大岡春卜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

大岡春卜(おおおか しゅんぼく、延宝8年(1680年) – 宝暦13年6月19日1763年7月29日))は、江戸時代中期の大坂で活躍した狩野派絵師。ライバルとも言える橘守国と共に、近世大坂画壇初期を代表する絵師。法眼位に叙せられる。

は愛翼、愛董。春卜をはじめ雀叱、一翁、翠松などの諸号がある。本姓は藤原で、高平春卜と名乗る時期もあった。

経歴[編集]

大坂に生まれる。師は不明だが、画風から江戸狩野を学んだと推測される。マンネリ化し停滞気味の狩野派をよそに大胆な構図と個性豊かな筆致で作品を画き、高い評価を得た。絵画の普及に努め、『画本手鑑』などの絵手本や画論を、同じ大坂の絵師・橘守国と競うように刊行した。また冊子の挿し絵を得意とし、庶民からも人気を博した。朝廷に厚遇され、享保2年(1717年)頃に法橋[1]、享保20年(1735年)法眼を与えられている。

幼少期の木村蒹葭堂に、画の手ほどきをしたことで知られる。また伊藤若冲は、春教と号していた初期に春卜の絵本から学んでおり、春卜の弟子だったとも言われる。彼ら以外にも多くの門人を育て大岡派の祖となった。最晩年まで健康と体力に恵まれていたらしく、宝暦5年(1755年妙心寺霊雲院「若松に鶴図」、翌年同衡梅院[2]、宝暦8年(1758年高野山清浄院「山水図」などに襖絵を描いている。享年84。菩提寺は、大阪天王寺区下寺町光明寺。墓碑銘には、漢学者・岡白駒による長文の撰文が刻まれており、春卜の伝記をある程度知ることができる。

朝鮮通信使との交歓[編集]

寛延元年(1748年)、春卜は朝鮮通信使の画員 李聖麟(号 蘇斎)と邂逅している。聖麟は将軍との謁見を果たしその帰路に大坂に立ち寄っていたところだった。はじめて春卜にあった聖麟であったが、手を握り膝をなでながらその出会いをおおいに喜んだ。その場には多くの好事家が集っており筆を執りあっての画会となっていた。春卜は野馬、山水、梅、芦雁図などを、聖麟は梅月、福禄寿図などを即興で描き、互いの画を交換して長く保持しあうことを誓い合った。このときを記念して、漢詩和歌俳諧などを集めた『桑韓画会家彪集』が翌年に刊行されている。

又いつか 何かたのまん こまの人に 逢もよはいも まれのちぎりを 法眼春卜一翁

門弟[編集]

  • 江阿弥(大岡春信)
  • 大川春川 - 養子
  • 大川春耕斎
  • 須賀蘭林斎

作品[編集]

法橋期[編集]

作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 落款・落款 備考
本興寺障壁画 尼崎市・本興寺 1720年(享保5年)頃か
四季草木図 紙本着彩 1巻 伊丹市立博物館 1729年(享保14年) 上島鬼貫賛 伊丹市指定文化財
梅に牧牛図 紙本金地著色 六曲一双 大阪天満宮
四季風俗図 紙本著色 六曲一双 大阪市立美術館 落款「法橋春卜筆」

法眼期[編集]

作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 落款・落款 備考
舞楽図 板絵著色 絵馬1面 溝咋神社 1743年(寛保3年) 落款「法眼春卜一翁筆」/「春卜之印」「法眼」 現在、本殿内の壁を飾る板絵[3]
浪花及澱川沿岸名勝図巻 紙本墨画淡彩 1巻 関西大学図書館 1745年(延亨2年)
涅槃図 絹本著色 1幅 池田市久安寺 1754年(宝暦4年)
衡梅院方丈障壁画 妙心寺衡梅院 1756年(宝暦6年)
六歌仙図扁額 板絵著色 絵馬2面 溝咋神社 1756年(宝暦6年) 各面に落款「法眼春卜行年七十七翁図」 現在、本殿宝殿内に保管。1面に遍照在原業平喜撰法師、もう1面に文屋康秀小野小町大伴黒主を描く[4]
牡丹獅子・菊花流水図 紙本金地著色 衝立1基・表裏2面 兵庫・加茂神社 1760年(宝暦10年)
岳陽楼図 尼崎市
海浜・春岡群鶴図屏風 六曲一双 個人

時期不明[編集]

刊行物[編集]

  • 『和漢名筆 画本手鑑』全6巻 享保5年(1720年
  • 『画巧潜覧』全6巻 1740年
  • 『明朝紫硯』1746年
  • 『画史会要』1750年
  • 『新刻画品』1761年

関連文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 春卜の号の1つに、「丁酉」という干支のような号がある。春卜は他にも「乙卯法眼」(朱文法印)という干支の入った印章を愛用しているが、「法眼」とつくように、これは法眼位を得た享保20年(1735年)の干支である。とすれば、丁酉も法橋位を得た享保2年(1717年)を指す可能性が高く、通説の30代後半に法橋位を得たという判断とも矛盾しない(今井美紀 「春卜と俳諧」 『鬼貫と春卜』展図録、p.56)。
  2. ^ 「龍虎羅漢図」12面、「楼閣山水図」14面、「獅子図」11面など全52面。
  3. ^ 茨木市史編さん委員会 『新修茨木市史 第九巻 史料編 美術工芸』 茨木市、2008年3月31日、口絵80、p.168。
  4. ^ 茨木市史編さん委員会 『新修茨木市史 第九巻 史料編 美術工芸』 茨木市、2008年3月31日、p.167。

出典[編集]

関連項目[編集]