大久保公卓

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大久保 公卓
時代 江戸時代
生誕 明暦3年(1657年
死没 元禄10年5月21日1697年7月9日
改名 一学→主計(通称
幕府 江戸幕府
主君 松平頼重頼常
讃岐国高松藩大老
氏族 大久保氏
父母 父:大久保公忠
兄弟 公卓守羨
正室:松平頼重の娘・彦姫
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大久保 公卓(おおくぼ きみたか)は、高松藩の大老(家老)。大久保主計家2代。

生涯[編集]

明暦3年(1657年)、高松藩大老大久保公忠の長男として生まれる。寛文10年(1670年)7月、藩主頼重の三男頼剛、四男頼章が禄高2000石を与えられた際に、公卓も禄高1000石を授かる。延宝6年(1678年)4月12日、父公忠の隠居により家督と知行3000石を相続、通称を主計と改め、大老となる。弟守羨も、500石を受け家老となった。同月15日には、頼重の娘彦姫(藩主頼常養女)と結婚した。頼重による公忠・公卓父子の重用については「英公外記」に、公忠が徳川頼房の庶子で、頼重の弟であることが記されている。

元禄10年(1697年)5月21日、死去した。継嗣なきまま没したため、藩主頼常の命で、弟の守羨が家督と知行3000石を相続した。

参考文献[編集]

  • 『増補高松藩記』