大原孝四郎

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大原 孝四郎(おおはら こうしろう、1833年 - 1910年)は、日本実業家大原孫三郎の父。

岡山藩士藤田伝吉の三男に生まれ、1858年(安政5年)に窪屋郡倉敷村の庄屋・豪商大原壮平の養嗣子となり、幼名幸三郎を孝四郎と改名。儒学者森田節斎の簡塾、犬飼松窓の三餘塾に学んだ。[1]呉服、繰綿、米、金融を手広く営むとともに大地主であり、学問、絵、書を好む文化人でもあった。

1888年倉敷紡績所(クラボウ)の初代頭取に就任すると、父壮平が森田節斎から学んだ謙受説を社訓とした。これは「満は損を招き、謙は益を受く」という思想で、常にへり下った気持ちで、より高いものを求めて努力せよ、という内容であった。[2]また、社標としてその精神を表す「二・三のマーク」を採用した。これは現在もクラボウ、クラレにおいて使用されている。[3]

1891年7月15日には資金調達を円滑にするため倉敷銀行を設立し、頭取に就任した。

1906年倉敷紡績社長、倉敷銀行頭取を退任。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 倉敷紡績百年史
  2. ^ 『大原孫三郎傳』 〔大原孫三郎傳刊行会〕編  (非売品、1983年) 
  3. ^ 社是・社訓・社章|企業情報|クラボウホームページ

外部リンク[編集]