマ他3頭の猛獣を薬殺。猛獣類の処分始まる。園内の空地はサツマイモ、麦畑、菜園となる。
  • 1944年:戦争の影響により、オオカミライオンヒョウ、ハイエナ、トラ、ホッキョクグマなど10種26頭を殺処分戦時猛獣処分)。寺内信三園長応召。アジアゾウの雄トムが栄養失調のため死亡。アジアゾウの他にも、キリンなどが栄養失調のために死亡。入園者が興味を持つ動物たちがどんどん減少していく。有料入園者は41万人と急降下。一時廃園と養鶏場への転用が検討された[20]
  • 1945年:第1回大阪大空襲で園内に焼夷弾2,000発落下。猛禽舎焼失、オオワシなど10種33点の動物が死亡。出征中の寺内信三園長の後任筒井嘉隆園長就任。
  • 1946年:寺内信三復員に伴い園長に再任。
  • 1947年:大阪市復興祭動物園子供大会開催。
  • 1949年:タンチョウ(雄1、雌1)購入。
  • 1950年:戦後初の外国産動物としてタイからアジアゾウの雌春子、ユリ子の2頭が来園。1日の有料入園者数6万人を超える(過去最高)。
  • 1951年:チンパンジーの雌シュジー購入。ライオン、トラ、ヒョウ入園。
  • 1952年:大阪産業経済新聞社・大阪市共催の講和条約成立記念「婦人とこども大博覧会」が公園および動物園を中心に開催。第2次拡張工事が行われ武徳殿跡、日本庭園を編入(総面積83,670㎡)。
  • 1953年:トラ(3頭)の繁殖に初めて成功。
  • 1954年:5年計画で園内施設改善着手。爬虫類および小鳥の家新設。ベイサオリックス来園。
  • 1955年:国内で初めてベイサオリックスの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。博物館相当施設に指定される。
  • 1956年:オオアリクイ初来園。
  • 1957年:園内に「動物慰霊碑」を建立。動物園駐車場開設。
  • 1958年:ドリル初来園。動物園慰霊祭にて第2次南極観測隊の樺太犬15頭の霊を合祀。
  • 1959年:サイ舎新設。
  • 1960年:国内で初めてセイランの人工孵化に成功する(繁殖賞受賞)。ゴリラ舎新設。
  • 1961年:動物園改造5ヵ年計画に着手。ニホンジカ放飼場、水禽放養池新設。
  • 1962年:キリン舎、サルアパート、ペリカン舎、オランウータン舎完成。
  • 1963年:ライオン・トラ放飼場完成。南園小宝亭を編入(総面積87,470㎡)。年間有料入園者戦後最高169万人を記録。
  • 1964年:アミメキリンの繁殖に成功。「大阪市立動物園」を「大阪市天王寺動物園」に改称。国内で初めてシュバシコウハゲガオホウカンチョウの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
  • 1965年:天王寺公園グラウンドを購入し、動物園の敷地を拡張(現:ふれあい広場付近)。開園50周年記念式典・記念祭を開催。動物園機関誌「なきごえ」創刊。
  • 1966年:大暑の日、ホッキョクグマに氷柱をプレゼント(以後、恒例となる)。サンフランシスコ動物園よりリカオン来園。国内で初めてハリネズミの繁殖に成功する。
  • 1967年
    • ラクダ・カンガルー舎、カバ舎完成。国内で初めてスプリングボックの繁殖に成功する。 
    • 5月1日:一般社団法人大阪市天王寺動物園協会を設立。
  • 1969年:西オーストラリア政府よりニシクロカンガルー受贈。
  • 1970年:大阪万博開催を記念して、ニュージーランド政府よりキーウィのニュージーとランド、インド政府よりアジアゾウの雌ラニー博子アメリカ政府よりプレーリードッグ受贈。
  • 1971年:サンパウロ訪日企業視察団よりオニオオハシ受贈。
  • 1972年:国内で初めてアビシニアライオン、アオサギウミネコの繁殖に成功する。クロサイの雌サッちゃんが生まれる。入園料改定で中学生以下無料となる。
  • 1973年:サンフランシスコとの姉妹都市提携15周年を記念して当園からタヌキ、サンフランシスコ動物園からダマジカ(白変種)の動物交換。
  • 1974年:日中国交回復を記念して北京動物園からタンチョウ、モウコガゼル(国内初)が来園。上海・大阪友好都市提携を記念して上海動物園と動物交流を開始し、チュウゴクオオカミ(黒変種)が来園。
  • 1975年:開園60周年を記念して、サンディエゴ動物園よりシンリンオオカミ受贈。第1回サマースクール開催。サンディエゴ動物園よりコヨーテ受贈。リカーンパーク動物園よりカナダヤマアラシ来園。昌慶園動物園よりワシミミズクチョウセンヤマネコ来園。
  • 1976年:大阪動物園ボランティアーズが発足。ラングーン動物園からムツアシガメムチヘビ来園。国内で初めてミナミアメリカオットセイボリビアリスザルの繁殖に成功する。
  • 1977年:バングラデシュ・ダッカ動物園からジャングルキャット来園。国内で初めてモウコガゼルの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。上海市との第2次動物交流でベニジュケイ2つがい来園。
  • 1978年:ワシミミズクの繁殖に成功。国内で初めてジャングルキャットインドガン(人工孵化)、クリイロミズヘビの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。ことりの家が日本宝くじ協会の寄付で完成。上海市との第3次動物交流でニホンコウノトリ来園。
  • 1979年:メルボルン動物園からワライカワセミヤブツカツクリ来園。国内で初めてベニジュケイの繁殖に成功する。大阪信用金庫が園内に「白雪姫時計台」を寄贈。
  • 1980年:国内で初めてブラジルバクアカハシリュウキュウガモパカの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。旭川市旭山動物園よりホッキョクグマの子供のユキオ(雄)が、米国タルサ動物園よりユキコ(雌)の2頭が来園。それに伴いホッキョクグマ雄2頭が退園。
  • 1981年:コウノトリ舎完成。上海市との第4次動物交流でチュウゴクオオカミ(黒変種)来園。
  • 1982年:ニュージーランドのオトロハンガ動物学協会からキーウィの「ダイ」「ロンロン」「ジュン」来園。国内で初めてインドミノキジの繁殖に成功する。
  • 1983年:オーストラリア・ヴィクトリア製造業会議所からハリモグラ寄贈。クロサイのサッちゃんがサイタ(雄)を出産。上海市との第5次動物交流でニホンコウノトリ、フランソワルトン来園。
  • 1984年:キジ舎完成。オーストラリアタスマニア州タスマニアデビルを寄贈(日本初の来園)。
  • 1985年:夜行性動物舎、レクチャールームがオープン。開園70周年を祝って上海動物園からコジャコウネコアオミミキジ寄贈。国内で初めてタスマニアデビルの繁殖に成功する。開園70周年記念シンポジウム「動物との共存を図るために」を開催。
  • 1986年:サル・ヒヒ舎完成(ヒヒ舎は日本宝くじ協会の寄付)。
  • 1987年:東門、駐車場閉鎖。上海市との第6次動物交流でニホンコウノトリ、アジアゴールデンキャット、コジャコウネコ来園。天王寺博覧会開催に合わせて「鳥の楽園」を開設。ホッキョクグマのユキコこゆきを出産。(本州以南で初の成功)国内で初めてワライカワセミの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
  • 1988年:ガラス張りのヒョウ舎完成。
  • 1989年:コアラ館完成。メルボルン動物園からコアラ3頭が来園(第一陣)。天王寺公園に多目的ドーム(大阪ドーム)の建設計画が浮上し、動物園の移転を含めた検討委員会が組織される。ホッキョクグマのこゆき池田動物園に出園(1991年に死亡)。レッサーパンダ舎完成。上海市との第7次動物交流でレッサーパンダ、クロトキが来園。
  • 1990年:南門を閉鎖し、新世界ゲートを改修。メルボルン動物園からコアラ3頭が来園。ガラス張りのオオカミ舎完成。日本のシシオザルの繁殖計画を策定し、国際協力でアメリカのワシントン動物園から雌来園。続いて8月3日アメリカのセントルイス動物園から雄、雌来園。多目的ドーム建設検討委員会が、天王寺公園をドーム建設候補地の一つに選定。動物園を大正九区に移転・新設するプランが示される。ホッキョクグマのユキコが「ミユキ」を出産(ミユキは、後に神戸市立王子動物園で飼育)。
  • 1991年:コアラ(ミク)の繁殖に成功(当園初)。国内で初めてコサンケイの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。上海市との第8次動物交流でヨウスコウワニアネハヅルが来園。
  • 1992年:チンパンジー・オランウータン舎が完成。コアラのクミ(雌)が生まれる。
  • 1993年:ドイツ・ライプチヒ動物園からメガネグマ(雄)来園。上海市との第9次動物交流でウンピョウが来園。ニホンコウノトリの繁殖に成功(本園初)。シンガポール動物園からチンパンジーの親子来園。日本動物園水族館協会の種保存委員会全国拡大会議が大阪で開催され、同協会総裁の秋篠宮文仁親王が天王寺動物園をご視察。ホッキョクグマのユキコがユキミを出産(ユキミは、その後札幌市円山動物園に出園、1995年に死亡)。
  • 1994年:クロサイのサッちゃんがサトミ(雌)を出産。
  • 1995年:若生謙二主導の「ZOO21」計画発案。爬虫類生態館「アイファー」が完成。上海市との第10次動物交流でヨウスコウワニ、チュウゴクオオクビガメ来園。国内で初めてカナダヅルとドリル(人工)の繁殖に成功(繁殖賞受賞)。ホッキョクグマのユキオ(雄)が死亡。宝塚動植物園(宝塚ファミリーランド)からホッキョクグマの「ネボスケ」(雄)が来園。ニシゴリラのゴロが千葉市動物園に出園。ゴリラの飼育が途絶える。開園80周年記念式典を大阪国際交流センターで開催。一日園長に柳生博さんと大塚露那さんを任命。開園80周年を記念してメルボルン動物園からコアラ2頭来園。
  • 1996年:国内で初めてワレンヨロイトカゲマダガスカルシャコ(人工繁殖)、タンザニアアカノドシャコの繁殖に成功(繁殖賞受賞)。コアラのアルン(雄)が生まれる。シンガポール動物園からマレーグマ(雄、雌)来園。フロリダアカハラガメ来園(当園初)。シンガポール動物園からスナドリネコ(雄、雌)来園。クロサイのサトミをアメリカ・カードウェル動物園に貸し出し。カラカル(雄、雌)繁殖(当園初)。
  • 1997年:上海市との第11次動物交流でヨウスコウワニ4頭、コジャコウネコ(雄、雌)来園。ヒョウモントカゲモドキ自然繁殖(日本初)。レッサーパンダ(雄テンテン)誕生(当園初)。生態的展示の2番目の動物舎として、日本初の水中が見られるカバ舎オープン。フロリダアカハラガメ繁殖(日本初)。
  • 1998年:フサオネズミカンガルーヒョウモンガメフクロモモンガ繁殖確認(当園初)。ナベヅル(雌)繁殖。(当園初)13日に2羽目(雌)繁殖。新サイ舎完成。11月25日ホッキョクグマのユキコが「ユキスケ」(雄)を出産。
  • 1999年:当園が中心となり日本のシシオザルの繁殖計画を策定しアメリカのウッドランドパーク動物園の協力を得てシシオザル(雌6)を受け入れ、当園を含む4園に配分。ニューギニアナガクビガメ3頭繁殖(当園初)。クロサイのサミー(雄)が生まれる。ホッキョクグマのユキスケ(雄)が死亡。
  • 2000年:建設局花と緑の推進本部からゆとりとみどり振興局天王寺動植物公園事務所に所属変更。レクチャールームで行う「獣医さんのお話」を開始。(毎月第3日曜定例化)大阪信用金庫より寄贈されたクロサイのブロンズ像の贈呈式挙行。アジアゾウ(雌ユリ子)死亡(50年飼育)。ナベヅル1羽をベルギーのホウカンチョウ保護繁殖センターへ贈る。アフリカサバンナゾーン草食動物エリア完成。
  • 2001年:秋篠宮文仁親王夫妻が来園し、園内を見学。阪神パーク甲子園住宅遊園からキリンの「ケニヤ」来園。ホッキョクグマのネボスケが死亡。上海市との第13次動物交流でナベヅル(雄)来園。
  • 2002年:クロサイ(雄サミー)イギリスのチェスター動物園へ貸出。カンムリシロムクロエリセイタカシギ繁殖(当園初)。大阪信用金庫よりログハウス調の授乳室受贈。ゾウの糞から堆肥を作る有機性廃棄物高速発酵処理機を設置。世界動物園水族館協会 (WAZA) に加盟。
  • 2003年:日本動物園水族館協会主催の動物園の教育利用を促進するためのワークショップを開催。国内で初めてフロリダアカハラガメの繁殖に成功(繁殖賞受賞)。宝塚ファミリーランドの閉園に伴い、ホオジロカンムリヅルなど5種11羽が来園。チンパンジーのシュジーが死亡(享年54)。トムソンガゼル(雄)繁殖(当園初)。ゾウの糞から作った有機堆肥「エレファント・ダン」の市民配布開始。フトアゴヒゲトカゲ来園(当園初)。
  • 2004年:新しく完成したアジアの熱帯雨林ゾーン(ゾウ舎)を報道関係者に事前公開。アジアの熱帯雨林ゾーン(ゾウ舎)の完成記念式典を挙行。大阪信用金庫から寄贈された子ゾウのブロンズ像除幕式挙行。上海市から第14次動物交流でミミセンザンコウ(雄、雌)が来園。キバラスズガエル自然繁殖(日本初)。フトアゴヒゲトカゲ繁殖(当園初)。ホッキョクグマのユキコ老衰で死亡。ホッキョクグマが不在のため展示を一時中断。ビルマニシキヘビ2頭繁殖(当園初15日、16日、17日にもそれぞれ2頭、7頭、2頭が繁殖)。「飼育係のおしゃべりガイド」を開催(毎月第3土曜定例化)。アイゾメヤドクガエルが繁殖(当園初)。ベンガルヤマネコ(雄)が福岡市動物園から来園。ブチハイエナツキノワテリムクが繁殖(当園初)。大阪国際交流センターにおいて、第52回日本動物園水族館協会動物園技術者研究会を開催。秋篠宮文仁親王が来園し、園内を見学。ニホンザル結核にかかったため展示が中止される。アジアの熱帯雨林ゾーン(ゾウ舎)が市民ZOOネットワークのエンリッチメント大賞を受賞。
  • 2005年:結核にかかったニホンザルが殺処分される。開園以来続いていたニホンザルの展示が途絶える。開園90周年を記念して、新たな催しとなる「飼育係のワンポイントガイド」を開始。コアラのミク(雄)・クミ(雌)の母親ミドリ(雌)が死亡。アジアゾウの春子、来園55周年を祝う会を開催(以後、恒例となる)。6月下旬から7月7日まで募集した「願い事叶えまっせ」で選ばれた方に、キリンへの給餌の夢を叶えていただく(以後、恒例となる)。敬老の日に因み、アジアゾウの春子、クロサイのサッチャンオランウータンサツキに長寿のお祝いとして好物をプレゼント。開園90周年記念シンポジウム「動物園が今おもしろい!」を大阪コミュニケーションアート専門学校と共催で大阪厚生年金会館芸術ホールにて開催。開園90周年記念イベントとして「大人のための飼育体験」を実施。大人向けの飼育体験は初。市民から懐かしい写真を借りて「思い出の写真展」を新世界町会連合会と共催で18日まで開催。明治~昭和40年代の天王寺公園や動物園、通天閣などの貴重な写真を展示。
  • 2006年:タイ王国スリン県と大阪市の青少年交流事業に基づき、スリン県の13歳から18歳までの青少年10名が来日。ホッキョクグマのゴーゴ(雄)が、ロシアのペルミ動物園から来園。株式会社蓬莱より受贈。ホッキョクグマの展示を再開。国内で最高齢の27歳だったアミメキリンのサキコが老衰で死亡。上海動物園との動物交流で、チュウゴクオオカミのペアが来園。ヒツジ、ヤギ、トカラヤギ、ミニブタを旧カモシカ園に新設したヤギ・ヒツジ舎に移動。市民の希望を受け、当園では初めて野外ステージにて結婚披露が行われる。大正4年の開園以来有料入園者が一億人に達する。一億人目の家族に記念品贈呈セレモニー、キリンとの記念撮影。旧カモシカ園を「ひつじ広場」と命名。アフリカサバンナゾーン新エリアのトイレ内に、動物の豆知識を記した「スッキリうんちく」パネルを設置。(以後他トイレにも設置)アフリカサバンナゾーン肉食動物エリアが完成し、アフリカサバンナが全面オープン。關淳一市長ら出席の元、オープンセレモニーが行われる。大阪信用金庫よりご寄贈された親子ライオンのブロンズ像の除幕式を挙行。クロエリセイタカシギの展示を新しくなったシギ舎で再開。
  • 2007年:日本動物園水族館協会の平成19年度通常総会ならびに協議会を大阪国際交流センターで開催。日本動物園水族館協会の総裁である秋篠宮文仁親王が天王寺動物園を視察。チンパンジーのプテリが脱走するが捕獲される。大阪市立デザイン教育研究所の協力により公用車をキリン模様に衣替え。
  • 2008年:ビジネスパートナー事業の記者会見。大阪産業創造館の新規パートナー事業の募集に対し95社から122件の応募があり、実現した7件を発表。その中で関西マルチメデイアサービスから提案のあった天王寺動物園の専用のホームページZOO×ZAQが公開。ウーマンライフ新聞社から、日本初の動物園からのフリーペーパー「Together」が創刊される。上海動物園より第16次動物交流のヨウスコウワニが2組来園。初の試みとして通天閣、大阪市立美術館、天王寺動物園の3施設共通入場券を発売。英国のチェスター動物園で、当園より貸し出し中のクロサイの雄のサミーに、初めての子が生まれる。ホッキョクグマのゴーゴに釧路市動物園よりお嫁さんを迎えるべく、市民による「ゴーゴのプロポーズ大作戦」と題する署名活動が始まる。
  • 2009年:平松邦夫大阪市長に「ゴーゴのプロポーズ大作戦”」の発起人代表より、全国から集まった2万6千人を超える署名を、宮下実園長立会いの元に手渡される。署名は市長から園長に引き渡され、釧路市動物園の山口良雄園長に渡されたが、プロポーズは実らず。通天閣観光株式会社、大阪信用金庫、阪神高速道路株式会社大阪芸術大学、社団法人大阪市天王寺動物園協会の協力を得て、アフリカサバンナゾーンのサイ舎の後方に見える阪神高速道路の遮音板にアフリカサバンナの風景画を描くことになる。費用にあてるため「ZOOをあんじょいしましょう会」を設立し、募金活動を開始。国内最高齢であったコアラの雄のハクが心不全のため死亡(21歳7カ月)。大阪市立デザイン教育研究所と株式会社アサヒペンの協力でカバ舎の屋上に絵を描くプロジェクトが終了し、通天閣でお披露目式典を開催。
  • 2010年:カバのナツコが老衰で死亡。コアラのスピカ(雌)が死亡(育児嚢内にいた胎児も翌日死亡)。アジアゾウ2頭の来園計画があったが幻におわる。ケープハイラックス2匹が、相次いで死亡。ケープハイラックス不在のため展示を一時中断。小惑星探査衛星「はやぶさ」帰還記念として「ハヤブサ」と「はやぶさ」コラボ講演会を実施。千石正一を迎えて、「カエルやカメの仲間がいなくなる!Extinction of Herptiles」と題して、絶滅の危機に瀕(ひん)するは虫類・両生類の講演会を開催。地下鉄御堂筋線動物園前駅(新世界前)北側の地下道に当園の飼育動物を描いたポスターのギャラリーが完成。大阪市立デザイン教育研究所の学生の協力を受けたポスターを掲示。
  • 2011年:高病原性鳥インフルエンザが兵庫県伊丹市で検出されたため、防疫体制を強化。「鳥の楽園」を一時閉鎖。浜松市動物園よりホッキョクグマの雌バフィンが、繁殖のためブリーディングローンで来園。株式会社蓬莱が輸送費を後援。天王寺公園と動物園の間に連絡ゲートを開設。天王寺ゲートから公園内を通過して動物園に入れるようになる。上海市との第17次動物交流でジャガーの雌ルースが来園。日本経済新聞の「生態がよくわかる動物園ランキング」で1位に選ばれる。当園オリジナルゆるキャラ「ゴーゴくん」がデビュー。阪堺電気軌道阪堺線の開通を記念する「阪堺電車百周年記念式典」に園長と参加。あべのキューズモールがケープハイラックス3匹寄贈。ケープハイラックスの展示が再開される。ライオンのカスピ(雌)が死亡。コヨーテの福子(雌)が死亡。
  • 2012年:白雪姫時計台のリニューアル完成除幕式を開催。大阪信用金庫の協力により改修された。ゆとりとみどり振興局天王寺動植物公園事務所から建設局天王寺動植物公園事務所に所属変更。ライオンのネルが死亡。キリンのハルミ(雌)が死亡。なにわ(728)の日に因み、7歳、2歳、8歳の動物をめぐるクイズラリーを開催。お盆の夜間開園(午後7時まで)期間中は定例以外のおやつタイム・ごはんタイム、夜行性動物舎ガイド、ゾウの寝室ガイドなどを実施。キリンのケニア(雄)が死亡(享年22)。キリンが不在のため展示を一時中断。オラウータンのミミが退園。ボルネオオランウータンのサツキ(雌)が42歳で死亡。オランウータンの飼育が途絶える。チンパンジーのアップルが死亡。
  • 2013年:上海市との第18次動物交流として、上海動物園へエリマキキツネザル(雄、雌)を贈る。大阪市外の小中学生の入園料を200円とする。姫路セントラルパークからアミメキリンの雄の幸弥(こうや)を借り受け。キリンの展示を再開。株式会社マルハンが輸送費を後援。コアラのタラオ(雄)が死亡。南紀白浜アドベンチャーワールドからライオンのルナ、モナカ、ガオウが来園。ナベヅルの雄が東京都井の頭自然文化園から入園。あべのキューズモールでのキャンペーンにより輸送費が集められた。通天閣観光株式会社の輸送費後援により来園したムフロンツウテンカクいずれも雄)のお披露目式。旧バーバリシープ舎で展示。
  • 2014年:開園99周年を記念して臨時開園。100周年に向けてのカウントダウン花壇の除幕など、様々なイベントを実施。クロサイの雌のサッチャンが41歳で死亡。生涯に6度出産、動物園での血統維持に大きな貢献。上海市との第18次動物交流により、上海動物園よりアムールトラの虎二郎(雄)が来園。。組織改変に伴い、事務所名が天王寺動物公園事務所に変更。開園100周年を機に、動物園のロゴ・シンボルマークを一新。旧ライオン舎跡に新トラ舎完成。近畿日本鉄道株式会社より、アミメキリンの雌を受贈。あべのハルカスに因んでハルカスと命名。ライオンのチーが死亡。レッサーパンダのテンテンが死亡。アジアゾウの春子が老衰により死亡。推定66歳。11月25日16年ぶりにホッキョクグマの赤ちゃんが生まれる(バフィンが、モモ(雌)を出産)。老朽化した野外ステージの撤去工事が始まる。アジアゾウの春子を偲ぶ会を開催。
  • 2015年:開園100周年を迎える。それに当たって様々な記念行事が行われる。コアラのクミが死亡(享年22)。ホッキョクグマのゴーゴが南紀白浜アドベンチャーワールドに異動。蓬莱がホッキョクグマのイッちゃん(雌)を寄贈。国内最高齢(当時)のコアラのミクが死亡(享年23)。アムールトラのアヤコ(雌)が死亡(享年18)。
  • 2016年:国内最高齢(当時)のコアラアルンが死亡(享年19歳11か月)。コヨーテの幸(雄)が死亡。コヨーテの展示を終了する。ライオンのレオ(雄)が死亡。
  • 2017年:ムフロンのツウ(通)が死亡。カバのゲンちゃん(雄)がメキシコから来園。
  • 2018年:ウンピョウのショウ(雄)が死亡(享年14)。ウンピョウの飼育が途絶える。てんしばゲート横の天王寺博覧会テーマ館が解体される。アジアゾウのラニー博子が死亡(享年48)。アジアゾウの飼育が途絶える。ドールのシュタイン(雌)が死亡(享年12)。ドールの飼育が途絶える。ジャガーのジャガオ(雄)が死亡(享年22)。
  • 2019年:グラントシマウマのヒデヨシ(雄)がエランドとの喧嘩によって死亡(享年27)。アムールトラの虎二郎(雄)が死亡(享年7)。てんしばゲート横の天王寺博覧会テーマ館跡にてんしばi:naが完成。コアラのアーク(12歳)がイギリスのロングリートサファリパークへ出園。コアラの飼育が途絶える。
  • 2020年:新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、一時休園。14日後に再開される。アミメキリンのハルカスが出産するも、7日後に赤ちゃんが死亡。みさき公園の閉園に伴い、マーラ3匹、ニホンジカ5匹が来園。オウサマペンギン2羽が台北市立動物園へ出園。オウサマペンギンの飼育が途絶える。ワライカワセミのアキーゴが侵入したイタチに襲われ死亡。白雪姫時計台が再オープン。ホッキョクグマのイッちゃんが、ホウ(雌)を出産。
  • 2021年:「TENNOJI ZOO MUSEUM」「GooZoo」「FooZoo」の完成記念式典を挙行。アムールトラのセンイチ(雄)が死亡(国内最高齢の享年17[21])。ホッキョクグマのゴーゴがよこはま動物園ズーラシアに異動。アムールトラの(雄)が秋田市立大森山動物園から来園。一般社団法人大阪市天王寺動物園協会が理事会にて解散を決議し、3月31日に事業を停止。4月1日に地方独立行政法人天王寺動物園が発足。大阪市より動物園運営が移管される。大阪府に対し発令された新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言により一時臨時休園。グラントシマウマのちさと(雌)が広島市安佐動物公園から来園。ピューマのマリー(雌)が愛媛県立とべ動物園から来園。
  • 2022年:新ふれあい施設の「ふれんどしっぷガーデン」をてんしばゲート横に4月27日にオープン[10][11]
  • 2023年:アムールトラの(雄)が3歳の若さで死亡。

チンパンジーの脱走事件[編集]

2007年4月16日、オスのチンパンジーのプテリが、健康診断のために麻酔をしたが、効き目が不十分で逃げ出し、ホッキョクグマ舎に逃げ込んだ。ホッキョクグマとは諍いは起きず、獣医により麻酔銃で眠らされて捕獲された。当日は休園日であり入場者はいなかった[22]

2023年10月17日もメスのチンパンジーが脱走して急遽臨時休園措置が取られた。

交通[編集]

てんしばゲート
地下街あべちか」を出てすぐのところにある天王寺公園「てんしば」内を通り徒歩数分程度に位置する。
新世界ゲート

周辺施設[編集]

出典[編集]

  1. ^ 山下, 覚「入園者1億人突破」『なきごえ』第42巻第8号、天王寺動物園、2006年8月、2023年3月2日閲覧 
  2. ^ 議決等案件事項一覧”. 大阪市会. 2023年3月2日閲覧。
  3. ^ 戦中の殺処分、悲劇伝える 天王寺動物園で剥製展示」『中日新聞』、2022年8月2日。2022年8月2日閲覧。オリジナルの2022年8月20日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ 現在は、閉園時間1時間延長を行っている時期有り。夜間開園は2015年8月に復活。
  5. ^ 若生謙二、「近代日本における動物園の発展過程に関する研究」『造園雑誌』1982年 46巻 1号 pp.1-12, doi:10.5632/jila1934.46.1, 日本造園学会
  6. ^ ドンちゃんのクリスマス”. 天王寺動物園 スタッフブログ (2016年12月26日). 2019年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月2日閲覧。
  7. ^ https://www.tennojizoo.jp/information/20190/
  8. ^ https://www.tennojizoo.jp/information/19955/
  9. ^ 西村, 慶太「鳥の楽園 ~素晴らしくてむずかしいバードケージ~」『なきごえ』第48巻第7号、天王寺動物園、2012年7月、2023年3月2日閲覧 
  10. ^ a b c 向井猛「【園長は獣医さん】天王寺動物園が生まれ変わる 新しい獣舎計画が続々」『産経WEST』、2021年4月24日。2023年3月2日閲覧。
  11. ^ a b 新施設「ふれんどしっぷガーデン」がオープンします』(プレスリリース)天王寺動物園、2022年4月14日https://www.tennojizoo.jp/information/8696/2023年3月2日閲覧 
  12. ^ https://www.tennojizoo.jp/information/15828/
  13. ^ https://www.tennojizoo.jp/message/director/
  14. ^ a b “天王寺動物園が民間企業のお知恵拝借!”. 日刊スポーツ. (2007年5月10日). オリジナルの2007年11月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071130125529/http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp6-20070510-196533.html 2014年8月13日閲覧。 
  15. ^ a b “天王寺動物園ビジネスに150社関心…19日公募説明会 ユニークな発想わくわく”. 読売新聞 (Seesaa). (2007年6月10日). オリジナルの2007年6月10日時点におけるアーカイブ。. http://park-management.seesaa.net/article/44424255.html 2014年8月13日閲覧。 
  16. ^ 天王寺動物園101計画』(PDF)(レポート)天王寺動物園、2016年7月、9-1頁https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/cmsfiles/contents/0000375/375448/siryou2-2_101honpen.pdf2023年3月2日閲覧 
  17. ^ 『天王寺動物園101計画』について』(プレスリリース)大阪市 建設局公園緑化部調整課、2020年5月26日https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000383054.html2023年3月2日閲覧 
  18. ^ 天王寺動物園の歩み」『なきごえ』第51巻第1号、天王寺動物園、2015年1月、2023年3月2日閲覧 
  19. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p345 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  20. ^ 天王寺動物園は閉鎖、代わって養鶏(昭和18年9月4日 毎日新聞(大阪) 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p739 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  21. ^ 天王寺動物園の「センイチ」が死ぬ 国内最高齢のアムールトラ」『あべの経済新聞』、2021年3月13日。2021年3月20日閲覧。
  22. ^ チンパンジーが「脱走」/休園日の天王寺動物園」『四国新聞』、2007年4月16日。2023年3月2日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]