大神善吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大神善吉
おおがみ ぜんきち
生年月日 1896年6月21日
出生地 日本の旗 日本 福岡県福岡市中小路
(現福岡県福岡市博多区上呉服町
没年月日 (1967-10-27) 1967年10月27日(71歳没)
出身校 中央大学卒業
前職 土木建築請負業
所属政党立憲政友会→)
無所属→)
(第一議員倶楽部→)
社会革新党→)
協同党
称号 従五位
勲四等瑞宝章

選挙区 旧福岡1区
当選回数 1回
在任期間 1947年4月 - 1948年12月23日

在任期間 1944年 - 1945年

テンプレートを表示

大神 善吉(おおがみ ぜんきち、1896年明治29年)6月21日[1] - 1967年昭和42年)10月27日[2])は、大正末から昭和期の実業家政治家衆議院議員(1期)、福岡県筑紫郡春日村長。

経歴[編集]

福岡県[2]福岡市中小路[3](現博多区上呉服町)で、大神鹿吉、イノの二男として生まれる[3]。幼くして父が死去し、御供所小学校(現福岡市立博多小学校)在学中は野菜の行商を行う[3]。小学校卒業後、石屋、大工として奉公したが[3]、上京し苦学して[3]、1923年(大正12年)中央大学経済科[注釈 1]を卒業した[2][3]

品川区会議員、立憲政友会院外団などで活動した。1938年(昭和13年)兄・恒吉の死去に伴い福岡県筑紫郡春日村(春日町を経て現春日市)に戻り、大神組を継承し土木建築請負業を営んだ[2]警防団[注釈 2]を務め、1944年(昭和19年)春日村長に就任し1年間在任した[2][3]

戦後進駐軍の施設建設を請負って巨万の富を築いた[3]。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙福岡県第1区から、無所属で出馬して当選し[3][4]、第一議員倶楽部、社会革新党に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3]。その後、2回の落選を経て政界を引退した[3]

また、瑞穂工業社長などを務めた[2]。姪の勝野照代は衆議院議員の織田正信の妻となり、織田との死別後は赤坂に料亭照川を経営していた[5]。俳優の瑳川哲朗は照代の後夫[5]

1967年(昭和42年)10月27日死去、71歳。死没日をもって勲四等瑞宝章追贈(勲七等からの昇叙)、従五位に叙される[6]

国政選挙歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『ふるさと人物記』169頁では政経科。
  2. ^ 『ふるさと人物記』169頁では消防団。

出典[編集]

  1. ^ 『第三回国会 衆議院議員名簿』29頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』123頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『ふるさと人物記』169頁。
  4. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』533頁。
  5. ^ a b 「女性経営者――料亭・照川社長 勝野照代――女の細腕で百億円投じミニ劇場を建設」『実業界』1989.10.1号、実業界、1989年10月、92 - 93頁。 
  6. ^ 『官報』第12268号10-11頁 昭和42年11月6日号
  7. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』350頁。

参考文献[編集]

  • 『第三回国会 衆議院議員名簿』衆議院公報附録、1948年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。