増毛駅
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年3月) |
| 増毛駅 | |
|---|---|
増毛駅舎(2004年6月)
|
|
| ましけ Mashike |
|
|
◄箸別 (2.8km)
|
|
| 所在地 | 北海道増毛郡増毛町弁天町 |
| 所属事業者 | |
| 所属路線 | 留萌本線 |
| キロ程 | 66.8km(深川起点) |
| 電報略号 | マケ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
0人/日(降車客含まず) -2013年度- |
| 開業年月日 | 1921年 (大正10年)11月5日 |
| 廃止年月日 | 2016年 (平成28年)12月5日 |
| 備考 | 無人駅[1] 路線廃止に伴う廃駅 |
増毛駅(ましけえき)は、北海道増毛郡増毛町弁天町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅(廃駅)[1]である。電報略号はマケ。
歴史[編集]
1905年、日露戦争に勝利した大日本帝国は、ポーツマス条約締結の結果として「樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する」ことになった。樺太の実効統治による領土画定と国力増大を急いでいた大日本帝国は、ロシア帝国によるシベリア鉄道の全線開通よりも先に、樺太北海道間の海運と鉄道の連続輸送力を早急に高める必要に迫られていた。すでに宗谷本線は1890年代に整備計画が決定されていたが、高地や原野を開墾開拓しながらの内陸鉄道建設は困難を極め、開通の遅延が予想されていた。(稚内まで全通したのは1922年) そこで大日本帝国は、鉄道建設の速度が早い留萌本線を先に作り、留萌樺太間輸送計画を優先して完成させることになった。留萌港の修築は1910年に着工したが、留萌は波が荒く土木技術上の問題から整備に時間を要し、鉄道が開通しても港が完成しない事態が予想されていた。(開港は1929年) そこで港を早く使える増毛まで留萌本線を延長することになった。こうして開業した増毛駅は、北海道樺太間輸送における鉄道港湾連続輸送の重要拠点となり、大日本帝国の国策に貢献することになった[2]。
鉄道開通以前には留萠駅(後の留萌駅)から増毛まで乗合馬車が出ていた。1918年(大正7年)に運賃は80銭で、冬には馬橇になった[3]。
- 1921年(大正10年)11月5日 - 鉄道省の駅として開業[4]。一般駅。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1978年(昭和53年)10月2日 - 貨物取扱い廃止[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。同時に無人(簡易委託)化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に承継[4]。
- 199x年 - 簡易委託廃止、完全無人化[要出典]。
- 2015年(平成27年)7月27日 - 2016年(平成28年)秋に留萌駅 - 当駅の間が廃止の方向で8月中にもJR北海道が増毛町と留萌市に協議を申し入れる方針と北海道新聞が報じる。
- 2016年(平成28年)12月5日 - 留萌駅 - 当駅間の廃止に伴い廃駅。なお、廃止後10年間は、JR北海道は増毛町に対し、路線バスが走らない早朝や夜間に代替利用される乗り合いタクシーの輸送経費を支援、さらに増毛駅舎などを町に無償譲渡し、周辺整備費の一部を支援することとしている[5][6]。
駅構造[編集]
廃止時には1面1線のホームを持つ、行き止まりの地上駅であった。無人駅で[1]留萌駅が管理していた。
以前は広い構内で、貨物用側線と留萌側200メートル程の位置に転車台(機関車本体からの空気圧による半自動操作方式)が敷設されており、駅員を初めとする職員が多数詰めていた旅客・貨物の要所であった。
留置線はなく、列車は行き先を変えて折り返していた。廃止時の折り返し時間は一部列車を除き、8分から10分程度であった。
乗車人員[編集]
2013年度の乗車人員は0人であるが、「jr北海道留萌線の現状」によると、2014年の平日の乗車人員は11人、乗降客数は23人である。
駅周辺[編集]
- 国道231号
- 増毛町役場
- 留萌警察署増毛駐在所
- 増毛郵便局
- 留萌信用金庫増毛支店
- 北洋銀行増毛支店
- 南るもい農業協同組合(JA南るもい)増毛支所
- 増毛漁業協同組合
- 増毛漁港
- 沿岸バス「増毛駅」停留所
- 沿岸バス「増毛ターミナル」停留所
その他[編集]
- 20世紀中頃の増毛はニシン漁が盛んで、増毛駅は漁業関係者の足となっていた。
- 「増毛 = ぞうもう」であることから、読みが「はげ」である半家駅、読みが「かみおおい」である上大井駅と共に珍名駅の1つとされた。また、「増毛 = ぞうもう」にあやかった縁起切符として、駅近隣の売店や留萌駅にて当駅の入場券が観光客向けに販売されていた。
- 1981年公開の映画「駅 STATION」では増毛駅とその周辺が舞台の中心となった。他にも『魚影の群れ』『じゃこ萬と鉄』『網走番外地(さいはての流れ者)』『BOOTLEG FILM』『殺し(KOROSHI)』のロケ地として使われた。
- 2012年4月28日より構内にて、「孝子屋(ここや)ぐるめ食品」が開店。2016年現在も営業中である。海産物を中心に土産物や、「たこ親爺の蛸ザンギ」などの軽食を販売している。なお、かつて旧駅務室で「暑寒そばの会」による「そば処 増毛駅」を営業していたが、2016年現在は閉店している。土・日・祝日の午前10時からそばがなくなるまで営業していた。
- 増毛駅の事務管コードは、▲121513を使用していた[7]。
- 2016年6月、運賃表と駅名板が盗難にあった。駅名板に関しては「いたちごっこになる」として、新たに取り付けられることはなかった[8]。
- 廃駅前日の2016年12月4日、ニコニコ生放送にて特番「【髪の毛の聖地 廃駅へ】増毛駅・最後の1本をみんなで見送る生放送」が組まれ、多くの人々が訪れる様子が映し出された。
隣の駅[編集]
- 北海道旅客鉄道
- 留萌本線
- 箸別駅 - 増毛駅
脚注[編集]
- ^ a b c 袴田貴行、小川祐希、山下智恵、久野華代、遠藤修平(2014年4月25日). “道政を問う:知事選まで1年/上 総花的な交通政策 経済再生、新幹線頼み 鉄道残すか、自動車道整備か”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 明治39年3月24日 第22回帝国議会貴族院議事速記録本会議第18号,明治40年3月26日 第23回帝国議会衆議院議事速記録本会議第22号,明治40年3月27日 第23回帝国議会衆議院議事速記録本会議第23号,明治41年3月25日 第24回帝国議会衆議院議事速記録本会議第19号,明治41年3月26日 第24回帝国議会貴族院議事速記録本会議第19号,明治43年2月15日 第26回帝国議会衆議院議事速記録本会議第10号,明治43年3月14日 第26回帝国議会貴族院議事速記録本会議第12号
- ^ 北海道鉄道管理局『北海道鉄道沿線案内』、1918年、217頁。荒山正彦監修・解説『シリーズ明治・大正の旅行 第I期 旅行案内書集成』第13巻(北海道旅行案内/樺太の鉄道旅行案内)、ゆまに書房、2014年、273頁。
- ^ a b c 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、20-23頁。
- ^ “95年間の歴史に幕 留萌-増毛間”. 毎日新聞. (2016年12月4日) 2016年12月6日閲覧。
- ^ “増毛の「健さん駅舎」、映画撮影時の姿に復元へ”. 讀賣新聞. (2017年1月6日) 2017年1月6日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ 駅名板・運賃表…廃線決まった留萌線、次々盗まれる理由朝日新聞デジタル(2016年6月9日)2016年12月3日閲覧
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 増毛駅(旭川支社管内駅紹介) - 北海道旅客鉄道
- 函館市中央図書館デジタル資料館より 開設まもない頃の増毛駅
|
||||