増田清 (建築家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
増田清 (建築家)
生誕 (1888-09-09) 1888年9月9日
福島県伊達郡桑折町
死没 (1977-02-09) 1977年2月9日(88歳没)
国籍日本の旗 日本
出身校東京帝国大学
職業建築家
建築物 三木楽器本店(国登録)
広島市レストハウス被爆建物

増田 清(ますだ きよし、1888年(明治21年)9月9日 - 1977年(昭和52年)2月9日)は、日本の建築家[1][2]

主に大阪を拠点に活動したが、現存するものは少ない。

功績に対して知名度が低く「知られざる名建築家[3]戦前活躍しながら忘れられていた名建築家[4]などと紹介されている。

娘婿は阿川弘之阿川尚之阿川佐和子は孫にあたる[5]

略歴[編集]

  • 増田家は江戸時代御家人。増田の父は大日本帝国陸軍に所属し、東北地方各地で勤務した[6]。増田は福島県伊達郡桑折町で生まれ、父に伴って東北地方各地で少年期を過ごした[1][6]
  • 1906年(明治39年)3月 : 旧制青森県立第一中学校(現青森県立弘前高等学校)卒業[2]
  • 1909年(明治42年)3月 : 旧制第一高等学校卒業[2]
  • 1913年(大正2年)
  • 1914年(大正3年) : 佐野の下で内務大臣邸設計従事[2]
  • 1917年(大正6年)10月 : 大阪府土木課に建築技師として入り、府立大阪医科大学建築事務所所属[2]。府立大阪医科大学病院(現大阪大学医学部附属病院)が火事で全焼したため再建の設計に関わる[2]
  • 1919年(大正8年) : 営繕課大阪医科大学建築事務所長に就任[2]
  • 1924年(大正13年)
    • 3月 : 大阪府技師を依願免官[2]
    • 4月 : 大阪市で増田建築事務所を立ち上げる[2]
  • 1925年(大正14年)6月 : 広島市土木課建築事務として嘱託契約[2]
    • この間も活動拠点は大阪であったと推定されている[2]
  • 1928年(昭和3年)3月 : 広島市嘱託終了[2]
  • 1935年(昭和10年)9月 : 増田建築事務所閉鎖、東京に移り安藤組取締役技師長就任[2]
  • 1941年(昭和16年)2月 : (社)軍建協力会常務理事として出向[2]
  • 1942年(昭和17年)3月 : (社)海軍施設協力会常務理事として出向[2]
  • 1948年(昭和23年)頃 : 安藤組定年退社[2]
  • 1949年(昭和24年)5月 : 全国建設業協会と嘱託契約[2]
  • 1959年(昭和34年)頃 : 増田建築事務所再開[2]
  • 1966年(昭和41年)4月 : 日本建築学会より感謝状と終身会員の名誉を受ける[2]

作品[編集]

増田は日本の初期鉄筋コンクリート構造(RC構造)建築普及に貢献した建築家である[4][7]。大阪を中心に京都・奈良・兵庫で、更に東京や広島・呉で仕事し、設計したすべての建築物がRC構造であった[4]。大きな特徴として、芸術・造形美よりも構造美・機能美、特に耐震を重視し極めて頑丈な建物を設計していることが挙げられる[4]。これは帝大建築学科で佐野利器に師事し多大な影響を受けたためと言われている[8]。1923年(大正12年)関東大震災が起こり建物の耐震と近代化への関心度が高まった時期に独立し[8]、そこから昭和初期にかけて多くの作品を手がけた。大大阪時代に小学校を16校設計しており[4]、「増田清なしには大阪の鉄筋コンクリート建築は語れない」[8]とまで言われている。

代表的作品で国の登録有形文化財である「三木楽器本店」は、2013年に関西大学によって耐震診断が行われ耐震補強の必要が無いと評価されている[7]。また頑丈なRC構造であったことから、大阪大空襲[7]東京大空襲[9]広島市への原子爆弾投下[8]で倒壊を免れたものがいくつもあることは特筆に値する。特に「広島市レストハウス」は爆心地から170mの近距離にありながら全壊を免れている[10]。ただし耐震に偏っておらず、RCで大きなアーチ空間を取り入れようとしたりアール・デコ様式を取り入れたりとデザインにも配慮している[4]。「東京女子医科大学病院一号館」(現存せず)は日本初の十字放射型病院建築として設計している[8]

以下、主な作品を列挙する[4][7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 石丸 & 李, p. 327.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 石丸 & 李, p. 328.
  3. ^ 増田清作品ツアー (PDF)”. 精華小校舎愛好会. 2017年5月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 石丸 & 李, p. 329.
  5. ^ 日本都市計画学会・中国四国支部ニュースレター 第48号 (PDF)”. 日本都市計画学会中国四国支部. 2018年8月29日閲覧。
  6. ^ a b NHKファミリーヒストリー 阿川佐和子 〜祖父は知られざる名建築家 そして父の遺品に”. TVでた蔵. 2020年1月20日閲覧。
  7. ^ a b c d 国の文化財”. 三木楽器. 2017年5月9日閲覧。
  8. ^ a b c d e ありがとう一号館~85年の歴史~”. 東京女子医科大学. 2017年5月9日閲覧。
  9. ^ 医学振興 第80号 (PDF)”. 日本私立医科大学協会. 2017年6月8日閲覧。
  10. ^ レストハウス(元大正屋呉服店)”. 広島市平和記念資料館. 2017年5月9日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]