増澤譲太郎

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増澤 譲太郎(ますざわ じょうたろう、1922年9月15日 - 2000年8月29日)は、日本の気象学者。

略歴[編集]

長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)出身[1]。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、第八高等学校を経て、1945年東京帝国大学理学部地理学科卒業[1]。1957年論文「黒潮流域の海流と水塊」で理学博士。1946年中央気象台(現気象庁)入庁。同庁予報部長を経て、1980年気象庁長官[1]。1983年東海大学海洋学部教授[1]。1976年日本海洋学会賞受賞。1987年日本海洋学会会長( - 1988年)。1992年11月、勲二等瑞宝章受章[1]

著書[編集]

  • 『凌風の記 黒潮研究者の回想』東海大学出版会 1984年
  • 『腰越の記 気象庁定年後の十年』東海大学出版会 1993年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 黒田一紀「気象庁東経137度線の創始と増澤譲太郎博士」(「海の研究」第26巻第6号、2017年)