大牟田4人殺害事件

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大牟田4人殺害事件
場所

日本の旗 日本福岡県大牟田市[1][2]

大牟田市小浜町、被害者A宅[3](被害者C殺害現場)[4]
大牟田市西新町、大牟田港岸壁(被害者A殺害現場)[5]
大牟田市新開町、大牟田港岸壁(被害者B・D殺害現場)[6]
大牟田市馬場町・沖田町の間を流れる二級河川諏訪川に架かる橋「馬沖橋」付近(遺体遺棄現場、座標位置)[注 1][注 2]
座標
日付

2004年平成16年)9月16日9月18日

2004年9月16日23時45分ごろ(C殺害)[3][7]
2004年9月18日午前0時30分ごろ(A殺害)[3][7]
2004年9月18日午前2時15分ごろ(B・D殺害)[3][7] (UTC+9)
概要 暴力団組長一家4人が、以前から不満を持っていた知人の闇金融業者一家3人を金銭目的で相次いで殺害した[8]
その際、一家と行動を共にしていた知人の1人も巻き添えで殺害し、遺体をいずれも大牟田市内を流れる二級河川諏訪川に遺棄した[8]
攻撃手段 首を絞めて絞殺(被害者A・C)、自動式拳銃で射殺(被害者B・D)、アイスピックで刺殺(被害者D)
攻撃側人数 4人
武器
ロープ(被害者C)[7]
自転車用ワイヤー錠(被害者A)[7]
25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」(被害者B・D)[9]、アイスピック(被害者D)[4]
死亡者

合計4人(闇金融業者一家3人+被害者の友人1人)[10][8]

女性A(事件当時58歳、大牟田市小浜町在住、B・C兄弟の母親)[11]
少年B(事件当時18歳、Aの長男、九州情報大学1年生)[12]
少年C(事件当時15歳、Aの次男、福岡県立大牟田北高等学校1年生)[11]
少年D(事件当時17歳、福岡県立大牟田南高等学校定時制3年生、Cの友人)[10]
損害 現金約400万円・貴金属[13]
犯人

暴力団組長一家計4人(事件当時は大牟田市桜町に在住)[1][2]

父親K1(犯行当時60歳、暴力団「北村組」組長)[14][10]
母親K2(犯行当時45歳、K1の妻)[1][10]
長男K3(犯行当時23歳、K2と前夫との子供でK1の養子、北村組見習い、元力士「旭竜神」、傷害致死で懲役3年6月の前科あり)[12][13]
次男K4(犯行当時20歳、K1・K2夫妻の実子、北村組見習い、元力士「三池山」)[15][16][13]
容疑 強盗殺人罪殺人罪死体遺棄罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反罪(いずれも4人全員)
単純逃走罪(長男K3)
動機 生活費・暴力団上部団体への上納金などの金銭目的、自分たちを見下していたAへの恨み
対処 加害者一家4人を逮捕起訴
謝罪 K2・K4両被告人が第一審公判中に謝罪
刑事訴訟 加害者一家4人全員が死刑(いずれも未執行
影響 犯行に関与した一家4人がいずれも死刑判決を受け[17][18]、その後いずれも確定したのは[19][20]、前代未聞の事態だった[21]
2017年11月に本事件を題材とした単行本『我が一家全員死刑』(2010年刊行)を原作とした映画『全員死刑』(監督小林勇貴)が制作・公開された。
管轄 福岡県大牟田警察署福岡地方検察庁久留米支部
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大牟田4人殺害事件(おおむたよにんさつがいじけん)は、2004年平成16年)9月16日9月18日両日に福岡県大牟田市で発生した連続殺人事件。暴力団組長一家4人が知人の闇金融業者一家3人とその被害者一家の友人1人の計4人を相次いで殺害し、市内を流れる二級河川諏訪川にそれぞれ遺体を遺棄した強盗殺人殺人死体遺棄事件である[22]

本事件は刑事裁判被告人として起訴された加害者家族4人全員が死刑判決を受けた特異な事例で[23]、4人の死刑判決はいずれもその後確定した[19][20]。また、被害者側・加害者側ともに家族単位(被害者側は友人を1名含む)で4人ずついた。

死刑囚一家[編集]

加害者K1一家は大牟田市桜町に在住しており[1][2]、事件以前は被害者A一家と互いに家族ぐるみの付き合いをしていたが[15]、事件当時は被害者Aから数百万円の借金を抱え[注 3]、月末になると九州電力の電気料金集金人が何度も督促に来ていた[26]

周囲の人々は度々暴力沙汰を起こす息子K3・K4を野放しにする親に対し怒りを感じてはいたが「あの家はヤクザだから」「喧嘩を仕掛けたのが息子でも親が相手の家に怒鳴り込んでくる」と恐れて抗議を諦めていた[27]

男K1[編集]

死刑囚一家の主だった男K1は事件当時60歳[1][2][10]・指定暴力団道仁会暴力団北村組」組長だった[24][10]。死刑囚K1は死刑確定直後の2011年末に福岡拘置所から広島拘置所へ移送され[28]2019年令和元年)10月1日時点で[29]死刑囚として広島拘置所へ収監されている[30]

妻K2には男女の子供5人(男3人、女2人)がいたが[31]、K1はK2の3人目の夫で[32]、K1の実子は計2人(K4とその年子の弟)だけだった[32]。15歳年下の妻K2が身長170センチメートル(cm)・体重100キログラム(kg)近くと大柄な女で気性の荒い性格だったのに対し、夫K1は身長160cmと小柄で態度も小さく、事件を報じた『週刊新潮』(新潮社)は2人を「ノミの夫婦」と形容した[32]

高校を卒業後に福岡市へ出て和菓子職人の仕事をしていたK1は24歳, 25歳ごろに地元・大牟田市へ戻りタクシー運転手に就職したが、7,8年程度で退職すると暴力団幹部お抱えの運転手となり、やがて自分も覚醒剤を乱用するようになった[32]。K1は「暴力団幹部としては温和な性格だが若い衆には人一倍厳しい」性格だったため北村組には人が居付かず[33]、事件当時組に所属していた子分(組員)は5人程度で、組の実権はほとんど妻K2が握っていた[32]。事件発生年の2004年5月には車上狙いで逮捕されたことから上部団体により「組長なのに恥さらしだ。破門にする」という話が出たが、一部の親分が「年も年だから勘弁してやってくれ」と仲裁したため破門は見送られた[32]

女K2(K1の妻)[編集]

K2(事件当時45歳)は1959年昭和34年)4月26日生まれで[28]、K1の妻かつK3・K4兄弟の実母[1][2][10]2019年(令和元年)10月1日時点で[29]次男K4とともに死刑囚として福岡拘置所へ収監されている[30]

大牟田市内にあった三井三池炭鉱(1997年閉山)やその関連施設に労働者を送り込む「人夫出し」を生業としていた建設会社の四女として生まれたK2は身長170cm・体重100kg近い大柄で、背中に観音菩薩刺青を入れていた[32]。19歳で17歳年上の暴力団組員と最初の結婚をして長女(K3より3歳・K4より6歳年上の姉)を出産したが1年足らずで離婚し、22歳で16歳年上の男性と再婚して長男K3・次女(K3の年子の妹)を出産したがこの結婚生活も2年で破綻した[32]。この2度の結婚・離婚を経て事件当時の夫K1と結婚すると次男K4・三男(K4の年子の弟、後述のように2015年1月8日に自殺)を出産し、事件当時は5児の母親だった[32]。事件2年前の2002年(平成14年)には大牟田市内にスナックバーを開店したが経営が成り立たず、数カ月で閉店していた[26]

長男K3が帰郷後に地元の暴走族のリーダーになるとK3の手下の少年らを建設現場に送り込み派遣料を稼いだほか[27]、三井三池炭鉱閉山後も近畿地方方面などの工事現場に作業員を送り込む家業を続けていたが、捜査関係者は『週刊新潮』の取材に対し「北村組は夫K1が組長となっていたが、K1は女房(K2)と違って気が小さい人間で実際にはK2が組を仕切っていた。作業員を人夫出しに出しても日給15,000円のうち3,000円程度はピンハネしているのではないか?」と述べていた[32]。(K3が傷害致死事件を起こした前後の)2000年6月には深夜、大牟田市の海水浴場沖合60メートルの鉄塔にしがみついているところを釣り人に発見されたほか、同年10月(K3が傷害致死事件の嫌疑を掛けられていた時期)にはその海水浴場付近の岸壁から車ごと海中に転落して救急車で搬送されていたが、いずれも「自殺未遂ではないか?」と疑われていた[34]

北村組の事務所前を走った暴走族の少女を殴りつけるなど近隣住民の間では「暴力的な姐さん」として知られており[35]、気に入らないことがあるとすぐ激怒したり「死んでやる」と叫びながら運転中の車をガードレールにぶつけるなど、見境のない人間として恐れられていた上、自殺未遂の癖もあったことから「覚醒剤中毒ではないか」「あの家なら人を殺したって不思議じゃない」という噂も飛び交っていた[32]。一方で犯行時、既に息子たちの手で実行されていた被害者Cの殺害をK1が仄めかしそうになった時には「Cには何もしないよ!見つけても普通にしておく」と反対していた[36]

男K3(K1夫妻の長男)[編集]

K1・K2夫妻の長男K3(事件当時23歳)[13]1980年(昭和55年)12月20日生まれ、福岡県大牟田市出身[37]。K2と前夫との子供で実父と母K2の間にはさらに年子の妹(次女)がおり[32]、父K1とは養子縁組関係[38]・弟K4とは異父兄弟関係である[39]

死刑囚K3は死刑確定直後の2011年末に福岡拘置所から大阪拘置所へ移送され[28]2019年(令和元年)10月1日時点で[29]大阪拘置所に収監されている[30]。犯行時には抜け目なく直接犯行に関わることを避けつつ自分は無関係であるかのように装っていたため、弟K4の怒りを買うことが多かった[40]

「旭竜神」として角界挑戦・挫折[編集]

K3は大柄な体格で[41]、小学校卒業時の卒業文集に「好きな言葉は白星。好きな有名人は旭道山。将来の夢は相撲取り」と書いていたほか[27]、中学校の卒業式には和服姿で出席して髷を結うために髪を伸ばしていた[41]。また中学時代は周囲に喧嘩が強いことを吹聴して回っていたほか、友人たちに「相撲部屋からスカウトされたから相撲取りになる」と自慢していた[41]

K3は中学卒業後の1996年3月[27]日本相撲協会大相撲新弟子検査に合格し[37]、憧れていた旭道山がいた[27]大島部屋に入門した[39][27]。入門時の四股名は当時の姓と同じ「石橋」(いしばし)で身長180cm・体重115kgだった[37]。その後1996年5月には「旭竜神」(きょくりゅうじん)に改名し[42]、同年5月場所(夏場所)で東序ノ口26枚目「旭竜神」として初土俵を踏んだ[43]。この時、母K2が大牟田市に隣接する熊本県荒尾市内で開いた壮行パーティーでK3は「関取を目指します」と挨拶していたほか「出世したら、化粧まわしをしてやる」と励まされた、K2も当時は「父親がヤクザだからしつけが不十分だった。これからは部屋の親方・女将さんが厳しくしつけてくれる」と満足げな様子だった[27]

しかし「旭竜神」が土俵を踏んだのはこの夏場所限りで[27]、通算2勝5敗の成績に終わった[43]。その後、同年7月場所(名古屋場所)を全休して夜逃げ同然に部屋を出たが、K3の現役当時の大島部屋親方は『毎日新聞』の取材に対し「(K3の引退は)『稽古場が燃えれば稽古をしなくて済む』という理由で稽古場のカーテンに放火したことが原因だ。この時は天井に火が燃え移る前に兄弟子たちが気付いて消し止めた」と証言したほか、同部屋の女将も「残された衣類を洗って自宅に送ったのにお礼もなかった。掃除もちゃんこ鍋の用意も何もできなかった」と証言した[27]

引退・帰郷したK3は周囲に「兄弟子たちからいじめを受け耐えられなくなったのでやめた」と話し[27]、母K2が経営していた建設会社を手伝う一方で[26]暴走族のリーダーとして弟K4とともに暴力沙汰を度々起こし[27]、地元の若者たちから恐れられていた[26]。引退後の2000年には後述のように傷害致死事件を起こして実刑判決を受けたため2004年春まで刑務所へ服役しており[41][27]、出所の際には父K1が近隣住民に対し「息子が戻ってきて家の人間が増えた」と話していた[41]。K3は出所後の2004年6月ごろから実家を離れて大牟田市内のアパートで生活していた、組事務所にも出入りしていたほか[26]、事件直前は腰痛のため弟K4とともに大牟田市内の病院へ通院していたが、看護師らに対し「自分は組員だからいずれ刺青を入れる」などと話していた[41]

傷害致死前科[編集]

母K2が当時経営しK3が働いていた大牟田市内の建設会社では2000年6月16日から少年X(当時18歳)が住み込みで勤めていたが[44]、Xはやがて無断で出勤しなくなり、同年6月20日には住み込みの寮から逃げ出した[45]。これに腹を立てたK3(当時19歳少年・建設作業員)は[45]「Xに制裁を加えよう」と考え、寮から逃げたXが城島町内の女友達数人に連絡していたことを把握するとその女友達に対し「後述の現場付近でXと会う」と約束させた[46]

K3は不良仲間の少年計6人(いずれも当時16歳・17歳、うち2人は当時高校2年生)とともに[47][注 4]2000年6月25日2時30分ごろ[46]、福岡県三潴郡城島町江上本(現:久留米市城島町江上本)の福岡県道702号柳川城島線・大溝端橋に[45]Xを誘い出した[46]。しかしXが身の危険を感じて逃げ出したため[48]、K3ら7人は約300メートル(m)にわたりXを追跡し[注 5][46]、Xを捕まえると顔などを木刀で殴るなど暴行を加え[46]、農業用クリーク(水路)に転落させた[45]。水路に転落したXに対しK3たち7人は木刀を差し出して助けようとしたが助けられず[45]、Xはそのまま水死した[46]。K3は事件後、共犯の少年たちに対し「言うなよ」「黙っておけ」などと犯行を口止めしていた[44]。これに加え、主犯格と目されたK3は同日までの取り調べに対し、

2000年6月28日午前5時40分ごろ、近隣住民がクリーク(深さ約3メートル・幅約20メートル)の水門付近にてXの水死体を発見した[49][50]。遺体は検視の結果「死後3日 - 4日経過・死因は水死」と判明した一方で目立った外傷はなく[49][50]、胃の内容物にも不審点は確認されなかった上[50]、財布・携帯電話を身に着けたままだった[49]。また現場はXの自宅から約20キロメートル離れていたが[49][51]、付近にはXの車・バイクはなく現場に向かった動機は不明瞭だった[49]

Xは家族に行き先を告げずに自宅を出ていた一方[46]、自殺するような動機は見当たらなかったため[49][46][51]、福岡県警が「現場に向かった経緯クリークへの転落原因に不自然な点がある」として捜査を進めた結果[49][46]、「遺体発見の数日前には現場付近に複数人の男性がおり、そのうちの1人は死亡したX自身だった」ことが判明したため[49][50]、県警は2000年10月1日から「Xは複数の男性と一緒か、グループから呼び出されて現場に行った後、現場で複数の男性と何らかのトラブルになりクリークに転落した」という線で関係者から事情聴取を開始した[49]

福岡県警少年課・城島警察署(現:久留米警察署城島警部交番)は2000年10月30日に「大牟田市内の不良少年グループがXに集団リンチを加えた上でクリークに転落させ水死させた」としてグループに所属していた当時19歳の少年K3と高校2年生の少年2人・建設作業員など少年計6人[注 6]を傷害致死容疑で逮捕した[46][51]。残る被疑者1人(大牟田市内在住・16歳少年)は行方が把握できなかったが同容疑で逮捕状を取り行方を追ったところ[46]、翌日(2000年10月31日)に城島署へ出頭して逮捕された[52]

K3らは取り調べに対しいずれも容疑を認めた上で「水路に背を向けていたXに木刀で殴り掛かったところ、Xが身をよじって避けようとして水路に落ちた。約1時間半にわたってXを探したが暗くて発見できなかった」と供述した[46]福岡地方検察庁久留米支部は2000年11月20日にK3ら被疑者少年7人を傷害致死容疑で福岡家庭裁判所久留米支部へ送致し[53][48]、福岡家裁久留米支部は同日に2週間の観護措置を決定して被疑者少年7人を福岡少年鑑別所(福岡市)へ収容した[53][48]

福岡家裁久留米支部(大原英雄裁判官)は2000年12月13日までに少年審判を行って非行事実を認定した上で[54]、傷害致死容疑で送致された被疑者少年7人のうち主犯格のK3を「刑事処分相当」として福岡地検久留米支部に逆送致処分することを決定した[注 7][47][54]。これを受け福岡地検久留米支部は2000年12月22日、逆送致からこの日までに20歳になった被疑者の男K3を傷害致死罪で福岡地方裁判所久留米支部へ起訴した[55]

被告人K3は2001年(平成13年)2月13日に福岡地裁久留米支部(大原英雄裁判長)で開かれた初公判にて起訴事実を全面的に認め[56]、2001年6月26日に同支部で開かれた判決公判にて懲役3年6月(求刑:懲役5年)の実刑判決を受けた[注 8][57][58]

男K4(K1夫妻の次男)[編集]

K1・K2夫妻の次男[13]、事件当時20歳[13]1984年(昭和59年)6月9日[31][28]、福岡県大牟田市内でK1・K2夫妻の長男(K2の第4子)として生まれた[31]。K1・K2夫妻が再婚してから最初に生まれた実子で[16]、兄K3とは異父兄弟関係である[39]。両親との間にはさらに三男(年子の弟)がいた[32]

2019年(令和元年)10月1日時点で[29]K4は母K2とともに死刑囚として福岡拘置所へ収監されている[30]。なお2013年(平成25年)には支援者女性と獄中結婚して姓が「K」(イニシャル)から「I」に変わっている[59]

すべての被害者に対する殺害行為の実行役で、自身でも「甘えた我がまま性」「完全な悪」[60]と形容するほどの残忍・粗暴さを持つ反面、「カタギを標的にした犯行」としてK1ら親兄弟が上部団体から事実上絶縁される中、犯行の詳細を書いた手記を発表しK1らの拘置所内における生活費を分け与えるという「家族思い」といえる一面もあった[61]

K4の生い立ち[編集]

K4は大牟田市立米生中学校在学時以来、「何かをやらかしそうな手を付けられないレベルの不良。ろくに字も読めず、学力は小学校1,2年生レベル」として悪名を轟かせており、授業妨害・居眠り・テストの棄権などを日常茶飯事に行い教師らに反抗することも多かった[8]。中学時代は1歳年下の弟も在学していたことから体育祭には両親K1・K2が組の若衆4,5人とともに「一番いい場所」に陣取っていたが、K4は普段から体育の授業にも出ていなかったため、体育祭にも出ていなかった[8]

被害者Bが高校1年生の頃に一時不登校になった際、約1カ月間にわたりK2宅に預けられたことがあったが、知人は『読売新聞』の取材に「BはK4と年齢が近かったので、この時期に親しくなったのだろう」と証言した[15][16]。しかし被害者Bの友人は『週刊文春』(文藝春秋社)の取材に対し「BとK4は「親しい間柄」とはとても言えず、実際はBが不良グループの下っ端としてK3・K4兄弟の使い走りにされていただけで、BはK3・K4からいじめを受けて泣くこともあった」と証言した[8]

後述のように一時は大相撲に挑戦したが、1年半で引退して17歳で地元・大牟田市に戻った[16]

大牟田に帰郷してからは17歳で実家に帰り母K2の建設会社で建設作業員として働いたが、首・腰を痛めたことや、17歳になったためにオートバイの運転免許を取得しようと仕事を辞めた[62]

その後、被害者Bらとともに暴走族「族・神鬼狼」を結成し、ともに愚連隊のように過ごしていた[62]。近隣住民からは「暴力団とのつながりが深く暴走族・不良少年グループのリーダー格」と映っていたK4は[15][16]、仲間たちを率いて暴走行為・窃盗・薬物乱用・輪姦などの犯罪行為を繰り返しており、被害者B・Dと親しいグループにいた少女が事件の約1年前K3・K4兄弟周辺のグループに輪姦された事件がきっかけで、B・C・D各被害者の近しいグループとは対立関係になっていた[32][注 9]

しかし、「いつまでたっても地に足がつかない」状態だったために本人曰く「気持ちを切り替えようと」、父K1の北村組に入ることにし、組の準構成員となった[62]。しかしその後も「わがままな性格・遊び癖が抜けずに中途半端な状態」だったため、堪忍袋の緒が切れた父K1から他組織の幹部(K1の兄弟分の暴力団組長)に部屋住みとして預けられた[64]

部屋住みになってから約1年後には母体の北村組に戻り、2002年(平成14年)ごろには18歳の若さで北村組及び上部組織の本部当直、総長宅の本家当直を務めるようになった[64]。その当時は、愚連隊時代に始めていた女子中高生の売春チームとともに、組織内では「ご法度」とされていた覚醒剤など違法薬物全般の密売買を取り扱うシノギを父K1には内緒でしており[注 10]、それ以外にも表向きのシノギとして賭博・中古車販売・違法売買などをしてはいたが、「ご法度」とされていた薬物売買の方が儲かったという[64]

しかしこの頃、「初めて心から惚れて愛した女性」ができたことから一時は暴力団から足を洗い、その女性と真面目で一般的な暮らしをしようとしていたが、関係者のところから福岡県警の家宅捜索で覚醒剤・大麻が見つかったため、「ジギリ出頭」として身代わりになることになった[65]

その直前には「出頭前に一暴れしてやろう」と不良仲間らとともに一夜のうちに大牟田市近辺の交番など49軒を襲撃し、自転車の通行人をひき逃げするなどの犯罪行為を繰り返した[66]。結果、18歳から19歳になる直前、即ち2003年(平成15年)春ごろに相次いで逮捕され、大牟田警察署柳川警察署留置場への勾留、少年鑑別所への2度の収容を経て、事件4カ月前の2004年5月6日に出所するまでの約1年半にわたり大分少年院(大分県豊後大野市)に送致されていた[66]。この逮捕後に交際相手の女性と別れて以来、少年鑑別所では窓ガラスを叩き割ったり職員をガラスの破片で切りつけるなど、手の付けられないほどの暴力行為が目立ったため常に単独室で処遇されていた[66]

少年院を出院後、年下の若い女性と交際するようになったK4は先に刑務所を出所した兄K3の家で共に暮らしていることが多く、事件前まで「シノギ3:遊び7」の生活を送っていた[67]

K4の人柄[編集]

近所の男性店員は『読売新聞』の取材に対し、K4の人柄について「とにかく態度が横柄で、買い物に来ても何かと注文を付けるから関わり合いになりたくなかった」と証言した[15]

その一方で、K4を幼少期から知っていた近隣住民の男性は『読売新聞』の取材に対し「K4は相撲を辞めてからすぐに暴力団の世界に入ったらしい。暴力団の組事務所では電話番をしていると聞いた」と証言した一方で「母K2が逮捕された後、自分に『おじちゃん、迷惑かけてごめんな』と頭を下げてきた」とも語った[15]

また、福岡拘置所に収監されていた被告人K4の手記を書籍『我が一家全員死刑』として出版した作家・鈴木智彦とK4と接見した当初、「被害者に対する謝罪はないのか?」と鈴木が問いただすと、K4は「(被害者たちを)可哀想とは思いますが、申し訳ないとは思ってないです。殺されたのも運命、私が死刑になるのも運命。それに私はヤクザです。親分の命令は絶対なんです」と語り、反省・謝罪の念を示さなかった[68]

しかし鈴木は同書文中で「犯行に対する悔恨のない内容だった手記から、初めて面会した当初は『K4は極悪非道な殺人鬼』という印象を抱いていたが実際にK4と接見を重ねるにつれて印象が変わり、『殺人犯であるという事実を忘れそうになった』『案外まともな人間であることがわかった』」と綴った[69]。その上で鈴木は同書で「K4は殺人に快楽を覚える感性を告白してはいるがそれを完全には肯定できておらず、自らを『鬼畜』と居直る割には自らの行為に疑問を持っている。どれだけ粋がっても『素直な子供の部分』を隠しきれていないことから手記は『狂人の妄想』とは思えなかった」と述べた[70]。その上で鈴木は、K4の人間性について「『家族が生きるためなら他人の生命さえ奪っても構わない』とする社会性のなさ以外、我々と変わらぬ人間らしい感情はふんだんに持っている」と評した[68]

「父が暴力団幹部、自宅が組事務所という環境で育った『組員2世』」「生活が暴力団といつもつながっていた」というK4の生い立ちについて、『毎日新聞』記者・岸達也は「『違う環境で生まれ育っていたらこんな事件は起こさなかったかもしれない』という思いが、ふと頭をかすめた」と振り返った[71]

「三池山」として角界挑戦・挫折[編集]

三池山 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 三池山
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(36歳)
身長 168cm(現役時)
体重 134kg(現役時)
所属部屋 松ヶ根部屋
成績
現在の番付 廃業
最高位 西序二段108枚目
生涯戦歴 21勝35敗7休(10場所)
データ
初土俵 2000年5月場所
引退 2001年11月場所
備考
出典 [1]

K4は、2000年3月[27]大牟田市立米生中学校を卒業後[8]、2000年4月25日の大相撲新弟子検査に合格した[72]

松ヶ根部屋に入門して大相撲に挑戦したK4は[39][27]、入門時は身長173cm・体重142kgだった[72][73][74]

K4は2000年5月[74][39][27]、引退した兄K3同様、当時名乗っていた旧姓だった「石橋」(いしばし)の四股名で、2000年夏場所にて、東序ノ口41段目で、初土俵を踏んだ[73][39]

その後2000年9月にK4は四股名を地元の地名に由来した「三池山」(みいけざん)に改名し[75]、西序ノ口1枚目で臨んだ同年秋場所以降「三池山」として土俵を踏んだ[76]

この時、松ヶ根部屋の親方は元大関若嶋津[8]、女将はその妻である元歌手・高田みづえだった[8][27]。K4から「兄K3が早々に廃業した」と聞かされた高田が「お兄さんのようにならないでね」と励ますと、K4は「やめません」と答えており[27]、母校・米生中学校の校長室には親方夫妻や部屋の力士たちとともにK4が写った写真が飾ってあった[8]。高田は事件直後、『週刊文春』(文藝春秋社)の取材に対し「K4の家庭環境・引退後の近況については知らなかった。『もともと粗暴な性格で相撲を辞めてからさらに粗暴になった』と言われればショックだが、そのような捉え方もあるのかもしれない」と答えた[8]

「三池山」ことK4は2001年(平成13年)3月20日に平成13年春場所10日目の序ノ口の取組において同場所で初優勝した安治川部屋の序ノ口・安馬(後の第70代横綱日馬富士)と対戦し、上手出し投げで敗れた[77]

K4は力士「三池山」として2001年5月場所で序二段108枚目を記録したが[27]、それ以上は芽が出ず[74]部屋関係者から「筋が良くない」と判断された[39]。また伯母の死・前述の兄の傷害致死事件が重なったことや本人曰く「甘えが後押しした」ことから[62]、2001年11月の九州場所を最後に[27]力士を廃業した[39]。女将は事件当時『毎日新聞』の取材に対し「上下関係・けいこの厳しさに耐えられずに辞めたのだろう。引き留めなかった」と語った[27]。相撲界を引退後、K4自身は知人に対し「腰を痛めたから引退した」[27]「親方の指導が鬱陶しい」と不満を漏らすだけで[8]、母K2もこの時から相撲の話をしなくなった[27]

事件の経緯[編集]

事件前の動向[編集]

母親K2は1994年(平成6年)ごろ[7]闇金融業を営んでいた被害者女性A(事件当時58歳)[8]と知り合い家族ぐるみで付き合うようになった[7]。被害者Aは利子は通常より高い利率で[26]事件の10年以上前から知人に金を貸しており、借金額が膨らんで借り手に返済の見通しが立たなくなったり返済期限が守られなかったりした場合は、K4ら若者グループが取り立てを代行していた[78]。回収に成功した場合、AはK2らに対し一定の手数料を支払っていたが、手数料に満足しなかったK2らは複数の借り手から回収した数万円 - 十数万円の金を着服しており、そのことを知られて2004年9月上旬にはAと口論になっていた[26][79]

K2は当初はAより強い立場でAの借金の取り立ても手伝っていたが、Aから30万円を借金して以降は一転して見下される立場となっており[7]、事件前は組長の夫K1に収入がなく、生活費に加え暴力団関係者への借金返済・上納金のため多額の現金を必要としていた[7]。また当時は建設会社を経営していたが、その会社も自転車操業状態で[7]収入はほとんどなく[4]、2004年9月時点でK1・K2夫婦の借金は約6600万円以上になり[7]。夫K1が小遣い銭欲しさに窃盗未遂を起こしたこともあった[4]。また2004年6月下旬にK2はA宅の改装工事を請け負ったが、Aは「貸金やその利息と相殺するから」と工事代金をK2に支払おうとせず[4]、Aの態度に憤懣を募らせていたK2は2004年7月ごろには「いつかうち殺さなでけん」などと口癖のように言っていた[7]。またK3・K4兄弟は被害者Aを「クレオパトラのように厚化粧」という意味から陰で「パトラ」と蔑称で呼んでいた[80]

2004年8月6日夕方、K1の建設会社の作業員が運転していた車が諏訪川沿い堤防道路(遺体発見現場付近)にて対向車と接触事故を起こし、助手席に乗っていたK2が車から身を乗り出して相手に抗議していたところ、車が傾いてK2が川に転落した[81]。この時はK4らが駆け付けてK2を助け、救急車で病院に搬送したが、事故直後にK1が車を移動させようとしたところ運転操作を誤って川に車を転落させ、翌日にはK4ら家族が重機などを使って車を引き揚げていた[81]

殺害計画[編集]

母K2はAの「資本金1億円の金融会社を設立する」という話を夫K1・長男K3に伝えたほか[4]、K2の「Aを殺したい」という発言を聞いた夫K1・長男K3もK2に同調し、Aに対し敵意を強めるようになっていった[7]。また新居の購入費用を求めていたK3は2004年8月ごろに工事代金が支払われていないことを知ると「Aはカタギのくせに俺たちヤクザをバカにしている。殺してでも金を奪おう」と考えてAを車で付け狙ったほか、K1も2004年9月8日にAを殺害しようとしたが、この時はK2に止められた[4]

2004年9月9日、K1は妻K2から家の借金の実情を打ち明けられると「Aを殺して金を奪おう」と提案し[7][4]、K2も生活難・借金苦から脱することに加えてAへの憤懣を解消することを目的に夫K1の意見に賛成し、A殺害計画を練り始めた[7]。K1・K2夫婦は2人で「Aに嘘の土地購入話を持ちかけ現金2600万円を用意させた上で殺し、遺体は諏訪川に捨てる」など具体的な犯行計画を練ったほか[4]、K2は長男K3に「Aを殺して金を奪い、折半しよう」と持ち掛け、K3を犯行に誘い入れた[7]。これを聞いたK3は「自分が殺すので奪った金の6割が欲しい」と申し出たが、K2は「自分が殺す」と譲らなかった[4]

2004年9月15日、K2が「Aが土地購入代金として2,680万円を用意した」と確認したため、K1は「翌16日にAの殺害を決行する」と指示し、K3も了承した[4]。K2は2004年9月16日夕方に被害者Aを車で誘い出し、大牟田市内の公園駐車場まで連れ出すと、車内で話をしながらカッターナイフでAを殺害する機会を窺ったが躊躇し[4]、この時は殺害を実行できなかった[7]。その一方でK2は同日22時ごろ、車で近くまで来た長男K3に「金は家にある」と伝えた[7]

一方で業を煮やしたK1はK2がいた駐車場へ向かい、持ってきたアイスピックをK2に示した上で「俺が殺してやる」と言ったが、これに対しK2は「自分で殺す」と言い殺害予定場所の山に向かったもののそこでも殺害を躊躇した[4]。その際、K2は離れて駐車していたK3から包丁を示され「俺が刺し殺す」と申し出られた際にも再び「自分で殺す」と言ったが踏ん切りがつかなかった[4]

2004年9月16日朝、母K2と別れたK3は自宅アパートに帰り、自宅にいたK4に「仕事をしているから子分(K4の力士時代の先輩)の見舞いをして待て」と言い、K4とK4のガールフレンドを病院まで乗用車で送り届けた。

次男Cを殺害・遺棄[編集]

K4らは9月16日の大半を病院で過ごしていたが[82]、同日夜になって兄K3が乗用車でK4を病院まで迎えに行った[4]

K3はAを殺害しようとしている父K1・母K2を出し抜き[4]、K4とともにA宅で留守番をしていた次男C(事件当時15歳)を殺し[4]、Aの現金を手に入れることを考えた[7]。そのため実行力のあるK4に対し500万円の分け前を提示するなどして「Aの家に2,000万円ある。Aの次男Cが1人で家にいるからCを殺して奪おう」と持ち掛け[7][4]、K4がその提案に賛同したため殺害の謀議が成立した[7]

その上でK3・K4兄弟はともに[7]大牟田市小浜町のA宅へ向かい、家人殺害の実行を決意した[7][注 11]。2004年9月16日22時40分ごろ[4]、K4はA宅に入ると2階室内にいた被害者Cを見つけ、Cの首をタオルで絞めたが[7]、この時点ではCは死亡せず失神しただけだった[4][7]

K3・K4兄弟はこの時点では殺害に失敗していたことに気づかぬまま、A宅の室内から指輪など約398万円相当が入った金庫1個を見つけて盗み出し[7]、乗用車に積み込んだほか、K4が失神したCを「既に死んだ」と思い込んだまま乗用車のトランクに押し込んだ[4]。その後、K3が乗用車を運転して大牟田市内を走行していたが[4]、まだ生きていたCが途中で息を吹き返して車内で暴れ出した[7]。K4は「通報しないよう脅して帰せばいい」と殺害を躊躇するような発言をしたが、K3が「Cは絶対に通報するから殺せ」と発言し[84]、Cにとどめを刺すこととなった。

K3・K4兄弟は2004年9月16日23時45分ごろ、諏訪川に架かる「馬沖橋」で[7]乗用車を停車すると[4]、橋の上でトランクを開けてCの首にロープを掛け、2人がかりで再びCの首を絞め[7]、Cの体にコンクリートブロック3個を結び付けた上でCを諏訪川に投げ込み殺害した(強盗殺人罪)[4][7]。Cの死因は「窒息死もしくは溺死」と認定されている[7]

女性A殺害[編集]

その一方で母K2は夫K1から「自宅アパートにAを連れて行き監視しておけ」と指示され[4]、Aを自車に乗せた上で組事務所のある自宅アパート(大牟田市本町四丁目のアパート[85][注 12])まで連行したが[7]殺害に踏み切れずにいた[4]。K1・K2夫妻は犯行当日の9月17日ごろの深夜、ひどく落ち込んだ様子で玄関に座り込んでいるのを知人女性に目撃されていた[88]

K2が2004年9月17日10時ごろに長男K3に電話で相談したところ、K3は「殺しきれないなら俺が殺してやる」と申し出た[4]。その一方で2004年9月17日13時ごろ、Aの長男B(事件当時18歳)からBの友人らに対し「弟Cがいない」と連絡があったため、Bとその友人らは後にBとともに殺害された少年D(事件当時17歳)を含めた6人でCの行方を捜索したが、発見できなかったため翌9月18日2時ごろ解散した[11]。B・Dとも仲間と解散してから約2時間後の9月18日4時ごろに[11]行方不明になって友人たちとの連絡が途絶えたほか[89]、それに前後して母Aも知人らとの連絡が途絶え行方不明になった[89]

殺害方法の思案がつかなかったK2が14時ごろ、再びK3に[4]「もうどうしようもない。お母さんを助けて」と[4]電話で助けを求めてきたため[7]、K3は「K4にAの殺害を実行させよう」と考え、乗用車内で「おふくろがAを殺せと言っている」などと協力を求めた上で「飲食物に睡眠導入剤を混ぜ眠らせた上で殺害する」と決めた[4]

K2は同日15時ごろになってK3から電話で「殺すなら眠らせた方がいい。食べ物か飲み物に睡眠薬を入れてきてやろうか」と伝えられたため、Aから好物を聞いた上で「お茶と弁当を届けてほしい」と頼み、K3は睡眠導入剤12錠をすり潰してタルタルソースに混ぜた上で弁当のおかずに掛け、弁当を元通り包装した上で[4]弁当をアパートに持って行き[7]、K2に手渡した[4]。K2の勧めでその弁当を食べたAは間もなく寝入ったため[4]、K2は夫K1を呼び、K3・K4も加えて4人で殺害・遺棄方法などを相談した[4][7]。この時、Aの長男BにA・K2が2人で一緒に行動していたことを知られていたため[4]、夫K1は「Aの長男Bも口封じのために殺し、Aの軽乗用車に2人の遺体を乗せ諏訪川に沈めよう」と主張し、4人の殺害共謀が成立した[7]

K1・K2・K3・K4の一家4人は2004年9月18日0時ごろ[4]、意識が朦朧としていたAをワゴン車に乗せ大牟田市内の岸壁まで連行し[7]、30分後の0時30分ごろに大牟田港岸壁に駐車したワゴン車内で[4]次男K4がAの首をワイヤー錠で絞め、Aを殺害した(強盗殺人罪)[4]。兄K3はこの時、殺害行為を実行していた弟K4にたばこを手渡したりワゴン車の窓に指で「人殺し」と書いて冷やかしたりしており、K4もK3から受け取ったたばこを吸い、笑いながらAの首を絞め続けていた[4]

K2は助手席で次男K4がAの首を絞め始めるのを見たてからいったん車外に出たが、Aが死亡したことを確認したK1から「もういい、死んだ」と聞かされても「Aが息を吹き返すのではないか?」と心配したためK4に「Aの首を絞め続けて」と指示した[4]。Aを殺害後、ワゴン車内ではAの遺体が見えないようビニールシートを被せたが、K4はAの遺体の上に座ったり寝そべったりしていた[4]

長男B・友人Dを殺害[編集]

Aを殺害後、4人はいったん解散してから自宅で再度合流し、2004年9月18日1時35分ごろにワゴン車で移動しながら「Bも殺して軽乗用車にA・B両名の遺体を乗せ、車ごと諏訪川に沈めよう」と話し合い、その計画通りにA宅から現金などを捜し出すことにした[4]。A宅付近でK2以外の3人が降車し軍手を嵌めて歩いていたところ[4]、Aの長男Bがちょうど軽乗用車で家に戻っていたほか、Bが運転していた軽乗用車の助手席にはBの友人だった少年Dが乗車していた[4][7]。B・D両名はB・C兄弟の母Aの車にともに同乗しCの行方を捜していた[89]

K4が「2人いるぞ」と兄K3に尋ねると[7]、自分たちの顔を見られたため[4]K3は「殺そう」と述べた[7]。K1は「2人いるから(殺すには)拳銃の方がいいだろう」と言い[4][7]、25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」を取り出し[9]次男K4へ渡した[4][7]。K3・K4兄弟はBに対し「Cを一緒に探すふりをして」B・D両名を殺害することを計画し[4]、2時ごろに[4]B・D両名に嘘をついた上で[7]Bの運転していた軽乗用車へ乗り込み、B・Dの2人を後部座席に移動させた[4]

一方でK1は自分のワゴン車に戻り、K2に「B・Dの2人を殺す」と話して了承を得ると[4]、K3に対し携帯電話で「うろうろしないで早く発射しろ」と指示した[4]。2004年9月18日2時15分ごろ[4]、大牟田川河口の岸壁[注 13]まで走ったところで[7]助手席に座っていたK4は[4]拳銃を取り出すと[7]、A宅の現金保管場所を聞き出すため「先にDをBの目の前で撃とう」と考え[4]、Dに「これはモデルガンだ。音が出るだけで弾は出ない」などと言いつつ頭部に1発発砲した[7]。そしてDが撃たれる姿を目の当たりにしたBにも「CもAも俺が殺した。お前の家に2,000万円あるだろう。金はどこにある?」と問うたが、Bが「知らない」と答えたため[4]、「すまないがお前も殺すことになっている」と言い、Bの左耳こめかみに1発拳銃を発砲した[7]

その間、K1・K2夫妻は長男K3から携帯電話で「頭を撃ったがまだ2人とも生きている」と報告を受けたため、K1が「胸を撃て」「(装填されている弾を)3発ずつ、6発全部撃て」と指示し、K2を通じてK4に伝えさせた[4]。K4はさらにBの胸へ計2発ずつ拳銃を発射してBを射殺した(殺人罪)が[4][7]、この時点でも生きていたDはK4が待ち合わせ場所に向かう際に呻き声を上げた[4]。K1・K2夫妻とK3・K4兄弟が合流した後、K4はK1から「アイスピックでとどめを刺せ」と指示を受け、アイスピックでDの左胸を突き刺し[4]、Dを刺殺した(殺人罪)[7]

A・B・Dの遺体を諏訪川に遺棄[編集]

2004年9月18日2時40分 - 50分ごろ、K3・K4兄弟がAの遺体をワゴン車から軽乗用車の後部トランクに移動させ、いったん4人で帰宅した[4]。その後、4人は馬沖橋付近から約350メートル(m)下流地点[90]へ移動し、そこでA・B・Dの遺体を遺棄した。

Cの遺体遺棄現場である馬沖橋付近の堤防に移動し[7]、諏訪川左岸の土手から[91]K1が運転席を車外から操作して[4]A・B・Dの計3人の遺体を乗せた軽乗用車を川に向かって走らせ、水没させることで遺体を遺棄した(死体遺棄罪)[7]。この時、K4は証拠隠滅のためAの軽乗用車の前後ナンバープレートを取り外して[7]諏訪川に投げ捨てたほか、K3は対岸の道路に乗用車を駐車することで他の車が道路に入ってこないようにした[4]

A宅での強盗・証拠隠滅[編集]

帰宅した4人は計画通り大牟田市小浜町内のA宅から現金を奪うことに決め[4]、夜明け前にA宅に向かっていたが、途中で新聞配達員がバイクで走り回っていることを確認したK1が「K3の車は目立つから大牟田駅の駐車場に駐車させて俺の車で回ろう」とK4を通じてK3に伝え、K3の車を大牟田駅前の地下パーキングに駐車させた[92]

K1・K3・K4の3人はA宅付近に駐車した車内にK2を残してA宅に向かう途中で新聞配達員と遭遇したが、先頭を歩いていたK4は逃げ隠れようとはせず、早朝の散歩を装って「おはようございます」と挨拶を交わし、K1・K3両名も同じく挨拶をしてやり過ごした[92]。3人はK4がAの携帯電話から取り外した家の鍵を使って玄関を開錠し、土足のままA宅に上がり込むと[92]、家じゅうで金目のものを探し回った[4]。結果、K3・K4兄弟が不動産の権利書・借用書・指輪などの宝石鑑定書を発見したが現金は発見できなかったため、K1が「ヘタに書類を持ち出すと足がつく」と指示し[93]、書類を持ち出すことを断念した[4]。物色途中、A宅で飼われていた座敷犬が大声で吠えていたためにK3・K4両名が蹴り飛ばし、最後はK1がとどめを刺す形で頭を踏み潰して殺害した[93]。またK3・K4はCを殺害した際にA宅の金庫から奪った指輪質屋に質入れし、K3はA宅から奪った指輪4個を質入れして現金21,000円を得たが、その鑑定書から事件が発覚することを恐れたK4は鑑定書・指輪を盗み出して付近の電柱下に隠した[4]

K2は4時30分ごろ、ワゴン車内でAの手提げバッグ内から現金26万円を抜き取るとうち10万円をK3に与え、K3はその10万円のうち半分の5万円をK4に与えた[4]。奪った金についてK3は家賃支払い、K1・K2は電話料金支払い・建設作業員の出張費・暴力団の上納費などに費やした[4]

K3・K4兄弟は9月18日夜になって「Cの遺体はブロックを結び付けただけなので浮かび上がってくるのではないか?」と心配し、両親にCの殺害を打ち明けると両親も一連の犯行発覚を恐れた[4]。そのためK4が諏訪川に潜り遺体を探したが見つけることはできず[4]、いったん自宅に戻ってから午後になって再び諏訪川を探したところ被害者Cの遺体を発見したが、既に遺体の腐敗が激しかったため触れることを躊躇した[94]

事件後の動向[編集]

事件後、被害者Aの母親(B・C兄弟の祖母)が行方不明になった娘Aと2人の孫(B・C)を案じてK2の下を訪ねた際、K4はAの母親を前にして落ち着かない様子だった[95]

2004年9月19日にはDの母親・Bのガールフレンドが大牟田署に「B・Dがいなくなった」と家出人捜索願を出したが[89]、大牟田署は「事件性はない」と相手にしなかった[32]。一方で同日には父K1が次男K4と酷似した男と一緒に、遺体発見現場付近(馬沖橋)で諏訪川を見つめながらゆっくり歩く姿を近隣住民に目撃されていた[96]

2004年9月20日午前、行方不明となったD宅に男の声で「(Dの)命はない」と脅迫めいた電話がかかったが[89]、これは「K1一家が事件に絡んでいる」と確信していた被害者Bの友人たちが、なかなか重い腰を上げない警察を動かそうと苦肉の策として仕掛けた自作自演の電話だった[32]

初動捜査[編集]

Ōmuta murders Corpse abandonment site Panorama, on 2019-12-24 in Omuta, Fukuoka.jpg
画像の詳細
被害者4人の遺体遺棄現場となった大牟田市内を流れる諏訪川。「馬沖橋」(写真右手奥に見える橋)から被害者Cの遺体が投げ捨てられ、A・B・Dの3人の遺体はAの乗用車もろとも撮影地点付近(馬沖橋付近から約350メートル下流地点)に沈められた。

少年Cの遺体発見[編集]

2004年9月21日午前10時ごろ、大牟田市沖田町にある馬沖橋の下流10mを流れる諏訪川に上半身裸の男性の遺体が浮いているのを通行人が発見し、福岡県警大牟田署に110番通報した[1][2]。遺体は首・両足の計3か所にロープでブロックが括り付けてあったほか、死後時間が経過して腐敗が進行し内部にガスが溜まったことで水分に浮上していた[96]

遺体発見現場は大牟田駅から南約2km地点・隣接する熊本県荒尾市との県境に近い田園地帯で[1][2]周辺には民家も多く、付近には大牟田市立駛馬北小学校(現:大牟田市立駛馬小学校)などもあった[1]

父K1は同日夜、大牟田市内の飲食店で飲酒していた際に「やれることはやった」などと独り言を繰り返すなど不可解な言動が目立っていた[88]。またK4は母K2の逮捕に前後して普段から使用していた6人乗りワゴンタイプ乗用車を大牟田市内の自動車修理工場に自ら乗り付けて持ち込み「廃車にしてほしい」と依頼したが[97][98]、修理工場側は「年式こそ古いが目立った傷はなく廃車にする必要性はない」と感じていた[97]

K2逮捕・K1拳銃自殺未遂[編集]

2004年9月22日午前1時前[97]、福岡県警捜査一課・大牟田署はCの遺体を馬沖橋から諏訪川に遺棄したとして女K2を死体遺棄容疑で逮捕したが[1]、K2はその後取り調べに対し「4人を殺害した」と供述し[11]、既に遺体が発見されたC以外について「A・B・Dの3人をAの車ごと川に捨てた」と供述した[99]。その供述通りA・B・Dの3人が行方不明になっていたことに加え、福岡県警に対し「金の貸し借りを巡りK2・Aの両者間にトラブルがあった」と情報提供がなされたため、県警は[11]80人態勢で[89]行方不明となった3人の発見に全力を挙げつつ[11]、金銭トラブルの真偽について確認を急いだ[11]

一方で9月22日午前9時過ぎ、K2の夫K1が大牟田署2階の刑事課を訪れ「妻が逮捕された理由を聞きたい」と申し出たため[注 14]、大牟田署捜査員が取調室で約1時間にわたり1人で机を挟んでK1に事情を話していたが[100]、午前10時16分ごろになって[1]K1が突然拳銃を取り出し[100]、銃口を自身のこめかみに当てて1発発砲し自殺を図った[100]。K1は命に別状はなかったものの病院に搬送され治療を受けることとなったが[89]、その動機は「事件に強く関与していたK1が自殺を図ることで捜査を攪乱する意図があった」と推測された[14]

2004年9月23日付で福岡県警は連続殺人・死体遺棄事件として大牟田署に捜査本部を設置したほか、逮捕した被疑者K2を死体遺棄容疑で福岡地方検察庁久留米支部に送致した[89]

3遺体発見[編集]

2004年9月23日夜になって福岡県警は諏訪川の川底で大規模な捜索を行ったが、捜索した箇所は最大水深4メートル・視界50センチメートルほどと透明度も低く、泥質の川底だったため捜索は難航した[99]。しかしCの遺体が発見された馬沖橋付近から約350メートル(m)下流地点[90][99][注 15]を大型クレーン車・投光器などで捜索したほか[99]、同地点付近で県警機動隊所属のダイバーが潜水作業をしていたところ[101]、18時すぎに女性Aが所有していた赤茶色の軽乗用車が沈んでいるのが発見され[注 16]、21時ごろに車を大型クレーン車で引き揚げたところ[99]、車内から男女3人の遺体が発見された[89]

3人の遺体はいずれも衣服を着たままで、ロープなどにより縛られた痕跡はなく[89]、遺体は助手席、後部座席にあったが運転席は空いていた[101]。そのため「運転免許を持っていたK2が別の場所で3人を殺害後、遺体を乗せた車を現場近くまで運転して川に沈めた」と推測された[101]。実際に遺体発見現場を検証して車の進入経路を確認したところ、付近の土手から諏訪川の川岸にかけて車が通ったような痕跡が確認されたが[102]、福岡県警は「女性であるK2単独では4人の殺害・遺体遺棄など一連の犯行を遂行するのは困難だ」との理由から複数犯の線を強めた[103][104]。その上でK1についても犯行への嫌疑を掛け[101]、「銃の入手経路などについても事情を知っている可能性がある」と推測した上でK1の回復を待ち、改めて事情聴取する方針を固めた[103]

県警捜査本部は2004年9月24日になって軽乗用車内で発見された3人の遺体をいずれも司法解剖し、遺体の身元を行方不明だったA・B・Dと断定したほか、3人の遺体は死後1週間程度経過していることが判明した[102][105]。また司法解剖の結果B・D両名の遺体には[103][104]それぞれ3発ずつ[16]拳銃で銃撃された痕が確認された[103][104]

次男K4逮捕[編集]

2004年9月23日[16]、福岡県警捜査本部はK1・K2夫妻の次男K4を大牟田市内で発見して任意同行を求め、同日深夜になって[97]K4をK2の共犯として被害者Cに対する死体遺棄容疑で逮捕した[106][15][16](発表は9月25日付)[106][15][16][107][注 17]

2004年9月26日に福岡県警捜査本部が被害者A宅の状況を確認したところA宅の室内から小型金庫がなくなっていたことが判明したため、捜査本部は「金銭トラブルが犯行動機」と睨んでK2・K4を金庫紛失の件も含めて追及した[24][25][注 18]。また同日、福岡県警は被疑者K4が普段から使用していた6人乗りワゴンタイプ乗用車[注 19]が自動車修理工場へ「廃車にしてほしい」と持ち込まれていたことを確認し、車を押収した[24]

2004年9月28日になってK2が共犯関係の追及を受けていた中で「息子K4が被害者を銃撃した」と認める供述をした[109][9]。使用された拳銃はベルギーFNハースタル社製の25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー[注 20]で、弾倉に銃弾6発が装填できるものだったことから使用が裏付けられた[9][注 21]

動機・犯行詳細の究明[編集]

被疑者K2が取り調べに対し「被害者Aから借金していた」と供述したほか、Aの友人たちも「AはK2に数百万円を貸しており『なかなか返してもらえない』とこぼしてもいた」と証言したため[102][105]、福岡県警は事件当初から「被疑者K2と被害者Aとの間の金銭トラブルが事件の発端となった」と睨んでいたが、金銭トラブルのみが一家を殺害するほどの動機になるのか疑問視する声もあった[22]。そのため福岡県警は他に殺害につながるようなトラブルがなかったかを洗い出し[102][105]、「被害者B・DとK4との間に交友関係を巡りトラブルがあった」とする情報を得たことから[16]「それがエスカレートし両家全体を巻き込んだ事件に発展した可能性がある」との見方も含め、被疑者一家の交友関係を幅広く捜査した[22]。被害者Aの一家が全員死亡していたため、福岡県警は関係者の供述・証拠を手掛かりに捜査を進めることとなった[22]

K2は逮捕された当初「4人を拳銃で撃った」と説明したが、司法解剖の結果A・C両被害者の遺体には銃撃痕は見られなかったほか、殺害の順番・場所の説明も二転三転するものだったため、福岡県警は「K2が何か重大なことを隠している」と推測して追及を続けた[22][22]。その結果、2004年9月29日までにK2は「息子K4が被害者を銃で射殺した」と述べたほか、一連の事件への関与を否定していたK4も「全部俺がやったことだ」などと4人の殺害に関与したことを認める供述をしたため、それぞれ供述の矛盾点を慎重に突き詰めるなど裏付け捜査を行った[110][111]

一方で2004年9月末、まだ逮捕されていなかった長男K3は『西日本新聞』(西日本新聞社)の取材に対し「殺害されたB・C兄弟とはあまり面識はなかった。家族が逮捕されたことは世間に申し訳ないと思うが、自分は事件に関与していないし『なぜ事件が起きたか』はこちらが聞きたい」と述べていた[112]

長男K3を逮捕[編集]

福岡県警は2004年10月2日に長男K3を死体遺棄容疑の被疑者として逮捕したほか[12][113]、翌10月3日には入院中だった父K1も犯行に関与していたことが判明した[87][114]。そのため捜査本部はK1を回復次第死体遺棄容疑で逮捕することを決めたほか、2つの遺棄事件(C事件、A・B・D事件)はそれぞれ遺棄現場・犯行日がほぼ同一だったことから、福岡県警はこの時点ではK1・K3に対し未立件だったC事件についても、2人が関与したとみて事情聴取した[87][114]

K3は事件後に「弟K4の弁護士が見つからない」と漏らし弁護士を探していたほか、逮捕される約1週間前(被害者の告別式が開かれた時期)には喪服姿で外出する姿が目撃されていた[26]

2004年10月4日、K2は「Aとトラブルになっていた。自分のせいで息子たちを巻き込み迷惑をかけた」と供述した[115]。同日午前0時すぎ、被疑者K4は拘置されていた福岡県警筑紫野警察署の留置場で丸めたトイレットペーパーを喉に詰め自殺を図ったが、すぐ署員に発見されてトイレットペーパーを取り出されたため大事には至らなかった[116][117]

A事件でK1を逮捕[編集]

拳銃自殺未遂事件で重傷を負って入院していた被疑者K1は2004年10月7日になって医師から「逮捕後の拘置に耐えきれる」と判断されたため、福岡県警によりA・B・Dの3人の遺体を車ごと川に沈めたとして死体遺棄容疑で逮捕された[14][118]。この逮捕により「一連の事件はK1一家4人全員が関与した」とほぼ断定される格好となった[14]

取り調べに対し被疑者K1は「全部俺がやった」と供述したが、次男K4も「全部俺がやったことだ」と供述していたほか、妻K2が「自分のせいで子供を巻き込んだ。息子が銃で撃った」などとそれぞれ矛盾する供述をしていたため、福岡県警は慎重に裏付け捜査を進めた[14]。福岡県警は同日、C事件の死体遺棄容疑で逮捕されていた母K2・次男K4をそれぞれA・B・Dの3人に対する死体遺棄容疑で再逮捕した[14][118]

被疑者K3が関与を認める[編集]

2004年10月13日までにK3はそれまでの全面否認から一転して容疑を認める供述を始めたため、一家4人全員が容疑を認めたこととなった[119]。また捜査本部が銃弾の線条痕を鑑定した結果、B・D両名に向けて発砲された拳銃とK1が大牟田署で自殺を図った拳銃は線条痕が一致したため、同一の拳銃による犯行が裏付けられた[119]

同日までの取り調べの結果、被疑者K2は「夫K1や息子がAら3人を殺すのを止めようとしたがどうしようもなかった」と供述した[120]。一連の事件で被疑者が殺害の実行役に関して具体的な供述をしたのはこれが初めてだった[120]

  • 2004年10月12日、福岡地方検察庁久留米支部はCの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2について「本日で勾留期限が切れるが犯行の状況を含め事件の解明に至っていない」として処分保留とした[121]
  • 2004年10月14日、福岡地検久留米支部はCの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K3について、母K2と同様の理由で処分保留とした[121]。Cの死体遺棄容疑における勾留期限は切れたが、K2・K3両名はAら3人の死体遺棄容疑で再逮捕されていたため引き続き拘置された[121]

2004年10月15日、K2が「9月17日か18日、出入りしていた大牟田市本町のアパートで夫K1、息子K3・K4とともに被害者Aと会ったがAと口論になり、K1ら3人がAを殺そうとしたため自分が止めた。その後全員で市内の港に移動した後(息子らが)Aを殺害した」と供述した[122]

福岡県警捜査本部は2004年10月14日に被疑者K3を立ち会わせて大牟田港岸壁などで現場検証を行った[123]

K2・K3・K4を死体遺棄罪で起訴[編集]

福岡地検久留米支部は2004年10月22日、A・B・Dの被害者3人に対する死体遺棄罪で拘置期限が切れるK2・K3・K4の3被疑者を福岡地方裁判所久留米支部起訴した[91][124]。被疑者K1は拳銃自殺を図って入院し逮捕が遅れており2004年10月28日が拘置期限となっていたため、同日は起訴されなかった[124]

また福岡県警捜査本部による捜査の結果、諏訪川に沈められた車から遺体で見つかったA・B・Dの被害者3人について大まかな殺害方法・場所が判明したため、捜査本部は一家4人を翌週中にも殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[91][124][125]

詰めの捜査[編集]

強盗殺人容疑で一家4人再逮捕[編集]

2004年10月26日、福岡県警捜査本部は「K1ら一家4人が金銭トラブルの末、金目当てで被害者Aを睡眠薬を飲ませた上で殺害し現金などが入ったバッグを奪った」と断定し、被疑者一家4人をいずれも強盗殺人容疑で再逮捕した[5][126]。捜査本部は被疑者4人が、Bら残る3人についても殺害に関与したとみて引き続き役割分担を追及した[5]。福岡地検久留米支部は同日、入院で逮捕が遅れていた被疑者K1を死体遺棄罪で追起訴した[5]

2004年10月29日までに死体遺棄罪で起訴された被告人K2は「被害者Aを殺害後、夫K1が息子に『Aの子どもを拉致してこい』と指示した」と供述した[127]

福岡県警捜査本部は夫K1が事件の発覚を恐れ、息子K3・K4両被告人に対しB・D両名の拉致・殺害を指示したとみてさらに追及した[127]

またAら3人より先に殺害されたAの次男Cについても、殺害の経緯・役割分担について一家4人を引き続き追及した[127]

Aの殺害現場付近を捜索[編集]

2004年11月11日、福岡県警捜査本部はAの殺害現場となった大牟田港付近の大牟田川を捜索した[128]。その結果、川底から殺害の凶器に用いられたとみられる自転車のワイヤー錠のようなものが発見され、押収された[128]

捜査本部は、強盗殺人容疑で逮捕された被疑者K4が港付近の岸壁に駐車した車内でAを絞殺した後、凶器のワイヤー錠を海に投げ捨てたとみて引き続き追及した[128]

B・D殺人容疑で再逮捕[編集]

2004年11月16日、福岡県警捜査本部は被害者B・D両名を大牟田港岸壁に停車した軽乗用車後部座席にて拳銃で射殺したとして、いずれも死体遺棄罪で起訴された被告人4人を殺人容疑で再逮捕した[6][129]。被疑者・被告人K2は残るCの殺害について「息子K4から『人を殺してしまった』と打ち明けられ初めて知った。4人の中で最初に殺害された」と供述した[6]

捜査本部は一連の犯行の動機をAの財産目当てであると目星をつけていたが「Aの財産目当ての犯行だとして、なぜCが最初に殺害されたのか」などの疑問点を抱えていた[6]

そのため「次男Cの殺害が発端となり、かねてからトラブルとなっていたAを金を奪う目的で殺害した。その口封じのため長男Bの殺害に発展したところ、Bと同行していたDも巻き添えになった」とみて全容解明を急いだ[6]。福岡地検久留米支部は同日付でK1・K2・K3・K4の被告人4人を被害者Aに対する強盗殺人罪で福岡地裁久留米支部に追起訴した[6]

次男Cの殺害動機解明[編集]

2004年11月25日までの福岡県警捜査本部の捜査の結果、一連の事件の発端は被告人K3・K4兄弟が金を奪う目的でA宅に侵入したことである可能性が高いことが判明したため、捜査本部は強盗殺人容疑での再逮捕を視野に追及を進めた[130]

その経緯は「父K1・母K2がA宅の多額の現金を狙っていたことを知ったK3・K4は、両親を出し抜こうとA宅に侵入したが、この時、当時1人で留守番をしていたAの次男Cに気付かれたためタオルのようなもので首を絞めた。その後、気絶したCを車に乗せA宅を出たが、途中でCが息を吹き返したため車内で再度首を絞めて殺害した」というものだった[130]

K3・K4兄弟をC殺害容疑で再逮捕[編集]

2004年12月7日、福岡県警捜査本部はK3・K4兄弟を「Aの次男Cに対する強盗殺人容疑」で再逮捕した[131]。これに加え、K3についてはCに対する死体遺棄容疑でも再逮捕した[131]。また同日、大牟田署の取調室で拳銃自殺を図った兄弟の父K1を銃刀法違反容疑などで再逮捕した[131]。これにより、母K2を含めK1一家4人全員が「A宅に大金があると思い込み金目当てで犯行に及んだ」と断定した上で、被害者4人全員について強盗殺人罪・殺人罪で立件を完了した[131]

福岡地検久留米支部は同日、K1ら被告人一家4人を被害者B・D両名に対する殺人・銃刀法違反の罪で、福岡地裁久留米支部に追起訴した[131]

2004年12月17日、福岡地検久留米支部は大牟田署の取調室で拳銃自殺を図った被告人K1を「2004年9月22日午前10時15分ごろ同署の取調室にて拳銃1丁・実弾8発を所持した」として、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪(加重所持)で福岡地検久留米支部に追起訴した[132]

2004年12月27日、福岡地検久留米支部は被告人K3・K4兄弟を「2004年9月16日夜、被害者Cの首を絞めて失神させ指輪など貴金属61点(約400万円相当)が入った金庫を奪った上、Cの首を再び絞め、Cを諏訪川に投げ込んで殺害した」として強盗殺人罪で福岡地検久留米支部に追起訴した[133]

両被告人はCに対する死体遺棄罪でも逮捕されていたが、福岡地検久留米支部は「Cが死亡する前に川に遺棄しCが溺死した可能性も否定できない」として死体遺棄罪での起訴は見送り強盗殺人罪でのみ起訴した[133]

また同じく死体遺棄容疑で逮捕された母K2は「関与が認められない」として不起訴処分とした[133]

K3脱走事件[編集]

2004年11月13日午前9時30分ごろ[134]、被疑者・被告人K3は拘置されていた福岡県久留米警察署から福岡地検久留米支部(久留米市篠山町)に移送された[134][135][136]。この時、護送車を運転していたのは大牟田署刑事課巡査長(当時27歳)で、大牟田署警備課巡査部長(当時49歳)大牟田署警備課巡査長(同25歳)がそれぞれK3に付き添っていたが、3人はいずれも留置管理担当者ではなかった[134]

その後K3は同所で検察官による取り調べを受けていた[134][135][136]。元力士で大柄なK3の逮捕後は、機動隊員2人を大牟田署に派遣し護送などの応援に当たらせていた[137]

K3は福岡県警から「特別要注意者」に指定され留置場では機動隊員も監視に加わることになっていたが、護送業務は通常体制だった[134]。またK3は機動隊員の同行を嫌がり反抗することが多かったため、護送を担当した3人はこの日、同行を断っていた[137]

17時過ぎ、K3と大牟田署員3人の計4人は夕食を摂るため被疑者の待機・休憩に使われる検察庁舎3階の「同行室」に移動した[134]。この時、同行室の鍵を開けたのは地検支部の事務官だった[134]。事務官から鍵を手渡されなかったことなどから3人は「扉は施錠しないでおくものだ」と思い込み、誰も鍵を取りにいかなかった[134]。地検支部は当時建て替え中で仮庁舎に移転していたが[135][136]、旧庁舎の同行室の扉は施錠できない構造だった[134]

K3は両手から手錠を外され[134][135]正面奥に座り、その左隣に巡査部長、扉の左右に巡査長2人がそれぞれ椅子に座った[134]。この時、巡査長の1人が室外に右足を出した状態だったがK3の腰縄は誰も持っておらず、床に放置していた[134]

17時40分ごろ、K3は大牟田署員3人の付き添いの下[135][136]、同行室にて夕食の弁当を食べていた[134]。弁当を食べ始めた当初は署員1人が室外にいたが、K3から「一緒に食べよう」と誘われ全員が室内に入ってしまった[137]

弁当を食べ始めてから約10分後、署員より早く弁当を食べ終えたK3は室内をうろつき始め「部屋が暑い。エアコンを調整したい」と言った[134]。そしてまだ食事中の巡査長2人の間をすり抜け、いったんオートロックの扉の外に出た[134]。エアコンのリモコンは隣の事務室にあったため[134]、大牟田署員1人がK3に付き添い隣室に向かった[135][136]。エアコンのリモコンを取り扉近くに戻ったところ[134]、K3が「(操作は)1人でできる」と言ったため、警察官が先に隣室を出て同行室に戻った[135]

K3は脚を出していた巡査長に対し「眼鏡を貸してくれ」と言った[134]。巡査長が眼鏡を差し出すと、K3は眼鏡をかけるふりをして同行室内に投げ入れ、巡査長が足をひっこめた瞬間[134]、同行室のオートロックの鉄格子扉を閉め[135][134]3人を閉じ込めた[135][136]

福岡県警の被留置者管理規定によれば、食事をする間を含め[135]同行室に被留置者を入れた際は警察官は自動的に施錠される同行室の扉を閉め[138]、隣の小部屋で待機し[135]外から監視を続けることとなっていた[138]

しかし警察官は鍵を持たず3人とも同行室に入った上、扉を完全に閉めていなかった状態で[135]、室外で待機していた者はいなかった[138]。その上、同行室から退出することなくK3と一緒に食事を摂るという「内規違反に油断が重なる」事態が逃走につながった[138]。2004年11月26日、K3が福岡地検久留米支部の仮庁舎から逃走した際の詳細な経緯が判明した[138]

警察官は室内から解錠する鍵を持っていなかったためドア越しに説得したが[135][136]、K3は腰縄を外しながら「担当者さん、悪い」[134]「俺は(強盗殺人などを)やっていない。死刑になるかもしれないから逃げる」[134][135][136]「3日経ったら戻ってくる」と言い残し[134]、階段を降り[134]履いていたスリッパを1階に残したまま裸足で検察庁舎から逃走した[135]。これを受け、警察官は携帯電話で110番通報しK3が逃走したことを知らせた[135][136]

K3は脱走から約15分後[139][140]の17時55分[141]、地検支部から南へ約800mの[139][140]久留米市本町の福岡県道23号久留米柳川線[141]待機中のタクシーに客を装って乗り込んだ[139][140]。そしてタクシー運転手に対し「3日ほど暴力団に監禁されていて脱走してきた。金は知人に持ってこさせるから柳川市方面に行ってくれ」と指示した[139][140]

このタクシー運転手は裸足だったK3の「ヤクザから逃げてきた」という言葉を信じ込み、「組から逃げてきたな」と思っただけで特に不審には思わなかったという[141]。運転手は普段車中でラジオを流していたが、後述のようにK3に自分の携帯電話を貸し通話させていたため音量を小さくしていた[141]。そのため運転していたタクシーが後述のように警察官に取り囲まれるまで、客だと思って乗車させたK3の正体にまったく気づかなかったという[141]

また、タクシー運転手によればこの時のK3は「タクシー料金のみならず、途中に立ち寄ったコンビニエンスストアで運転手が購入したペットボトルのお茶代なども含めきちんと料金を払おうとしており、普通の客より丁寧な口ぶりだった」という[141]

柳川市の沖端川河口付近に到着後、K3は運転手に対し「熊本県玉名郡南関町経由で大牟田市に向かってくれ」と指示した上で「(大牟田市内の)幹線道路は見張りがいるから行けない。裏道を知らないか」と尋ねた[139][140]

その後K3は運転手の携帯電話を借り、知人と数十回にわたり「金を貸してくれ」「もうすぐ着く」などと連絡を取り、タクシー料金として現金を届けるように要請していた[139][140]

逃走から約3時間後の20時50分ごろ、地検支部から南に約35km離れた[135]熊本県荒尾市上井手の駐車場に到着した際、タクシー料金が20400円に達していた[139]。そのような中、K3はタクシーからいったん下車し、車外で電話をかけた[139]

しかしK3が車内に戻ったところ数人の捜査員がタクシーを取り囲んだ[139]。K3は当初後部座席でドアを開けさせまいと抵抗したが、観念した様子で車外に出て警察に取り押さえられた[139]

福岡県警が通話記録などを調べた結果、携帯電話でK3とやり取りしていた相手は、父K1の配下の暴力団組員だった[141]。K3は2005年(平成17年)1月4日に大牟田署から単純逃走罪で福岡地検久留米支部へ書類送検され[142]、2005年1月11日に福岡地検久留米支部からへ福岡地裁久留米支部に追起訴された[143]

地域住民らの反応[編集]

K3の義父K1が、大牟田署内で拳銃自殺を図った衝撃が冷めやらぬうちに、凶悪犯罪の被告人が、週末の夜の街に逃亡したこの事件は、福岡県警の相次ぐ不手際を露呈する形となった[144]

またこの3時間にわたる逃走劇は、現場の大牟田市・地検支部がある久留米市を中心に、地域住民に大きな不安・衝撃を与えた[144]

「大牟田市内で現場検証に立ち会うK3の姿を見た」という近隣住民は「現場検証で見たときは、K3は大男だったのに付き添う捜査員の数が少なかった。逃げ出してもおかしくないと思ったが現実になってしまった」と語った[144]

また確保現場となった荒尾市上井手の近隣住民は「熊本県重要文化財眼鏡橋付近の駐車場近くでパトカーなど数台の車両が止まり、タクシーを4,5人で取り囲んでいたのを目撃した。後でテレビのニュースを見て、そこでK3の身柄が確保されたことを知った。逃走のニュースが流れた直後『ここに逃げてくるかも』と家族と冗談を言い合っていたが、まさか本当になるとは」と驚いていた[144]

地検支部付近の私立保育園(園児120人)の園長は「警察官がそばにいたのに、なぜ逃走できたのか」と疑問の声を口にした[144]

福岡県警・警察庁の対応[編集]

17時44分「K3逃走」の第一報を受けた久留米署は緊急配備を敷くとともに全署員を招集し、K3の顔写真を捜査員に携帯させ捜索に当たらせた[138]

また知らせを受けた福岡県警は殿村明大・刑事部長をはじめ、刑事部員全員が緊急招集された[138]。本事件の捜査を担当していた捜査一課は情報収集・捜査員の割り振り・近隣県警との連絡に追われ、時折「検問を強化せよ」という声も飛び交った[138]

事件の舞台でありK3の逃走を許した巡査部長1人・巡査長2人が所属していた大牟田署は、身柄確保から3時間後の2004年11月14日午前0時前、中村隆一署長が記者会見した[138]。中村は、安堵の表情を見せつつも「凶悪事件の被疑者が逃げたことは大変申し訳ない。再発防止に努めたい」と陳謝した[138]

事件を受け、福岡県警は翌2004年11月14日、全警察署長に対し被疑者・被告人の逃走防止を徹底するよう文書で通達した[138]

またK3の逃走時に付き添っていた大牟田署員3人に対し処分を検討した[138]

福岡県警留置管理課は2004年11月17日、福岡市にある福岡県警察本部にて各所の留置担当者(警察署の留置管理課長ら)を集め緊急会議を開き、留置手順の徹底を指導した[145]

警察庁は事件後、都道府県警察警察本部に対し「同行室の運用実態の把握」「同行室での管理要領の制定」「被疑者に応じた護送態勢と人員の選定」などを指示した[134]

2004年12月13日、福岡県議会一般質問で、県議会議員・清田信治(県政クラブ)が、この逃走事件について「今回の失態とも言われている容疑者脱走という事件に対して、警察本部長はどのように受けとめてあるのか」、「周辺に警戒を呼びかける広報をしなかった警察に対して住民からは強い批判の声が上がっている。今回の事件で久留米市民へなぜ外に出ないような待機勧告、逮捕後の広報並びに待機解除などの情報提供をしなかったのか、その根拠となる理由は」、「逃走防止の基本や事件発生時には住民への避難、待機などの勧告、解除などの広報マニュアルがあるのかないのか」と、廣畑史朗・福岡県警本部長に質問した[146][147]

これに対し廣畑は「地域住民を初め県民の皆様に多大の不安を与え、警察に対する信頼を大きく損なったものであり、まことに遺憾であります。今後このような事案を二度と引き起こすことがないよう再発防止に努めていく所存であります」と陳謝した[148][147]。その上で久留米市民に直接の広報をしなかった理由について「逃走直後の早い段階から被疑者は久留米から大牟田方向へタクシーで逃走中であるとの確度の高い情報を入手し、逃走現場付近での潜伏等の可能性が極めて低いと判断したことなどから」と回答した[148][147]。また「事件が発生した場合の現場広報や防犯情報の提供につきましては一般的なマニュアルはありますが、本事案のような場合は個々の事案の犯行対応や模倣性連続性などを勘案して、情報提供の要否を判断しているところであります」「今後とも犯罪の発生実態を的確に判断し、住民の皆様が防犯行動をとれるようわかりやすい広報に努めてまいりたいと考えております」と、それぞれ回答した[148]

2005年1月27日、福岡県警はK3の逃走事件を受け、関係者を以下のように処分した[137]。その一方で護送を担当した3人が「K3が嫌がる」などの理由で本来必要だった機動隊員の同行を断っていたことも新たに判明した[137]

  • 護送を担当した大牟田署員3人を - いずれも減給(10分の1、期間:1か月から3か月)[137]
  • 被告人K3を留置していた久留米署留置管理課長 - 懲戒処分戒告[137]
  • 大牟田署・久留米署の両署長、副署長ら計8人 - 本部長訓戒などの内部処分[137]

あみだくじ弁護人選出問題[編集]

弁護人については当初4被告人ともに、それぞれ国選弁護人・私選弁護人が選任されたが、次男K4の弁護人が産休のために辞退した[149]

これに加え妻K2の私選弁護人も「やりたくない」と辞退したほか夫K1の弁護人も担当できなくなった[149]。その結果、長男K3以外3被告人についてはいずれも弁護人が担当できない状態となった[149][150]。部会所属の弁護士曰く、引き受け手が見つからなかった理由は「福岡拘置所が建て替え予定で遠隔地になることや、調書が膨大で手間がかかるため引き受け手が見つからなかったことだ」という[151]

そのため3被告人について地元の福岡県弁護士会筑後部会(部会長:高橋謙一)が部会の国選弁護人名簿に基づき依頼して回ったが、いずれにも断られてしまった[149][150][152]。そのため高橋は苦肉の策として[149][150]「公平を期する方法」と[151]、新たに弁護人3人(被告人1人につき1人)をあみだくじで新たに選出した[149][150][152][151]

高橋は『朝日新聞』の取材に対し「これが初めてではなく10年ほど前にも1度(あみだくじでの選出を)やったことがある」と話した[152]。あみだくじによる選出は2004年12月2日、部会事務局で実施し「当たった」3人がそのまま国選弁護人に選任された[152]

2004年12月11日あみだくじによる弁護人選出が判明し『読売新聞』・『朝日新聞』・『東京新聞』などで報道された[149][150][152][152]。部会関係者は「被告人に最適な弁護人を決めるという意味ではまずいやり方だったかもしれない」と高橋は「部会としてのコメントはできない」とそれぞれ語った[149][150]

日本弁護士連合会(日弁連)刑事弁護センター委員長・佐藤太勝は「聞いたこともない選び方で適切な方法とは思えない。重大事件用の名簿がないなら刑事弁護の経験が豊富な人を協議で選ぶのが妥当ではないか」と話した[152]

部会は当時、従来の国選弁護人名簿とは別に重大事件用も名簿を作成中だったが、その名簿に登録予定だった中堅以上の弁護士を中心とした十数人があみだくじの対象になっていた[149][152]。高橋は「準備中の名簿の並ぶ順もくじで決めるつもりで、それを前倒ししただけだ」と説明した[152]

刑事裁判[編集]

第一審・福岡地裁久留米支部[編集]

福岡地方裁判所久留米支部は2005年(平成17年)1月23日までに被告人K1・K2・K3・K4の計4人の初公判日時を2005年3月15日14時に指定した[153]

第1回公判[編集]

2005年3月15日14時、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で被告人一家4人の初公判が開かれた[154][3][4]。初公判ではまず被告人4人それぞれに対する人定質問が行われた後、K1・K4・K2・K3の順に各被告人に対し罪状認否が行われたが、4被告人は大きく分けて主たる争点についてそれぞれ以下のように認否した[3]

各被告人の主な罪状認否
罪状 被告人K1(父親) 被告人K2(母親) 被告人K3(長男) 被告人K4(次男)
強盗殺人罪(被害者C) 起訴されず[3] 否認[3] 認める[3]
強盗殺人罪(被害者A) 認める(単独犯を主張)[3] 認める[3]
殺人罪(被害者B)
殺人罪(被害者D)
  • 父K1は起訴された3人の殺害行為について起訴状を無視し「(他の3被告人とは)共謀せず自分が単独で実行した」と主張した[3]
  • 母K2は「間違いありません」と起訴事実を認めた上で「極刑を受けるために来た。被害者・遺族には申し訳ないことをした」と謝罪した[3]
  • 次男K4は起訴された4人の殺害行為について「起訴事実の通り間違いありません」と全面的に起訴事実を認め謝罪の意を示した[3]
  • 一方で長男K3は「福岡地検久留米支部から逃走した単純逃走罪は認めるが、それ以外は一切認めません」として殺害・遺体遺棄についていずれも無罪を主張した[3]

以上のように殺害の中心格とされるK3が起訴事実を否認した一方、K1が起訴状を無視し罪を被る発言を繰り返すという異例の展開となった[3]。被告人K1の弁護人は共謀に関する認否を留保した上で、次回公判(2005年4月12日予定)以降公判を分離するように要望した[3]。検察側(福岡地検久留米支部)は冒頭陳述で「K1・K2夫妻は6600万円以上の借金を抱え、暴力団上部団体への上納金・生活費の支払いなどに困窮したことから、Aを殺して金を奪う強盗殺人を計画した。それを知ったK3・K4兄弟が両親に内緒でCを殺害し、その後両親を加えて残る3人の連続殺人に発展した」としてその経緯を詳述した[3][4]

第2回公判(以降は分離公判)[編集]

2005年4月12日に第2回公判が開かれ、起訴事実をすべて認めたK2・K4両被告人と単独犯を主張したK1・逃走以外の罪を全面否認したK3の両被告人はそれぞれ「K2・K4」「K1・K3」の2組に分かれて分離公判で審理されることとなった[155]。検察側は被害者Aらの殺害に使われたとされる凶器などを証拠提出した上で、極刑を望む被害者遺族の供述調書を朗読した[155]。また検察側の証人申請に基づき、K1・K3両被告人の次回公判(2005年4月26日)で被告人K2が[155]、K2・K4両被告人の次回公判(2005年5月17日)で被告人K3がそれぞれ証人出廷し、証人尋問が行われることが決定した[155]

母親K2・次男K4の審理[編集]

2005年5月17日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、K2・K4両被告人について分離後初となる公判が開かれた[156]。同日は公判が分離された被告人K3が検察側の証人として出廷し証人尋問が行われる予定だったが、当時K3は後述のように体調を崩し入院していたため、同日の公判を欠席した[156]

2005年6月21日の公判で被告人K3が検察側証人として出廷し[157][158]、K3は被害者4人の殺害についていずれも「やっていない」と全面的に起訴事実を否認した一方、唯一起訴事実を認めた福岡地検久留米支部からの逃走事件について「逃走前夜に留置されていた久留米署で自殺を図ったが、死にきれなかったため死のうと思って逃げた」[157]「親父(被告人K1)の近くで死のうと思い大牟田に向かった」[158]「裁判所宛に『全部1人でやった』と遺書を書けば弟K4が助かると思った」と述べた[157]。しかし閉廷後、K3は起訴事実を認めていた弟K4から「あんたの意見に同意してやる。生きられるか試してみろ」と言い放たれたことに激昂してK4に殴り掛かろうとした[158]

2005年10月11日の公判でもK3が再び検察側証人として出廷した[159][160]。同公判で被告人K4の弁護人はB・D両被害者の殺害について「K3も銃を何発か撃ったのではないかと思う」とする被告人K2の供述調書を読み上げ[159]、K3に対し「親に疑われてどう思うか」と尋ねたが、証言台にいたK3は「(K2のことは)実の親とも身内とも思っていない」と答えたところ、左後方の被告人席に座っていた弟K4が「アホか!殺すぞ」などと叫んで兄K3に殴り掛かろうとしたため、K3と口論になった[159][160]。この騒動により高原正良裁判長が休廷を宣言し[160]、公判は約15分間中断した[159]

2005年11月15日の公判で被告人質問が行われ、K2は被害者Aを殺害した経緯について「犯行当時約6000万円に上る借金を抱えており生活が苦しかったが、夫婦2人で古くから計画を練っていたわけでも親子4人で計画したわけでもない。その時だけ何かに取り憑かれたように『Aを殺害して金銭を奪おう』という話になった」と説明した[161]

K2・K4が被害者遺族に謝罪[編集]

2006年(平成18年)3月14日に第22回公判が開かれ、検察側の被告人質問が行われた[162][163]。この日は被害者Aの母親ら被害者遺族も公判を傍聴していたが、被告人質問の最後で被告人K4は、被害者遺族のいた傍聴席に歩み寄り「すいませんでした」と一礼したほか、被告人席に座っていた被告人K2も立ち上がりAの母親に対し「ごめんなさい」と頭を下げた[162][163]

2006年3月28日に第23回公判が開かれ、被害者遺族3人(Aの母親と妹、Dの母親)が意見陳述していずれもK2・K4両被告人の極刑を求めたが[164][165]、その後弁護人による被告人質問で被告人K4は前回公判で謝罪したAの母親に対し「ふざけんな。親を悪く言うな」と暴言を吐いた[165]

K2・K4両被告人に死刑求刑[編集]

2006年5月2日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で母親K2・次男K4の両被告人に対し第24回公判となる論告求刑公判が開かれ[166][167][168][169][95]、福岡地検久留米支部は両被告人にいずれも死刑を求刑した[166][167][168]

2006年6月13日に福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で第25回公判が開かれ、弁護人による最終弁論が行われて結審した[170][171]

  • 被告人K2の弁護人は「事件を主導的に企画・立案したのは夫K1でK2の関与は従属的だった」と述べた上で「K2は事件の内容を真摯に語っていることから再犯の可能性はない」と主張した[171]
  • 被告人K4の弁護人は「K4は事件当時精神的に未熟だった。矯正の可能性がないと決めつけるべきではない」と訴えた[171]

最終意見陳述で被告人K2は「重ねてお詫びすること以外、何もない」と、被告人K4は「本当に申し訳ない。判決は素直に受け入れたい」と、それぞれ謝罪の弁を述べた[170]

K2・K4に死刑判決[編集]

2006年10月17日判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)は母親K2・次男K4の両被告人に対し、いずれも福岡地検久留米支部の求刑通り死刑判決を言い渡した[17][7][172][173][174][175][176][177]

福岡地裁久留米支部は判決理由で一連の犯罪事実・被告人4人の共謀についてすべて検察側の主張通りに事実認定し、一連の殺害動機について「K2が生活難・資金難を打開して被害者Aが所持していた多額の現金を奪おうとしたものだ」と指摘した[17][174]。その上でCを除く3人の殺害に関与した被告人K2を「動機面での中心的存在であり、『関与は従属的だ』として量刑の軽減を求める弁護人側の主張は認められない」とした[17]

そして4人殺害を実行した被告人K4に対しては「Aを殺害する際、たばこを吸ったり遺体の上に寝そべるなどしたことなどから、人間の生命の尊厳を軽視する態度が著しく矯正は困難だ」と断じ[17]、被告人K4は公判中「親に人殺しをさせるくらいなら自分が殺した方がマシだ。後悔していない」「また同じ状況になれば人を殺す」などと発言したり、被害者遺族に暴言を吐くなどしていたが[175]、これらの態度に対しては「暴力団組長の父親の下で人命を軽視し両親の支持であれば殺人も厭わないなど、暴力団特有の反社会的な美意識を強く持っており矯正は困難だ」と認定した[174][175]

被告人K4は死刑判決を受けた2006年10月17日付で判決を不服として福岡高等裁判所控訴したほか[178][179]、被告人K2も2006年10月26日付で福岡高裁に控訴した[180][179]

K1・K3の審理[編集]

2005年4月26日、K1・K3両被告人について第3回公判が開かれ、同日は分離公判となった被告人K2が検察側の証人として出廷して「被害者Aの殺害は両被告人と共謀して殺害した。当初はK1とともに計画したが、自分が実行を躊躇っていたところK3が『自分が殺してもいい』と持ち掛けた」「長男Cの殺害は次男K4を含め4人全員で決めた」と証言した[181]

福岡地裁久留米支部はK1・K3両被告人について第4回公判を2005年5月10日14時から開廷することを予定していたが、K3は2005年5月5日午前8時ごろ、拘置先の福岡刑務所にて房内で体調を崩しているところを巡回した刑務官に発見されたため、医務官から応急措置を受けた後、病院に搬送された[182]。そのため福岡地裁久留米支部は第4回公判を開廷予定だった2005年5月10日、公判日程を取り消し公判を中止した[182]

その後、福岡地裁久留米支部はいったん「2005年5月24日14時から改めて第4回公判を開廷する」と決定したが[183]、2005年5月20日に再び「K3の体調不良」を理由に公判日程を取り消した[183]。この時点でK3は気管支系の疾患などを併発していたが回復に向かい[183]、第4回公判(2005年6月7日)までに退院した[184]

公判再開後、2005年7月27日になって福岡矯正管区はこの体調不良について「K3が2005年1月以降に服用していた不眠症の薬(向精神薬)の副作用が原因だ」と発表した[185]。またK3自身は「自殺未遂ではない。薬の効き目を高めるため刑務官の目をごまかし、1回か2回、薬を飲むふりをしてから吐き出しては一度に飲んでいたかもしれない」と話した[185]

2005年6月7日に福岡地裁久留米支部でK1・K3両被告人の第4回公判が開かれ、検察側証人として出廷した被告人K2は「次男K4がAを絞殺した際の状況」について「一緒にいたK3が『しっかり首を絞めろ。人は息を吹き返すぞ』と自分に話しかけてきた」と証言した[184]

2005年6月14日に第5回公判が開かれ、被告人K3の弁護人は冒頭陳述で「K3は4人の殺害現場に居合わせた事実はなく、起訴事実を認めている母K2らとの謀議もなかったが、次男K4が死刑になるのを防ぐため、K1を除く母子3人で『K3も計画に加わったことにする』物語を作り上げた」と述べて無罪を主張した[186]

K4が証人出廷[編集]

2005年8月23日の公判で起訴事実を認めていた被告人K4が初めて証人出廷し、検察官から被害者Cの殺害について質問を受け「兄K3から、Cを殺害しA宅金を奪う計画を持ち掛けられた」「殺害を2人で実行し『このことは両親にも言うな。もし警察にばれたらお前が自首して「全部自分1人でやった」と言え』と言われた」と証言した[187]

2005年9月27日の公判で検察側証人として出廷したK4は主尋問にて「一連の犯行は家族4人全員で計画して行った。亡くなった被害者4人に申し訳ない」と謝罪の言葉を述べたほか、遺棄した遺体の発見を遅らせるため川に潜って遺体を探したことなどを証言した[188]。その上で父K1に対しては「息子であることを誇りに思うが正しいことを話してほしい」、K3に対しては「両親を踏み台にして自分だけ責任逃れしようとは人間失格だ。最後くらいはきちんとするのが社会に対してのけじめだ」と述べた[188]

K3への被告人質問[編集]

2006年2月7日、被告人K3の公判で捜査段階の供述の任意性について被告人質問が行われ、K3は弁護人の質問に対し捜査段階で死体遺棄容疑を認めていたことについて「検察官がシャープペンシルで下書きした書類をボールペンでなぞった。『内縁の妻が別れると言った』と聞きショックで『否認しても無駄だ』と思った。検察官から『犯行を認めれば内縁の妻の接見禁止は解除する』と言われ、嘘の供述をした」と述べた[189]

K1への被告人質問[編集]

2006年4月18日、K1・K3両被告人の公判で被告人K1に対し被告人質問が行われた[190]

  • 被告人K1は弁護人の質問に対し家族との共謀を否定した上で「全て1人でやった」と従来通りの主張を繰り返した[190]
  • また分離公判中の妻K2・次男K4の両被告人がそれぞれ起訴事実を認めている点について「(2人は)自分を庇って、『やった』と言っている。息子が人を殺すわけがない」と話した[190]

2006年4月25日にも被告人K1に対し被告人質問が行われ、K1は被害者Aの殺害について強盗目的を否定した上で「Aの態度が気に入らず殺した。金品を奪う目的はない」と話した[191]

K3への被告人質問[編集]

2006年5月16日、K1・K3両被告人の公判で被告人K3に対し弁護人からの被告人質問が行われた[192]

  • 被告人K3は被害者Aを「自分が殺す」と語ったことについて「『Aが知人の工務店に支払いをしないのは母K2の説得力が弱いからだ』と考え、母K2を本気にさせようとしただけだ」と述べ、改めて共謀を否定した[192]

2006年5月30日に被告人K3は被告人質問で「2004年9月18日未明、K1ら他の被告人3人が被害者Aの殺害を話し合っていた際、自分は部屋の外で仕事の電話をかけていた」としてアリバイを主張したほか、Aが殺害された時についても「弁当屋・ファミリーレストランに行った後、実家でビデオを見ていた。3人が何をしているのか知らなかった」などと述べ、改めて関与を否定した[193]

2006年6月27日、K3は高原正良裁判長から被告人質問で「死刑を求刑されたK2・K4両被告人はともに『K3も共犯だ』と証言している。2人は極刑を受ける可能性も出てくるあなたの立場もわかっているはずだが、なぜあなたの言う事実と違うことを言うのか」と質問されると「自分は正直に言っているだけだ。K2・K4は犯行に私を含めることで無期懲役になると思っているのではないか?」と話した[194]

2006年9月19日、K1・K3両被告人の公判で被害者遺族2人が意見陳述し、それぞれ両被告人の極刑を求めた[195]

K1・K3に死刑求刑[編集]

2006年10月24日福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて第31回公判となる論告求刑公判が開かれ、福岡地検久留米支部は両被告人に死刑を求刑した[196][197]

2006年11月28日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて第32回公判(弁護人の最終弁論)が行われ、2人の弁護人がそれぞれ死刑回避を求め結審した[198][199]

K1・K3に死刑判決[編集]

2007年(平成19年)2月27日判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)は父親K1・長男K3両被告人に対し、いずれも福岡地検久留米支部の求刑通り死刑判決を言い渡した[18][200][201][23][202][203][204]。福岡地裁久留米支部は一連の犯行を「人命を軽視した冷酷・残忍な犯行で、極刑をもって臨むほかない」と非難した[18]

これにより、犯行に関与した一家4人がいずれも死刑判決を受ける[18]前代未聞の事態となった[21]

  • 被告人K1は判決を不服として同日付で福岡高裁に控訴した[18][203][204]
  • 被告人K3も2007年3月1日付で判決を不服として福岡高裁に控訴した[205][206]

控訴審・福岡高裁[編集]

K2・K4の審理[編集]

控訴審初公判[編集]

2007年6月5日、母親K2・次男K4両被告人の控訴審初公判が福岡高等裁判所(正木勝彦裁判長)で開かれた[207][208]

  • 両被告人それぞれの弁護人はそれぞれ「従属的な立場だった」と主張し、死刑判決を破棄し無期懲役を適用するよう訴えた[207][208]
  • 検察側(福岡高等検察庁)は「第一審・死刑判決は妥当である」と主張し、両被告人・弁護人側の控訴をいずれも棄却するよう求めた[207][208]
K2・K4の死刑判決支持[編集]

2007年12月25日に控訴審判決公判が開かれ、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は第一審・死刑判決を支持して母親K2・次男K4両被告人の控訴をいずれも棄却する判決をそれぞれ言い渡した[209][210][211][212][213][214]

福岡高裁は冒頭で控訴棄却の主文を読み上げてから判決理由の朗読に入り[214]、「被害者Aへの憤りを晴らし生活苦を一気に解消しようとそれぞれ重要な役割を果たした」「人命軽視の態度が甚だしく死刑が重すぎて不当とは言えない」と事実認定した[212]。閉廷後、被告人K4は弁護人に対し突然「先生、メリークリスマス!」と叫び[214][212]退廷した[210]

被告人K4は2007年12月27日付で控訴審判決を不服として最高裁判所上告したほか[215]、被告人K2も2007年12月28日付で最高裁へ上告した[216]

K1・K3の審理[編集]

控訴審初公判[編集]

2007年10月11日、父親K1・長男K3両被告人の控訴審初公判が福岡高裁(正木勝彦裁判長)で開かれた[217][218]

  • 第一審で自らの単独犯行を主張していた被告人K1は、他3被告人との共謀関係を一転して認めた一方で「金品を奪うつもりはなかった。死刑は相当ではない」として、強盗目的を認定した第一審判決に対する事実誤認を主張した上で、死刑判決を破棄し無期懲役刑を適用するよう訴えた[217][218]
  • 被告人K3は「有罪と認定するには証拠不十分だ」と主張して第一審と同様に無罪を主張した[217][218]

一方で検察側(福岡高検)は「第一審・死刑判決は妥当である」として、両被告人・弁護人側の控訴をいずれも棄却するよう求めた[217]

2007年12月20日に控訴審第4回公判が開かれ結審した[219]。K3の弁護人は「K3にはアリバイがあり犯行への関与は不可能だ」として、第一審同様一連の殺害行為についていずれも無罪を主張した[220]

K1・K3の死刑判決支持[編集]

2008年(平成20年)3月27日に控訴審判決公判が開かれ、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は第一審・死刑判決を支持して父親K1・長男K3両被告人の控訴をいずれも棄却する判決をそれぞれ言い渡した[221][222][223][224][225][226]

  • 被告人K1は同判決同日の2008年3月27日に判決を不服として最高裁へ上告したほか[227]、被告人K3の弁護人も2008年3月31日付で最高裁へ上告した[228]

上告審・最高裁[編集]

最高裁第二小法廷(K2・K4)[編集]

2011年(平成23年)4月15日までに最高裁判所第二小法廷須藤正彦裁判長)は母親K2・次男K4の両被告人について、上告審口頭弁論公判の開廷期日を2011年9月9日に指定した[229]

2011年9月9日に母親K2・次男K4の両被告人について最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人が死刑回避を、検察官が上告棄却をそれぞれ求め結審した[230][231]

  • 被告人K2の弁護人は「殺害行為には直接関与しておらず他の共犯者と同じ死刑は量刑不当だ」[231]「K2は首謀者ではなく犯行で果たした役割も小さい」として[230]死刑判決を破棄するよう訴えた[230][231]
  • 被告人K4の弁護人も「事件当時20歳で未熟だったが現在は矯正の余地が見込める」[231]「K4には事件と向き合わせつつ生きて罪を償わせるべきだ」として[230]死刑判決を破棄するよう訴えた[230][231]

最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は2011年9月16日までに母親K2・次男K4の両被告人について上告審判決公判開廷期日を2011年10月3日に指定し関係者に通知した[232]

2011年10月3日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は母親K2・次男K4の両被告人に対しいずれも一・二審の死刑判決を支持して上告を棄却する判決をそれぞれ言い渡した[233][234][235]。この上告審判決により母親K2・次男K4の両被告人について死刑判決が確定した[233][234][235]

被告人K4は判決後『朝日新聞』記者・小野一光に対し「死刑確定はわかっていたことではあるがやはりいろいろ複雑だ。今は死刑確定の実感がまだないが、自分がこの手で4人を殺害したのは事実だから死刑確定は相応だと思う。殺害した被害者4人の冥福を祈りたい」と記した手紙を送ったほか、2011年10月11日には福岡拘置所で小野と面会して「勾留された最初の年は暴れて6回ぐらいは懲罰房に入れられたが、この7年で人間が丸くなったとは思う。しかし最初のころと心境は変わらない」と述べた[236]。これに加えてK4は死刑確定直前の2011年10月に福岡拘置所で『毎日新聞』記者・岸達也と面会し「被害者には謝罪の気持ちを抱いている」「現在も父親K1を尊敬している」などと述べた[71]

最高裁第一小法廷(K1・K3)[編集]

最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は2011年5月16日までに父親K1・長男K3の両被告人について、上告審口頭弁論公判の開廷期日を2011年9月12日に指定した[237]

2011年9月9日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で父親K1・長男K3の両被告人について上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人が死刑回避・検察官が上告棄却を求め結審した[238][239]

  • 被告人K1の弁護人は「金銭目的を動機と事実認定した一・二審判決は事実誤認だ」[239]「K1は心から反省しており死刑は重すぎる」と述べ、死刑判決を破棄するよう訴えた[238][239]
  • 被告人K3の弁護人も「K3は殺害には関与しておらず強盗殺人・殺人罪に関しては無罪だ」[238]「仮に共謀が成立しても犯行に消極的であり極刑は重すぎる」と述べ[239]、死刑判決を破棄するよう訴えた[238][239]

2011年9月28日までに最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は父親K1・長男K3の両被告人について上告審判決公判開廷期日を2011年10月3日に指定した[240]

2011年10月17日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は父親K1・長男K3の両被告人に対し、いずれも一・二審の死刑判決を支持して上告を棄却する判決をそれぞれ言い渡した[19][20][241][242]。これにより父親K1・長男K3の両被告人についても死刑判決が確定するとともに、犯罪に携わった一家4人全員に対し死刑が確定することとなった[19][20][241][242]

死刑囚一家の現在[編集]

2017年(平成29年)9月22日現在[29]、母親K2・次男K4はそれぞれ福岡拘置所、父親K1は広島拘置所、長男K3は大阪拘置所にそれぞれ死刑囚として収監されている[30]。なお次男K4は2013年(平成25年)に支援者女性と獄中結婚し、姓が「K」(イニシャル)から「I」に変わっている[59]

また母親K2は戦後日本14番目の女性死刑囚である。

死刑囚K2は2015年7月に参議院議員福島瑞穂が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートで[243]「今年(2015年)1月8日、外に残した三男(K4の年子の弟)が自殺した。遺書も残されておらず本当の理由は分からないが三男は生前人間関係で悩んでいたらしい」と告白した上で「死刑は怖いが生きている限り前を向いて頑張って生きる」と述べた[244]。また同アンケートに対し死刑囚K3は「自分は無実だ。無罪を主張して再審請求をしている」と述べたほか[245]、死刑囚K4は施設処遇・制度などの改善を訴えていた[246]

死刑囚の信書不許可問題[編集]

死刑囚K4は2012年(平成24年)、収監先の福岡拘置所から養父・養子ら計4人に信書を送ろうとしたが、福岡拘置所は「4人は刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律で信書のやり取りが認められる『親族』に該当しない」として許可しなかった[247]

これは「死刑囚が外部とのやり取りを確保するのが目的と認められる養子縁組の場合、文通は許可しない」という法務省の通達を根拠としたものだったが、福岡県弁護士会は2018年2月22日付の勧告書で福岡拘置所に対し「養子縁組は適法に成立しており文通は許可されるべきだ」と指摘して文通を不許可にしないよう勧告した[247]

その他[編集]

次男K4は死刑が確定するまで作家・鈴木智彦との文通を重ねており、その獄中手記を中心に構成された単行本『我が一家全員死刑』(コアマガジン発行)が上告中の2010年11月に刊行された[248]。同書はその後コア新書で再刊された後、後述の映画化に合わせ2017年(平成29年)11月7日、小学館から文庫本『全員死刑』として発売された[248]

同書を原作にこの事件をモチーフとした間宮祥太朗主演の映画『全員死刑』(監督小林勇貴、プロデューサー・西村喜廣)が制作され、2017年11月18日に公開された[249][250]

また、八乙女光主演の舞台『殺風景』(2014年5月上映)は、本事件を題材にしている[251]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 「馬沖橋」は大牟田市馬場町・沖田町の間を流れる諏訪川に架かる市道の橋。
  2. ^ おおむた地図ナビ:現場周辺の地図”. 大牟田市. 2018年4月7日閲覧。
  3. ^ K1は妻K2が被害者Aから借りた金を元手に貸金業を経営しており、K2は借金の取り立てなどでAに協力することがあったが、借金の返済などを巡りAとトラブルになっていた[24][25]
  4. ^ 犯行に加わった少年グループはK3を含め全員が被害者Xと遊び仲間で、このうち2人はXと同じ中学校の卒業生だった[46]
  5. ^ K3はこの時、自分の運転する車に他の少年6人を乗せて現場付近へ向かっていた[44]
  6. ^ K3以外の共犯5人はいずれも当時16歳・17歳[47]
  7. ^ 一方で16歳・17歳の共犯被疑者少年計6人に対しては[47]非行の動機・様態・各被疑者少年の役割などを考慮した上で[54]中等少年院送致処分の決定を出した[47][54]
  8. ^ 福岡地裁久留米支部は判決理由で犯罪事実・量刑理由に関して「無抵抗で逃げ惑う被害者Xを追いかけ、その前途ある命を奪った容赦ない悪質な犯行だ。犯行後も共犯の少年らと口裏合わせをしており、情状は良くない」「前途ある命を奪った悪質な犯行だ。主犯であるにも拘らず被害者遺族に対し慰謝の措置もしていない」と述べた[57][58]
  9. ^ K4によれば激しい内部抗争ゆえ、最終的にB・C・Dらと和解するために双方のグループを解散させることにしたという[63]
  10. ^ K4によれば父K1は薬物売買に人一倍厳しく、それ以前にも「前にもばれて何度かもめ、銃や刃物沙汰にまでなった」という[64]
  11. ^ なおこの際、K3はK4に「やらないと一番下の弟(K4の1歳年下の実弟、一家の三男)に(殺害行為を)やらせる。お前の女(K4のガールフレンド)も口封じに殺す」と脅迫した[83]
  12. ^ JR大牟田駅付近の住宅密集地に所在し、被害者A宅から約600m離れた地点の木造アパート[86]。アパートは2階建てで1階は車庫・2階が居室4部屋になっていた[87][86][87]
  13. ^ 大牟田市新開町の大牟田港岸壁[6]
  14. ^ この時点ではK1に対し出頭要請はしていなかったため、身体検査などは行っておらず、大牟田署の副署長(当時)・縄田和生は「署内で拳銃を発砲されることは想定していなかった」と説明した[100]
  15. ^ 車が沈んでいた川底は川岸から約25メートル離れ[81]、川が大きく蛇行しヘドロが堆積していた(水深約3.5メートル・川幅約30メートルの中央部分)[99]
  16. ^ 発見時、車のナンバープレートは前後とも取り外されていた[101]
  17. ^ K4については逮捕の第一報となった『読売新聞』2004年9月25日西部夕刊1面では「大牟田市在住の20歳男。被害者のうちの1人と友人関係」と匿名で報道されており、K2との血縁関係については言及されていなかった[106]。その後『読売新聞』2004年9月26日東京朝刊第一社会面39面・西部朝刊第一社会面39面では実名報道に切り替えられた上で「K4の息子」であることが明示されたが[15][16]、西部朝刊ではK4はK2の「次男」であるところを「K4はK2の長男」と報道された[15]
  18. ^ Aは周囲の知人に対し利息を付けて金を貸しており、失われた小型金庫は現金・証書の保管などに使用されていた[24][25]。その後、福岡県警が同日までに被疑者K2・K4らの自宅(大牟田市桜町)などを捜索した際に指輪など数点の貴金属とともに小型金庫などが発見された[108][108]
  19. ^ この乗用車はK4本人に加え、K4宅に出入りしていた建設作業員らが使用していた[97]
  20. ^ 「ブローニング・ベビー」は暴力団関係者の間で30万円から40万円の相場で取引されていたが、あまり出回っていなかった[9]
  21. ^ 遺体から摘出した銃弾を調べたところ「25口径の拳銃から発射されたもの」と判明したほか[109]、福岡県警がB・D両名がそれぞれ3発ずつ計6発撃たれていた点に着目し「2人はほぼ同時に同じ拳銃で撃たれた可能性が高い」と推測した[9]。またK1が大牟田署内で自殺を図った際も同じ25口径の拳銃が使用されていた[109][9]

出典[編集]

※以下の出典において、見出しなどに死刑囚一家・被害者の実名が含まれている場合はその箇所を記事中で該当する人物の仮名に置き換えている。また死刑囚一家の姓はイニシャル「K」に置き換えている。
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  2. ^ a b c d e f g 読売新聞』2004年9月22日東京夕刊第一社会面19面「15歳少年遺体、川に遺棄 母の知人女を容疑で逮捕/福岡・大牟田」
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参考文献[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  • 福岡高等裁判所第三刑事部判決 2007年(平成19年)12月25日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成18年(う)第737号、『強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反各被告事件』。

被告人b(本文中K4)がその実兄(本文中K3)と共謀の上,被害者d(本文中A)の二男である被害者e(本文中C)を殺害して貴金属を強取した強盗殺人(1)と,以下,いずれも被告人b及びその実兄が,両親である被告人a(本文中K2)とその夫(本文中K1)と共謀して,被害者dを殺害して現金を強取した強盗殺人(2),被害者dの長男である被害者g(本文中B)とその友人である被害者h(本文中D)を,上記(2)の犯行発覚を免れようとして口封じのために,けん銃などを用いて殺害し,その際,けん銃を発射した殺人等(3),被害者d,g,hの死体を車に載せて川に沈めて遺棄した死体遺棄(4)からなる事案につき,被告人a,b両名をいずれも死刑に処した原判決の量刑はやむを得ないものとして,被告人a,b両名からの控訴をいずれも棄却した。

書籍[編集]

  • 鈴木智彦『我が一家全員死刑』コアマガジン、2010年11月6日。ISBN 978-4862529138
    • 次男K4による獄中手記。書名は「一家全員」となっているが、同書によると事件に関わっていない家族や、事件当時既に他界していた家族もいる。
  • 鈴木智彦『全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』小学館文庫、2017年11月12日、初版第1刷発行。ISBN 978-4094064759
    • 『我が一家全員死刑』を映画化に合わせて加筆・修正の上で文庫化したもの。
  • 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』インパクト出版会、2012年5月23日、初版第1刷発行。ISBN 978-4755402241
  • 年報・死刑廃止編集委員会『死刑囚監房から 年報・死刑廃止2015』インパクト出版会、2015年10月10日、初版第1刷発行。ISBN 978-4755402616
  • 年報・死刑廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』インパクト出版会、2017年10月15日、初版第1刷発行。ISBN 978-4755402807
  • 年報・死刑廃止編集委員会『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』インパクト出版会、2019年10月25日、初版第1刷発行、269,275。ISBN 978-4755402982

関連項目[編集]

外部リンク[編集]