大宮原子炉跡地放射性廃棄物汚染

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大宮原子炉跡地放射性廃棄物汚染(おおみやげんしろあとちほうしゃせいはいきぶつおせん)は、埼玉県さいたま市大宮区にあった大宮原子炉三菱金属・現三菱マテリアル)での放射能汚染問題。

概要[編集]

さいたま市大宮区北袋町1丁目(旧大宮市)の大半部分を占めていた三菱マテリアル総合研究所(旧・三菱金属中央研究所)敷地内において、1999年に放射性廃棄物(ウラン)による汚染問題が発覚した[1]。 この問題は、1959年原子炉建設計画にさかのぼる。三菱により実験原子炉を当地に建設されたが、住民・市議会側からの反対を押し切っていたことから、1968年に民事訴訟に発展し、浦和地裁に提訴。1973年、三菱が原子炉の撤去をー方的に発表したが、1974年に和解が成立し、原子炉撤去を明文化した(大宮三菱原子炉訴訟)。 原子炉撤去により放射能への危機が去ったかと思われたが、1999年3月に建屋の放射能漏れが報道され、科学技術庁の立入調査ののち、さらにドラム缶9000缶以上の放射性廃棄物と核燃料3トンを敷地内に保管していることが発覚し、放射能汚染問題に発展した。科学技術庁の調査までは汚染を隠し続けていた。

研究所を茨城県那珂市に移転させた三菱マテリアルは、新社屋を敷地南に集約新築し、その地下に放射性廃棄物を保管、それ以外の土地は売却することに決定し、2002年から汚染物の調査・土壌の浄化を開始した。2012年に10年がかりの土壌対策工事が終わったものの、行き場のない放射性廃棄物は依然総合研究所内に保管されることとなった。放射性廃棄物はドラム缶3万缶以上と保管量は国内施設で最多となっており、保有量も国内全体の52%に及んでいる。

年表[編集]

  • 1939年 - 三菱鉱業が北袋町に研究所の位置づけで土地買収。
  • 1959年 - 三菱金属が中央研究所内に原子炉建設を発表。三菱原子力工業株式会社を設立。
  • 1974年 - 原子炉を撤去。
  • 1995年 - 三菱原子力工業が三菱重工業株式会社に合併。大宮研究所を原子力応用技術部に移管される。
  • 1998年 - 三菱重工原子力応用技術部を、原子力関連の子会社であるニュークリア・デベロップメント株式会社に統合し、大宮研究部となる。
  • 1999年3月17日 - 科学技術庁の調査により放射性廃棄物汚染が発覚。夕には当時の知事である土屋義彦が緊急首脳会議を開く。
  • 2001年5月 - ニュークリア・デベロップメント大宮研究部が廃止、東海研究部と統合。
  • 2002年 - 土壌汚染対策工事が開始。6価クロム、重金属カドミウムセレンなどの地下水汚染も発覚していた。
  • 2005年 - 三菱マテリアルさいたま新社屋が完成し、地下にウラン放射性廃棄物を保管。
  • 2012年3月 - 土壌・地下水浄化対策工事が完了。
  • 2015年 - 区画整理事業(後述)が開始。

跡地利用[編集]

2015年より西側の原子炉など研究所機能があった部分は都市再生機構と三菱マテリアルによって北袋1丁目土地区画整理事業[2]として道路などの整備が行われ、売却することになっている。東側のグラウンドや宿舎があった部分には北側に東京都豊島区から造幣局東京支局と造幣東京博物館が移転[3]、南側に大宮警察署埼玉県警本部鑑識課科学捜査研究所を統合移転する埼玉県警新都心統合庁舎が建設中となっている。

航空写真[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

座標: 北緯35度53分34.9秒 東経139度38分25.8秒 / 北緯35.893028度 東経139.640500度 / 35.893028; 139.640500 (三菱マテリアル総合研究所)