増谷慶一郎

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増谷 慶一郎(ますたに けいいちろう、明治38年(1905年)2月23日 - 昭和45年(1970年)12月13日)は日本実業家政治家境港商工会議所第2代会頭。元増谷薬局代表取締役[1]。元境町会議員。三代目当主[1]本名は正巳。

経歴[編集]

鳥取県境港市出身。実家は薬種商

米子中学校(現米子東高校)、金沢医科大学付属薬学専門部(現在の金沢大学薬学部)卒業。

大正14年(1925年)から大阪で自家製剤を修行して帰郷し、家業の薬種商・増谷薬店“杏花堂”を手伝う。昭和22年(1947年境町の町会議員を務める一方、境港商工会議所初代会頭松本豊の後を受けて2代目会頭に就任する。

昭和25年(1950年境町だけでなく米子駅前にも出店し、実弟・芳郎とともに有限会社増谷薬局を設立するなど、会社を大きく発展させた。

人物像[編集]

境高校野球部後援会長として地方高校野球の水準向上に努力し、幾多のスタープレーヤーを輩出させるなど、鳥取県の野球史に残る功労者でもあった。

趣味は野球[1]。住所は境港市相生町[1]

家族[編集]

関連[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 マ…248頁
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外部リンク[編集]