大月麗子

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おおつき れいこ
大月 麗子
本名 古賀 京子 (こが きょうこ)
別名義 大月 礼子
生年月日 (1945-12-19) 1945年12月19日(78歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県
職業 女優
ジャンル 劇場用映画成人映画日活ロマンポルノ
活動期間 1964年 - 1976年
主な作品
㊙湯の町 夜のひとで』(1970年公開)
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大月 麗子(おおつき れいこ、1945年12月19日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。本名・初期芸名は古賀 京子(こが きょうこ)[8][11]大月 礼子とクレジット表記された作品も存在する[11][16]。高校卒業した1964年(昭和39年)の夏に映画界にデビュー、1967年(昭和42年)に初主演を果たす[1][6][7][8][9][10][11]。代表作は渡辺護監督の『㊙湯の町 夜のひとで』(1970年公開)[1][17][18]

同時代に東映の女優であった古賀京子とは異なる[8][11][19]

人物・来歴[編集]

成人映画の時代[編集]

1945年(昭和20年)12月19日、第二次世界大戦終戦から4か月後の福岡県に生まれる[1][2][9]

1961年(昭和36年)4月、高等学校に入学、1964年(昭和39年)3月、高校卒業するとともに東京へ移る[1][2]。同年夏、東京放送(現在のTBSテレビ)に所属する社員ディレクターであった今野勉が、脚本家の浅間虹兒に持ち掛けられて匿名の「グループ創造」名義で監督した『裸虫』に古賀 京子の名で出演したのが、映画界へのデビュー作とされる[1][2]。同作は、同年11月1日に公開されたが[20]、同作に先行する同年8月26日に公開された『女蕩し』(監督大井三郎)にも出演した記録が残っている[4][21]。1965年(昭和40年)11月に公開された『埋蔵金物語 残虐の穴』(監督関孝二)に出演してから、女優としての本格的キャリアが始まった[1][4]

日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、大月の名は挙げられていない[22]。しかしながら泉は、1964年という初期の時期にデビュー、田中が同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた、関孝二の成人映画転向後の初期作品(『埋蔵金物語 残虐の穴』)に出演している[1][4]。独立系成人映画の初期から活動する女優であり[1][4][11]泉ユリ(1946年 - )、林美樹(1946年 - )、清水世津(1943年 - )、美矢かほる(1944年 - )、桂奈美(1945年 - )、路加奈子(1943年 - )、火鳥こずえ(1943年 - )と同世代の女優である。年齢の割には年長に見えるため、まだ満21歳であった1967年(昭和42年)時点でもすでに『戯れ』(監督山下治)や『スペシャル』(監督関孝二)での芸者役、『おんな泣かせ』(監督酒匂真直)での人妻役、『日本性犯罪史 通り魔』(監督山下治)での母役、といった年上タイプの役どころを演じた[1]。同年に公開された『初もの 日本㊙風俗史』(監督新藤孝衛)で初主演を果たした[1][6][7][8][9][10][11]

1968年(昭和43年)には、まだ「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始していなかった日活がいくつか成人映画に触手を伸ばしており、児井英生青山プロダクションが製作した『女浮世風呂』(監督井田探、脚本山崎巌)に清水世津、辰巳典子、美矢かほる、林美樹谷ナオミ乱孝寿、内田高子、火鳥こずえらとともに出演、同じく同じく『ある色魔の告白 色欲の果て』(監督江崎実生、脚本山崎巌)に乱孝寿、清水世津、高月絢子、火鳥こずえ、辰巳典子、美矢かほる、橘桂子、林美樹、高鳥和子真湖道代らとともに出演、それぞれ同年7月10日、同年8月14日に公開された[1][9][11][14]。当時、専門誌成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「和服のよく似合う日本的な女優」と評し、「遅まきながらクローズアップされる」とスタートから4年を経ての注目を指摘した[1]。1970年(昭和45年)8月に公開された主演作『㊙湯の町 夜のひとで』が代表作とされる[1]。大月が劇中でアンダーグラウンドのブルーフィルム女優を演じた同作は、公開当時にも話題になり同年11月に発行された『映画芸術』には大和屋竺によるシナリオが掲載され[17]、同作はその後も渡辺護の傑作として語り継がれた[18]

1971年(昭和46年)11月、日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」を開始すると、ワールド映画の営業部長であった藤村政治が設立したプリマ企画が製作していた作品が日活配給で封切られるようになり、同年12月29日に公開された『吸いつく白い肌』(監督秋山駿)に主演したほか[9][14]、日活製作による田中真理の主演作『おんな天国 子だね貰います』(監督小原宏裕、1972年6月17日公開)や、若松プロダクションが製作して東映が配給した宮下順子の主演作『㊙高校生の性生活』(監督中川亘、1972年11月7日公開)に助演、向井プロダクションが製作して同じく東映が配給した『団地妻㊙研究会』(監督向井寛、1973年3月3日公開)に主演している[1][9][11][12][14]。1973年(昭和48年)5月12日に公開された東宝映画製作、東宝配給作品である一般映画『戦争を知らない子供たち』(監督松本正志)にも出演した[13]

1976年(昭和51年)前後まで「名脇役としてピンク映画界では貴重な存在」(川島)として出演を続けたが[1]、引退している[1][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。記録に残る最後の出演作は同年11月16日公開の『姦淫のざんげ ある強盗の手記』(監督小林悟)への助演であった[1][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。1980年(昭和55年)12月31日に発行された『日本映画俳優全集・女優編』の大月の項の記述には、引退後は福岡市内でビル経営を行っている、とある[1]。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満69歳である。

再評価[編集]

2009年(平成21年)2月28日 - 同年3月20日にシアターイメージフォーラムで行われた「WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史 1965-2008 70年代黄金期」の特集上映で、主演作『㊙湯の町 夜のひとで』(3月7日・9日・11日・13日)が上映された[23]。同作は、2014年(平成26年)10月11日 - 同31日にユーロスペースで行われた「渡辺護 追悼 そして『たからぶね』の船出」の特集上映でも、デジタル上映された(同月12日・31日)[24]。海外では、2009年11月13日 - 同22日に行われた第50回テッサロニキ国際映画祭[25]、2011年(平成23年)7月21日 - 同31日にポーランドヴロツワフで行われた第11回エラ・ノヴェ・ホリゾンティ映画祭英語版[26]等で上映されている。

アップリンクは、同作ならびに主演作『夜這い虫』のDVDビデオグラムを2004年(平成16年)6月25日、2011年6月3日にそれぞれ発売した[10]

フィルモグラフィ[編集]

クレジットはすべて「出演」である[1][2][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵・現存状況についても記す[7][27]

1964年 - 1966年[編集]

1967年[編集]

1968年[編集]

1969年[編集]

  • 夜の技巧』 : 製作上松宗夫、監督佐々木元、主演清水世津・星リナ、製作上松プロダクション、配給日映、1969年1月公開(成人映画・映倫番号 15600) - 「大月礼子」名義で出演
  • 日本三代好色伝』 : 製作鈴木実、監督関孝二、主演辰巳典子・相原香織、製作東京プロダクション、配給国映、1969年1月公開(成人映画・映倫番号 15667)
  • 日本裸女絵巻[8](『日本裸絵巻』[11]) : 製作清一世、監督小森白、製作東京興映、配給新東宝興業関西、1969年1月公開(成人映画・映倫番号 15700)
  • 素肌の密戯[8](『素肌の密戟』[11]) : 監督武田有生、主演辰巳典子・ハニーレーヌ、製作・配給六邦映画、1969年2月公開(成人映画・映倫番号 15735)
  • 好色一代 無法松』 : 企画・監督武田有生、主演港雄一・辰巳典子、製作・配給六邦映画、1969年3月公開(成人映画・映倫番号 15765)
  • 性診断旅行』(セックスしんだんりょこう) : 監督武田有生、脚本団鬼六、主演辰巳典子、製作・配給中央映画、1969年3月審査・公開(成人映画・映倫番号 不明) - 出演、67分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 色道無宿』 : 製作馬場内弘、監督結城康生、脚本池田正一、主演辰巳典子、製作・配給日本シネマ、1969年3月公開(成人映画・映倫番号 15796) - 出演、65分の上映用プリントをNFCが所蔵[7]
  • 異常の性 年上の女』 : 企画・製作清一世、監督萩原遼、助監督栗原幸治、主演乱孝寿嵯波美也子、製作東京興映、配給新東宝興業、1969年4月公開(成人映画・映倫番号 不明)
  • 未亡人下宿』 : 企画・製作清一世、監督山本晋也、助監督栗原幸治、主演森美千代小島マリ、製作東京興映、配給新東宝興業、1969年6月公開(成人映画・映倫番号 15916)
  • 競艶おんな極道 色道二十八人衆[11](『色道二十八人衆』[8]) : 企画・監督武田有生、主演珠瑠美林美樹、製作・配給六邦映画、1969年6月公開(成人映画・映倫番号 15919)
  • 性科相談 完全なる避妊[11](『完全なる避妊』[8]) : 企画・製作清一世、監督山本晋也、助監督栗原幸治、主演桜英美子浜裕子、製作東京興映、配給新東宝興業、1969年7月公開(成人映画・映倫番号 15965)
  • 異常集団』 : 企画・製作清一世、監督志賀隆、助監督栗原幸治、主演江島祐子・嵯波美也子、製作東京興映、配給新東宝興業、1969年10月公開(成人映画・映倫番号 16073)
  • 桃色秘密ルート』 : 企画・製作清一世、監督橘明、主演江島祐子、製作東京興映、配給新東宝興業、1969年10月公開(成人映画・映倫番号 16089)
  • 痴漢の限界』 : 企画・製作清一世、監督山本晋也、助監督中川亘、主演北村淳・清水世津、製作・配給東京興映・新東宝興業関西、1969年公開(成人映画・映倫番号 不明) - 出演・「エイ子」役

1970年[編集]

1971年[編集]

1972年[編集]

1973年[編集]

1974年 - 1976年[編集]

ビブリオグラフィ[編集]

国立国会図書館蔵書等にみる書誌である[3]

  • 「新魅力探検 - 大月麗子のエクスタシー」 : 『成人映画』第55号所収、現代工房、1970年8月1日発行
  • 「目で見る履歴書 - 大月麗子のすべて」 : 『映画エロチカ封切館 PINKY』昭和47年8月号所収、東京三世社、1972年8月発行
  • 「あの艶技をもう一度」大月麗子・城新子小島マリ青山美沙 : 『映画エロトピア'78 CINEMA SPOT』6月号所収、サン出版、1978年6月発行

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v キネ旬[1980], p.140.
  2. ^ a b c d e 大月麗子jlogos.com, エア、2014年10月20日閲覧。
  3. ^ a b 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2014年10月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 年鑑[1966], p.324.
  5. ^ a b 年鑑[1973], p.155, 182.
  6. ^ a b c d e f Reiko Ôtsuki, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2014年10月20日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 大月麗子東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年10月20日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 大月麗子古賀京子、日本映画情報システム、文化庁、2014年10月20日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j 大月麗子KINENOTE, 2014年10月20日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j 大月麗子allcinema, 2014年10月20日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 大月麗子大月礼子古賀京子日本映画データベース、2014年10月20日閲覧。
  12. ^ a b c d e 大月麗子日本映画製作者連盟、2014年10月20日閲覧。
  13. ^ a b c d e 大月麗子東宝、2014年10月20日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h 大月麗子日活、2014年10月20日閲覧。
  15. ^ a b c d e 大月麗子デジタル・ミーム、2014年10月20日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g h 大蔵映画黎明期プログラムリストPINK HOLIC, トライワークス、2014年10月20日閲覧。
  17. ^ a b 映画芸術[1970], p.120-128.
  18. ^ a b 週刊朝日[1984], p.134.
  19. ^ 古賀京子 - テレビドラマデータベース、2014年10月20日閲覧。
  20. ^ 裸虫 - 日本映画データベース、2014年10月20日閲覧。
  21. ^ 女蕩し - 日本映画データベース、2014年10月20日閲覧。
  22. ^ 田中[1976], p.85-86.
  23. ^ WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史 1965-2008 70年代黄金期、INTRO, 2009年2月28日付、2014年10月20日閲覧。
  24. ^ 渡辺護 追悼 そして『たからぶね』の船出 Archived 2014年10月15日, at the Wayback Machine.、ユーロスペース、2014年10月20日閲覧。
  25. ^ Secret Hot Spring Resort: Starfish at Night, テッサロニキ国際映画祭、2014年10月20日閲覧。
  26. ^ Secret Hot Spring Resort: Starfish at Night, エラ・ノヴェ・ホリゾンティ映画祭英語版 (英語)、2014年10月20日閲覧。
  27. ^ a b c d e 平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表独立行政法人国立美術館、2014年10月20日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

画像外部リンク
裸虫
1964年11月1日公開
国映
残虐の穴
1965年11月公開
新日本映画・国映)
婚前交情記
1968年5月公開
東京興映新東宝興業
女子学生 極秘日記
1968年6月公開
青年芸術映画協会関東ムービー配給社
女のたこ部屋
1968年10月公開
六邦映画
好色一代 無法松
1969年3月公開
(六邦映画)
性神風土記2 秘められた愛
1972年6月7日公開
プリマ企画日活
主婦・女高生売春
1971年12月公開
葵映画
吸いつく白い肌
1971年12月29日公開
(プリマ企画・日活)
恍惚! 昂奮! 二人だけの夜
1972年6月公開
ゴールドプロモーション
感じる若妻
1972年9月公開
(関東ムービー配給社・OP映画配給
㊙高校生の性生活
1972年11月7日公開
若松プロダクション東映
団地妻㊙研究会
1973年3月3日公開
向井プロダクション・東映)