夕霧太夫

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夕霧太夫
ヒト
性別女性 編集
国籍日本 編集
読み仮名ゆうぎり たゆう 編集
生年月日不明な値 編集
出生地京都市 編集
死亡年月日26 2 1678 編集
死没地大阪市 編集
職業花魁俳優 編集

夕霧太夫(ゆうぎりたゆう)は、島原および大坂新町にいた太夫。初代は吉野太夫高尾太夫とともに三名妓(寛永三名妓)のひとり。

夕霧太夫(初代)[編集]

生年不詳 - 延宝6年1月6日1678年2月26日)。享年は27と伝えられる。本名は照(てる)。

山城国葛野郡上嵯峨村中院(現在の京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町・嵯峨釈迦堂門前南中院町付近)の生まれとされる。島原の置屋「扇屋」の太夫となり、1672年寛文12年)に扇屋が大坂の新町へ移転すると、大坂で最初の太夫となった。

姿が美しく、芸事に秀でた名妓であったが、新町移転後6年で病没。亡骸は大坂下寺町浄国寺に葬られ、大坂中がその死を惜んだという。亡くなった日は「夕霧忌」として俳句季語にもある。墓は浄国寺と生家の檀那寺であった清凉寺塔頭地蔵院(廃寺。地蔵院墓地は大覚寺塔頭覚勝院が管理)にあり、毎年4月第1日曜日には浄国寺で「花まつり 夕霧太夫行列」が、毎年11月第2日曜日には清凉寺で「夕霧供養」が催されている。

夕霧太夫の死後、愛人・藤屋伊左衛門との情話を扱った「夕霧伊左衛門」と総称される浄瑠璃歌舞伎などの作品が数多く作られた。近松門左衛門の浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』を始めとして、浄瑠璃の『廓文章』、歌舞伎の『夕霧名残の正月』『夕霧七年忌』などがある。また、「夕霧伊左衛門」に因んだ墓が徳島市本行寺和歌山市の吹上寺にある。

夕霧太夫(現代の島原太夫)[編集]

中村芳子を参照。

関連項目[編集]

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