大川健太郎

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大川 健太郎(おおかわ けんたろう)は、宮城県石巻市出身[1]演歌歌手である。本名は鷲見 秀夫[1]

略歴[編集]

  • 1968年 - 歌手を目指し上京し、市川昭介に師事。
  • 1970年 - キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)より「どこでもいいさ」で歌手デビューした。
  • 1973年 - 日本テレビ全日本歌謡選手権』で、第28代チャンピオンとなる[2]
  • 1994年10月8日から開始されたラジオ日本ミッキー安川の朝まで勝負』に、演歌の生歌コーナーでゲスト出演する。実際に大川の生歌を聴いたミッキー安川にその歌唱力を絶賛され、後に番組へレギュラーとして出演するようになった[3]。毎週金曜日のお昼から放送していた「ずばり勝負」にも時折出演し、こちらの番組内でもミッキーからの希望で生歌を披露していたこともある。
  • 1996年4月13日の「朝まで勝負」の放送ではリスナーからの応援電話を募るコーナーで、放送時間内に電話リクエスト目標本数の10.000本を達成する。この話題は後に日刊スポーツでも取り上げられた[4]
  • 2001年 - フジテレビ系列『ザ・ノンフィクション 演歌・人生情話』に出演し、大川の日頃の生活や歌手活動の模様が放送されている。

ディスコグラフィ[編集]

  • 男の大地
  • 金婚式(作曲も担当)
  • 終列車
  • 平沢勝栄・男節(作曲も担当)
  • 人生情話[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b 大川健太郎 プロフィール(芸能プロダクション オフィスハツガイ)
  2. ^ 『日刊スポーツ』1996年4月11日25頁「ベテラン演歌歌手 大川健太郎 深夜ラジオでリスナーからの1万本電話を待つ」
  3. ^ ただし、一時期に入ってから頻繁に出演していたミッキー安川の番組からは退くようになり、ゲスト出演も次第に減少した。なお番組初期からレギュラー出演扱いだった「朝まで勝負」の最終回にも出演していない。なぜ各番組に出演しなくなったか詳細は不明である。
  4. ^ しかしこの電話リクエストのコーナーは、諸事情もあって後に企画は打ち切りとなっている。
  5. ^ この曲は「ずばり勝負」や「朝まで勝負」でも頻繁に流され、また生歌コーナーでも欠かさず歌われる大川出演時の定番曲となっていた。この曲についてはミッキー安川自身も気に入っており、自らこの歌をリクエストしていた。また大川が未出演の際もこの曲を流していた時もある。

外部リンク[編集]