大堀相馬焼

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大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)は、福島県浜通り北部浪江町大堀で焼かれてきた陶器である。略称として大堀焼(おおぼりやき)ともいう。

歴史[編集]

江戸時代の元禄年間に、相馬中村藩士の半谷休閑が大堀(現在の浪江町大堀)で陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼くようになったのが始まり。浜通り北部を領していた中村藩は相馬野馬追の伝統を有しており、藩主相馬氏家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として好まれる。

中村城下(相馬市中村)の相馬駒焼が藩主相馬氏への献上品とされたのに対して、この大堀相馬焼は大衆向けの民窯として親しまれた。とりわけ、中村藩は陶磁器を特産物として奨励したため、江戸時代末期には100軒近い窯元が誕生し、中には農作との兼業も見受けられた。

大堀焼は戊辰戦争後に衰微したが、第二次世界大戦後に再興し、1978年には国の伝統的工芸品の指定を受けた。又、大堀焼から連想して2000年代後半に生まれた名産品が、なみえ焼きそばである。

2011年3月の東日本大震災発生時には25軒の窯元があった。震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、福島第一原発から10kmに位置していた大堀の住民や事業者も避難・離散を余儀なくされた。協同組合と一部の作陶関係者は、福島県中通り二本松市にある小沢工業団地内に移り、「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」を開いた。

釉薬の原料となる砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となり、窯元が廃業の危機に見舞われたが、砥山石と同じ発色をする釉薬を開発し生産が再開された[1]

福島県の南相馬市郡山市会津地方のほか県外(愛知県大分県)で作陶を再開した窯元もある[2][3]

特徴[編集]

  • 青ひび
鈍色の器面に広がる不定型なひびのことで、鉄分を含んだ釉薬を用い、還元炎焼成後に冷却するために生じる。その後、ひびに墨を塗り込むために黒く見える。
  • 走り駒
大堀相馬焼の特徴でもある意匠。走り駒とは名の如く、疾駆する馬のこと。
  • 二重焼
大堀相馬焼の湯呑みは冷めにくいといわれるが、その原理に相当する技術。轆轤による成形の段階で、外側と内側を作っておき、焼成前に被せることで行われる。この技術を用いた焼き物は大堀相馬焼以外ではまず見られない。

脚注[編集]

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  1. ^ 東北プロダクトクリエイティブ2012 (PDF)
  2. ^ 松永陶器店(2018年3月17日閲覧)
  3. ^ 大堀相馬焼、郡山で再起/故郷・浪江町を離れ新生「あさか野窯」『日刊工業新聞』2017年3月31日(中小企業・地域経済面)

関連項目[編集]