大森征之
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名前 | ||||||
カタカナ | オオモリ マサユキ | |||||
ラテン文字 | OMORI Masayuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1976年11月9日(47歳) | |||||
出身地 | 埼玉県浦和市(現:さいたま市) | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1994 | 大宮東高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995 | サンフレッチェ広島 | 0 | (0) | |||
1996 | 鳥栖フューチャーズ | 3 | (0) | |||
1997 | サガン鳥栖 | 26 | (0) | |||
1998-2008 | 名古屋グランパス | 208 | (0) | |||
通算 | 239 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
大森 征之(おおもり まさゆき、1976年11月9日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、実業家。現役時代のポジションはMF[1](特にサイドやボランチ)およびDF(サイドバック、やストッパーなど)。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]1995年、埼玉県立大宮東高等学校からサンフレッチェ広島に入団[2]。出場機会がないまま1996年に当時JFL所属の鳥栖フューチャーズに移籍、翌1997年にサガン鳥栖へと移る[2]。
選手として
[編集]1998年、名古屋グランパスエイトに移籍。2000年からレギュラーとして定着し、登録はミッドフィールダーながらも多くはセンターバックやサイドバックとして出場。ディフェンダーとしては恵まれた体格ではなかったが、優れた戦術眼[3]と粘り強い守備を武器に活躍した。
2004年に右膝前十字靭帯を断裂[2]。その影響で2005年は出場試合数を大きく減らすが、2006年に監督就任したフェルフォーセン体制下で3バックの一角としての地位を確立。試合には出続けたが、怪我の影響により「自分のプレー」ができないジレンマに陥り、選手生活晩年は辞めることばかり考えていた[2]。2007年オフにFC東京への移籍を希望するが[1]正式オファーには発展せず、フロントの説得もあってこれを翻意して残留した[4]。2008年には春季キャンプ中に膝の怪我が限界を迎え[2]、手術・リハビリ等によりシーズン終盤までの長期離脱となった。出場機会のないままチームとの契約を打ち切られ、2009年3月29日に引退が発表された。
引退後
[編集]現役中の2007年度に早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)の特別選抜入学試験に合格しており、引退後はプロテクターなどを製造するイタリアのカンパリ社の代理業を手掛ける企業(株式会社GALTOS)を設立して代表に就任した[5]。
2016年6月28日、名古屋グランパスのチーム統括部強化・補強担当に就任することが発表された[6]。2017年のJ2降格を経て[7]、2018年には「スポーツダイレクター」に就任してチームの再建を担った[8]。2021年11月24日に契約満了により退任した[8]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 広島 | - | J | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1996 | 鳥栖F | 29 | 旧JFL | 3 | 0 | - | 3 | 0 | 6 | 0 | |
1997 | 鳥栖 | 13 | 26 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |
1998 | 名古屋 | 25 | J | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 |
1999 | J1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | ||
2000 | 15 | 29 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | ||
2001 | 4 | 25 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | ||
2002 | 27 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | |||
2003 | 29 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | |||
2004 | 19 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 25 | 0 | |||
2005 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | |||
2006 | 32 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||
2007 | 31 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | |||
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 208 | 0 | 35 | 0 | 18 | 0 | 261 | 0 | |
日本 | 旧JFL | 29 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 | 40 | 0 | ||
総通算 | 237 | 0 | 40 | 0 | 24 | 0 | 301 | 0 |
国際試合
- アジアカップウィナーズカップ2000-01 4試合0得点
脚注
[編集]- ^ a b “MF大森がFC東京へ移籍濃厚 守りに穴、チームに大きな痛手”. 中日スポーツ. (2008年1月15日) ????-??-??閲覧。
- ^ “【スタッフインタビュー】大森征之(チーム統括部スポーツダイレクター)「チームを“統括”して、グランパスを一つに」”. インサイド・グランパス (2021年4月19日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ “大森、残留 久米GM慰留で心変わり”. 中日スポーツ. (2008年1月25日) ????-??-??閲覧。
- ^ 「かつて彼らはサッカー選手だった」、サッカーマガジンZONE 7月号(2015年度)、2015年5月23日閲覧
- ^ “大森征之氏、チーム統括部強化・補強担当に就任のお知らせ”. 名古屋グランパス公式サイト (2016年6月28日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ “グランパスはジョーの成功を確信していた。「Jリーグの日本人CBを見た時に…」【名古屋・大森SDインタビュー(前編)】”. FOOTBALL CHANNNEL (2019年4月24日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ a b “【J1名古屋】大森征之SDが退任 選手時代を含め17年在籍「皆さまと一緒に挑戦し続けられたことに感謝」”. 中日スポーツ. (2021年11月24日) 2024年4月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 大森征之 - Soccerway.com
- 大森征之 - FootballDatabase.eu
- 大森征之 - WorldFootball.net
- 大森征之 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 大森征之 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 大森征之 - J.League Data Siteによる選手データ
- GALTOS
- サガントス絆プロジェクトシリアルNo. 00535 (2008年4月11日時点のアーカイブ)