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大槻弌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大槻 弌(おおつき はじめ、1867年1月慶応2年12月[1] - 1942年2月15日)は、日本薬学者正六位勲六等[2]薬学博士[3]大阪薬学専門学校[1][2][3]。長女・芳は法医学者古畑種基の妻。

人物

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大阪府人・大槻季夫の長男[1][3]1894年7月、帝国大学医科大学薬学科卒業、薬学士称号を得た[4]。更に大学院に学んだ[2]1915年、博士会の推薦により薬学博士の学位を授けられた[3]

1921年家督を相続した[1][3]。趣味は旅行[5]。宗教は神道[5]。大阪府在籍[1][5]、住所は宿院町[3]

家族・親族

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大槻家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』オ123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月9日閲覧。
  2. ^ a b c d 『薬業年鑑 昭和10年』220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第8版』オ117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』418頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第11版 上』オ167頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
  6. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』ス12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月6日閲覧。

参考文献

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  • 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』東京帝国大学、1886-1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 大日本博士録編輯部編『学位大系博士氏名録 昭和10年版』発展社出版部、1931-1935年。
  • 薬石日報社編纂『薬業年鑑 昭和10年』薬石日報社、1935年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。