大角与左衛門

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大角 与左衛門(おおすみ よざえもん)は、江戸時代初期、豊臣秀頼の代の大坂城にて台所頭を務めた人物。大道寺友山『駿河土産』や『徳川実紀』に記述がある。

経歴[編集]

もとは豊臣秀吉の代に台所でなどを洗っていた下男で、取立てられて料理人を申付けられ、その後、料理人の頭となり、秀頼の代になると台所頭となった。

1614年大坂冬の陣では、秀頼の母(淀殿)によって和睦交渉の使者として徳川家康の陣取った茶臼山に赴いたが、翌1615年の大坂夏の陣では、与左衛門は謀反して5月7日に自分の手下に言い付けて大坂城の大台所に火を付けさせたといい、この働きを徳川家への御奉公だと申し立て、旗本に召出されたいと願っているうちに病死したとされる。しかし、家康は与左衛門について「元々下男だった者だが太閤の恩を得た奴である、恩知らずの不届者で憎い奴」と評したという[1]

演じた俳優[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 大道寺友山「太閤に大角与左衛門と云者が取立てられた事」『駿河土産』内

参考文献[編集]

  • 大石 学・佐藤 宏之・小宮山 敏和・野口 朋隆 編著『現代語訳徳川実紀 家康公伝 4【逸話編】関ヶ原と家康の死』(吉川弘文館、2011年)ISBN 978-4-64201-814-2, … P155-156, 家康、大角興左衛門が恩をなくしたことを悪む(にくむ)

関連項目[編集]

  • 徳川実紀』 - 近代デジタルライブラリー(国立国会図書館)の、『徳川実紀 1編』(経済雑誌社校、経済雑誌社、1904年 - 1907年)又は、『徳川実紀 第壹編』(成島司直 他編、経済雑誌社、1904年)において、前者のP142/522左下、後者のP145/520左下には大角興左衛門の名が見える。また、前者のP393/522右上、後者のP395/520右上には佐々孫助(火を付た料理人の名)、大角興右衛門(興右衛門は誤記か)の名が見える。
  • 大道寺友山 - 与左衛門の逸話を扱った随筆『駿河土産』(成立時期は、1720年前後)の著者。