多木化学
多木化学本社 | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査等委員会設置会社 |
市場情報 | |
略称 | タキ、多木肥料 |
本社所在地 |
日本 〒675-0124 兵庫県加古川市別府町緑町2 北緯34度43分37.4秒 東経134度50分50.5秒 / 北緯34.727056度 東経134.847361度座標: 北緯34度43分37.4秒 東経134度50分50.5秒 / 北緯34.727056度 東経134.847361度 |
設立 |
1918年(大正7年)12月13日 創業 1885年(明治18年)3月 |
業種 | 化学 |
法人番号 | 5140001043137 |
事業内容 | 化学肥料、農薬、工業薬品、医薬品、医薬部外品、化粧品、食品、酒類、医療用材料、その他の化学製品およびその原料の製造、加工および売買 他 |
代表者 | |
資本金 |
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発行済株式総数 |
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売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
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純資産 |
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総資産 |
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従業員数 |
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決算期 | 12月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[1] |
主要株主 | |
主要子会社 | #関係会社を参照 |
外部リンク | https://www.takichem.co.jp/ |
多木化学株式会社(たきかがく、英: Taki Chemical Co., Ltd.)は、兵庫県加古川市に本社を置く、肥料や化学品を製造する企業である。日本肥料アンモニア協会にも参加する。肥料、水処理薬剤の大手メーカーとして知られる。
会社概要
[編集]日本で初めて人造肥料を開発した企業。「しき島」「タキポリン」や「マグホス」といった複合肥料製品は、全国の特約販売店を中心に販売されており、その他、園芸とその分野に関連する製品を数多く生産している。土壌改良材でも数多くの製品を持つことで知られ、肥料分野では国内大手メーカーの1つであり、日産化学、三菱化学(現・三菱ケミカル)と共に日本の農業分野の発展に大きく影響を及ぼした。化学品分野では無機系水処理薬剤を得意とし、ポリ塩化アルミニウムPACは世界トップレベルにある。国内シェアは40%で国内最大手である。また加古川市別府付近に広大な土地を所有し、不動産事業の展開も行なっている。
二本の鍬の柄を重ね合わせたマーク(神代鍬)は同社の登録商標であり、農村部では昔ながらのホーロー看板が店の軒先に取り付けられているところも多い。
戦時中の1944年には、住友化学工業と共に、住友精化の設立に参加したことでも知られる(住友精化の主要工場は同社の本拠地に近い加古郡播磨町や姫路市に現在も存在する)。本社工場と同住所に住友精化があり、多木化学が土地を譲渡している。その他、能登半島において、人造肥料の原料となる燐鉱の採掘を行なっていた時期もあった。
同社の本社が加古川市にあり、隣の姫路市に蔵を構える壺坂酒造に原料である山田錦を同社の肥料(「しき島6号」と「タキポリン」と「マグホス」使用)で育成したことなどの経緯から、同社の登録商標である二本の鍬をあしらった「神代の鍬」という大吟醸酒が発売されていたことがある。
沿革
[編集]- 1885年(明治18年) - 初代社長・多木粂次郎が現在の兵庫県加古川市において、我が国最初の人造肥料として蒸製骨粉の製造を開始。以降、過燐酸石灰、その他各種肥料の製造販売を行う。
- 1918年(大正7年)12月 - 化学肥料の製造販売、一般肥料の売買を目的として法人組織に改組、株式会社多木製肥所を設立。
- 1931年(昭和6年)5月 - 兵庫県阿閇村(現・加古郡播磨町)に分工場(現在の本社工場)を建設、化学肥料の製造を開始。
- 1949年(昭和24年)5月 - 大阪証券取引所に上場。
- 1950年(昭和25年)
- 6月 - 福岡証券取引所に上場。
- 11月 - 化成肥料製造設備を新設、製造開始。
- 1959年(昭和34年)3月 - 微粉末ケイ酸製造設備を新設、製造開始。
- 1961年(昭和36年)7月 - しき島商事株式会社を設立(現・連結子会社)。
- 1963年(昭和38年)3月 - 高度化成肥料製造設備を新設、製造開始。
- 1964年(昭和39年)9月 - 石こうボード製造設備を新設、製造開始。
- 1969年(昭和44年)2月 - ポリ塩化アルミニウム製造設備を新設、製造開始。
- 1970年(昭和45年)12月 - 千葉県市原市に千葉工場を建設、ポリ塩化アルミニウムの製造開始。
- 1974年(昭和49年)4月 - 商号を多木化学株式会社に改称。
- 1975年(昭和50年)3月 - 多木物産株式会社を設立(現・連結子会社)。
- 1982年(昭和57年)
- 3月 - 建材(石こうボード)部門を分離し、多木建材株式会社を設立(現・連結子会社)。
- 5月 - 大成肥料株式会社を設立。
- 1987年(昭和62年)5月 - 東西肥料株式会社を設立。
- 1988年(昭和63年)2月 - 兵庫県加古川市にショッピングセンター用商業ビルを建設し、不動産賃貸部門を拡充。グリーンプラザべふ開業。
- 1991年(平成3年)6月 - 高純度酸化タンタル・酸化ニオブ製造設備を新設、製造開始。
- 1992年(平成4年)8月 - 研究所新館を建設。
- 1993年(平成5年)8月 - ショッピングセンター用大型立体駐車場を建設。
- 1996年(平成8年)4月 - 福岡県北九州市に九州工場を建設、ポリ塩化アルミニウムの製造開始
- 1999年(平成11年)6月 - 大阪証券取引所第1部に指定。
- 2007年(平成19年)8月 - 高塩基性塩化アルミ塩製造新工場を建設。
- 2007年(平成19年)12月 - グリーンプラザべふに大型スポーツ店・専門店館を建設。
- 2008年(平成20年)2月 - 多木商事株式会社を株式取得により子会社化。
- 2010年(平成22年)12月 - 福岡証券取引所上場廃止。
- 2011年(平成23年)
- 7月 - 多木物流株式会社を株式取得により子会社化。
- 9月 - 別府鉄道株式会社を株式取得により子会社化。
- 2013年(平成25年)7月 - 大阪証券取引所と東京証券取引所との現物株市場統合に伴い、東京証券取引所第1部に上場。
- 2017年(平成29年)9月 - 徐放製剤用生分解性ポリマー製造工場を建設。
- 2018年(平成30年)10月 - バカマツタケの完全人工栽培に成功したことを発表[2]。これを受けて、株価は3営業日連続でストップ高となった[3]。
- 2021年(令和3年)10月28日 - グリーンプラザべふがアリオ加古川としてリニューアルオープン。
- 2022年(令和4年)4月 - 東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、東京証券取引所プライム市場へ移行。
創業者
[編集]初代社長の多木粂次郎は、加古郡別府村で代々農業、醤油醸造業、魚肥商などを家業とする地主の多木勝市郎とシカの3男として安政6年(1859年)に生まれ、20歳で家業を継いだ[4][5]。当時主要肥料だった鰯粕の高騰により困窮する農家のために明治18年(1885年)に獣骨を使った日本初の蒸製骨粉製造を始め、明治23年(1890年)より骨粉を原料とした過燐酸石灰の化学肥料製造を開始した[6][7][8]。当初はその臭いが嫌われて就労者が集まらず、近隣からは廃業・移転を迫られるなど困難を極めたが、農業関係者に無料配布したり農業講話を行うなど農家の啓蒙活動や販路拡大に尽力する中、帝国大学農科大学より招聘されたオスカル・ケルネルがリン酸肥料の効用試験成績を発表したことにより人工肥料の需要が高まり、事業は急成長した[6]。1888年から数年間、前田正名の委託により「播州葡萄園」の経営にも携わった[9]。明治36年(1903年)には、妻うの子との娘ゆき子の夫に、但馬の資産家長島家の出身で帝国農科大卒の三郎(三良)を迎えて養嫡子とし、自社の副社長とした[10]。
村議(明治22年)、県議を経て、明治41年(1908年)には衆議院議員に当選(以降当選6回、政友会)[4]。同年欧州旅行の帰路に満州・朝鮮に立ち寄り、日韓併合以降、朝鮮で農場、鉱山、山林の経営に着手[11]。兵庫県農会長なども務め、農業界への貢献により大正4年(1915年)に藍綬褒章、翌年に紫白綬有功章を受賞[5]。大正7年(1918年)には組織を株式会社にし、敷地面積5万坪、職工1000名を抱える大企業に成長させ、海外にも輸出して肥料王と呼ばれた[4][5]。同年、『外米管理ニ依ル米価調節ニ関シ農商務大ニ与フルノ書』を上梓。大正9年(1920年)には私立別府中学校を設立(その後兵庫県立農業高等学校の移転先として寄付)[12][13]。大正11年(1921年)に自社製品輸送用に別府軽便鉄道(現・別府鉄道)を敷設し、播陽銀行の取締役としてその経営にもあたった[14][10]。昭和14年(1939年)、朝鮮癩予防協会への寄付により紺綬褒章を受勲[15]。昭和14年(1939年)9月29日に貴族院議員となり[16]、交友倶楽部に所属し[17]昭和17年(1942年)に84歳で死去した[4]。日本肥料理事、勲三等[18]。昭和8年(1933年)に迎賓用に建てた西洋館は国の登録有形文化財および、景観形成重要建造物「多木浜洋館(同比閣)」として保存されている。
その他
[編集]過去には長年に渡り、1974年からJR西日本の明石駅前に、同社の社章の二本の鍬マークと社名、そして同社の本社所在地の”加古川市ベフ”との表記の入った小型のネオンサインを設置していたことで知られる。このネオンサイン[19]は、2013年の明石駅前の再開発事業に伴う建物取り壊しに伴い、撤去されている。
拠点
[編集]- 本社・加古川営業所 - 兵庫県加古川市別府町緑町2 (景観形成重要建造物)
- 本社工場 - 兵庫県加古郡播磨町宮西346
- 千葉工場 - 千葉県市原市下野567
- 福岡営業所・九州工場 - 福岡県北九州市若松区安瀬64-70
- 研究所 - 兵庫県加古川市別府町西脇64-1
- 東京支店 - 東京都中央区銀座7丁目14-4
- 仙台営業所 - 仙台市青葉区一番町1丁目4-1
- 名古屋営業所 - 名古屋市名東区社台3丁目90
- 大阪営業所 - 大阪市西区江戸堀1丁目2-11
関係会社
[編集]- しき島商事株式会社 (兵庫県加古川市別府町緑町2) - 石油の販売など
- 多木建材株式会社 (兵庫県加古川市別府町緑町2) - 石膏ボードの製造販売
- 多木商事株式会社 (兵庫県加古川市別府町西脇3丁目19) - 海上および陸上輸送、倉庫業
- 多木物産株式会社 (兵庫県加古川市別府町緑町2) - 肥料の製造および肥料・農業関連資材・各種原料の販売
- 大成肥料株式会社 (兵庫県加古川市別府町石町47) - 肥料の製造、販売
- 東西肥料株式会社 (兵庫県加古川市別府町港町1-2) - 肥料の製造、販売・農業関連資材の売買
- 別府鉄道株式会社 (兵庫県加古川市別府町緑町8) - 不動産賃貸業等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 多木化学株式会社『第104期(令和4年1月1日 - 令和4年12月31日)有価証券報告書』(レポート)2023年3月29日。
- ^ “バカマツタケの完全人工栽培に成功” (PDF). 多木化学株式会社 (2018年10月4日). 2018年10月13日閲覧。
- ^ “多木化が3日連続ストップ高、バカマツタケの人工栽培に成功を引き続き材料視”. 株探ニュース (2018年10月10日). 2018年10月13日閲覧。
- ^ a b c d 多木久米次郎 たき くめじろうコトバンク
- ^ a b c 加古郡別府村 多木久米次郎氏『日本案内. 正巻之中』(開国社, 1919)p651
- ^ a b 兵庫県加古郡別府村 藍綬褒章受章者 多木久米次郞氏『聖代偉績芳鑑』(聖代偉績芳鑑編纂局関西支部, 1919)
- ^ 高橋周「依頼分析制度と化学肥料の登場」『経営論集』第20巻第1号、文京学院大学総合研究所、2010年12月、23-40頁、ISSN 09169865、CRID 1520853834309739776。
- ^ 熊沢喜久雄「キンチとケルネル : わが国における農芸化学の曙」『肥料科学』第9巻第9号、肥料科学研究所、1986年、1-41頁、doi:10.57411/fertilizerscience.9.9_1、ISSN 0387-2718、CRID 1390857226420141056。
- ^ 近代における淡河疏水開発の歴史的意義に関する研究平成21年度土木学会関西支部年次学術講演会
- ^ a b 多木久米次郎君『大正人名辞典』東洋新報社、1917年、p1743
- ^ 金玄「植民地朝鮮と多木久米次郎 : 朝鮮における事業基盤と参政権問題 (<特集>国際学術学会「東アジア海港都市の共生論理と文化交流」)」『海港都市研究』第4巻、神戸大学大学院人文科学研究科海港都市研究センター、2009年3月、77-95頁、doi:10.24546/81000953、hdl:20.500.14094/81000953、CRID 1390290699903357312。
- ^ 告示 / 文部省 / 第18号 / 私立別府中學校(兵庫縣)設置開校認可官報. 1920年01月22日
- ^ あかがね御殿と加古川ぶらり加古川第44号、平成29年1月
- ^ 淡河川 ・ 山田川疎水の成立過程旗手勲、ジェトロ、1980年
- ^ 褒章官報. 1933年10月23日
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。49頁。
- ^ 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、207頁。
- ^ 帝國議會 / 貴族院 / - / 議員死去及弔辭 多木久米次郞官報. 1942年3月18日
- ^ 同じ建物の屋上に、明石市に本社を構える江井ヶ嶋酒造の「神鷹」のネオンサインも設置されていたが、同様に建物取り壊しにより撤去されている。
関連項目
[編集]- 住友化学 - 住友精化を共同で設立。
- 別府鉄道 - 多木化学の製品を運ぶために設立された鉄道会社。社章は多木化学と同じ二本の鍬の柄のマーク。
- 多木浜洋館 - 多木化学の創業者、多木久米次郎が加古川市内に建てた洋館。
- アリオ加古川