増原惠吉

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日本の旗 日本の政治家
増原 惠吉
Keikichi Masuhara May 18 1954 Yomiuri.png
防衛庁次長当時の増原
生年月日 1903年明治36年)1月13日
出生地 日本の旗 日本 愛媛県宇和島市
没年月日 1985年昭和60年)10月11日
出身校 東京帝国大学法学部
前職 内務官僚
所属政党 自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章





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増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年明治36年)1月13日 - 1985年昭和60年)10月11日)は、日本の内務防衛官僚、政治家。香川県知事参議院議員自民党[1]行政管理庁長官北海道開発庁長官防衛庁長官を歴任した。

経歴[編集]

現在の愛媛県宇和島市出身。増原定蔵の次男[2]

1928年昭和3年)東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省入省[1]警察畑を歩いたのち戦後香川県知事を経て、警察予備隊本部長官、防衛庁次長などを歴任[1]1957年(昭和32年)6月、香川地方区から参院議員に初当選し、当選4回[1]

行政管理庁長官、北海道開発庁長官、防衛庁長官などを歴任[1]。特に防衛庁長官は、佐藤栄作内閣時代と田中角栄内閣時代の二度に渡り就任したが、それぞれ全日空機雫石衝突事故増原内奏問題で短期間で引責辞任に追い込まれた[1]

1985年10月11日、死去。享年83(82歳没)。

人物像[編集]

趣味野球相撲[2]宗教仏教[2]愛媛県宇和島市在籍[2]。住所は東京都渋谷区千駄ヶ谷[2]

長女は丸井グループ名誉会長青井忠雄に、三女は元国鉄スワローズ選手の佐々木重徳に嫁いだ。また三女は酒井佑子の名で歌人としても知られる。

家族・親族[編集]

増原家[編集]

愛媛県宇和島市東京都渋谷区千駄ヶ谷

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』566頁
  2. ^ a b c d e f 第二十一版 人事興信録(下)』(昭和36年)ま・四三頁
  3. ^ a b c d e f g h 第十六版 人事興信録(下)』(昭和26年)ま・二三頁

参考文献[編集]

  • 新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)566頁

関連項目[編集]


議会
先代:
中山太郎
日本の旗 参議院内閣委員長
1977年
次代:
塚田十一郎
先代:
新谷寅三郎
日本の旗 参議院地方行政委員長
1960年 - 1961年
次代:
小幡治和
公職
先代:
中曽根康弘
西村直己
日本の旗 防衛庁長官
1971年
1972年 - 1973年
次代:
江崎真澄
山中貞則
先代:
佐藤栄作
池田勇人(臨時代理)
日本の旗 北海道開発庁長官
1964年 - 1965年
次代:
福田篤泰
先代:
山村新治郎 (10代目)
日本の旗 行政管理庁長官
1964年 - 1965年
次代:
福田篤泰