夏曽佑

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夏 曽佑
人物情報
生誕 1863年10月??
浙江省杭州府
死没 1923年3月15日(1923-03-15)(59歳)
中華民国の旗 中華民国北京市
子供 夏元瑜(動物学者)
学問
研究分野 儒学中国史
研究機関 北洋政府教育部、北京図書館
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夏曽佑
各種表記
繁体字 夏 曾佑
簡体字 夏 曾佑
拼音 Xià Zēngyòu
ラテン字 Hsia Tzeng-you
和名表記: か そうゆう
発音転記: シャー ヅォンヨウ
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夏 曽佑(か そうゆう)(1863年(同治2年)10月~1923年(民国12年)3月15日)は、清末民初の学者。仏教研究と歴史研究に成果を上げた。字は「穂卿」、号は「別士」または「砕仏」。

経歴[編集]

同治2年(1863年)、浙江省杭州府生まれ。清朝光緒十六年(1890年)に進士となった。梁啓超譚嗣同厳復らと親しく、維新活動に身を捧げた。梁啓超は彼のことを「晩清思想界の革命的先駆者」と称賛した。夏曽佑は「孫仲容を敬し、章枚叔を畏れ、厳幾道を友とする」と語っている。戊戌の変法の失敗後は安徽省祁門県の知事となったが、母親の死去に際して喪に服すため下野した。以後、古代の歴史研究に没頭する。

50歳以降、書物を捨てて見ることがなくなった。夏曽佑いわく「天下に読むべき本はなく、語るべき人はいない」とのことであった。辛亥革命後は北洋政府教育部の社会教育に携わる部門の長に就き、その後、北京図書館(後の中国国家図書館)の館長を務めた[1]。1924年に亡くなった。後世に伝わる著作は多くはないが、『中国古代史』などがある。

家族・親族[編集]

著作[編集]

脚注[編集]