大牟田4人殺害事件

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大牟田4人殺害事件
場所

日本の旗 日本福岡県大牟田市[新聞 1][新聞 2]

大牟田市小浜町、被害者A宅[新聞 3](被害者C殺害現場)[新聞 4]
大牟田市西新町、大牟田港岸壁(被害者A殺害現場)[新聞 5]
大牟田市新開町、大牟田港岸壁(被害者B・D殺害現場)[新聞 6]
大牟田市馬場町・沖田町の間を流れる諏訪川に架かる橋「馬沖橋」付近(遺体遺棄現場)[注釈 1][注釈 2]
座標
日付 2004年平成16年)9月16日9月18日[書籍 1]
2004年9月16日午後11時45分頃(C殺害)[新聞 3][新聞 7]
2004年9月18日午前0時30分頃(A殺害)[新聞 3][新聞 7]
2004年9月18日午前2時15分頃(B・D殺害)[新聞 3][新聞 7]
(UTC+9)
概要 暴力団組長一家4人が、以前から不満を持っていた知人の貸金業者一家3人を、金目的で相次いで殺害した。
その際、一家と行動を共にしていた知人の1人も巻き添えで殺害し、遺体をいずれも大牟田市内を流れる諏訪川に遺棄した。
攻撃手段 首を絞めて絞殺(被害者A・C)、自動式拳銃で射殺(被害者B・D)、アイスピックで刺殺(被害者D)
攻撃側人数 4人
武器 ロープ(被害者C)[新聞 7]
自転車用ワイヤー錠(被害者A)[新聞 7]
25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」(被害者B・D)[新聞 8]、アイスピック(被害者D)[新聞 4]
死亡者

合計4人(貸金業者一家3人+被害者の友人1人)[書籍 2]

女性A(事件当時58歳、B・C兄弟の母親)[新聞 9]
少年B(事件当時18歳、Aの長男、九州情報大学1年生)[新聞 10]
少年C(事件当時15歳、Aの次男、福岡県立大牟田北高等学校1年生)[新聞 9]
少年D(事件当時17歳、福岡県立大牟田南高等学校定時制3年生、Cの友人)[書籍 2]
損害 現金約400万円・貴金属[書籍 3]
犯人

暴力団組長一家計4人(事件当時、大牟田市桜町に在住)[新聞 1][新聞 2]

父親K1(犯行当時60歳、暴力団「北村組」組長)[新聞 11][書籍 2]
母親K2(犯行当時45歳、K1の妻)[新聞 1][書籍 2]
長男K3(犯行当時23歳、K2と前夫との子供、北村組見習い、元力士「旭竜神」、傷害致死で懲役3年6月の前科あり)[新聞 10][書籍 3]
次男K4(犯行当時20歳、K1・K2夫妻の実子、北村組見習い、元力士「三池山」)[新聞 12][新聞 13][書籍 3]
容疑 強盗殺人罪殺人罪死体遺棄罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反罪(いずれも4人全員)
単純逃走罪(長男K3)
動機 金銭目的・恨み
対処 加害者一家4人を逮捕起訴
謝罪 K2・K4が第一審公判中に謝罪
刑事訴訟 4人全員が死刑(いずれも未執行
影響 犯行に関与した一家4人が、いずれも死刑判決を受け[新聞 14][新聞 15]、その後いずれも確定したのは[新聞 16][新聞 17]、前代未聞の事態だった[雑誌 1]
2017年11月、本事件を題材にした単行本『我が一家全員死刑』(2010年刊行)を原作に、映画『全員死刑』(監督小林勇貴)が制作・公開された。
管轄 福岡県警察大牟田警察署福岡地方検察庁久留米支部
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大牟田4人殺害事件(おおむた4にんさつがいじけん)は、2004年平成16年)9月16日9月18日両日、福岡県大牟田市暴力団組長一家4人が、知人だった貸金業者一家3人とその被害者一家の友人1人の計4人を相次いで殺害し、市内を流れる諏訪川にそれぞれ遺体を遺棄した強盗殺人殺人死体遺棄事件[新聞 18]

刑事裁判被告人として起訴された、暴力団組長夫妻と2人の息子からなる加害者家族4人全員に対し、死刑判決が言い渡され[新聞 14][新聞 15]、その後いずれも確定した[新聞 16][新聞 17]、特異な事例である[新聞 19]

また、被害者側・被告人側ともに、家族単位(被害者側は友人を1名含む)で4人ずついた。

目次

死刑囚一家[編集]

K1一家は大牟田市桜町に在住しており[新聞 1][新聞 2]、事件以前、被害者A一家と互いに家族ぐるみの付き合いをしていた[新聞 12]

一家は事件当時、被害者Aから数百万円の借金があったほか、月末になると九州電力の電気料金集金人が何度も督促に来ていた[新聞 20]

周囲は、度々暴力沙汰を起こす息子K3・K4を野放しにする親に対し怒りを感じてはいたが、「あの家はヤクザだから」、「喧嘩を仕掛けたのが息子でも、親が相手の家に怒鳴り込んでくる。子供の喧嘩に親が出る家だ」と、抗議するのを諦めていたという[新聞 21]

男K1(一家の父親、広島拘置所収監中の死刑囚)[編集]

死刑囚一家の主だった男K1は事件当時60歳[新聞 1][新聞 2][書籍 2]、指定暴力団道仁会暴力団北村組」組長だった[新聞 22][書籍 2]

妻K2には、男女の子供5人(男3人、女2人)がいたが[書籍 4]、K1の実子はK4を含め、『朝日新聞』報道では3人[新聞 23]、『読売新聞』報道では2人だった[新聞 13]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 5]、K1は広島拘置所死刑囚として収監されている[書籍 1]

女K2(K1の妻、福岡拘置所収監中の死刑囚)[編集]

K1の妻、K3・K4兄弟の実母。本事件当時45歳[新聞 1][新聞 2][書籍 2]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 5]、K2は福岡拘置所に、次男K4とともに、死刑囚として収監されている[書籍 1]

5児の母親で、K4を含めた3人がK1との実子だった[新聞 23]

長男K3が帰郷後、地元の暴走族のリーダーになると、K2は息子の手下の少年らを建設現場に送り込み、派遣料を稼いだ[新聞 21]

事件2年前の2002年(平成14年)、大牟田市内にスナックバーを開店したが経営が成り立たず、数カ月で閉店していた[新聞 20]

男K3(K1・K2夫妻の長男、大阪拘置所収監中の死刑囚)[編集]

K1・K2夫妻の長男、本事件当時23歳[書籍 3]1980年(昭和55年)12月20日、福岡県大牟田市生まれ[雑誌 2]

K2と前夫との子供で、父K1とは養子縁組関係[新聞 24]。弟K4とは異父兄弟関係である[新聞 25]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 5]、K3は大阪拘置所死刑囚として収監されている[書籍 1]

「旭竜神」の四股名で角界挑戦、挫折[編集]

K3は小学校卒業時、卒業文集に「好きな言葉は白星。好きな有名人は旭道山。将来の夢は相撲取り」と書いていた[新聞 21]

1996年3月[雑誌 2][新聞 21]。中学校を卒業後[新聞 21]日本相撲協会大相撲新弟子検査に合格したK3は[雑誌 2]、憧れていた旭道山がいた[新聞 21]大島部屋に入門した[新聞 25][新聞 21]

入門時、四股名は当時の姓と同じ「石橋」(いしばし)で、身長180cm、体重115kgだった[雑誌 2]。その後、1996年5月には「旭竜神」(きょくりゅうじん)に改名し[雑誌 3]、同年の5月場所(夏場所)にて東序ノ口26枚目「旭竜神」として、初土俵を踏んだ[雑誌 4]

母K2はこの時、大牟田市に隣接する熊本県荒尾市内のホテルで約60人を招き、壮行パーティーを開いた[新聞 21]。この時、K3は緊張気味に「関取を目指します」とあいさつすると、「出世したら、化粧まわしをしてやる」と励まされた[新聞 21]。母K2は、この時「父親がヤクザだから、しつけが不十分だった。これからは、部屋の親方や、女将さんが厳しくしつけてくれる」と満足げな様子だったという[新聞 21]

しかし、「旭竜神」が土俵を踏んだのは[新聞 21]、デビュー場所となったものの2勝5敗の成績に終わった[雑誌 4]この夏場所限りだった[新聞 21]。その後、同年7月場所(名古屋場所)を全休し、夜逃げ同然に部屋を出た[新聞 21]。大島部屋の女将曰く「残された衣類を洗って自宅に送ったのに、お礼もなかった。掃除もちゃんこ鍋の用意も、何もできなかった」という[新聞 21]

帰郷後、K3自身は周囲に対し、「兄弟子たちからいじめを受け、耐えられなくなったのでやめた」と語っていた。しかし、K3の現役当時の親方は、事件当時、『毎日新聞』の取材に対し、「(K3の引退は)稽古場のカーテンに放火したのが原因だ。この時は、天井に火が燃え移る前に兄弟子たちが気付き、消し止めた。K3は『稽古場が燃えれば、稽古をしなくて済むと思った』と言っていた」と証言した[新聞 21]

引退後、地元に帰郷したK3は、母K2が経営していた建設会社を手伝う一方[新聞 20]暴走族のリーダーになり、弟ともども度々暴力沙汰を起こし[新聞 21]、地元の若者たちから恐れられた[新聞 20]

傷害致死前科[編集]

2000年6月上旬、母K2が経営する大牟田市内の建設会社に住み込みで勤めていた当時18歳少年Xが、無断で出勤しなくなった[新聞 26]。その後、6月20日になってXは、住み込みの寮から逃げ出した[新聞 27]

これに腹を立てた当時19歳少年・建設作業員だったK3は[新聞 26]Xに制裁を加えようとした[新聞 27]。その上でK3は、Xが、6月20日に寮からいなくなった後、城島町内の女友達数人に連絡していたことを把握した[新聞 27]。そのため、その女友達に対し「後述の現場付近で、Xと会う」約束をさせた[新聞 27]

K3は当時16歳から19歳で、高校2年生2人を含めた不良グループの仲間の少年計6人とともに、2000年6月25日午前2時30分頃[新聞 27]福岡県三潴郡城島町江上本(現・久留米市城島町江上本)の福岡県道702号柳川城島線・大溝端橋に[新聞 26]、Xを誘い出した[新聞 27]。犯行に加わった少年グループは、K3を含め全員が被害者Xと遊び仲間で、このうち2人はXと同じ中学校の卒業生だった[新聞 27]

Xが逃げたため、K3ら7人は約300mに渡りXを追跡し、[新聞 27]捕まえるとXに対し、顔などを木刀で殴るなど暴行を加えた後[新聞 27]、農業用クリーク(水路)に転落させた[新聞 26]。水路に転落したXに対し、K3たち7人は木刀を差し出して助けようとしたが、助けられず[新聞 26]Xはそのまま水死した[新聞 27]

2000年6月28日午前5時40分頃、深さ約3m幅約20mのクリークの水門付近にて、エビ漁に向かう途中の住民がXの水死体を発見した[新聞 28]。検視の結果、遺体は死後3日から4日経過しており、死因は水死と判明した一方目立った外傷はなく、財布・携帯電話を身に着けたままだった[新聞 28]

現場は、Xの自宅から約20km離れていたが付近には、Xの車・バイクはなく現場に向かった動機は不明瞭だった[新聞 28]。Xは家族に行き先を告げず、自宅を出ていた一方で[新聞 27]自殺するような動機は見当たらなかったことから[新聞 28][新聞 27]福岡県警察は、現場に向かった経緯クリークへの転落原因に不自然な点があるとして、捜査を進めた[新聞 28][新聞 27]。その結果、遺体発見の数日前、現場付近に複数人の男性がいたこと、そのうちの1人は、死亡したX自身だったことがそれぞれ判明した[新聞 28]

このことから、福岡県警は、「Xは、複数の男性と一緒か、呼び出されて現場に行った。その後、現場で、複数の男性と何らかのトラブルになり、クリークに転落した」という線で、2000年10月1日以降、関係者から事情聴取を開始した[新聞 28]

2000年10月30日、福岡県警察少年課・城島警察署(現・久留米警察署城島警部交番)は、大牟田市内の不良少年グループがXに集団リンチを加えた上、クリークに転落させ水死させたとして、グループに所属していた当時19歳の少年K3・高校2年生の少年2人・建設作業員など少年計6人(いずれも当時16歳から19歳)を傷害致死容疑で逮捕した[新聞 27]。その上で大牟田市内在住の残る16歳少年1人に対しても、同容疑で逮捕状を取り、行方を追った[新聞 27]

取り調べに対し、K3らは、容疑を認めた上で「水路に背を向けていたXに対し、木刀で殴り掛かったところ身をよじって避けようとして、Xが落ちた。約1時間半探したが、暗くて発見できなかった」と供述した[新聞 27]

これに加え、主犯格と目されたK3は、同日までの取り調べに対し、「母親(K2)が経営していた建設会社に、6月16日から住み込みで働いていたXが、20日に無断で出て行った後、Xの知人らに電話をして、行方を捜していた」、「自分の運転する車に、他の少年6人を乗せ、現場付近に夢向かった」などと供述したほか、事件後、共犯の少年たちには、「言うなよ」、「黙っておけ」などと、口止めしていたことも判明した[新聞 29]

2000年10月31日、傷害致死容疑で逮捕状を取られていた、大牟田市内の16歳少年が、福岡県警城島署に出頭し、同容疑で逮捕された[新聞 30]。これにより、逮捕者は19歳のK3を除き、16歳・17歳の少年6人で[新聞 31]、全体では少年計7人となった[新聞 30]

福岡地方検察庁久留米支部は、2000年11月20日、K3ら被疑者少年7人を、傷害致死容疑で、福岡家庭裁判所久留米支部に送致した[新聞 32]。福岡家裁久留米支部は同日、2週間の観護措置を決定し、少年7人を、福岡市内の少年鑑別所に収容した[新聞 32]

福岡家裁久留米支部(大原英雄裁判官)は、2000年12月14日までに、少年審判を終え、傷害致死容疑で送致された少年7人のうち、主犯格のK3を、「刑事処分相当」として、福岡地検久留米支部に逆送致した[新聞 31]。一方、16歳・17歳の少年6人は、中等少年院送致の決定がなされた[新聞 31]

逆送致を受け、福岡地検久留米支部は、2000年12月22日、逆送致からこの日までに20歳になった男K3を、傷害致死罪で、福岡地方裁判所久留米支部に起訴した[新聞 33]

この事件で、2001年6月26日、福岡地裁久留米支部(大原英雄裁判長)は、「前途ある命を奪った悪質な犯行だ。主犯であるにもかかわらず、被害者遺族に対し、慰謝の措置もしていない」として、被告人K3に対し、懲役3年6月(求刑・懲役5年)の実刑判決を言い渡した[新聞 34]

この判決が確定したため、K3は、2004年春まで、刑務所に服役していた[新聞 35][新聞 35][新聞 21]。出所の際、父K1は、近隣住民に対し、「息子が戻ってきて、家の人間が増えた」と話していた[新聞 35]

出所後、2004年6月頃からは実家を離れ、大牟田市内のアパートで生活していた一方、組事務所にも出入りしていた[新聞 20]。また、事件直前は腰痛のため、弟K4とともに、大牟田市内の病院に通院していたが、看護師らに対し、「自分は組員だ。いずれ刺青を入れる」などと話していた[新聞 35]

男K4(K1・K2夫妻の次男、福岡拘置所収監中の死刑囚)[編集]

K1・K2夫妻の次男[書籍 3]、事件当時20歳[書籍 3]

1984年(昭和59年)6月9日、福岡県大牟田市内で、K1・K2夫妻の第4子として生まれた[書籍 4]

K1・K2夫妻が再婚後[新聞 13]、最初に生まれた実子で[新聞 13][新聞 23]、兄K3とは異父兄弟関係である[新聞 25]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 5]、K4は福岡拘置所に、母K2とともに、死刑囚として収監されている[書籍 1]。なお、2013年(平成25年)、支援者女性と獄中結婚し、姓が「K」(イニシャル)から「I」に変わっている[書籍 1]

K4の生い立ち[編集]

被害者Bが、高校1年生の頃、一時不登校になった際、約1カ月間、K2宅に預けられたことがあったが、知人は「Bは、K4と年齢が近かったので、この時期に親しくなったのだろう」と証言した[新聞 12][新聞 13]

後述のように、一時は大相撲に挑戦したが、1年半で引退し、17歳で地元・大牟田市に戻った[新聞 13]

大牟田に帰郷してからは、17歳で実家に帰り、母K2の建設会社で建設作業員として働いたが、首・腰を痛めたことや、17歳になっていたことから、オートバイの運転免許を取得するため、仕事を辞めた[書籍 6]

その後、本事件の最初の犠牲者となった被害者Cらとともに、暴走族「族・神鬼狼」を結成し、ともに愚連隊のように過ごしていた[書籍 6]

しかし、いつまでたっても地に足がつかない状態だったため、本人曰く「気持ちを切り替えようと」、父K1の北村組に入ることにし、組の準構成員となった[書籍 6]

近隣住民からは、「暴力団とのつながりが深く、暴走族・不良少年グループのリーダー格」と映っていた[新聞 12][新聞 13]

近所の男性店員は、『読売新聞』の取材に対し、「とにかく態度が横柄で、買い物に来ても、何かと注文を付けるから、関わり合いになりたくなかった」と証言した[新聞 12]

その一方で、K4を幼少期から知っていた、近隣住民の男性は、「相撲を辞めてからすぐ、暴力団の世界に入ったらしい。暴力団の組事務所では電話番をしていると聞いた」と証言した一方、「母K2が逮捕された後、『おじちゃん、迷惑かけて、ごめんな』と、頭を下げてきた」とも語った[新聞 12]

「父が暴力団幹部、自宅が組事務所という環境で育った、『組員2世』」、「生活が暴力団といつもつながっていた」という、K4の生い立ちについて、『毎日新聞』記者・岸達也は、「『違う環境で生まれ育っていたら、こんな事件は起こさなかったかもしれない』という思いが、ふと頭をかすめた」と振り返った[新聞 36]

「三池山」の四股名で角界挑戦、挫折[編集]

K4は、2000年3月[新聞 21]、大牟田市内の中学校を卒業後[新聞 37]、同年4月25日の大相撲新弟子検査に合格した[雑誌 5]

松ヶ根部屋に入門し、大相撲入りしたK4は[新聞 25][新聞 21]、入門時、身長173cm、体重142kgだった[雑誌 5][雑誌 6][新聞 37]

K4は、2000年5月[新聞 37][新聞 25][新聞 21]、引退した兄K4同様、当時名乗っていた旧姓だった「石橋」(いしばし)の四股名で、2000年夏場所にて、東序ノ口41段目で、初土俵を踏んだ[雑誌 6][新聞 25]

その後、2000年9月には四股名を、地元の地名に由来した「三池山」(みいけざん)に改名し[雑誌 7]、西序ノ口1枚目で臨んだ同年秋場所以降、「三池山」として土俵を踏んだ[雑誌 8]

この時、松ヶ根部屋の女将は、元歌手・高田みづえだった[新聞 21]。K4から、「兄が早々に廃業した」と聞かされた高田が、「お兄さんのようにならないでね」と励ますと、K4は「やめません」と答えた[新聞 21]

「三池山」ことK4は、2001年(平成13年)3月20日、平成13年春場所10日目の序ノ口の取組において、同場所で初優勝した安治川部屋の序ノ口・安馬(後の第70代横綱日馬富士)と対戦し、上手出し投げで敗れた[雑誌 9]

K4は、力士「三池山」として、2001年5月場所で、序二段108枚目を記録したが[新聞 21]、それ以上は目が出ず[新聞 37]、部屋関係者から「筋が良くない」と判断された[新聞 25]

また、伯母の死・前述の兄の傷害致死事件が重なったことや、本人曰く「甘えが後押しした」ことから[書籍 6]、2001年11月、九州場所を最後に[新聞 21]、力士を廃業した[新聞 25]。女将は、事件当時、『毎日新聞』の取材に対し、「上下関係・けいこの厳しさに耐えられずに辞めたのだろう。引き留めなかった」と語った[新聞 21]

相撲界を引退後、K4自身は、知人に対し、「腰を痛めたから引退した」と話すだけで、母K2も、この時から、相撲の話をしなくなった[新聞 21]

事件の経緯[編集]

事件前の動向[編集]

母親K2は、1994年(平成6年)頃、金融業を営んでいた被害者女性A(事件当時58歳)と知り合い、家族ぐるみで付き合うようになった[新聞 7]

しかし、事件前、組長の夫K1に収入がなく、生活費に加え、暴力団関係者への借金返済・上納金のため、多額の現金を必要としていた[新聞 7]。当時、建設会社を経営していたが、その会社も自転車操業状態で[新聞 7]、収入はほとんどなく[新聞 4]、2004年9月当時、K1・K2夫婦の[新聞 7]、Aからの借金は[新聞 4]、約6600万円以上になっていた[新聞 7]。夫K1は、小遣い銭欲しさに窃盗未遂を起こしたこともあった[新聞 4]

K2は、Aの借金の取り立ても手伝っていたが、当初こそ強い立場にあったものの、Aから30万円を借金して以降、Aから見下される立場となった[新聞 7]

2004年6月下旬、K2は、A宅の改装工事を請け負った[新聞 4]。しかし、Aは、「貸金やその利息と相殺するから」と言って、工事代金をK2に支払おうとしなかった[新聞 4]

殺害計画[編集]

母K2は、Aの「資本金1億円の金融会社を設立する」という話を、夫K1・長男K3に伝えた[新聞 4]

Aの態度に憤懣を募らせていたK2は、2004年7月頃には、「いつかうち殺さなでけん」など、口癖のように言っていた[新聞 7]。また、これに加え、それを聞いた夫K1や、長男K3も、Aに対し、敵意を強めるようになっていった[新聞 7]。新居の購入費用を求めていたK3は、2004年8月頃、工事代金が支払われていないことを知ると、「Aはカタギのくせに、俺たちヤクザをバカにしている。殺してでも金を奪おう」と考えた[新聞 4]

そのためK3は、Aを車で付け狙ったほか、K1も2004年9月8日、Aを殺害しようとして、K2に止められた[新聞 4]

2004年9月9日、K2が、夫K1に対し、家の借金の実情を打ち明けると、K1は「Aを殺して金を奪おう」と提案した[新聞 7][新聞 4]

K2も、生活難・借金苦から脱することに加え、Aへの憤懣を解消するのを目的に、夫の意見に賛成し、A殺害計画を練り始めた[新聞 7]

K1・K2夫婦は、「Aに嘘の土地購入話を持ちかけ、現金2600万円を用意させた上で殺し、遺体は諏訪川に捨てる」など、具体的な計画を2人で練った[新聞 4]

また、K2は、長男K3に対し、「Aを殺して金を奪い、折半しよう」と持ち掛け、犯行に加えた[新聞 7]。これを聞いたK3は、「自分が殺すので、奪った金の6割が欲しい」と申し出たが、K2は「自分が殺す」と譲らなかった[新聞 4]

2004年9月15日、K2は、Aが土地購入代金として、2680万円を用意したことを確認した[新聞 4]。そのためK1は、翌16日、Aの殺害を決行することを指示し、K3も了承した[新聞 4]

K2は、2004年9月16日夕、被害者Aを車で誘い出し、大牟田市内の公園駐車場まで連れ出した[新聞 4]。K2は、車内で話をしながら、カッターナイフでAを殺害する機会をうかがったが、躊躇したため[新聞 4]、殺害を実行できなかった[新聞 7]。その一方で、同日午後10時頃、車で近くまで来た長男K3に対し、「金は家にある」と伝えた[新聞 7]

業を煮やしたK1は、駐車場に向かい、持ってきたアイスピックを示した上で、「俺が殺してやる」と言った[新聞 4]。これに対し、K2は「自分で殺す」と言い、殺害予定場所の山に向かったが、そこでも殺害を躊躇した[新聞 4]

その際、離れて駐車していたK3が、包丁を示し、「俺が刺し殺す」と申し出た[新聞 4]。これに対し、K2は再び、「自分で殺す」と言ったが、踏ん切りがつかなかった[新聞 4]

2004年9月16日深夜、K3・K4兄弟、被害者次男Cを殺害・諏訪川に遺棄(強盗殺人罪)[編集]

母K2と別れたK3は、乗用車で弟K4を迎えに行った[新聞 4]

K3は、Aを殺害しようとしている父K1・母K2を出し抜き[新聞 4]、K4とともに、A宅で留守番をしていた次男C(事件当時15歳)を殺し[新聞 4]、Aの現金を手に入れることを考えた[新聞 7]

そのため、実行力のあるK4に対し、500万円の分け前を提示するなどして、「Aの家に2000万円ある。Aの次男Cが1人で家にいるから、Cを殺して奪おう」と持ち掛けた[新聞 7][新聞 4]

K4は、兄K3の提案に賛同し、殺害の謀議が成立した[新聞 7]。その上で、K3・K4兄弟はともに[新聞 7]、大牟田市小浜町のA宅に向かい、家人殺害の実行を決意した[新聞 7]

2004年9月16日午後10時40分頃[新聞 4]、K4は、A宅に入ると、2階室内にいた被害者Cを見つけ、Cの首にタオルをかけ、首を絞めた[新聞 7]。しかしこの時点では、Cは死亡せず、失神しただけだった[新聞 4][新聞 7]

K3・K4兄弟は、この時点では殺害に失敗していたことに気づかぬまま、A宅の室内から、指輪など約398万円相当が入った金庫1個を見つけ、A宅から盗み出し[新聞 7]、乗用車に積んだ[新聞 4]。これに加え、K4は、失神したCを、乗用車のトランクに押し込んだ[新聞 4]

その後、K3が乗用車を運転し、大牟田市内を走行していたが[新聞 4]、この時点でまだ生きていたCが、途中で息を吹き返し、車内で暴れ出した[新聞 7]

そのため、K3・K4兄弟は、2004年9月16日午後11時45分頃、諏訪川に架かる「馬沖橋」で[新聞 7]、乗用車を停車した[新聞 4]。橋の上で、トランクを開け、Cの首にロープをかけ、2人がかりで、再びCの首を絞めた[新聞 7]

そして、コンクリートブロック3個を、Cの体に結び付けた上で、Cを諏訪川に投げ込み、窒息死もしくは溺死させて殺害した[新聞 4][新聞 7]

2004年9月18日未明、K1ら一家4人で被害者女性Aを殺害(強盗殺人罪)[編集]

その一方、母K2は、夫K1から、「自宅アパートにAを連れて行き、監視しておけ」と指示され[新聞 4]、Aを自車に乗せた上で、組事務所のある自宅アパートに連行したが[新聞 7]、殺害に踏み切れずにいた[新聞 4]

K2が、2004年9月17日午前10時頃、長男K3に電話で相談したところ、K3は「殺しきれないなら、俺が殺してやる」と言った[新聞 4]

2004年9月17日午後1時頃、Aの長男B(事件当時18歳)から、Bの友人らに対し、「弟Cがいない」と連絡があった[新聞 9]。そのため、Bの友人らは、後にBとともに殺害された、少年D(事件当時17歳)を含めた6人で、Cの行方を捜索したが、発見できなかったため、翌9月18日午前2時頃、解散した[新聞 9]

K2は、殺害方法の思案がつかず、午後2時頃、再びK3に対し[新聞 4]、「もうどうしようもない。お母さんを助けて」と[新聞 4]、電話で助けを求めた[新聞 7]

これを受け、K3は、K4にAの殺害を実行させようと考え、乗用車内で「おふくろがAを殺せと言っている」などと協力を求めた[新聞 4]。その上で、飲食物に睡眠導入剤を混ぜ、眠らせた上で殺害することを決めた[新聞 4]

同日午後3時頃、K3は、母K2に電話で、「殺すなら眠らせた方がいい。食べ物か飲み物に睡眠薬を入れてきてやろうか」と伝えた[新聞 4]。K2は、Aから好物を聞いた上で、「お茶と弁当を届けてほしい」と頼んだ[新聞 4]

K3は、睡眠導入剤12錠をすりつぶし、タルタルソースに混ぜた上で、弁当のおかずにかけ、元通り包装した上で[新聞 4]、弁当をアパートに持って行き[新聞 7]、K2に手渡した[新聞 4]。K2の勧めで、その弁当を食べたAは、間もなく寝入ったため[新聞 4]、K2は、夫K1を呼び、K3・K4も加えて、4人で殺害・遺棄方法などを相談した[新聞 4][新聞 7]

この時、Aの長男Bに、AとK2が一緒に行動していたことを知られていたため[新聞 4]、夫K1は、「Aの長男Cも、口封じのために殺し、Aの軽乗用車に、2人の遺体を乗せ、諏訪川に沈めよう」と主張し、4人の殺害共謀が成立した[新聞 7]

K1・K2・K3・K4の一家4人は、2004年9月18日午前0時頃[新聞 4]、意識が朦朧としていたAを、車に乗せ、大牟田市内の岸壁に連行した[新聞 7]。30分後の午前0時30分頃[新聞 4]、大牟田港岸壁に駐車したワゴン車内で[新聞 4]、次男K4が、Aの首を、ワイヤー錠で絞めた[新聞 4][新聞 7]

この時、兄K3は、弟K4に対し、たばこを手渡したり、ワゴン車の窓に「人殺し」と指で書き、冷やかしたりしていた[新聞 4]。K4は、たばこを吸い、笑いながら、Aが窒息死するまでの間、その首を絞め続けて殺害した[新聞 4]

K2は助手席で、次男K4が、Aの首を絞め始めるのを見た後、いったん外に出たが、Aが死亡したことを確認したK1が、「もういい、死んだ」と言った[新聞 4]。それを聞いたK2は、「Aが息を吹き返すのではないか」と心配したため、K4に対し、「Aの首を絞め続けて」と指示した[新聞 4]

Aを殺害後、ワゴン車内では、Aの遺体が見えないよう、ビニールシートを被せたが、K4はAの遺体の上に座ったり、寝そべったりしていた[新聞 4]

2004年9月18日未明、K1ら一家4人で被害者長男B・友人Dを殺害(殺人罪)[編集]

4人はいったん解散した後、自宅で再度合流し、2004年9月18日午前1時35分頃、ワゴン車で移動していた[新聞 4]

4人はこの時、「Cも殺し、軽乗用車にA・C両名の遺体を乗せ、車ごと諏訪川に沈めよう」と話し合った上で、計画通りにA宅から、現金などを捜し出すことにした[新聞 4]

A宅付近で、K2以外の3人が降車し、軍手をはめて歩いていたところ[新聞 4]、Aの長男Bが、ちょうど軽乗用車で家に戻っていた[新聞 4][新聞 7]。これに加え、Bが運転していた軽乗用車の助手席には、Bの友人だった少年Dが乗車していた[新聞 4][新聞 7]

B・D両名は、B・C兄弟の母Aの車に、ともに同乗し、Cの行方を捜していた[新聞 38]。しかし、仲間と解散してから、約2時間後の9月18日午前4時頃には[新聞 9]、B・Dとも行方不明になり、友人たちとの連絡が途絶えた[新聞 38]。これに前後して、母Aも、知人らとの連絡が途絶え、行方不明になった[新聞 38]

K4が「2人いるぞ」と、兄K3に尋ねると[新聞 7]、自分たちの顔を見られたため[新聞 4]、K3は「殺そう」と述べた[新聞 7]。K1は、「2人いるから、(殺すには)拳銃の方がいいだろう」と言い[新聞 4][新聞 7]、25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」を取り出し[新聞 8]、次男K4に渡した[新聞 4][新聞 7]

K3・K4兄弟は、Bに対し、「Cを一緒に探すふりをして」、B・D両名を殺害することを計画した[新聞 4]。2人は午前2時頃[新聞 4]、B・D両名に嘘をついた上で[新聞 7]、軽乗用車に乗り込み、2人を後部座席に移動させた[新聞 4]

K1は、自分のワゴン車に戻り、K2に対し、「B・Dの2人を殺す」と話したところ、K2も了承した[新聞 4]。その上でK1は、K3に対し、携帯電話で、「うろうろしないで早く発射しろ」と指示した[新聞 4]

K1・K2夫妻は、犯行当日の9月17日頃の深夜、ひどく落ち込んだ様子で、玄関に座り込んでいるのを、知人女性に目撃されていた[新聞 39]

2004年9月18日午前2時15分頃[新聞 4]、大牟田川河口の岸壁まで走ったところで[新聞 7]、助手席に座っていたK4は[新聞 4]、拳銃を取り出した[新聞 7]

K4は、A宅の現金保管場所を聞き出すため、「先にDをBの目の前で撃とう」と思い[新聞 4]、大牟田市新開町の大牟田港岸壁で[新聞 6]、「これはモデルガンだ。音が出るだけで弾は出ない」などと言いつつ、Dの頭部に1発発砲した[新聞 7]

そして、Dが撃たれる姿を目の当たりにしたBに対し、K4は「CもAも俺が殺した。お前の家に2000万円あるだろう。金はどこにある」と問うたが、Bは「知らない」と答えた[新聞 4]。そのためK4は[新聞 4]、「すまないが、お前も殺すことになっている」と言い、Bの左耳のこめかみに1発、拳銃を発砲した[新聞 7]

その間、K1・K2夫妻は、長男K3から携帯電話で、「頭を撃ったが、まだ2人とも生きている」と報告を受けたため、K1が「胸を撃て」、「3発ずつ、6発全部撃て」と指示し、K2を通じてK4に伝えさせた[新聞 4]

K4は更に、Bの胸に向けて、計2発ずつ拳銃を発射し、Bを射殺した[新聞 4][新聞 7]

しかしDは、まだこの時点でも息があり、K4が待ち合わせ場所に向かう際、呻き声を上げた[新聞 4]。合流後、K1はK4に対し、「アイスピックでとどめを刺せ」と指示したため[新聞 4]、K4がアイスピックを使い、Dの左胸を突き刺し[新聞 4]、刺殺した[新聞 7]

A・B・Dの遺体を軽乗用車に積み、諏訪川に遺棄(死体遺棄罪)[編集]

2004年9月18日午前2時40分から50分頃、K3・K4兄弟が、Aの遺体をワゴン車から、軽乗用車の後部トランクに移動させた上で、4人はいったん帰宅した[新聞 4]

4人のうちK4は、Aの軽乗用車の前後ナンバープレートを取り外し、証拠隠滅のため[新聞 7]、諏訪川に投げ捨てた[新聞 4]

そして、Cの遺体遺棄現場である馬沖橋付近の堤防に移動し[新聞 7]、K1が運転席を車外から操作して[新聞 4]、A・B・Dの計3人の遺体を乗せた軽乗用車を、川に向かって走らせ、水没させることで、遺体を遺棄した[新聞 7]

この時K3は、対岸の道路に乗用車を注射することで、他の車が道路に入ってこないようにした[新聞 4]

A宅での強盗・犯行後の証拠隠滅[編集]

帰宅した4人は計画通り、A宅から現金を奪うことにした[新聞 4]。K1・K3・K4は、家じゅうで金目のものを探し回ったが、発見できなかったため、結局断念した[新聞 4]

K3・K4は、Cを殺害した際、A宅の金庫から奪った指輪質屋に質入れしたが、その鑑定書から事件が発覚することを恐れたため、K4が鑑定書・指輪を盗み出し、付近の電柱下に隠した[新聞 4]

K2は、午前4時30分頃、ワゴン車内で、Aの手提げバッグ内から、現金26万円を抜き取り、うち10万円をK3に与えた[新聞 4]。K3はその10万円のうち、半分の5万円をK4に与えた[新聞 4]。その後、K3・K4は、隠した鑑定書などを持ち出した[新聞 4]

奪った金について、K3は家賃の支払いに、K1・K2は電話料金支払い・建設作業員の出張費・暴力団の上納費などに費やした[新聞 4]

9月18日夜、K3・K4兄弟は、「Cの遺体はブロックを結び付けただけなので、浮かび上がってくるのではないか」と心配した[新聞 4]

兄弟が、両親にCの殺害を打ち明けると、両親も一連の犯行発覚を恐れた[新聞 4]

K4が諏訪川に潜り、遺体を探したが、見つけることはできなかった[新聞 4]

一方、K3は、A宅から奪った指輪4個を質入れし、現金21000円を得た[新聞 4]

事件後の動向[編集]

事件後、被害者Aの母親(B・C兄弟の祖母)は、行方不明になった娘Aと、2人の孫(B・C)を案じ、K2の下を訪ねた。

この際、Aの母親を前にして、K4は落ち着かない様子だったが、K2は「お茶は熱いのがいい?それとも冷たいのがいい?」、「Cがいないねえ」などと話し、落ち着いた様子だった[新聞 40]

2004年9月19日[編集]

2004年9月19日、Dの母親が、大牟田署に対し、「息子がいなくなった」と、家出人捜索願を出した[新聞 38]

この日、父K1が、次男K4と酷似した男と一緒に、遺体発見現場付近で、諏訪川を見つめつつ、ゆっくり歩く姿が、近隣住民に目撃されていた[新聞 39]

2004年9月20日[編集]

2004年9月20日午前、行方不明となったD宅に、男の声で「(Dの)命はない」と、脅迫めいた電話がかかった[新聞 38]

2004年10月までの捜査[編集]

2004年9月21日[編集]

少年Cの遺体発見[編集]

2004年9月21日午前10時頃、大牟田市沖田町の、馬沖橋の下流10mを流れる諏訪川に、男性の遺体が浮いているのを、通行人が発見し、福岡県警察大牟田警察署に110番通報した[新聞 1][新聞 2]

遺体は、上半身裸で、腐敗が進んでおり、首・両足の、計3か所に、ロープでブロックが括り付けてあった[新聞 1]。遺体は死後、時間が経過したことで腐敗が進行し、内部にガスが溜まったことで、水分に浮上したと思われる[新聞 41]

遺体発見現場は、大牟田駅から南約2kmで、隣接する熊本県荒尾市との県境に近い、田園地帯で[新聞 1][新聞 2]、周辺には民家も多く、付近には、大牟田市立駛馬北小学校などもあった[新聞 1]

父親K1の動向[編集]

同日夜、父K1は、大牟田市内の飲食店で飲酒していたが、その際「やれることはやった」など、独り言を繰り返すなど、不可解な言動が目立っていた[新聞 39]

2004年9月22日[編集]

K2をC事件の死体遺棄容疑で逮捕[編集]

2004年9月22日午前1時前[新聞 42]、福岡県警捜査一課・大牟田署は、Cの遺体を馬沖橋から、諏訪川に遺棄したとして、女K2を、死体遺棄容疑で逮捕した[新聞 1]

その後、K2は、福岡県警の取り調べに対し、「4人を殺害した」と供述した[新聞 9]。その内容については、既に遺体が発見されたC以外について、「A・B・Dの3人を、Aの車ごと川に捨てた」と供述した[新聞 43]

その供述を裏付けるかのように、Cの母親で、K2の知人だった、58歳女性A、Aの長男・Cの兄である、大学1年生の少年B、Bの友人である、17歳少年Dの、計3人が、それぞれ行方不明になっていることが、新たに判明した[新聞 9]

福岡県警の捜査に対し、「金の貸し借りを巡り、K2・Aの両者間にトラブルがあった」との情報が提供されたことから、福岡県警は[新聞 9]、80人態勢で[新聞 38]、行方不明となった3人の発見に、全力を挙げた[新聞 9]。それとともに、金銭トラブルの真偽について、確認を急いだ[新聞 9]

その上で、福岡県警は、Cの遺体発見現場である、馬沖橋を通行止めにした上で、午後9時過ぎまで、現場周辺の捜索を行った[新聞 44]

K1が拳銃自殺未遂[編集]

9月22日午前9時過ぎ、K2の夫K1が、大牟田署2階の刑事課を訪れ、「妻が逮捕された理由を聞きたい」と申し出た[新聞 44]。この時点では、K1に対し、出頭要請はしていなかったため、身体検査などは行わなかった[新聞 44]

その後、大牟田署捜査員が、1人で応対し、取調室で、約1時間にわたり、K1に対し、机を挟んで事情を話した[新聞 44]

その後、午前10時16分頃[新聞 1]、K1は突然、拳銃を取り出した[新聞 44]。捜査員が制止する暇もないまま、K1は銃口を、自身のこめかみに当て、1発発砲し、自殺を図った[新聞 44]

K1は、命に別状はなかったものの、病院に搬送され、治療を受けた[新聞 38]

大牟田署の副署長(当時)・縄田和生は、「こんなところ(署内)で、(拳銃を)発砲されるとは、想定していなかった。腹立たしいが、(この時点ではK1を)被疑者として呼び出していたわけではなかったため、人権上、身体検査などはできない」と説明した[新聞 44]。その上で、「再発防止に関し、今後、知恵を絞っていかなければならない」と話した[新聞 44]

2004年9月23日[編集]

大牟田署に捜査本部設置、K2を福岡地検久留米支部に送検[編集]

Cの死体遺棄容疑で逮捕された、被疑者K2は、2004年9月23日までの取り調べに対し、「A・B・Cの一家3人を含め、4人を殺害した。そのうち、Cを除く3人は、車ごと川に沈めた」と供述した[新聞 38]

同日付で、福岡県警は、連続殺人・死体遺棄事件として、大牟田署に捜査本部を設置した[新聞 38]

後述のように、A・B・Dの3人の遺体を乗せた車は、運転席が空いていたことから、運転免許証を持っていたK2が、別の場所で3人を殺害した後、遺体を乗せた車を、現場近くまで運転し、川に沈めた疑いが強まった[新聞 45]。その一方で、福岡県警は、「女性であるK2単独では、4人の殺害・遺体遺棄など、一連の犯行を遂行するのは困難だ」として、大牟田署内で拳銃自殺を図った、K2の夫K1についても、犯行に関与した疑いがあるとして、調べを進めた[新聞 45]

また、福岡県警は、2004年9月23日付で、被疑者K2を、死体遺棄容疑で、福岡地方検察庁久留米支部に送検した[新聞 38]

諏訪川底に沈んだ車から3遺体発見[編集]

2004年9月23日夜、福岡県警は、諏訪川の川底で、大規模な捜索を行った[新聞 43]。諏訪川のうち、捜索した箇所は、最深4mで、通常でも視界50cmほどと、透明度は低く、泥質の川底だったため、捜索は難航した。これに加え、同日は雨天で、更に見通しが悪くなっていたため、捜索はさらなる困難を極めた[新聞 43]

そのような状況で、Cの遺体が発見された、馬沖橋付近から、約350m下流の[新聞 46][新聞 43]、川が大きく蛇行し、ヘドロが堆積した、諏訪川の川底(水深約3.5m、川幅約30mの中央部分)を[新聞 43]、大型クレーン車・投光器などを使用し、捜索した[新聞 43]

その結果、県警機動隊所属のダイバーが、潜水作業をしていたところ[新聞 45]、午後6時すぎになって、女性Aが所有していた、赤茶色の軽乗用車が沈められているのを発見した[新聞 43]。午後9時頃、車を大型クレーン車で引き揚げたところ[新聞 43][新聞 45]、車内から、男女3人の遺体が発見された[新聞 38]

3人の遺体は、いずれも衣服を着たままで、ロープなどで縛られた痕跡はなかった[新聞 38]。遺体は、助手席、後部座席にあったが、一方で、運転席は空いていた[新聞 45]

発見時、車のナンバープレートは、発覚を遅らせる工作目的か、前後とも取り外されていた[新聞 45]

次男K4をC事件の死体遺棄容疑で逮捕[編集]

2004年9月23日[新聞 13]、福岡県警捜査本部は、K1・K2夫妻の次男K4を、大牟田市内で発見し、任意同行を求めた[新聞 42]

同日深夜[新聞 42]、福岡県警は、K2の共犯として、「9月18日早朝、K2と共謀し、Cの遺体を、馬沖橋から諏訪川に投げ込み遺棄した」として、次男K4を、死体遺棄容疑で逮捕した[新聞 47][新聞 12][新聞 13]

K4については、逮捕の第一報となった『読売新聞』2004年9月25日西部夕刊1面では、「大牟田市在住の20歳男、被害者のうちの1人と友人関係」と、匿名で報道されており、K2との血縁関係については言及されていなかった[新聞 47]

その後、『読売新聞』2004年9月26日東京朝刊第一社会面39面・西部朝刊第一社会面39面では、実名報道に切り替えられた上で、「K4の息子」であることが明示されたが[新聞 12][新聞 13]、西部朝刊では、K4は、K2の「次男」であるところを、「K4はK2の長男」と報道された[新聞 12]

2004年9月24日[編集]

遺体の身元をA・B・Dの3名と確認[編集]

福岡県警捜査本部は、2004年9月24日、車に沈められた軽乗用車内で発見された、3人の遺体を、いずれも司法解剖し、死因・身元の特定を進めた[新聞 45]

その結果、遺体の身元は、行方不明だった女性A、Aの長男B、Bの友人少年Dと、それぞれ断定した[新聞 48][新聞 49]

また、司法解剖の結果、3人の遺体は、死後1週間程度経過していることが判明したが、死因・外傷などは、この時点では明らかにされなかった[新聞 48][新聞 49]

この時点までの取り調べに対し、K2は、「大それたことをしてしまった」など、反省の言葉を述べ、手を合わせて泣くこともあった[新聞 48]

金銭トラブルの存在[編集]

また、被疑者K2は、取り調べに対し、「被害者Aから借金していた」と供述した[新聞 48][新聞 49]。これに加え、Aの友人たちから、「Aは、K2に数百万円を貸していた。『なかなか返してもらえない』とこぼしてもいた」という情報提供があった[新聞 48][新聞 49]

しかし、金銭トラブルのみが動機だとした場合、Aだけならまだしも、B・C兄弟や、無関係なDまで殺害することは、かなり不自然だった[新聞 48][新聞 49]。そのため、福岡県警は、他に殺害につながるようなトラブルがなかったか、慎重に捜査を進めた[新聞 48][新聞 49]

遺体発見現場付近を現場検証[編集]

A・B・Dの被害者3人の遺体が、それぞれ軽乗用車の助手席・後部座席にあった一方で、運転席が空いていたことから、福岡県警は、「3人は、別の場所で殺害された後、K2が遺棄現場付近まで、自ら車を運転し、土手から車ごと川に転落させた」とみて、同日、遺棄現場の諏訪川で、遺留品の捜索を行った[新聞 48]

これに加え、現場検証を行い、車の侵入経路を確認した[新聞 48]。その結果、付近の土手から、諏訪川の川岸にかけて、車が通ったような痕跡が確認された[新聞 48]

2004年9月25日[編集]

B・D両名の遺体に銃撃痕を確認[編集]

福岡県警捜査本部が、遺体を司法解剖した結果、B・D両名の遺体には[新聞 50][新聞 51]、それぞれ3発ずつ[新聞 13]、拳銃で銃撃された痕があったことが、2004年9月25日になって判明した[新聞 50][新聞 51]

その一方で、Aの遺体には、目立った外傷はなかった[新聞 13]

前述のように、女性であるK2だけでは、4人の殺害・遺体遺棄は困難とみられることから、福岡県警は、複数人による犯行である線を強めた[新聞 50][新聞 51]

また、K1が事情聴取中、取調室で拳銃自殺を図ったことから、K1が、銃の入手経路など、事情を知っているとみて、回復を待ち、事件への関与の有無などを聴取する方針を固めた[新聞 50]

次男K4の逮捕を発表[編集]

福岡県警は、2004年9月25日付で、Cの死体遺棄容疑で逮捕された、K2の共犯として、K2の次男K4を、同じく死体遺棄容疑で逮捕したことを発表した[新聞 47][新聞 12][新聞 13][新聞 23]

これに加え、被害者B・Dと、K4との間に、交友関係を巡り、トラブルがあったとする情報が、福岡県警捜査本部に提供されたため、福岡県警は、慎重に関連を調べた[新聞 13]

被害者A一家の通夜、被害者Dの告別式[編集]

遺体で発見された被害者A・B・Cの、親子3人の通夜が、Aの母親(B・Cの母方祖母)が喪主を務め、同日、大牟田市内の斎場で営まれた[新聞 12]。翌26日、親子3人の告別式が営まれた[新聞 12]

同日、被害者Dの告別式も、同市内の斎場で営まれた[新聞 12]

2004年9月26日[編集]

被害者A宅から金庫の紛失が判明[編集]

2004年9月26日、福岡県警捜査本部が、親族の立ち会いの下、被害者A宅の状況を確認した結果、A宅の室内から、小型金庫がなくなっていたことが判明した[新聞 22][新聞 52]

これに加え、Aは、周囲の知人に対し、利息を付けて金を貸しており、失われた小型金庫は、現金・証書の保管などに使用されていた[新聞 22][新聞 52]

また、被疑者K2は、Aから数百万円の借金をしていた[新聞 22][新聞 52]。その上で、その金を原資に、夫K1が、貸金業を経営していた[新聞 22][新聞 52]

K2は、その元手として、Aから多額の借金をしていたことが、同日までに判明した[新聞 22][新聞 52]。K2は、借金の取り立てなどで、Aに協力することがあったが、借金の返済などを巡り、Aとトラブルになっていた[新聞 22][新聞 52]

このことから、福岡県警は、金銭トラブルが有力な犯行動機とみて、金庫の紛失を含め、K2・K4両被疑者を、引き続き追及した[新聞 22][新聞 52]

K4の乗用車を押収[編集]

同日、福岡県警は、被疑者K4が、普段から使用していた乗用車を押収した[新聞 22]

この乗用車は、6人乗りワゴンタイプで、K4に加え、K4宅に出入りしていた、建設作業員らが使用していた[新聞 42]

K4は、母K2の逮捕前後、この乗用車を、大牟田市内の自動車修理工場に、自ら乗り付けて持ち込み、「廃車にしてほしい」と依頼した[新聞 42][新聞 53]。しかし、修理工場側によれば、年式こそ古かったものの、目立った傷はなく、廃車にする必要性は感じられなかったという[新聞 42]

福岡県警は、事件発覚後、K4の乗用車がなくなっていたことを重視した[新聞 42]。その後、聞き込みなどの結果、修理工場に持ち込まれたことを確認し、26日朝に押収した[新聞 42]

2004年9月27日[編集]

K4に似た男の目撃情報[編集]

2004年9月27日までの、福岡県警の捜査の結果、Cが殺害された翌日の2004年9月19日午後、体格・容姿が、被疑者K4に酷似した男が、K4の父親で、大牟田署で拳銃自殺を図ったK1とともに、遺体遺棄現場の諏訪川周辺を歩いていた姿が、近隣住民に目撃されていたことが判明した[新聞 41]

K1の知人の証言によれば、K4に似た男と、K1は、馬沖橋から川面を見つめながら、ゆっくり歩いていた[新聞 41]。これに加え、2人が土手を下り、川辺に近づいていた、という目撃情報も寄せられた[新聞 41]

このことから、福岡県警は、犯行後、遺体が浮上していないか確認するため、現場に戻った可能性があると見た[新聞 41]。その上で、この男がK4だった可能性があるとして、引き続き、K2・K4両被疑者を追及した[新聞 41]

2004年9月28日[編集]

被害者の銃撃を認める[編集]

2004年9月28日、福岡県警の捜査の結果、それまで4人の殺害自体は認めつつも、具体的な手口は供述しなかった被疑者K2が、共犯関係の追及を受けていた中で、「息子K4が、被害者を銃撃した」ことを認める供述をした[新聞 54][新聞 8]

司法解剖の結果、B・D両名の遺体は、胸などをそれぞれ、拳銃で3発ずつ撃たれていた[新聞 54]。摘出した銃弾を調べた結果、25口径の拳銃から発射されたものと判明した[新聞 54]。福岡県警は、B・D両名が、それぞれ3発ずつ、計6発撃たれたことに注目し、「2人がほぼ同時に、同じ拳銃で撃たれた可能性が高い」と推測した[新聞 8]

また、父K1が、大牟田署内で自殺を図った際も、同じ25口径の拳銃が使用されていたことから、その拳銃が犯行に使用されたとみて、発砲の経緯・犯行の動機などを、引き続き追及した[新聞 54][新聞 8]

その拳銃は、ベルギーFNハースタル社製の25口径自動式拳銃「FN ブローニング・ベビー」で、弾倉に銃弾6発が装填できるものだった[新聞 8]

福岡県警などによれば、「ブローニング・ベビー」は、暴力団関係者の間で、30万円から40万円の捜査で取引されていたが、あまり出回っていなかった[新聞 8]

K4が被害者Aの貸金取り立てを代行していたことが判明[編集]

これに加え、逮捕された次男K4は、被害者Aが、周囲の知人らに貸していた金について、取り立てを代行して行っていたことが、福岡県警の捜査で判明した[新聞 55]

被害者Aは、事件の10年以上前から、知人らを会いに、利子を付けて金を貸していた[新聞 55]。利子は、通常より高い利率で[新聞 20]、借金額が膨らんで、借り手に返済の見通しが立たなくなったり、返済期限が守られなかったりした場合は、K4ら、若者グループが、借り手の家に出向き、返済を要求するなどしていた[新聞 55]。回収に成功した場合、Aは、K2らに対し、一定の手数料を支払っていた[新聞 20][新聞 56]

近隣住民である女性は、『読売新聞』の取材に対し、「知人が、Aさんとのトラブルを解決しようと、飲食店に呼び出したところ、K2や、K4ら若者グループが来て、大声で怒鳴られた。結びつきの強さに驚いた」と語った[新聞 55]

また、Aは、K2について、「姉さん肌で気前のいい人。仕事上も付き合いがある」と、周囲に話していた[新聞 55]。このことから、K2がK4に対し、Aへの協力を指示したとみられた[新聞 55]

動機の究明[編集]

一方、福岡県警は、「被疑者K2と、被害者Aとの間の金銭トラブルが、事件の発端となった」とする動機を強めたが、一家を殺害するほどの動機になるのか、疑問視する声もあった[新聞 18]

被害者Aの一家が全員死亡していたため、福岡県警は、関係者の供述・証拠を手掛かりに、捜査を進めることとなった[新聞 18]

K2は、逮捕された当初、「4人を拳銃で撃った」と説明したが、司法解剖の結果、A・C両被害者の遺体には、銃撃痕は見られなかった[新聞 18]。また、殺害の順番・場所の説明も、二転三転するものだったため、福岡県警は、「K2が何か重大なことを隠している」との見方で、追及を続けた[新聞 18]

また、K4は、容疑を否認していたため、両被疑者を含めた、被疑者一家の交友関係を、幅広く捜査し、事実解明を進めた[新聞 18]

また、B・C兄弟らと、K4の間には、「女友達を巡ったトラブルがあった」という情報が寄せられていた[新聞 18]。そのため、これがエスカレートし、両家全体を巻き込んだ事件に発展した、との見方も含め、捜査を進めた[新聞 18]

2004年9月29日[編集]

被疑者K4が「全部俺がやった」と、容疑を認める供述[編集]

被疑者K4は、一連の事件への関与を否定していたが、2004年9月29日までに、「全部俺がやったことだ」などと、4人の殺害に関与したことを認める供述をした[新聞 57][新聞 58]

被疑者K2も、それまでの「自分が4人を殺害した」という供述から一転、「息子K4が銃で撃った」と供述した[新聞 57][新聞 58]

このことから、福岡県警は、殺害・遺体運搬など、役割分担や、動機の解明を急いだ[新聞 57][新聞 58]

一方、K4は、投げやりな態度で取り調べに応じていた上、母K2との供述が一致しないことも多かったため、福岡県警は、供述の真偽について、慎重に裏付け捜査を進めた[新聞 57][新聞 58]

被害者Aのものとみられる貴金属が被疑者K2宅などで発見される[編集]

福岡県警が同日までに、被疑者K2・K4らの自宅(大牟田市桜町)などを捜索した際、指輪など、数点の貴金属が発見された[新聞 59]。 そのうち、一部の形状・酒類などは、被害者Aが生前、身に着けていたものと酷似していた[新聞 59]

また、K2宅には、現金・借用証書を収めた小型金庫もあったが、事件後、A宅の状況を福岡県警が確認した際、金庫がなくなっていたことも判明していた[新聞 59]

このことから福岡県警は、貴金属を入手した経緯について、K2から事情を聴いた[新聞 59]

2004年10月2日[編集]

長男K3をC事件の死体遺棄容疑で逮捕[編集]

福岡県警は、2004年10月2日、弟K4と共謀し、被害者Aの次男Cの遺体を、橋の上から投げ込んだ共犯者として、K4の兄で、母K2と元夫との間の子どもである、長男K3を、死体遺棄容疑の被疑者として逮捕した[新聞 10][新聞 60]

同年6月頃から、大牟田市内のアパートで生活していたK3は、事件後、「弟K4の弁護士が見つからない」と漏らし、弁護士を探していた[新聞 20]。また、逮捕の約1週間前、被害者の告別式に参列するためか、喪服姿で外出する姿が目撃されていた[新聞 20]

母K2の回収金着服[編集]

同日までの取り調べの結果、K3・K4兄弟の母K2は、事件直前、被害者Aの依頼で取り立てた、貸金の回収金を着服し、Aとトラブルになっていたことが判明した[新聞 20][新聞 56]

Aの依頼の下、借金の取り立てを行っていたK1一家は、回収に成功した場合、一定額の手数料を受け取っていた[新聞 20][新聞 56]。しかし、K2らは、手数料に満足せず、複数の借り手から回収した、数万円から十数万円の金を着服していた[新聞 20][新聞 56]

これを知ったAは、同年9月上旬、K2らに抗議したが、K2らと口論になっていた[新聞 20][新聞 56]

2004年10月3日[編集]

Aら3人の遺体遺棄に父親K1の関与が判明[編集]

2004年10月3日、福岡県警の捜査の結果、車ごと川に沈められたA・B・Dの3人の遺体遺棄について、大牟田署で拳銃自殺を図り、市内の病院に入院していた父親K1が関与していたことが判明した[新聞 61][新聞 62]。一連の事件で、K1の関与が判明したのは初めてだった[新聞 61][新聞 62]

これにより、一連の事件は、既に逮捕された妻K2と、息子のK3・K4兄弟に加え、K1を含めた一家4人による犯行だったことが判明した[新聞 61][新聞 62]

そのため、福岡県警は、K1の回復を待ち、死体遺棄容疑で逮捕する方針を固めた[新聞 61][新聞 62]

また、2つの遺棄事件(C事件、A・B・D事件)は、それぞれ遺棄現場・犯行日がほぼ同一だったことから、福岡県警は、この時点ではK1・K3に対し、未立件だったC事件についても、2人が関与したとみて、事情聴取した[新聞 61][新聞 62]

アパートの一室を実況見分[編集]

福岡県警は、同日、殺害など一連の犯行に使われた可能性があるとして[新聞 61][新聞 62]、K3・K4両被疑者が出入りしていた[新聞 63]、大牟田市本町4丁目の[新聞 64]、JR大牟田駅付近の住宅密集地に所在し、被害者A宅から約600m離れた、木造アパートを実況見分した[新聞 63]

アパートは2階建てで、1階は車庫になっており、居室が2階に4部屋ある構造だった[新聞 61][新聞 63]。特に、K3・K4両被疑者の関係者の居室と見られた、2階の一室が、重点的に検証された[新聞 63][新聞 64]

周辺住民によれば、この部屋には2002年(平成14年)頃から、暴力団関係者とみられる男が入居していた[新聞 64]

また、若い男らが、頻繁にアパートに出入りしており[新聞 64]、深夜にバイクを吹かしたり、大声で携帯電話を使って通話することがあった[新聞 61]。。周辺では、携帯電話で「金を返せ」と怒鳴る声がしていたという[新聞 64]

その上、車庫には普段、高級車が数台駐車してあった[新聞 61]

2004年10月4日[編集]

被疑者K2が「息子たちを巻き込んだ」と供述[編集]

2004年10月4日、福岡県警の捜査の結果、Cの死体遺棄容疑で逮捕されていた被疑者K2は、「Aとトラブルになっていた。自分のせいで息子たちを巻き込み、迷惑をかけた」と供述したことが判明した[新聞 65]

福岡県警は、前述したように、K2がAとの間に、金銭トラブルを抱えていたことを把握しており、これが両家を巻き込んだ事件に発展したとの見方を強めていた[新聞 65]

しかし、供述した「トラブル」の、具体的な内容・被害者4人の殺害状況について、K2はこの時点でも、あいまいな供述を繰り返していた[新聞 65]

そのため福岡県警は、C事件の共犯として逮捕された次男K4、A・B・Dの死体遺棄事件で逮捕されていた長男K3を、それぞれ庇っている可能性が強いとみて、引き続き追及した[新聞 65]

被疑者K4、拘置先の福岡県警筑紫野署で自殺未遂[編集]

2004年10月4日午前0時すぎ、被疑者K4が拘置されていた福岡県警筑紫野警察署にて、留置場の看守席で監視していた署員が、うめき声を聞いた[新聞 66][新聞 67]。確認したところ、拘置中の被疑者K4が、丸めたトイレットペーパーを喉に詰めた状態で、布団の上でぐったりしていた[新聞 66][新聞 67]

これを発見した署員は、速やかにK4の喉から、トイレットペーパーを取り出した上で、救急車を呼び、付近の病院に搬送させた[新聞 66][新聞 67]。発見が早かったため、K4の生命に別条はなく、K4自身も診察を拒否した上、医師も「診察の必要はない」と判断した[新聞 66][新聞 67]

この自殺未遂事件は、約1か月後の2004年11月26日になって、『読売新聞』夕刊などで報道された[新聞 66][新聞 67]

2004年10月7日[編集]

A事件の死体遺棄容疑でK1を逮捕[編集]

2004年10月7日、福岡県警は、A・B・Dの3人の遺体を、車ごと川に沈めたとして、一家の主である暴力団幹部K1を、死体遺棄容疑の被疑者として逮捕した[新聞 11][新聞 68]

それまでK1は、前述のように、大牟田署内で拳銃自殺を図り、頭部に重傷を負っており、大牟田市内の病院で治療中だった[新聞 11]。しかしこの日、医師が「逮捕後の拘置に耐えきれる」と判断したため、捜査本部が逮捕に踏み切った[新聞 11]

この拳銃自殺を図った際に使用した銃も、B・D両名の遺体から検出された銃弾も、それぞれ25口径拳銃(及びその弾)だったため、捜査本部は、「K1が自殺未遂に使用した銃が、B・D両名の殺害に使用された」とみて、裏付け捜査を進めた[新聞 11]

取り調べに対し、被疑者K1は、「全部俺がやった」と供述した[新聞 11]。しかし、それまでの調べに対し、次男K4も「全部俺がやったことだ」、妻K2も「自分のせいで子供を巻き込んだ。息子が銃で撃った」などと、それぞれ矛盾する供述をしていたため、福岡県警は、慎重に裏付け捜査を進めた[新聞 11]

署内で拳銃自殺を図った動機について、福岡県警は、K1が深く事件に関与しており、自殺を図ることで捜査を攪乱する意図があったとみて、さらに追及した[新聞 11]

福岡県警は、一連の事件は、K1一家4人全員が関与したものと断定した上で、Aらを殺害した人物、殺害の動機・方法などの特定を進めた[新聞 11]

A事件の死体遺棄容疑でK2・K4両被疑者を再逮捕[編集]

福岡県警は同日、C事件の死体遺棄容疑で逮捕されていた、母K2・次男K4を、それぞれA・B・Dの3人に対する死体遺棄容疑で再逮捕した[新聞 11][新聞 68]

2004年10月8日、被疑者K2の新たな供述[編集]

2004年10月8日までの取り調べで、A一家ら4人の死体遺棄容疑で逮捕されていた被疑者K2が、Aの次男Cを殺害し、遺体の遺棄にも関与した容疑について、「まったく知らない。Cが殺されたことはあとで知った」と供述していることが判明した[新聞 69]

一方、A・B・Dの計3人の遺体を遺棄した容疑は認めた[新聞 69]。そのため、福岡県警の捜査本部は、夫K1や息子K3・K4兄弟との、役割分担を追及するとともに、裏付け捜査を進めた[新聞 69]

2004年10月13日[編集]

被疑者K3が死体遺棄容疑を認める供述[編集]

2004年10月13日までの取り調べの結果、A・B・Dの3人の遺体を遺棄した死体遺棄容疑で逮捕された、被疑者K3が、それまでの全面否認から一転して、容疑を認める供述を始めた[新聞 70]。これにより、一家4人全員が容疑を認めたこととなった[新聞 70]

一方、K1・K4両被疑者は、「全て自分がやった」と供述していたが、それぞれ矛盾することから、福岡県警捜査本部は、供述の裏付けを急いだ[新聞 70]

一方、捜査本部が、B・D両名に向けて発砲された拳銃と、K1が大牟田署で自殺を図った拳銃について、銃弾の線条痕を鑑定した結果、線条痕が一致したため、同一の拳銃によるものであったことが判明した[新聞 70]

被疑者K2、「殺人止めようとした」と供述[編集]

同日までの取り調べの結果、被疑者K2は、「夫K1や息子が、Aら3人を殺すのを止めようとしたが、どうしようもなかった」と供述した[新聞 71]

一連の事件で被疑者が、殺害の実行役に関して、具体的な供述をしたのはこれが初めてだった[新聞 71]。。福岡県警捜査本部は、この新供述について、「息子」とは、K3・K4のどちらを指すのかの特定や、殺害方法などの追及を進めた[新聞 71]

2004年10月12日、被疑者K2を処分保留[編集]

2004年10月12日、福岡地方検察庁久留米支部は、Cの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2について、「本日で勾留期限が切れるが、犯行の状況を含め、事件の解明に至っていない」として、処分保留とした[新聞 72]

2004年10月14日、被疑者K3を処分保留[編集]

2004年10月14日、福岡地検久留米支部は、Cの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K3について、母K2と同様の理由で、処分保留とした[新聞 72]

Cの死体遺棄容疑における勾留期限は切れたが、K2・K3両名は、Aら3人の死体遺棄容疑で再逮捕されていたため、引き続き拘置された[新聞 72]

2004年10月15日、被疑者K2が新たな供述[編集]

2004年10月15日、Aら3人の死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2が、「9月17日か18日、出入りしていた大牟田市本町のアパートで、夫K1、息子K3・K4とともに、被害者Aと会った。Aと口論になり、K1ら3人がAを殺そうとしたため、自分が止めた。その後、全員で市内の港に移動した後、(息子らが)Aを殺害した」と供述した[新聞 73]

その一方で、自ら殺害行為に加担したことは否定した上で、ともに遺体で発見されたB・D両名については、「いつ、どこで殺されたかは知らない」と供述した[新聞 73]

捜査本部は、K2とAの間にあった金銭トラブルが、犯行の主な動機と見た上で、夫K1や、息子K3・K4の3被疑者が、Aを殺害したとみて、殺害方法・場所の特定を急いだ[新聞 73]

2004年10月18日・10月19日、被疑者立ち会いの下で現場検証[編集]

福岡県警捜査本部は、2004年10月14日、被疑者K3立ち合いの下、大牟田港岸壁などで現場検証を行った[新聞 74]

翌10月19日には、被疑者K3を立ち会わせ、同様の場所で現場検証を行った[新聞 74]

2004年10月22日[編集]

福岡地検久留米支部、K2・K3・K4の3被疑者を死体遺棄罪で福岡地裁久留米支部に起訴[編集]

2004年10月22日、福岡地検久留米支部は、A・B・Dの3人に対する死体遺棄罪で、拘置期限が切れるK2・K3・K4の3被疑者を、福岡地方裁判所久留米支部起訴した[新聞 75]

被疑者K1は、拳銃自殺を図って入院し、逮捕が遅れたため、2004年10月28日が拘置期限となっていたため、この日は起訴されなかった[新聞 75]

被疑者4人とも、取り調べに対し、この3人に対する死体遺棄罪について、大筋で認めた[新聞 75]

A・B・Dの3人について殺害方法・場所が判明[編集]

同日、福岡県警捜査本部による捜査の結果、諏訪川に沈められた車から遺体で見つかったA・B・Dの被害者3人について、大まかな殺害方法・場所が判明した[新聞 75][新聞 76]

そのうちAは、前述のように、9月17日、大牟田市本町のアパートで、K1一家4人と口論になり、K1らが殺害しようとした[新聞 75][新聞 76]。妻K2が諫めたことで、その場はおさまったが、ワゴン車にAを載せ、全員で大牟田市西新町の大牟田港岸壁に移動した[新聞 75][新聞 76]。その際、次男K4が、ひも状のもので首を絞めて絞殺した可能性が高いことが判明した[新聞 75][新聞 76]

一方で、B・D両名は、9月16日か17日頃、Bの母Aの軽乗用車で、行方不明になっていたBの弟Cを捜索していたところ、K4らに呼び止められた[新聞 75][新聞 76]。K4らはその後、Aの殺害現場から約1km離れた、大牟田港付近の埋め立て地まで連れて行き、軽乗用車内にて、拳銃で射殺した疑いが強いことが判明した[新聞 75][新聞 76]

その後4人は、Aの遺体を軽乗用車の荷台に乗せ、9月18日午前3時半ごろ、大牟田市沖田町の諏訪川に、車ごと沈めた[新聞 75][新聞 76]

このように、殺害方法・場所の特定が進んだことから、福岡県警捜査本部は、Aら3人の死体遺棄容疑で逮捕された、K1ら一家4人を、翌週中にも殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[新聞 75]

2004年10月26日[編集]

Aに対する強盗殺人容疑で一家4人を再逮捕[編集]

2004年10月26日、福岡県警捜査本部は、「K1ら一家4人が、金銭トラブルの末、金目当てで被害者Aを、睡眠薬を飲ませた上で殺害し、現金などが入ったバッグを奪った」と断定し、被疑者一家4人を、いずれも強盗殺人容疑で再逮捕した[新聞 5][新聞 77]

捜査本部は、被疑者4人が、Bら残る3人についても、殺害に関与したとみて、引き続き役割分担を追及した[新聞 5]

K1を死体遺棄容疑で追起訴[編集]

福岡地検久留米支部は同日、入院で逮捕が遅れていた被疑者K1を、死体遺棄罪で追起訴した[新聞 5]

2004年10月29日、被告人K2の新たな供述[編集]

2004年10月29日までに、死体遺棄罪で起訴された被告人K2は、「被害者Aを殺害後、夫K1が、息子に『Aの子どもを拉致してこい』と指示した」と供述した[新聞 78]

福岡県警捜査本部は、夫K1が、事件の発覚を恐れ、息子K3・K4両被告人に対し、B・D両名の拉致・殺害を指示したとみて、さらに追及した[新聞 78]

また、Aら3人より先に殺害された、Aの次男Cについても、殺害の経緯・役割分担について、一家4人を引き続き追及した[新聞 78]

2004年11月から捜査終了まで[編集]

2004年11月11日、Aの殺害現場付近を捜索[編集]

2004年11月11日、福岡県警捜査本部は、Aの殺害現場となった大牟田港付近の大牟田川を捜索した[新聞 79]。その結果、川底から、殺害の凶器に用いられたとみられる、自転車のワイヤー錠のようなものが発見され、押収された[新聞 79]

捜査本部は、強盗殺人容疑で逮捕された被疑者K4が、港付近の岸壁に駐車した車内で、Aを絞殺した後、凶器のワイヤー錠を海に投げ捨てたとみて、引き続き追及した[新聞 79]

2004年11月13日、被告人K3が福岡地検久留米支部から脱走[編集]

2004年11月13日午前9時30分頃[新聞 80]、被疑者・被告人K3は、拘置されていた福岡県警久留米警察署から、福岡地検久留米支部(久留米市篠山町)に移送された[新聞 80][新聞 81][新聞 82]。この時、護送車を運転していたのは、大牟田署刑事課巡査長(当時27歳)で、大牟田署警備課巡査部長(当時49歳)、大牟田署警備課巡査長(同25歳)が、それぞれK3に付き添っていたが、3人はいずれも、留置管理担当者ではなかった[新聞 80]

その後、K3は同所で、検察官による取り調べを受けていた[新聞 80][新聞 81][新聞 82]。元力士で大柄なK3は、逮捕後、機動隊員2人を大牟田署に派遣し、護送などの応援に当たらせていた[新聞 83]

K3は、福岡県警から「特別要注意者」に指定され、留置場では機動隊員も監視に加わることになっていたが、護送業務は通常体制だった[新聞 80]。また、K3は機動隊員の同行を嫌がり、反抗することが多かったため、護送を担当した3人はこの日、同行を断っていた[新聞 83]

午後5時過ぎ、K3と大牟田署員3人の計4人は、夕食を摂るため、被疑者の待機・休憩に使われる、検察庁舎3階の「同行室」に移動した[新聞 80]。この時、同行室の鍵を開けたのは、地検支部の事務官だった[新聞 80]。事務官から鍵を手渡されなかったことなどから、3人は「扉は施錠しないでおくものだ」と思い込み、誰も鍵を取りにいかなかった[新聞 80]。地検支部は当時建て替え中で、仮庁舎に移転していたが[新聞 81][新聞 82]、旧庁舎の同行室の扉は、施錠できない構造だった[新聞 80]

K3は、両手から手錠を外され[新聞 80][新聞 81]、正面奥に座り、その左隣に巡査部長、扉の左右に巡査長2人が、それぞれ椅子に座った[新聞 80]。この時、巡査長の1人が、室外に右足を出した状態だったが、K3の腰縄は、誰も持っておらず、床に放置していた[新聞 80]

午後5時40分頃、K3は、大牟田署員3人の付き添いの下[新聞 81][新聞 82]、同行室にて、夕食の弁当を食べていた[新聞 80]。弁当を食べ始めた当初は、署員1人が室外にいたが、K3から「一緒に食べよう」と誘われ、全員が室内に入ってしまった[新聞 83]

弁当を食べ始めてから約10分後、署員より早く弁当を食べ終えたK3は、室内をうろつき始め、「部屋が暑い。エアコンを調整したい」と言った[新聞 80]。そして、まだ食事中の巡査長2人の間をすり抜け、いったんオートロックの扉の外に出た[新聞 80]。エアコンのリモコンは、隣の事務室にあったため[新聞 80]、大牟田署員1人が、K3に付き添い、隣室に向かった[新聞 81][新聞 82]

エアコンのリモコンを取り、扉近くに戻ったところ[新聞 80]、K3が「(操作は)1人でできる」と言ったため、警察官が先に隣室を出て、同行室に戻った[新聞 81]

K3は、脚を出していた巡査長に対し、「眼鏡を貸してくれ」と言った[新聞 80]。巡査長が眼鏡を差し出すと、K3は眼鏡をかけるふりをして、同行室内に投げ入れ、巡査長が足をひっこめた瞬間[新聞 80]、同行室のオートロックの鉄格子扉扉を閉め[新聞 81][新聞 80]、3人を閉じ込めた[新聞 81][新聞 82]

福岡県警の被留置者管理規定によれば、食事をする間を含め[新聞 81]、同行室に被留置者を入れた際は、警察官は自動的に施錠される同行室の扉を閉め[新聞 84]、隣の小部屋で待機し[新聞 81]、外から監視を続けることとなっていた[新聞 84]

しかし、警察官は鍵を持たず、3人とも同行室に入った上、扉を完全に閉めていなかった[新聞 81]。その上、同行室から退出することなく、K3と一緒に食事を摂るという、「内規違反に油断が重なる」事態が、逃走につながった[新聞 84]

警察官は、室内から解錠する鍵を持っていなかったため、ドア越しに説得したが[新聞 81][新聞 82]、K3は腰縄を外しながら、「担当者さん、悪い」[新聞 80]、「俺は(強盗殺人などを)やっていない。死刑になるかもしれないから逃げる」[新聞 80][新聞 81][新聞 82]、「3日経ったら戻ってくる」と言い残し[新聞 80]、階段を降り[新聞 80]、履いていたスリッパを1階に残したまま、裸足で検察庁舎から逃走した[新聞 81]。これを受け、警察官は携帯電話で110番通報し、K3が逃走したことを知らせた[新聞 81][新聞 82]

K3は、脱走から約15分後[新聞 85][新聞 86]、午後5時55分[新聞 87]、地検支部から南へ約800mの[新聞 85][新聞 86]、久留米市本町の福岡県道23号久留米柳川線[新聞 87]、待機中のタクシーに、客を装って乗り込んだ[新聞 85][新聞 86]。そして、タクシー運転手に対し、「3日ほど暴力団に監禁されていて、脱走してきた。金は知人に持ってこさせるから、柳川市方面に行ってくれ」と指示した[新聞 85][新聞 86]

このタクシー運転手は、裸足だったK3の「ヤクザから逃げてきた」という言葉を信じ込み、「組から逃げてきたな」と思っただけで、特に不振には思わなかったという[新聞 87]。運転手は普段、車中でラジオを流していたが、後述のように、K3に自分の携帯電話を科し、通話させていたため、音量を小さくしていた[新聞 87]。そのため、運転していたタクシーが、後述のように警察官に取り囲まれるまで、客だと思って乗車させたK3の正体に、まったく気づかなかったという[新聞 87]

また、タクシー運転手によれば、この時のK3は、「タクシー料金のみならず、途中に立ち寄ったコンビニエンスストアで、運転手が購入した、ペットボトルのお茶代なども含め、きちんと料金を払おうとしており、普通の客より丁寧な口ぶりだった」という[新聞 87]

柳川市の沖端川河口付近に到着後、K3は運転手に対し、「熊本県玉名郡南関町経由で大牟田市に向かってくれ」と指示した上で、「(大牟田市内の)幹線道路は見張りがいるから行けない。裏道を知らないか」と尋ねた[新聞 85][新聞 86]

その後K3は、運転手の携帯電話を借り、知人と数十回にわたり、「金を貸してくれ」、「もうすぐ着く」などと連絡を取り、タクシー料金として現金を届けるように要請していた[新聞 85][新聞 86]

逃走から約3時間後の午後8時50分ごろ、地検支部から南に約35km離れた[新聞 81]、熊本県荒尾市上井手の駐車場に到着した際、タクシー料金が20400円に達していた[新聞 85]。そのような中、K3は、タクシーからいったん下車し、車外で電話をかけた[新聞 85]

しかし、K3が車内に戻ったところ、数人の捜査員がタクシーを取り囲んだ[新聞 85]。K3は当初、後部座席でドアを開けさせまいと抵抗したが、観念した様子で車外に出て、警察に取り押さえられた[新聞 85]

福岡県警が通話記録などを調べた結果、携帯電話でK3とやり取りしていた相手は、父K1の配下の暴力団組員だった[新聞 87]

地域住民らの反応[編集]

K3の義父K1が、大牟田署内で拳銃自殺を図った衝撃が冷めやらぬうちに、凶悪犯罪の被告人が、週末の夜の街に逃亡したこの事件は、福岡県警の相次ぐ不手際を露呈する形となった[新聞 88]

また、この3時間にわたる逃走劇は、現場の大牟田市・地検支部がある久留米市を中心に、地域住民に大きな不安・衝撃を与えた[新聞 88]

「大牟田市内で現場検証に立ち会うK3の姿を見た」という近隣住民は、「現場検証で見たときは、K3は大男だったのに、付き添う捜査員の数が少なかった。逃げ出してもおかしくないと思ったが、現実になってしまった」と語った[新聞 88]

また、確保現場となった荒尾市上井手の近隣住民は、「熊本県重要文化財眼鏡橋付近の駐車場近くで、パトカーなど数台の車両が止まり、タクシーを4,5人で取り囲んでいたのを目撃した。後でテレビのニュースを見て、そこでK3の身柄が確保されたことを知った。逃走のニュースが流れた直後、『ここに逃げてくるかも』と、家族と冗談を言い合っていたが、まさか本当になるとは」と驚いていた[新聞 88]

地検支部付近の私立保育園(園児120人)の園長は、「警察官がそばにいたのに、なぜ逃走できたのか」と、疑問の声を口にした[新聞 88]

福岡県警・警察庁の対応[編集]

午後5時44分、「K3逃走」の第一報を受けた久留米署は、緊急配備を敷くとともに全署員を招集し、K3の顔写真を捜査員に携帯させ、捜索に当たらせた[新聞 84]

また、知らせを受けた福岡県警は、殿村明大・刑事部長をはじめ、刑事部員全員が緊急招集された[新聞 84]。本事件の捜査を担当していた捜査一課は、情報収集・捜査員の割り振り・近隣県警との連絡に追われ、時折「検問を強化せよ」という声も飛び交った[新聞 84]

事件の舞台であり、K3の逃走を許した巡査部長1人・巡査長2人が所属していた大牟田署は、身柄確保から3時間後の2004年11月14日午前0時前、中村隆一署長が記者会見した[新聞 84]。中村は、安堵の表情を見せつつも、「凶悪事件の被疑者が逃げたことは大変申し訳ない。再発防止に努めたい」と陳謝した[新聞 84]

事件を受け、福岡県警は翌2004年11月14日、全警察署長に対し、被疑者・被告人の逃走防止を徹底するよう、文書で通達した[新聞 84]

また、K3の逃走時に付き添っていた大牟田署員3人に対し、処分を検討した[新聞 84]

福岡県警留置管理課は、2004年11月17日、福岡市にある福岡県警察本部にて、各所の留置担当者(警察署の留置管理課長ら)を集め、緊急会議を開き、留置手順の徹底を指導した[新聞 89]

警察庁は事件後、警視庁・全国の警察本部に対し、「同行室の運用実態の把握」、「同行室での管理要領の制定」、「被疑者に応じた護送態勢と人員の選定」などを指示した[新聞 80]

2004年12月13日、福岡県議会一般質問で、県議会議員・清田信治(県政クラブ)が、この逃走事件について、「今回の失態とも言われている、容疑者脱走という事件に対して、警察本部長はどのように受けとめてあるのか」、「周辺に警戒を呼びかける広報をしなかった警察に対して、住民からは強い批判の声が上がっている。今回の事件で久留米市民へ、なぜ外に出ないような待機勧告、逮捕後の広報並びに待機解除などの情報提供をしなかったのか、その根拠となる理由は」、「逃走防止の基本や事件発生時には、住民への避難、待機などの勧告、解除などの広報マニュアルがあるのかないのか」と、廣畑史朗・福岡県警本部長に質問した[その他 1][新聞 90]

これに対し、廣畑は、「地域住民を初め県民の皆様に多大の不安を与え、警察に対する信頼を大きく損なったものであり、まことに遺憾であります。今後、このような事案を二度と引き起こすことがないよう再発防止に努めていく所存であります」と陳謝した[その他 2][新聞 90]。その上で、久留米市民に直接の広報をしなかった理由について、「逃走直後の早い段階から被疑者は久留米から大牟田方向へタクシーで逃走中であるとの確度の高い情報を入手し、逃走現場付近での潜伏等の可能性が極めて低いと判断したことなどから」と回答した[その他 2][新聞 90]。また、「事件が発生した場合の現場広報や防犯情報の提供につきましては、一般的なマニュアルはありますが、本事案のような場合は、個々の事案の犯行対応や模倣性、連続性などを勘案して、情報提供の要否を判断しているところであります」、「今後とも、犯罪の発生実態を的確に判断し、住民の皆様が防犯行動をとれるようわかりやすい広報に努めてまいりたいと考えております」と、それぞれ回答した[その他 2]

2005年1月27日、福岡県警は、K3の逃走事件を受け、関係者を以下のように処分した[新聞 83]。その一方で、護送を担当した3人が、「K3が嫌がる」などの理由で、本来必要だった機動隊員の同行を断っていたことも、新たに判明した[新聞 83]

  • 護送を担当した大牟田署員3人を - いずれも減給(10分の1、期間:1か月から3か月)[新聞 83]
  • 被告人K3を留置していた久留米署留置管理課長 - 懲戒処分戒告[新聞 83]
  • 大牟田署・久留米署の両署長、副署長ら計8人 - 本部長訓戒などの内部処分[新聞 83]

2004年11月16日[編集]

福岡県警、被告人4人を被害者B・D両名に対する殺人容疑で再逮捕[編集]

2004年11月16日、福岡県警捜査本部は、被害者B・D両名を、大牟田港岸壁に停車した軽乗用車後部座席で、拳銃で射殺したとして、いずれも死体遺棄罪で起訴された被告人4人を、殺人容疑で再逮捕した[新聞 6][新聞 91]

被疑者・被告人K2は、残るCの殺害について、「息子K4から、『人を殺してしまった』と打ち明けられ、初めて知った。4人の中で最初に殺害された」と供述した[新聞 6]

捜査本部は、一連の犯行の動機を、Aの財産目当てであると目星をつけていたが、「Aの財産目当ての犯行だとして、なぜCが最初に殺害されたのか」などの疑問点を抱えていた[新聞 6]

そのため、「次男Cの殺害が発端となり、かねてからトラブルとなっていたAを、金を奪う目的で殺害した。その口封じのため、長男Bの殺害に発展したところ、Bと同行していたDも巻き添えになった」とみて、全容解明を急いだ[新聞 6]

福岡地検久留米支部、被告人4人を被害者Aに対する強盗殺人罪で追起訴[編集]

福岡地検久留米支部は同日、K1・K2・K3・K4の被告人4人を、被害者Aに対する強盗殺人罪で、福岡地裁久留米支部に追起訴した[新聞 6]

2004年11月25日、次男Cの殺害動機解明[編集]

2004年11月25日までの、福岡県警捜査本部の捜査の結果、一連の事件の発端は、被告人K3・K4兄弟が、金を奪う目的で、A宅に侵入したことである可能性が高いことが判明した[新聞 92]

その経緯は、「父K1・母K2が、A宅の多額の現金を狙っていたことを知ったK3・K4は、両親を出し抜こうと、A宅に侵入したが、この時、当時1人で留守番をしていた、Aの次男Cに気付かれたため、タオルのようなもので首を絞めた。その後、気絶したCを車に乗せ、A宅を出たが、途中でCが息を吹き返したため、車内で再度、首を絞めて殺害した」というものだった[新聞 92]

それまでの取り調べで、両被告人の母K2は、C殺害について、「K4から『人を殺した』と打ち明けられて初めて知った」と、息子2人の関与をほのめかした[新聞 92]

これを受け捜査本部は、強盗殺人容疑での再逮捕を視野に、追及を進めた[新聞 92]

2004年11月26日、被告人K3逃走の詳細が判明[編集]

2004年11月26日、K3が福岡地検久留米支部の仮庁舎から逃走した際の、詳細な経緯が判明した[新聞 84]

この時、「護送した大牟田署員3人は、K3とともに同行室に入った際、誰も室外で待機していなかった」、「オートロック式の鉄格子が閉まらないよう、1人が右足を室外に出していた」、「食事の際、腰縄を床に放置していた」、「K3が室内を自由に歩き回っていた」など、様々な不手際が明らかになった[新聞 84]

2004年12月7日[編集]

福岡県警、K3・K4兄弟を再逮捕[編集]

2004年12月7日、福岡県警捜査本部は、K3・K4兄弟を、Aの次男Cに対する強盗殺人容疑で再逮捕した[新聞 93]。これに加え、K3については、Cに対する死体遺棄容疑でも再逮捕した[新聞 93]

また、同日、大牟田署の取調室で拳銃自殺を図った、兄弟の父K1を、銃刀法違反容疑などで再逮捕した[新聞 93]

これにより、母K2を含め、K1一家4人全員が、「A宅に大金があると思い込み、金目当てで犯行に及んだ」と断定した上で、被害者4人全員について、強盗殺人罪・殺人罪で立件を完了した[新聞 93]

福岡地検久留米支部、K1ら一家4人を殺人・銃刀法違反罪で追起訴[編集]

福岡地検久留米支部は同日、K1ら被告人一家4人を、被害者B・D両名に対する、殺人・銃刀法違反の罪で、福岡地裁久留米支部に追起訴した[新聞 93]

2004年12月17日、福岡地検久留米支部、被告人K1を銃刀法違反罪で追起訴[編集]

2004年12月17日、福岡地検久留米支部は、福岡県警大牟田署の取調室で拳銃自殺を図った被告人K1を、「2004年9月22日午前10時15分頃、同署の取調室にて、拳銃1丁・実弾8発を所持した」として、銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)違反の罪(加重所持)で、福岡地検久留米支部に追起訴した[新聞 94]

2004年12月27日、福岡地検久留米支部、被告人K3・K4兄弟を、被害者Cに対する強盗殺人罪で追起訴[編集]

2004年12月27日、福岡地検久留米支部は、被告人K3・K4兄弟を、「2004年9月16日夜、被害者Cの首を絞めて失神させ、指輪など貴金属61点(約400万円相当)が入った金庫を奪った上、Cの首を再び絞め、Cを諏訪川に投げ込んで殺害した」として、強盗殺人罪で、福岡地検久留米支部に追起訴した[新聞 95]

両被告人は、Cに対する死体遺棄罪でも逮捕されていたが、福岡地検久留米支部は、「Cが死亡する前に川に遺棄し、Cが溺死した可能性も否定できない」として、死体遺棄罪での起訴は見送り、強盗殺人罪でのみ起訴した[新聞 95]

また、同じく死体遺棄容疑で逮捕された母K2は、「関与が認められない」として、不起訴処分とした[新聞 95]

2005年1月4日、福岡県警大牟田署、被告人K3を単純逃走容疑で書類送検[編集]

2005年(平成17年)1月4日、福岡県警大牟田署は、被告人K3を、「2004年11月13日午後5時40分頃、大牟田署員3人の隙をついて、取り調べ中の福岡地検久留米支部から脱走した」として、単純逃走罪で、福岡地検久留米支部に書類送検した[新聞 96]。これにより福岡県警は、一連の事件捜査を終結させた[新聞 96]

2005年1月11日、福岡地検久留米支部、被告人K3を単純逃走容疑で追起訴[編集]

2005年1月11日、福岡地検久留米支部は、被告人K3を、前述の書類送検容疑である単純逃走罪で、福岡地裁久留米支部に追起訴した[新聞 97]

福岡県弁護士会筑後部会があみだくじで弁護人を選出した問題[編集]

弁護人については、当初、4被告人ともに、それぞれ国選弁護人・私選弁護人が選任されたが、次男K4の弁護人が、産休のために辞退した[新聞 98]

これに加え、妻K2の私選弁護人も、「やりたくない」と辞退したほか、夫K1の弁護人も担当できなくなった[新聞 98]。その結果、長男K3以外、3被告人については、いずれも弁護人が担当できない状態となった[新聞 98][新聞 99]。部会所属の弁護士曰く、引き受け手が見つからなかった理由は、「福岡拘置所が建て替え予定で、遠隔地になることや、調書が膨大で、手間がかかるため、引き受け手が見つからなかったことだ」という[新聞 100]

そのため、3被告人について、地元の福岡県弁護士会筑後部会(部会長:高橋謙一)が、部会の国選弁護人名簿に基づき、依頼して回ったが、いずれにも断られてしまった[新聞 98][新聞 99][新聞 101]

そのため、高橋は苦肉の策として[新聞 98][新聞 99]、「公平を期する方法」と[新聞 100]、新たに弁護人3人(被告人1人につき1人)を、あみだくじで新たに選出した[新聞 98][新聞 99][新聞 101][新聞 100]。高橋は、『朝日新聞』の取材に対し、「これが初めてではなく、10年ほど前にも1度(あみだくじでの選出を)やったことがある」と話した[新聞 101]。あみだくじによる選出は、2004年12月2日、部会事務局で実施し、「当たった」3人が、そのまま国選弁護人に選任された[新聞 101]

2004年12月11日、あみだくじによる弁護人選出が判明し、『読売新聞』・『朝日新聞』・『東京新聞』などで報道された[新聞 98][新聞 99][新聞 101][新聞 101]。部会関係者は、「被告人に最適な弁護人を決めるという意味では、まずいやり方だったかもしれない」と、高橋は「部会としてのコメントはできない」と、それぞれ語った[新聞 98][新聞 99]

日本弁護士連合会(日弁連)刑事弁護センター委員長・佐藤太勝は、「聞いたこともない選び方で、適切な方法とは思えない。重大事件用の名簿がないなら、刑事弁護の経験が豊富な人を協議で選ぶのが妥当ではないか」と話した[新聞 101]

部会は当時、従来の国選弁護人名簿とは別に、重大事件用も名簿を作成中だったが、その名簿に登録予定だった、中堅以上の弁護士を中心とした十数人が、あみだくじの対象になっていた[新聞 98][新聞 101]。高橋は、「準備中の名簿の並ぶ順も、くじで決めるつもりで、それを前倒ししただけだ」と説明した[新聞 101]

刑事裁判[編集]

第一審・福岡地裁久留米支部[編集]

2005年1月、初公判日時指定[編集]

福岡地方裁判所久留米支部は、被告人K1・K2・K3・K4の計4人について、2005年(平成17年)1月23日までに、初公判日時を、2005年3月15日午後2時に指定した[新聞 102]

2005年3月15日、第1回公判、各被告人罪状認否・検察側冒頭陳述[編集]

2005年3月15日午後2時、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で、被告人一家4人の初公判が開かれた[新聞 103][新聞 3][新聞 4]

初公判では、まず人定質問が行われた後、K1・K4・K2・K3の順に、各被告人に対し、罪状認否が行われた[新聞 3]。その結果、4被告人は大きく分けて、主たる争点について、それぞれ以下のように認否した[新聞 3]

各被告人の主な罪状認否
罪状 被告人K1(父親) 被告人K2(母親) 被告人K3(長男) 被告人K4(次男)
強盗殺人罪(被害者C) 起訴されず[新聞 3] 否認[新聞 3] 認める[新聞 3]
強盗殺人罪(被害者A) 認める(単独犯を主張)[新聞 3] 認める[新聞 3]
殺人罪(被害者B)
殺人罪(被害者D)

父K1は、起訴された3人の殺害行為について、起訴状を無視し、「(他の3被告人とは)共謀せず、自分が単独で実行した」と主張した[新聞 3]

母K2は、「間違いありません」と、起訴事実を認めた上で、「極刑を受けるために来た。被害者・遺族には申し訳ないことをした」と謝罪した[新聞 3]

次男K4は、起訴された4人の殺害行為について、「起訴事実の通り間違いありません」と、全面的に起訴事実を認め、謝罪の意を示した[新聞 3]

一方、長男K3は、「福岡地検久留米支部から逃走した単純逃走罪は認めるが、それ以外は一切認めません」として、殺害・遺体遺棄について、いずれも無罪を主張した[新聞 3]

以上のように、殺害の中心格とされるK3が起訴事実を否認した一方、K1が起訴状を無視し、罪を被る発言を繰り返すという、異例の展開となった[新聞 3]

被告人K1の弁護人は、共謀に関する認否を留保した上で、次回公判(2005年4月12日予定)以降、公判を分離するように要望した[新聞 3]

一方、検察側は冒頭陳述で、「K1・K2夫妻は、6600万円以上の借金を抱え、暴力団上部団体への上納金・生活費の支払いなどに困窮したことから、Aを殺して金を奪う強盗殺人を計画した。それを知ったK3・K4兄弟が、両親に内緒でCを殺害し、その後両親を加えて、残る3人の連続殺人に発展した」として、その経緯を詳述した[新聞 3][新聞 4]

2005年4月12日、第2回公判、分離公判に[編集]

2005年4月12日、第2回公判が開かれた[新聞 104]

この後半以降、起訴事実をすべて認めたK2・K4両被告人と、単独犯を主張したK1・逃走以外の罪を全面否認したK3の両被告人は、それぞれ分離公判で審理されることとなった[新聞 104]

検察側は、被害者Aらの殺害に使われたとされる凶器などを証拠提出した上で、極刑を望む被害者遺族の供述調書を朗読した[新聞 104]

また、検察側の証人申請に基づき、K1・K3両被告人の次回公判(2005年4月26日)で被告人K2が[新聞 104]、K2・K4両被告人の次回公判(2005年5月17日)で被告人K3が、それぞれ証人出廷し、証人尋問が行われることが決定した[新聞 104]

母親K2・次男K4両被告人の審理[編集]

2005年5月17日、第3回公判、K2・K4両被告人の分離後初となる公判[編集]

2005年5月17日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、K2・K4両被告人について、分離後初となる公判が開かれた[新聞 105]

同日、公判が分離された被告人K3が、検察側の証人として出廷し、証人尋問が行われる予定だった[新聞 105]

しかし、後述のように当時、K3は体調を崩し、入院していたため、同日の公判を欠席した[新聞 105]

検察側は、当時のK3の様態について、「最低でも1週間から10日間の入院が必要だ」と述べた[新聞 105]

2005年6月21日、被告人K3が検察側証人として出廷も、弟K4と一触即発[編集]

2005年6月21日の公判で、被告人K3が、検察側証人として出廷した[新聞 106][新聞 107]

K3は、被害者4人の殺害については、いずれも「やっていない」として、全面的に起訴事実を否認した[新聞 106]

その一方で、唯一起訴事実を認めた、福岡地検久留米支部からの逃走事件について、「逃走前夜、留置されていた福岡県警久留米署で、自殺を図ったが、死にきれなかったため、死のうと思って逃げた」と証言した[新聞 106]

また、K3は、「親父(被告人K1)の近くで死のうと思い、大牟田に向かった」[新聞 107]、「裁判所宛に『全部1人でやった』と遺書を書けば、弟K4が助かると思った」と述べた[新聞 106]

閉廷後、起訴事実を認めていた弟K4が、K3に対し、「あんたの意見に同意してやる。生きられるか試してみろ」と言い放った[新聞 107]

これに対し、K3は、「何言ってるんだ、貴様」と激怒し、K4に殴り掛かろうとした[新聞 107]

K3は、刑務官たちに数人がかりで抑えられ、廊下に連れ出されたが、その後も怒鳴り声を上げていた[新聞 107]

2005年10月11日、被告人K4、証人出廷の兄K3と再び一触即発[編集]

2005年10月11日の公判で、被告人K3が再び、検察側証人として出廷した[新聞 108][新聞 109]

公判で、被告人K4の弁護人は、B・D両被害者の殺害について、「K3も銃を何発か撃ったのではないかと思う」とする、被告人K2の供述調書を読み上げた[新聞 108]

その上で弁護人は、K3に対し、「親に疑われてどう思うか」と尋ねたが、これに対し、証言台にいたK3は、「(K2のことは)実の親とも、身内とも思っていない」と答えた[新聞 108][新聞 109]

すると、左後方の被告人席に座っていた、弟K4が、「アホか、殺すぞ」などと叫び、兄K3に殴り掛かろうとした[新聞 108][新聞 109]。これに対し、K3も「俺がやれるか」と応え、刑務官に取り押さえられ、退廷させられた[新聞 108][新聞 109]

この騒動により、高原正良裁判長が休廷を宣言し[新聞 109]、公判は約15分間中断した[新聞 108]

約15分後、審議を再開する際、K4は、高原裁判長から「いいたいことがあると思うが、辛抱して聞いてください」となだめられ、謝罪した[新聞 109]

K3・K4両被告人が、法廷内でトラブルを起こしたのは、前述の2005年6月21日以来、2回目だった[新聞 108]

2005年11月15日、被告人K2への被告人質問[編集]

2005年11月15日の公判で、被告人質問が行われた[新聞 110]

被告人K2は、被害者Aを殺害した経緯について、「犯行当時、約6000万円に上る借金を抱えており、生活が苦しかった」と説明した[新聞 110]

その上で、「長い間、夫婦2人で計画を練っていたわけでも、親子4人で計画したわけでもない。その時だけ、何かにとりつかれたように、『Aを殺害して金銭を奪おう』という話になった」と話した[新聞 110]

2006年3月14日、第22回公判、K2・K4両被告人、被害者遺族に直接謝罪[編集]

2006年(平成18年)3月14日、第22回公判が開かれ、検察側の被告人質問が行われた[新聞 111][新聞 112]

この日は、被害者Aの母親ら、被害者遺族も公判を傍聴していた[新聞 111][新聞 112]

被告人質問の最後で、被告人K4は、被害者遺族のいた傍聴席に歩み寄り、「すいませんでした」と一礼した[新聞 111][新聞 112]

またこの時、被告人席に座っていた被告人K2も、立ち上がり、Aの母親に対し、「ばあちゃん、ごめんなさい」と頭を下げた[新聞 111][新聞 112]

これに対し、Aの母親は「どうしてあんなことをしたのか」と問いかけたが、高原正良裁判長から発言を制止された[新聞 111][新聞 112]

閉廷後、Aの母親は、『朝日新聞』・『毎日新聞』の取材に対し、「すいませんという気持ちは分かるが、いくら謝っても殺された娘たちは帰ってこない。被告人たちを同じようにしてほしい」と語り[新聞 111]、両被告人の死刑を望む意思を示した[新聞 112]

2006年3月28日、第23回公判、被害者遺族3人が意見陳述、被告人K4が被害者遺族に暴言[編集]

2006年3月28日、第23回公判が開かれ、被害者遺族3人(Aの母親、Aの妹、Dの母親)が意見陳述し、いずれもK2・K4両被告人の極刑を求めた[新聞 113][新聞 114]

Aの母親の意見は、高原裁判長が代読した[新聞 114]。その中でAの母親は[新聞 114]、「なぜ娘Aと孫2人(B・C)が殺されなければならなかった」[新聞 113]、「K2が息子2人(K3・K4)を殺人鬼に育て上げた。同じ苦痛を受けさせてやりたい」と語った[新聞 114]

この公判で初めて傍聴したDの母親は、息子の遺影を持ち、陳述に臨んだ[新聞 114]。Dの母親は、「息子Dが死んだことが今でも信じられない。いつか帰って来ると思っているが、現実はそうではない」[新聞 113]、「どうして何も日がない息子が惨殺されなければならなかったのか。死刑判決を求めます」と述べた[新聞 114]

Aの妹は、「姉Aは、K2を信用していたから、K2が導くままについていった」と述べた[新聞 113]

陳述後、弁護人による被告人質問が行われた[新聞 114]。しかし、被告人K4は、前回公判で謝罪したAの母親に対し、「ふざけんな。親を悪く言うな」と恫喝した[新聞 114]

これに対し、高原裁判長は「落ち着きなさい」と諭し、被告人K2が、K4を制止した[新聞 114]

公判後、Aの母親は、『毎日新聞』の取材に対し、「K4は口で謝るだけで、全く反省がない。絶対に許せない」と語った[新聞 114]

2006年5月2日、第24回論告求刑公判、K2・K4両被告人に死刑求刑[編集]

2006年5月2日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で、母親K2・次男K4の両被告人に対し、第24回公判となる論告求刑公判が開かれた[新聞 115][新聞 116][新聞 117][新聞 118][新聞 40]

検察側は、両被告人に対し、いずれも死刑を求刑した[新聞 115][新聞 116][新聞 117]

論告で検察側は、「K1・K2両被告人が、生活資金の工面に困ったため、被害者Aに対し、嘘の土地購入話を持ち掛け、多額の現金を用意させた上で、殺害しようと計画した」と指摘した[新聞 117]

その上で、被告人K2を、「一連の犯行の動機面で中心的な存在だ」と結論付けた[新聞 117]

また、4人殺害を実行した被告人K4が、被告人質問で、「(親に殺害行為を実行させず、自分が殺害したことは)自分の考えるヤクザ論としては、自分は名誉と思う」と答えたことなどを挙げ、「その歪んだ観念・発想から抜け出す可能性は見い出せない」と述べた[新聞 117]

そして、犯行を「史上稀に見る凶悪な事件」とした上で、両被告人について「もはや矯正は不可能で、極刑をもって臨むほかない」と断じた[新聞 115][新聞 116]

閉廷後、被害者Aの母・妹は、それぞれ「(被告人らに)反省の念が見られず、残念だ」、「(姉・甥2人の)3人がどれだけ恐怖を味わって死んだか。死刑以上の刑があればいい」と、それぞれ語った[新聞 118]

2006年6月13日、第25回公判、K2・K4両被告人の最終弁論[編集]

2006年6月13日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、第25回公判が行われ、結審した[新聞 119][新聞 120]

最終弁論で、両被告人の弁護人は、それぞれ「被告人なりに反省・悔悟の情を示している」と主張し、死刑回避を求めた[新聞 119]

被告人K2の弁護人は、「事件を主導的に企画・立案したのは、夫K1で、K2の関与は従属的だった」と述べた上で、「K2は、事件の内容を真摯に語っていることから、再犯の可能性はない」と主張した[新聞 120]

被告人K4の弁護人は、「K4は事件当時、精神的に未熟だった。矯正の可能性がないと決めつけるべきではない」と訴えた[新聞 120]

最終意見陳述で、被告人K2は「重ねてお詫びすること以外、何もない」と、被告人K4は「本当に申し訳ない。判決は素直に受け入れたい」と、それぞれ語った[新聞 119]

2006年10月17日、判決公判、K2・K4両被告人に死刑判決[編集]

2006年10月17日、判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)は、母親K2・次男K4の両被告人に対し、検察側の求刑通り、それぞれ死刑判決を言い渡した[新聞 14][新聞 7][新聞 121][新聞 122][新聞 123][新聞 124][新聞 125][新聞 126]

福岡地裁久留米支部は、判決理由で、一連の犯罪事実・被告人4人の共謀について、すべて検察側の主張通りに事実認定した[新聞 14][新聞 123]

また、一連の殺害動機について、「K2が、生活難・資金難を打開し、被害者Aが所持していた多額の現金を奪おうとしたものだ」と指摘した[新聞 14][新聞 123]

その上で、Cを除く3人の殺害に関与した被告人K2を、「動機面での中心的存在であり、『関与は従属的だ』として、量刑の軽減を求める弁護人側の主張は認められない」とした[新聞 14]

そして、殺害された4人について、「痛ましいことこの上なく、誠に哀れで悲惨だ」と追悼した上で、4人殺害を実行した被告人K4に対しては、「Aを殺害する際、たばこを吸ったり、遺体の上に寝そべるなどしたことなどから、人間の生命の尊厳を軽視する態度が著しく、矯正は困難だ」と断じた[新聞 14]

そして、被告人K4は公判中、「親に人殺しをさせるくらいなら、自分が殺した方がマシだ。後悔していない」、「また同じ状況になれば人を殺す」などと発言したり、被害者遺族に暴言を吐くなどしていたが[新聞 124]、これらの態度に対しては、「暴力団組長の父親の下で、人命を軽視し、両親の支持であれば殺人も厭わないなど、暴力団特有の反社会的な美意識を強く持っており、矯正は困難だ」と認定した[新聞 123][新聞 124]

判決言い渡し後、被告人K2は、傍聴席にいた被害者Cの遺族と、被害者A一家の遺族にそれぞれ、深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べた[新聞 124]

その一方で、被告人K4が法廷に残した最後の言葉は、「なるようにしかならんやろ」というものだった[新聞 124]

被害者遺族や、検察庁・弁護人の判決への反応[編集]

被害者Aの妹は、「2人が死刑になっても、姉や甥は帰ってこない。殺され方を思うと、死刑より重い刑罰があればいいと思う」と、死刑判決を聞いてもなお、やり場のない無念さを口にした[新聞 124]

また、同じく判決公判を傍聴したAの母親は、「死刑判決は当然だが、一度に娘と孫2人の命を奪った被告人たちからは、心からの反省を最後まで受け取れなかったことが許せない」と語った[新聞 124]

福岡地検久留米支部の支部長・内藤惣一郎は、判決を受け、「適正な判決と考える。改めて被害者の方々のご冥福をお祈りします」と述べた[新聞 126]

一方で、被告人K4の弁護人・永尾広久弁護士は、閉廷後、「判決には不満が残る。世界的な死刑廃止の潮流に逆行するものと言わざるを得ない。更に上級審の判断を求めるよう、被告人には控訴するよう勧める」とコメントした[新聞 126]

また、被告人K2の弁護人・北村哲弁護士も、「弁護人として控訴を検討したい」と述べた[新聞 126]

K2・K4両被告人が控訴[編集]

被告人K4は、死刑判決を受けた2006年10月17日付で、判決を不服として、福岡高等裁判所控訴した[新聞 127][新聞 128]

被告人K2も、2006年10月26日付で、福岡高裁に控訴した[新聞 129][新聞 128]

父親K1・長男K3両被告人の審理[編集]

2005年4月26日、第3回公判[編集]

2005年4月26日、K1・K3両被告人について、第3回公判が開かれた[新聞 130]

同日、分離公判となった被告人K2が、検察側の証人として出廷した[新聞 130]。K2は、K1が単独犯を主張し、K3が全面否認していた、被害者Aの殺害について、両被告人との共謀を認める証言をした[新聞 130]

Sの上でK2は、「A殺害は当初、K1とともに計画したが、自分が実行を躊躇っていたところ、K3が『自分が殺してもいい』と持ち掛けた」、「長男Cの殺害は、次男K4を含め、4人全員で決めた」と、4被告人による共謀の状況を、検察側の主張通りの形で明らかにした[新聞 130]

2005年5月、K3の体調不良、第4回公判期日が2度にわたり取り消し[編集]

福岡地裁久留米支部は、K1・K3両被告人について、第4回公判を2005年5月10日午後2時から開廷することを予定していた[新聞 131]

しかし、K3は、2005年5月5日午前8時頃、拘置先の福岡刑務所にて、房内で体調を崩しているところを、巡回した刑務官に発見されたため、医務官から応急措置を受けた後、病院に搬送された[新聞 131]

そのため、福岡地裁久留米支部は、第4回公判を開廷予定だった2005年5月10日、公判日程を取り消し、公判を中止した[新聞 131]

その後、福岡地裁久留米支部はいったん、2005年5月24日午後2時から、改めて第4回公判を開廷することを決定した[新聞 132]

しかし、2005年5月20日、福岡地裁久留米支部は、「K3の体調不良」を理由に、再び公判日程を取り消した[新聞 132]。この時点でK3は、気管支系の疾患などを併発したが、回復に向かっていた[新聞 132]

公判再開後、2005年7月27日になって、福岡矯正管区は、この体調不良について、「不眠症の薬の副作用が原因だ」と発表した[新聞 133]。発表によれば、K3は福岡刑務所に拘置された同年1月以降、不眠を訴えたため、毎夜、刑務官から向精神薬を受け取り、服用していた[新聞 133]

K3は、「自殺未遂ではない。薬の効き目を高めるため、刑務官の目をごまかし、1回か2回、薬を飲むふりをしてから吐き出しては、一度に飲んでいたかもしれない」と話した[新聞 133]

2005年6月7日、第4回公判、検察側証人尋問[編集]

2005年6月7日、福岡地裁久留米支部で、K1・K3両被告人の第4回公判が開かれた[新聞 134]

体調不良のため入院していた被告人K3は、この日までに退院し、前回公判から約1か月半ぶりに出廷した[新聞 134]。しかしこの日は、顔色が悪くやつれた様子だった[新聞 134]

同日、被告人K2が、検察側証人として出廷した[新聞 134]

K2は、次男K4がAを絞殺した際の状況について、「一緒にいたK3が、『しっかり首を絞めろ。人は息を吹き返すぞ』と、自分に話しかけてきた」と証言した[新聞 134]

2005年6月14日、第5回公判、被告人K3の弁護人冒頭陳述[編集]

2005年6月14日、第5回公判が開かれ、被告人K3の弁護人による、冒頭陳述が行われた[新聞 135]

弁護人は、被告人K3について、「4人の殺害現場に居合わせた事実はなく、起訴事実を認めている母K2らとの謀議もなかった」として、被害者4人の殺害について、改めて無罪を主張した[新聞 135]

また、弁護人は、「次男K4が死刑になるのを防ぐため、K1を除く母子3人で、『K3も計画に加わったことにする』物語を作り上げた」と主張した[新聞 136]

2005年6月28日、被告人K3の弁護人側証人として、被告人K2が出廷[編集]

2005年6月14日の公判で、被告人K3の弁護人が、母K2被告人を証人尋問した[新聞 137]

被告人K2は、逮捕当初、「4人全員を自分1人で殺した」と供述したが、後に家族の関与を認めたことについて、「まず次男K4、次に夫K1、最後に長男K3と、それぞれ関与を認め、話した」と述べた[新聞 137]

その一方で、K3の関与を認めた経緯については、「覚えていない」、被害者Cの殺害については、「K4が1人で殺したと聞いた」と、それぞれ証言した[新聞 137]

2005年7月12日、証人としてK2が出廷[編集]

2005年7月12日の公判で、被告人K2が、再び証人出廷した[新聞 136]

同日、被告人K1が、妻K2に対し、直接質問する一幕があった[新聞 136]

K1は、「事件は私が全部1人で実行したので、あなたと共謀した覚えはない。なぜ、共謀したというのか」と質問すると、K2は一息置いて、「私は嘘はついていません」と話した[新聞 136]

また、K3の弁護人が、「『K3も計画に加わったことにする』物語を作り上げた」と主張したことについて、裁判官がK2に対し、「このような話をしたことがありますか」と尋ねると、K2は「ありません」と答えた[新聞 136]

2005年8月23日、証人として被告人K4が出廷[編集]

2005年8月23日の公判で、被告人K4が、始めて証人出廷した[新聞 138]

起訴事実を認めていたK4は、検察側から、被害者Cの殺害について質問を受けると、「兄K3から、Cを殺害し、A宅金を奪う計画を持ち掛けられた」、「『このことは両親にも言うな。もし警察にばれたら、お前が自首して、「全部自分1人でやった」と言え』と言われた」と証言した[新聞 138]

その上で、殺害・死体遺棄について、2人で実行したことを証言した[新聞 138]

2005年9月27日、証人として被告人K4が出廷[編集]

2005年9月27日の公判で、被告人K4が、検察側証人として出廷した[新聞 139]

K4は、主尋問にて、「一連の犯行は、家族4人全員で計画して行った。なくなった被害者4人に申し訳ないし、これ以上みっともない姿をさらしたくない」と話し、謝罪の言葉を述べた[新聞 139]

その上でK4は、遺棄した遺体の発見を遅らせるため、川に潜って遺体を探したことなど、事件の詳細について証言した[新聞 139]

最後にK4は、「犯行は自分の単独犯だ」と主張していた父K1について、気持ちを聞かれると、「息子であることを誇りに思う。正しいことを言ってほしい」と述べた[新聞 139]

その一方で、犯行を否認し続けていた兄K3に対しては、「両親を踏み台にして、自分だけ責任逃れしようとは、人間失格だ。最後くらいはきちんとするのが社会に対してのけじめだ」と批判した[新聞 139]

2006年2月7日、被告人K3への被告人質問[編集]

2006年2月7日、被告人K3の公判で、捜査段階の供述の任意性について、被告人質問が行われた[新聞 140]

被告人K3は、弁護人の質問に対し、捜査段階で死体遺棄容疑を認めていたことについて、「検察官がシャープペンシルで下書きした書類を、ボールペンでなぞった」、「『内縁の妻が別れると言った』と聞き、ショックで『否認しても無駄だ』と思った」と述べた[新聞 140]

その上で、「検察官から、『犯行を認めれば、内縁の妻の接見禁止は解除する』と言われた。内縁の妻に会いたくて、嘘の供述をしようと思った」と述べた[新聞 140]

これに対し、検察側は矛盾点を指摘した上で、「任意性について、疑わしい事情はない」と反論した[新聞 140]

2006年4月18日、被告人K1への被告人質問[編集]

2006年4月18日、K1・K3両被告人の公判で、被告人K1に対し、被告人質問が行われた[新聞 141]

被告人K1は、弁護人の質問に対し、家族との共謀を否定した上で、「全て1人でやった」と、従来通りの主張を繰り返した[新聞 141]

また、分離公判中の妻K2・次男K3の両被告人が、それぞれ起訴事実を認めている点について、「(2人は)自分を庇って、『やった』と言っている。息子が人を殺すわけがない」と話した[新聞 141]

2006年4月25日、被告人K1への被告人質問[編集]

2006年4月25日、K1・K3両被告人の公判で、被告人K1に対し、被告人質問が行われた[新聞 142]

被告人K1は、被害者Aの殺害について、強盗目的を否定した上で、「Aの態度が気に入らず殺した。金品を奪う目的はない」と話した[新聞 142]

2006年5月16日、被告人K3への弁護人側被告人質問[編集]

2006年5月16日、K1・K3両被告人の公判で、被告人K3に対し、弁護人からの被告人質問が行われた[新聞 143]

被告人K3は、被害者Aを「自分が殺す」と語ったことについて、「『Aが知人の工務店に支払いをしないのは、母K2の説得力が弱いからだ』と考え、母K2を本気にさせようとしただけだ」と述べ、改めて共謀を否定した[新聞 143]

2006年5月30日、被告人K3への被告人質問[編集]

2006年5月30日、K1・K3両被告人の公判で、被告人K3に対し、被告人質問が行われた[新聞 144]

被告人K3は、「2004年9月18日未明、K1ら他の被告人3人が、被害者Aの殺害を話し合っていた際、自分は部屋の外で、仕事の電話をかけていた」として、アリバイを主張した[新聞 144]

また、Aが殺害された時についても、「弁当屋・ファミリーレストランに行った後、実家でビデオを見ていた。3人が何をしているのか知らなかった」などと述べ、改めて関与を否定した[新聞 144]

2006年6月27日、被告人K3への被告人質問[編集]

2006年6月27日、K1・K3両被告人の公判で、被告人K3に対し、高原正良裁判長による被告人質問が行われた[新聞 145]

被告人K3は、高原裁判長から、「死刑を求刑されたK2・K4両被告人は、ともに『K3も共犯だ』と証言している」と指摘した[新聞 145]。その上で、「2人は、極刑を受ける可能性も出てくるあなたの立場もわかっているはずだ。なぜ2人は、あなたの言う事実と違うことを言うのか」と質問した[新聞 145]

これに対し、被告人K3は、「私は正直に言っているだけだ」と、改めて殺害を否定した上で、「K2・K4は、犯行に私を含めることで、無期懲役になると思っているのでは」と話した[新聞 145]

2006年9月19日、被害者遺族2人が意見陳述[編集]

2006年9月19日、K1・K3両被告人の公判で、被害者遺族2人が意見陳述し、それぞれ両被告人の極刑を求めた[新聞 146]

2006年10月24日、第31回論告求刑公判、K1・K3両被告人に死刑求刑[編集]

2006年10月24日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、第31回公判となる、論告求刑公判が開かれた[新聞 147][新聞 148]

検察側は、父親K1・長男K3両被告人に対し、先に死刑判決を言い渡された母親K2・次男K4両被告人と同様、死刑を求刑した[新聞 147][新聞 148]

論告で、検察側は「両名とも、公判で虚偽の、不合理で取るに足りない供述を積み重ねている」[新聞 148]、「自己中心的かつ、凶悪な犯行で、何ら酌量すべき事情はない」と断じた[新聞 147]

特に、捜査段階では犯行を認めたものの、公判で一転して否認に転じた被告人K3に対しては、「両親や弟に刑事責任を擦り付ける人間性は、まさに邪悪そのものとしか言いようがない」と非難した[新聞 148]

2006年11月28日、第32回公判、最終弁論[編集]

2006年11月28日、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)にて、第32回公判が行われ、結審した[新聞 149][新聞 150]

最終弁論で、被告人K1の弁護人側は、「真摯に反省しており、謝罪する態度がある」として[新聞 150]、死刑回避を求めた[新聞 149][新聞 150]

また、被告人K3の弁護人側は、「K3にはアリバイがある」と訴え、取り調べ中の逃走事件以外[新聞 150]、全ての罪状についてこれまで通り、無罪を主張した[新聞 149][新聞 150]

最終意見陳述で、被告人K1は「自分1人で殺した。妻子は一切犯行には関係ない」と述べた[新聞 149]

被告人K3は、「事件を止めることができなかった自分自身も責任を感じてはいるが、決して殺害には関与していない」と陳述書を読み上げ、無罪を訴えた[新聞 149]

2007年2月27日、判決公判、K1・K3両被告人に死刑判決[編集]

2007年(平成19年)2月27日、判決公判が開かれ、福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)は、父親K1・長男K3両被告人に対し、検察側の求刑通り、死刑判決を言い渡した[新聞 15][新聞 151][新聞 152][新聞 19][新聞 153][新聞 154][新聞 155]

これにより、犯行に関与した一家4人が、いずれも死刑判決を受けるという[新聞 15]、前代未聞の事態となった[雑誌 1]

福岡地裁久留米支部は、一連の犯行を、「人命を軽視した、冷酷・残忍な犯行で、極刑をもって臨むほかない」と非難した[新聞 15]

判決理由においては、Aら3人の殺害について、K1の主導により、被告人4人が共謀して実行したことを事実認定した[新聞 15]。その上で、K1が「自分の単独犯だ」と主張したことに対しては、「主張は不自然・不合理で、信用できない」として退けた[新聞 15]

その上で、被告人K1について、「常に犯行の中心的存在として、主導的・積極的に関与した」[新聞 153]、「大牟田署で拳銃自殺を図ってでも、事件の真相を隠そうとするなど、暴力団特有の歪んだ価値観が根付いており、矯正は困難だ」と非難した[新聞 15]

また、被告人K3に対しても、「捜査段階で容疑を認めた自白は、臨場感・迫真性があり、体験したものでなければ語り得ないものだ」として、無罪主張を退け、有罪と認定した[新聞 155]。その上で、「捜査段階で、殺害への関与を認めながら、公判で無罪を主張しており、反省は深まっていない。実行役を弟K4に押し付け、脇役に転じるなど、態度は自己中心的・狡猾だ」と断じた[新聞 15][新聞 153]

そして、一連の犯行について、「親子4人がかりの殺害行為は、執拗かつ冷酷だ」、「死者への冒涜を厭わない姿勢も顕著だ」など、犯行を非難する文言が、次々と述べられた[新聞 153]

なお、被告人K3が、取り調べ中に福岡地検久留米支部から脱走を図った事件については、「監視体制に油断があった点は、地検の落ち度を指摘せざるを得ない」とした[新聞 15]

被害者遺族や、検察庁・弁護人の判決への反応[編集]

被害者Aの母親は、娘2人(いずれもAの妹)とともに、判決公判を傍聴した[新聞 153]

閉廷後、Aの母親は、「被告人K1は、自分が裁かれているのに、しんみりとではなく、堂々と座っていて、腹が立った。反省の色は感じられなかった」、「死刑判決を聞いた時だけは、少しほっとしたが、本当に死刑執行を見届けるまで、無念さは収まらない」と語った[新聞 153]

妹の1人は閉廷後、「大事な姉・おいが惨殺され、憎しみでいっぱいだ。被告人4人が未だに生きていることが歯がゆい」と語った[新聞 153]

福岡地検久留米支部の支部長・内藤惣一郎は、判決を受け、「適正な判決と考える。改めて被害者の方々のご冥福をお祈りします」と述べた[新聞 154]

一方で、被告人K3の弁護人・紫藤拓也弁護士は、閉廷後、「判決内容についてはノーコメント、控訴するかについては、被告人本人と直接会って判断したい」とコメントした[新聞 154]

また、被告人K1の弁護人・富永孝太朗弁護士は、「被告人の主張が受け入れられておらず、事実誤認もある。上級審で改めて審理すべきだ」と述べ、同日付で控訴した[新聞 154]

K1・K3両被告人が控訴[編集]

被告人K1は、判決を不服として、同日付で福岡高裁に控訴した[新聞 15][新聞 154][新聞 155]

被告人K3も、2007年3月1日付で、判決を不服として福岡高裁に控訴した[新聞 156][新聞 157]

控訴審・福岡高裁[編集]

母親K2・次男K4両被告人の審理[編集]

2007年6月5日、控訴審初公判[編集]

2007年6月5日、母親K2・次男K4両被告人の控訴審初公判が、福岡高等裁判所(正木勝彦裁判長)で開かれた[新聞 158][新聞 159]

両被告人それぞれの弁護人は、それぞれ「従属的な立場だった」と主張し、死刑判決を破棄し、無期懲役を適用するよう訴えた[新聞 158][新聞 159]

検察側は「第一審・死刑判決は妥当である」として、両被告人・弁護人側の控訴を、いずれも棄却するよう求めた[新聞 158][新聞 159]

2007年12月25日、両被告人に二審も死刑判決[編集]

2007年12月25日、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は、第一審の死刑判決を支持し、母親K2・次男K4両被告人の控訴を、いずれも棄却する判決を、それぞれ言い渡した[新聞 160][新聞 161][新聞 162][新聞 163][新聞 164][新聞 165]

福岡高裁は、「被害者Aへの憤りを晴らし、生活苦を一気に解消しようと、それぞれ重要な役割を果たした」、「人命軽視の態度が甚だしく、死刑が重すぎて不当とは言えない」と事実認定した[新聞 163]

冒頭で控訴棄却の主文が読み上げられた後、判決理由が朗読されると、被告人K2は、身動きせずに聞き入っていた[新聞 165]。その一方で被告人K4は、母親とは対照的に、落ち着かないように母を見たり、傍聴席に視線を送ったりしていた[新聞 165]

閉廷後、被告人K4は、弁護人に対し突然、「先生、メリークリスマス!」と叫び[新聞 165][新聞 163]、退廷した[新聞 161]

公判を傍聴していた被害者Aの遺族は、「犯人が死刑になっても、遺族の心は休まらない。K4は最初から1つも変わっておらず、反省がない。一家には人間社会から退場してほしい」と語った[新聞 165][新聞 163]

K2・K4両被告人が上告[編集]

被告人K4は、2007年12月27日、判決を不服として、最高裁判所上告した[新聞 166]

被告人K2も、2007年12月28日、判決を不服として、最高裁に上告した[新聞 167]

父親K1・長男K3両被告人の審理[編集]

2007年10月11日、控訴審初公判[編集]

2007年10月11日、父親K1・長男K3両被告人の控訴審初公判が、福岡高裁(正木勝彦裁判長)で開かれた[新聞 168][新聞 169]

第一審で、自らの単独犯行を主張していた被告人K1は、他3被告人との共謀関係を、一転して認めた[新聞 168][新聞 169]。その一方で、「金品を奪うつもりはなかった。死刑は相当ではない」として、強盗目的を認定した第一審判決に対する事実誤認を主張した上で、死刑判決を破棄し、無期懲役刑を適用するよう訴えた[新聞 168][新聞 169]

被告人K3は、「有罪と認定するには証拠不十分だ」と主張し、第一審同様、無罪を主張した[新聞 168][新聞 169]

検察側は「第一審・死刑判決は妥当である」として、両被告人・弁護人側の控訴を、いずれも棄却するよう求めた[新聞 168]

2007年12月20日、控訴審第4回公判、結審[編集]

2007年12月20日、父親K1・長男K3両被告人について、控訴審第4回公判が開かれ、結審した[新聞 170][新聞 171]

同日、被告人K3の弁護人は、「K3にはアリバイがあり、犯行への関与は不可能だ」として、第一審同様、一連の殺害行為について、いずれも無罪を主張した[新聞 171]

2008年3月27日、両被告人に二審も死刑判決[編集]

2008年(平成20年)3月27日、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は、第一審の死刑判決を支持し、父親K1・長男K3両被告人の控訴を、いずれも棄却する判決を、それぞれ言い渡した[新聞 172][新聞 173][新聞 174][新聞 175][新聞 176][新聞 177]

福岡高裁は、被告人K1について、「殺害の実行行為こそしていないが、息子2人を犯行に引き入れ、凶器の拳銃を渡すなど、主導的な役割を果たした」と事実認定した[新聞 176]

また、被告人K3の「アリバイがある」とする無罪主張に対しても、「犯行に関与していないとの絶対的な決め手にはならない」として退け、第一審同様、有罪と認定した[新聞 176]

そして、K3の量刑理由について、「現金欲しさに積極的に殺害計画などに関与しながら、脇役を装う姿は狡猾で、真摯な反省も全く見られない」と指弾した[新聞 176]

K1・K3両被告人が上告[編集]

被告人K1は、判決同日の2008年3月27日、判決を不服として、最高裁に上告した[新聞 178]

被告人K3もその後、判決を不服として、最高裁に上告した。

上告審・最高裁[編集]

最高裁第二小法廷、母親K2・次男K4両被告人の審理[編集]

2011年4月15日まで、上告審口頭弁論公判開廷期日指定[編集]

2011年(平成23年)4月15日までに、最高裁判所第二小法廷須藤正彦裁判長)は、母親K2・次男K4の両被告人について、上告審口頭弁論公判の開廷期日を、同年9月9日に指定し、関係者に通知した[新聞 179]

2011年9月9日、上告審口頭弁論公判開廷[編集]

2011年9月9日、母親K2・次男K4の両被告人について、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)で、上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 180][新聞 181]

被告人K2の弁護人は、「殺害行為には直接関与しておらず、他の共犯者と同じ死刑は量刑不当だ」[新聞 181]、「K2は首謀者ではなく、犯行で果たした役割も小さい」として[新聞 180]、死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 180][新聞 181]

被告人K4の弁護人も、「事件当時20歳で、未熟だったが、現在は矯正の余地が見込める」[新聞 181]、「K4には、事件と向き合わせつつ、生きて罪を償わせるべきだ」として[新聞 180]、死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 180][新聞 181]

一方、検察側は、「両被告人の刑事責任は重大で、死刑をもって臨むほかない」として、いずれも上告を棄却するよう訴えた[新聞 180][新聞 181]

2011年9月16日まで、上告審判決公判開廷期日指定[編集]

2011年9月16日までに、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は、母親K2・次男K4の両被告人について、判決期日を同年10月3日に指定し、関係者に通知した[新聞 182]

2011年10月3日、上告審判決公判、母親K2・次男K4両被告人の上告棄却[編集]

2011年10月3日、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は、母親K2・次男K4の両被告人に対し、いずれも一・二審の死刑判決を支持し、上告を棄却する判決を、それぞれ言い渡した[新聞 183][新聞 184][新聞 185]

これにより、母親K2・次男K4の両被告人について、死刑判決が確定した[新聞 183][新聞 184][新聞 185]

被告人K4は、判決後、『朝日新聞』記者・小野一光に対し、『死刑確定は、わかっていたことではあるが、やはりいろいろ複雑だ」、「死についての怖さは、今まったくなく、ただただ『ああ、そうなのか』という第三者的感覚に近い。死刑確定の実感がまだないということだろう」と記した手紙を送った[雑誌 10]。その上で、「自分がこの手で4人を殺害したのは事実だ。これで死刑が確定するが、相応だと思っている」、「事件、己の行いに後悔はないが、殺害した被害者4人には、心より手を合わせたい」と綴っていた[雑誌 10]

2011年10月11日、福岡拘置所で、小野と面会したK4は、「勾留された最初の年は、暴れて6回ぐらいは懲罰房に入れられたが、この7年で人間が丸くなったとは思う。しかし、心境の変化はない。最初のころと心境は変わらない」と語った[雑誌 10]

これに加え、K4は、死刑確定直前の2011年10月、福岡拘置所で、『毎日新聞』記者・岸達也と面会した[新聞 36]

K4は、岸に対し、死を達観したような表情で、「被害者には謝罪の気持ちを抱いていること」、「現在も父親K1を尊敬していること」などを、淡々と語った[新聞 36]

最高裁第一小法廷、父親K1・長男K3両被告人の審理[編集]

2011年(平成23年)5月16日までに、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は、父親K1・長男K3の両被告人について、上告審口頭弁論公判の開廷期日を、同年9月12日に指定し、関係者に通知した[新聞 186]

2011年9月12日、上告審口頭弁論公判開廷[編集]

2011年9月9日、父親K1・長男K3の両被告人について、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で、上告審口頭弁論公判が開かれた[新聞 187][新聞 188]

被告人K1の弁護人は、「金銭目的を動機と事実認定した一・二審判決は、事実誤認だ」[新聞 188]、「K2は、心から反省しており、死刑は重すぎる」として、死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 187][新聞 188]

被告人K3の弁護人も、「K3は、殺害には関与しておらず、強盗殺人・殺人罪に関しては無罪だ」[新聞 187]、「仮に共謀が成立しても、犯行に消極的であり、極刑は重すぎる」として[新聞 188]、死刑判決を破棄するよう訴えた[新聞 187][新聞 188]

一方、検察側は、「両被告人の刑事責任は重大で、矯正の可能性はない」として、いずれも上告を棄却するよう訴えた[新聞 187]

2011年9月28日まで、上告審判決公判開廷期日指定[編集]

2011年9月28日までに、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は、父親K1・長男K3の両被告人について、判決期日を同年10月3日に指定し、関係者に通知した[新聞 189]

2011年10月17日、上告審判決公判、父親K1・長男K3両被告人の上告棄却[編集]

2011年10月17日、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は、父親K1・長男K3の両被告人に対し、いずれも一・二審の死刑判決を支持し、上告を棄却する判決を、それぞれ言い渡した[新聞 16][新聞 17][新聞 190][新聞 191]

これにより、父親K1・長男K3の両被告人についても、死刑判決が確定するとともに、犯罪に携わった一家4人全員に対し、死刑が確定することとなった[新聞 16][新聞 17][新聞 190][新聞 191]

死刑囚一家の現在[編集]

2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 5]、母親K2・次男K4は、それぞれ福岡拘置所に、父親K1は広島拘置所に、長男K3は大阪拘置所に、それぞれ死刑囚として収監されている[書籍 1]

なお、次男K4は2013年(平成25年)、支援者女性と獄中結婚し、姓が「K」(イニシャル)から「I」に変わっている[書籍 1]

また、母親K2は戦後日本14番目の女性死刑囚である。

死刑囚K4の信書を福岡拘置所が不許可にした問題[編集]

死刑囚K4は2012年(平成24年)、収監先の福岡拘置所から、養父・養子ら、計4人に対し、信書を送ろうとした[新聞 192]

しかし、福岡拘置所は、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律で、信書のやり取りが認められる『親族』に、4人は該当しない」として、許可しなかった[新聞 192]

これは、「死刑囚が、外部とのやり取りを確保するのが目的と認められる養子縁組の場合、文通は許可しない」という、法務省の通達を根拠としたものだった[新聞 192]

これに対し、福岡県弁護士会は、2018年2月22日付の勧告書で、福岡拘置所に対し、「養子縁組は適法に成立しており、文通は許可されるべきだ」と指摘し、文通を不許可にしないよう勧告した[新聞 192]

その他[編集]

次男K4は、死刑が確定するまで、作家・鈴木智彦との文通を重ねており、その獄中手記を中心に構成された単行本『我が一家全員死刑』(コアマガジン発行)が、上告中の2010年11月に刊行された[その他 3]。同書はその後、コア新書で再刊された後、後述の映画化に合わせ、2017年(平成29年)11月7日、小学館から文庫本『全員死刑』として発売された[その他 3]

同書を原作に、この事件をモチーフとした、間宮祥太朗主演の映画『全員死刑』(監督小林勇貴、プロデューサー・西村喜廣)が制作され、2017年11月18日に公開された[その他 4][その他 5]

また、八乙女光主演の舞台『殺風景』(2014年5月上映)は、本事件を題材にしている[その他 6]

参考文献[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  • 福岡高等裁判所第三刑事部判決 2007年(平成19年)12月25日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成18年(う)第737号、『強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反各被告事件』「被告人b(本文中K4)がその実兄(本文中K3)と共謀の上,被害者d(本文中A)の二男である被害者e(本文中C)を殺害して貴金属を強取した強盗殺人(1)と,以下,いずれも被告人b及びその実兄が,両親である被告人a(本文中K2)とその夫(本文中K1)と共謀して,被害者dを殺害して現金を強取した強盗殺人(2),被害者dの長男である被害者g(本文中B)とその友人である被害者h(本文中D)を,上記(2)の犯行発覚を免れようとして口封じのために,けん銃などを用いて殺害し,その際,けん銃を発射した殺人等(3),被害者d,g,hの死体を車に載せて川に沈めて遺棄した死体遺棄(4)からなる事案につき,被告人a,b両名をいずれも死刑に処した原判決の量刑はやむを得ないものとして,被告人a,b両名からの控訴をいずれも棄却した。」。
  • 最高裁判所第一小法廷判決 2011年(平成23年)10月17日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成20年(あ)第808号、『被告人A(本文中K1)に対する強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,被告人B(本文中K3)に対する強盗殺人,死体遺棄,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,逃走各被告事件』。

関連書籍[編集]

  • 鈴木智彦 『我が一家全員死刑』 コアマガジン2010年11月6日ISBN 978-4862529138
    • 次男K4による獄中手記。書名は「一家全員」となっているが、同書によると事件に関わっていない家族や、事件当時既に他界していた家族もいる。
  • 鈴木智彦 『全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』 小学館文庫2017年11月12日ISBN 978-4094064759
    • 『我が一家全員死刑』を、映画化に合わせて加筆・修正の上、文庫化したもの。
  • 年報・死刊廃止編集委員会 『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』 インパクト出版会2017年10月15日ISBN 978-4755402807

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「馬沖橋」とは、大牟田市馬場町・沖田町の間を流れる諏訪川に架かる市道の橋。
  2. ^ おおむた地図ナビ:現場周辺の地図”. 大牟田市. 2018年4月7日閲覧。

出典[編集]

※以下の出典において、見出しなどに死刑囚一家・被害者の実名が含まれている場合、記事中で該当する人物の仮名に置き換えている。また、死刑囚一家の姓はイニシャル「K」に置き換えている。

判決文出典[編集]

書籍出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h インパクト出版会 (2017, p. 199-200)
  2. ^ a b c d e f g 鈴木智彦 (2017, p. 10)
  3. ^ a b c d e f 鈴木智彦 (2017, p. 11)
  4. ^ a b 鈴木智彦 (2017, p. 18)
  5. ^ a b c d e インパクト出版会 (2017, p. 205)
  6. ^ a b c d 鈴木智彦 (2017, p. 21)

雑誌出典[編集]

  1. ^ a b 週刊朝日』2007年3月16日号 p.163「凶悪 福岡4人殺しで一家全員『死刑』」(朝日新聞社
  2. ^ a b c d 月刊誌『相撲』1996年4月号(ベースボール・マガジン社、1996年4月15日発行) p.147 「角界トピックス 1996年3月新弟子検査合格者」(※上から4段目、7段落目、「68番 大島部屋」)
  3. ^ 月刊誌『相撲』1996年6月号(ベースボール・マガジン社、1996年6月15日発行) p.122「角界トピックス 力士往来<改名>◇序ノ口」(※上から2段目、3行目及び4行目)
  4. ^ a b 月刊誌『相撲』1996年7月号(ベースボール・マガジン社、1996年7月15日発行) p.174「平成8年夏場所全力士略歴星取表」
  5. ^ a b 月刊誌『相撲』2000年6月号(ベースボール・マガジン社、2000年6月15日発行) p.156「角界トピックス 2000年5月25日 新弟子検査合格者」(※上から3段目、3段落目、「6番 松ヶ根部屋」)
  6. ^ a b 月刊誌『相撲』2000年9月号(ベースボール・マガジン社、2000年9月15日発行) p.156「平成12年夏場所全力士略歴星取表」
  7. ^ 月刊誌『相撲』2000年10月号(ベースボール・マガジン社、2000年10月15日発行) p.118「角界トピックス 力士往来<改名>◇序ノ口」(※上から1段目、27行目及び28行目)
  8. ^ 月刊誌『相撲』2000年11月号(ベースボール・マガジン社、2000年11月15日発行) p.152「平成12年秋場所全力士略歴星取表」
  9. ^ 月刊誌『相撲』2001年4月号(ベースボール・マガジン社、2001年3月29日発売) p.82
  10. ^ a b c 週刊朝日』2011年11月4日号 p.154「福岡・大牟田4人殺害事件の実行犯が綴った『死刑と不敵』」(朝日新聞社、記者:小野一光)

新聞報道出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 読売新聞』2004年9月22日西部夕刊第一社会面7面「高1男子遺体、川に遺棄 容疑の女逮捕 母ら3人も不明/福岡・大牟田」
  2. ^ a b c d e f g 読売新聞』2004年9月22日東京夕刊第一社会面19面「15歳少年遺体、川に遺棄 母の知人女を容疑で逮捕/福岡・大牟田」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『読売新聞』2005年3月16日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田連続殺人初公判 一家4人、認否割れる」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq 『読売新聞』2005年3月16日西部朝刊「大牟田連続殺人・死体遺棄 検察側冒頭陳述要旨」
  5. ^ a b c d 『読売新聞』2004年10月27日西部朝刊1面「大牟田連続殺人事件 K親子4人を母親強殺容疑で再逮捕」
  6. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2004年11月17日西部朝刊第一社会面35面「大牟田事件 K1親子4人再逮捕 長男ら殺害容疑で 母強殺の口封じ?/福岡」
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb 『読売新聞』2006年10月18日西部朝刊1面「大牟田4人殺害判決要旨」
  8. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』2004年9月28日夕刊第一社会面9面「2少年が撃たれた銃、組員と同口径 大牟田・遺棄事件 【西部】」
  9. ^ a b c d e f g h i j 『読売新聞』2004年9月23日東京朝刊1面「福岡・大牟田の高1死体遺棄 『母子ら4人殺した』 K2容疑者が供述」
  10. ^ a b c 『読売新聞』2004年10月2日西部夕刊1面「福岡・大牟田4人殺害事件 K4容疑者の兄逮捕 死体遺棄容疑共犯で」
  11. ^ a b c d e f g h i j 『読売新聞』2004年10月8日西部朝刊第一社会面31面「福岡・大牟田の4人殺害事件 3人遺棄容疑で夫逮捕 K2・K4容疑者も再逮捕」
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m 『読売新聞』2004年9月26日西部朝刊第一社会面39面「大牟田4人殺害 2組の母子に何が K2容疑者長男、Bさんと親交」(※本記事では、K1・K2の次男であるK4が、「長男」と報道されているため、注意されたい。)
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『読売新聞』2004年9月26日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田連続殺人 K2容疑者の息子逮捕 死体遺棄容疑 交友トラブルか」
  14. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2006年10月18日西部朝刊1面「大牟田4人殺害 K2被告とK4被告に死刑判決 福岡地裁支部『冷酷で残虐』」
  15. ^ a b c d e f g h i j k 『読売新聞』2007年2月28日西部朝刊1面「福岡・大牟田4人殺害 父、長男にも死刑 一家4人の共謀認定/地裁久留米判決」
  16. ^ a b c d 『読売新聞』2011年10月18日西部朝刊第二社会面38面「大牟田4人殺害 親子4人 死刑確定へ 元組長と長男も上告棄却」
  17. ^ a b c d 『読売新聞』2011年10月18日東京朝刊第二社会面38面「元組長と長男も死刑確定へ 大牟田4人殺害の上告審判決」
  18. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2004年9月29日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害 見えぬ真相 金銭関係こじれ? 女友達巡るトラブル?」
  19. ^ a b 『東京新聞』2007年2月28日朝刊第一社会面27面「元組幹部、長男にも死刑 福岡4人殺害 地裁支部判決 極刑、一家4人全員に」
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 『読売新聞』2004年10月3日西部朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田4人殺害事件 K2容疑者が回収金着服 Aさん抗議、口論」
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『毎日新聞』2004年10月18日東京朝刊社会面31面「[現場発]福岡・大牟田の死体遺棄 子供に厳しくしていれば…」(記者:川辺康広)
  22. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2004年9月27日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害事件 Aさん宅、金庫消える」
  23. ^ a b c d 『朝日新聞』2004年9月26日朝刊第一社会面39面「高1遺棄で息子も逮捕 母親と共犯の疑い 大牟田事件」
  24. ^ 『毎日新聞』2004年10月2日西部夕刊第一社会面7面「福岡・大牟田の死体遺棄 Cさん遺棄の疑い、K4容疑者の兄逮捕」
  25. ^ a b c d e f g h 『毎日新聞』2004年10月3日西部朝刊社会面26面「福岡・大牟田の死体遺棄 家族ぐるみの凶行か K兄弟『悪質』、不良らも嫌う」
  26. ^ a b c d e 『毎日新聞』2000年10月30日西部夕刊社会面「福岡・城島町の少年水死 傷害致死容疑、少年6人を逮捕 無断欠勤に腹立て」
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『読売新聞』2000年10月30日西部夕刊第一社会面7面「クリーク少年水死 傷害致死容疑で少年6人を逮捕 福岡県警/福岡・城島町」
  28. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2000年10月2日西部朝刊第一社会面39面「少年水死は事件の疑い 6月に福岡・城島町のクリークで 関係者を聴取」
  29. ^ 『読売新聞』2000年10月31日西部朝刊第一社会面31面「福岡・城島町の少年水死事件 主犯格19歳が仲間に口止め」
  30. ^ a b 『読売新聞』2000年11月1日西部朝刊第一社会面35面「少年水死事件で7人目の逮捕者 16歳、城島署に出頭/福岡・城島町」
  31. ^ a b c 『読売新聞』2000年12月14日西部朝刊第一社会面31面「クリーク水死事件 19歳を逆送致 ほか6人は少年院決定」
  32. ^ a b 『読売新聞』2000年11月21日西部朝刊第一社会面35面「福岡・城島町のクリーク水死事件 少年7人を傷害致死容疑で家裁送致」
  33. ^ 『読売新聞』2000年12月23日西部朝刊第一社会面35面「逆送致の作業員を起訴 クリーク水死事件/福岡・城島町」
  34. ^ 『読売新聞』2001年6月27日西部朝刊第一社会面31面「少年暴行水死に懲役3年6月 地裁久留米支部判決 /福岡」
  35. ^ a b c d 『朝日新聞』2004年10月3日朝刊第一社会面39面「逮捕のK3容疑者も力士挫折・帰郷 大牟田・遺棄事件 【西部】」
  36. ^ a b c 『毎日新聞』2011年11月29日西部朝刊福岡都市圏版21面「記者有情:2世 /福岡」(記者:岸達也)
  37. ^ a b c d 『毎日新聞』2004年9月26日西部朝刊社会面25面「福岡・大牟田の死体遺棄 親しかったはずの友人が… Aさん一家通夜」
  38. ^ a b c d e f g h i j k l 『読売新聞』2004年9月24日西部朝刊1面「福岡・大牟田の高1死体遺棄 母・兄ら?3遺体発見 川底の車から」
  39. ^ a b c 『読売新聞』2004年10月8日西部夕刊第一社会面11面「福岡・大牟田の4人殺害 『やれることやった』 K1容疑者、独り言」
  40. ^ a b 『朝日新聞』2006年5月3日朝刊福岡第一地方面27面「悲しみ増すばかり、相当の償いを 娘と孫奪われた〇〇さん(被害者Aの母親) 大牟田事件求刑 /福岡県」
  41. ^ a b c d e f 『読売新聞』2004年9月27日西部夕刊第一社会面9面「福岡・大牟田の連続殺人 K4容疑者、高1遺体遺棄の翌日現場に?」
  42. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2004年9月28日西部朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田の連続殺人 K4容疑者、事件後修理工場に廃車依頼」
  43. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2004年9月24日西部朝刊第一社会面33面「福岡・大牟田の高1死体遺棄 やはり3人も… 遺体、K2容疑者の供述通り」
  44. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2004年9月23日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の高1遺体 『まさか家族全員が』 知人ら言葉失う」
  45. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2004年9月24日西部夕刊第一社会面11面「福岡・大牟田遺棄事件 3遺体の車、運転席無人 K2容疑者が運転か」
  46. ^ 『読売新聞』2004年9月24日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の遺棄 川から車、3遺体 K2容疑者の供述通り」
  47. ^ a b c 『読売新聞』2004年9月25日西部夕刊1面「大牟田死体遺棄 共犯の男、容疑で逮捕 被害者の友人/福岡県警」
  48. ^ a b c d e f g h i j 『読売新聞』2004年9月25日西部朝刊第一社会面39面「大牟田連続死体遺棄 Aさんから数百万円借金 K2容疑者、返済でトラブル?」
  49. ^ a b c d e f 『読売新聞』2004年9月25日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の連続殺人 K2容疑者、数百万?借金 返済巡りトラブル」
  50. ^ a b c d 『読売新聞』2004年9月25日西部夕刊第一社会面19面「大牟田連続死体遺棄 Bさん・Cさんに銃撃痕 福岡県警、銃の入手経路追及」
  51. ^ a b c 『読売新聞』2004年9月25日東京夕刊第一社会面19面「福岡・大牟田の連続殺人 2遺体に銃撃の跡 『複数犯』強まる」
  52. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2004年9月27日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の連続殺人 被害者宅の金庫消える K2容疑者と金銭トラブルか」
  53. ^ 『読売新聞』2004年9月28日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害 K4容疑者の車、事件後に廃棄依頼」
  54. ^ a b c d 『読売新聞』2004年9月29日東京朝刊第一社会面39面「大牟田の連続殺人 K2容疑者『息子が銃撃』 遺体の弾、夫の拳銃と口径一致」
  55. ^ a b c d e f 『読売新聞』2004年9月28日東京夕刊第一社会面23面「福岡・大牟田の連続殺人事件 Aさんの貸金取り立て、K2容疑者息子が代行」
  56. ^ a b c d e 『読売新聞』2004年10月3日東京朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田の連続殺人 K2容疑者、回収金着服 Aさんが抗議、口論」
  57. ^ a b c d 『読売新聞』2004年9月30日西部朝刊1面「福岡・大牟田の連続殺人 K4容疑者が4人殺害関与供述」
  58. ^ a b c d 『読売新聞』2004年9月30日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の連続殺人 『全部おれがやった』K4容疑者が供述」
  59. ^ a b c d 『読売新聞』2004年9月30日西部朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田の連続殺人 Aさんの貴金属?K2容疑者宅などで発見」
  60. ^ 『読売新聞』2004年10月2日東京夕刊第一社会面19面「大牟田連続殺人・死体遺棄 死体遺棄容疑でK4容疑者の兄も逮捕」
  61. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2004年10月4日西部朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田の4人殺害 夫も3人遺棄関与 県警『親子4人の犯行』」
  62. ^ a b c d e f 『読売新聞』2004年10月4日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田事件 親子4人で犯行か 夫の組幹部、3人遺棄に関与」
  63. ^ a b c d 『毎日新聞』2004年10月4日西部朝刊1面「福岡・大牟田の死体遺棄:アパートを実況見分 『暴行の音』証言、殺害現場か」
  64. ^ a b c d e 『朝日新聞』2004年10月4日朝刊第二社会面34面「出入りアパートを現場検証 大牟田・3容疑者 【西部】」
  65. ^ a b c d 『読売新聞』2004年10月5日西部朝刊第一社会面35面「福岡・大牟田の4人殺害 K2容疑者供述『息子巻き込んだ』 金銭問題きっかけ?」
  66. ^ a b c d e 『読売新聞』2004年11月26日西部夕刊第一社会面11面「大牟田連続殺人 K4被告自殺未遂 先月4日、留置場でトイレのちり紙飲み」
  67. ^ a b c d e 『読売新聞』2004年11月26日東京夕刊第一社会面31面「福岡・大牟田の4人殺害 K4被告、留置場で自殺未遂 ちり紙飲み込む」
  68. ^ a b 『読売新聞』2004年10月8日東京朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害 福岡県警、3人の死体遺棄容疑で夫の組幹部逮捕」
  69. ^ a b c 『読売新聞』2004年10月9日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害 K2容疑者がCさん殺害関与を否認」
  70. ^ a b c d 『読売新聞』2004年10月13日西部夕刊第一社会面7面「福岡・大牟田4人殺害 K3容疑者、遺棄認める」
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その他報道など各種出典[編集]

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  6. ^ “Hey!Say!JUMP八乙女光、主演舞台で笑顔封印!西岡徳馬「(メンバーが観たら)嫉妬する」と太鼓判【コメント全文】”. ニコニコニュース (芸能ニュースラウンジ). (2014年5月4日). オリジナル2018年4月24日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20180424144716/http://news.nicovideo.jp/watch/nw1055224 2018年4月24日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]