大場茂馬

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大場茂馬

大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日明治2年11月17日) - 1920年大正9年)12月30日)は、日本刑法学者弁護士政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。

経歴[編集]

人物[編集]

明治から大正の日本の刑法学は、富井政章穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。

1871年ドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。

大場は、このように、新派が人道的科学的なものとして刑法学の主流になっていく時代に、自由主義的でありながら道義も重んじる旧派(後期旧派)の立場から果敢に挑戦を挑み、論争を繰り広げた。

大場の地位は、大正から昭和にかけて小野清一郎(後期旧派)、自由主義的傾向が顕著だった瀧川幸辰(前期旧派)に継承され、以後日本の刑法におけるドイツ刑法の影響は次第に決定的なものとなっていった。

また、大場は、娼妓が身請け人の束縛から離れて自らの意思により廃業できるよう、刑法上で理論付けた。

著書[編集]

  • 『刑事政策大綱』(1909年)
  • 『刑法各論』(上巻1909年、下巻1910年
  • 『刑法総論』(上巻1912年、下巻上冊、下巻中冊1914年、下巻下冊1917年
  • 『陪審制度論』(1914年)

関連項目[編集]