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大堀相馬焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大堀相馬焼(おおぼりそうまやき[1])は、福島県相双地域浪江町大堀地区で焼かれてきた伝統的工芸品陶器。略称として大堀焼(おおぼりやき)ともいう。

2011年(平成23年)に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故により浪江町は避難地域となり、20軒以上あった窯元は町外へ移ったり、廃業したりして、2026年(令和8年)2月時点で浪江に戻っているのは一つのみである[2]

駒図瓢徳利(江戸時代、愛知県陶磁美術館所蔵)

特徴

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  • 青ひび
鈍色の器面に広がる不定型なひびのことで、鉄分を含んだ釉薬を用い、還元炎焼成後に冷却するため生じる。その後、ひびにを塗り込むことで黒く見える。
  • 走り駒
大堀相馬焼の特徴でもある意匠。走り駒とは名の如く、疾駆する馬のこと。
  • 二重焼
大堀相馬焼の湯呑みは冷めにくいといわれるが、その原理に相当する技術。轆轤による成形の段階で、外側と内側を作っておき、焼成前に被せることで行われる。この技術を用いた焼き物は大堀相馬焼以外ではまず見られない。

歴史

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江戸時代元禄年間に、相馬中村藩士の半谷休閑が大堀(現在の浪江町大堀)で陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼くようになったのが始まり。浜通り北部を領していた中村藩は相馬野馬追の伝統を有しており、藩主相馬氏家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として好まれる。

中村城下(現在の福島県相馬市中村)の相馬駒焼が藩主相馬氏への献上品とされたのに対して、この大堀相馬焼は大衆向けの民窯として親しまれた。とりわけ、中村藩は陶磁器を特産物として奨励したため、江戸時代末期には100軒近い窯元が誕生し、中には農作との兼業も見受けられた。

大堀焼は戊辰戦争後に衰微したが、第二次世界大戦後に再興し、1978年昭和53年)には国の伝統的工芸品の指定を受けた。又、大堀焼から連想して2000年代後半に生まれたご当地グルメが「なみえ焼そば」である。

2010年(平成22年)1月22日地域団体商標に登録された[3]

東日本大震災発生と福島第一原発事故の発生時には25軒の窯元があった。福島第一原発から10km圏に位置していた大堀の住民や事業者も避難・離散を余儀なくされた。協同組合と一部の作陶関係者は、福島県中通り二本松市にある小沢工業団地内に移り、「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」を開いた。2021年(令和3年)3月に浪江町で誕生した「なみえの技・なりわい館」内に事務所および工房を移転し、業務を行っている。

なお釉薬の原料となる浪江町の砥山石は放射能汚染により採掘不可能となったが、震災前から採掘権により特定の窯元が独占していたため、他の窯元は組合経由で愛知県瀬戸市から採取された土を調合した釉薬を購入しており影響は少なかったが、福島県ハイテクプラザが砥山石と同じ発色をする釉薬を開発し代替釉薬による生産が再開された[4][5]

浪江町での産地再興もめざされているが、実情としては大堀地区のみでつくられる焼き物から、大堀地区を由来とする福島県の焼き物として認識されている。各地の窯元では個性に富んだ作品も生まれている[6][7]

主な窯元の所在地
県外(長野県)など

画像一覧

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作品

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ドラマ

脚注

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  1. 浪江町役場ホームページ:伝統的工芸品「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」2025年1月10日更新
  2. 大堀相馬焼の産地再興へクラファン 福島・浪江 原発事故で窯元減る」『日本経済新聞』朝刊2026年2月12日(社会面)
  3. 【福島県】大堀相馬焼 | とうほく知的財産いいねっと”. www.tohoku.meti.go.jp. きらり!TOHOKU 地域ブランドコレクション. 東北経済産業局知的財産室 (2017年2月). 2023年1月29日閲覧。
  4. 大堀相馬焼における釉薬代替材料の開発 福島県ハイテクプラザ
  5. 早坂隆『現代の職人 質を極める生き方、働き方』(PHP新書 2019年 ISBN 978-4569842905)p.183
  6. 松永陶器店(2018年3月17日閲覧)
  7. 大堀相馬焼、郡山で再起/故郷・浪江町を離れ新生「あさか野窯」『日刊工業新聞』2017年3月31日(中小企業・地域経済面)

リンク

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