大島忠一

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大島 忠一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県岩倉市
生年月日 (1949-08-15) 1949年8月15日(69歳)
身長
体重
181 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 1971年 ドラフト7位
初出場 1976年7月29日
最終出場 1982年10月16日 広島戦(広島
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

大島 忠一(おおしま ちゅういち、1949年8月15日 - )は、愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)生まれ。同県名古屋市熱田区育ちの元プロ野球選手捕手)、コーチ。

来歴・人物[編集]

中京商業高等学校(現:中京大学附属中京高等学校)では1966年、2年生の時にチームが春夏の甲子園で連覇を達成した。大島は控え捕手として春の選抜に出場している[1]。後にプロ野球選手になる矢沢正加藤英夫平林二郎伊熊博一らが1年上のチームメイトだった。翌1967年にも夏の甲子園に捕手、三番打者として出場。川口勉投手(中京大トヨタ自動車)の好投もあり準決勝に進出するが、エース石井好博を擁する習志野高に2-3で惜敗している[2]。この時の控え投手に1年下の水谷則博がいた。

中京大学へ進学。愛知大学リーグで1年の秋から6季連続優勝。1970年には、エース榎本直樹とバッテリーを組み、全日本大学野球選手権大会決勝で関大を破り初優勝。リーグ通算69試合出場、197打数56安打、打率.284、6本塁打、35打点。ベストナイン4回受賞。

1971年ドラフト会議阪神タイガースから7位指名を受け入団[3]。二軍での4年間の下積みを経て1976年に一軍初出場。田淵幸一片岡新之介に続く第3の捕手としてベンチ入りし、代打として活躍。1977年には自己最多の48試合に出場し、同年5月19日の中日戦(甲子園)で7-7で迎えた延長10回裏、鈴木孝政からプロ初本塁打となる代打サヨナラ本塁打を打った。翌1978年4月1日には開幕戦代打本塁打を記録し、同年シーズン後半には、田淵の欠場もあって8試合に先発マスクを被る。

1983年はコーチ補佐兼務になり、同年オフに現役引退した[3]1984年もコーチ補佐を務めたが、同年で退団した[3]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1976 阪神 7 9 9 1 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .333 .333 .444 .778
1977 48 58 51 9 13 3 0 3 25 7 1 0 1 1 5 0 0 17 0 .255 .321 .490 .812
1978 46 62 57 7 13 0 1 2 21 10 0 0 0 0 5 0 0 15 0 .228 .290 .368 .659
1979 13 16 11 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 5 0 0 3 1 .091 .375 .364 .739
1980 21 26 24 3 4 1 0 0 5 0 0 0 0 0 2 0 0 5 0 .167 .231 .208 .439
1981 25 27 23 1 6 1 0 0 7 2 0 0 0 0 3 0 1 5 1 .261 .370 .304 .675
1982 15 15 11 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 0 1 2 0 .273 .467 .273 .739
通算:7年 175 213 186 22 43 6 1 6 69 21 1 0 1 1 23 0 2 51 2 .231 .322 .371 .693

年度別守備成績[編集]

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 失策
1976 3 0 0 0 - 0
1977 18 15 12 3 .200 4
1978 24 7 4 3 .429 0
1979 3 2 2 0 .000 1
1980 2 2 1 1 .500 0
1981 10 5 5 0 .000 1
1982 1 0 0 0 - 0
通算:7年 60 31 24 7 .226 6

記録[編集]

 

背番号[編集]

  • 46 (1972年 - 1983年)
  • 77 (1984年)

脚注[編集]

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、102ページ

関連項目[編集]