境恒春

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境 恒春
さかい つねはる
生年月日 (1979-03-25) 1979年3月25日(45歳)
出生地 日本の旗 日本宮城県気仙沼市
出身校 宮城県気仙沼高等学校卒業
慶応義塾大学法学部政治学科(通信教育課程)在学中
前職 NPO法人理事長
所属政党みんなの党→)
維新の党→)
民進党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党→)
日本維新の会
公式サイト 宮城県議会議員さかいつねはる

選挙区 気仙沼・本吉選挙区
当選回数 3回
在任期間 2011年11月13日 - 2023年11月12日
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境 恒春(さかい つねはる、1979年3月25日[1] - )は、日本の政治家、元歌手タレント。元宮城県議会議員(3期)。NPO法人日本ベトナム障がい者支援センター理事。

来歴[編集]

宮城県気仙沼市生まれ[1]。気仙沼小学校・気仙沼中学校気仙沼高等学校卒、慶応義塾大学法学部政治学科(通信教育課程)在学中[1]

高校卒業後、歌手を目指して東京都埼玉県で活動[2]2001年、日越合同プロジェクトによりベトナムに渡り、ベトナムの国民的歌手ゴク・ソン(Ngọc Sơn)の弟子「SAKAI」として歌手デビュー[2]。ベトナムから帰国後、日本デビューを目指し当時日本テレビで放送していたマネーの虎に出演する。2003年には日本で1stシングル「かわいい君へ」をリリース[2]

芸能活動の傍ら、枯葉剤障害児への支援活動を実践し、国内・海外の障害者施設や老人ホーム等200か所以上を慰問。「ベトちゃんドクちゃん」とともに支援活動を行う[1]

2007年、日本ベトナム外交樹立35周年記念CD「天使のはしご」を、ドクやベトナムの有名歌手(Thanh Thảo、Nguyễn Phi Hùng、Ngọc Sơn、Quang Dũng他)とともに歌唱・プロデュースし、日本の大手CDショップでも発売。フジテレビFNNスピーク等、マスコミにも多数取り上げられた。

歌手活動中に、1stシングル「かわいい君へ」、ベトナム輸入盤1stアルバム「first impression」、2ndアルバム「天使のはしご」の3枚をリリース。

「天使のはしご」発売と同時に、日本ベトナム外交樹立35周年を記念し、グエン・ドクを、宮城県気仙沼市に招き、外務省後援のもと「グエン・ドク氏講演会」を開催した。

同年、気仙沼市より「みなと気仙沼大使」に任命される。

ベトナム情報誌SKETCHにて「愉快・痛快・ウキウキSAKAI」の連載を開始(2007-2009年)

2008年、特別顧問にグエン・ドクを迎え、NPO法人日本ベトナム障がい者支援センターを設立し、理事長に就任[1]

同年、外務省・在日本ベトナム大使館後援のもと、気仙沼市の八幡太鼓ジュニアベストチームを率いてベトナム公演を行う。

気仙沼市がカツオ不漁の危機に見舞われたことを受け、カツオ一本釣り船の入港地である気仙沼に、入港船の約半分を占める宮崎県との共闘体制を取るため、東国原英夫知事の気仙沼招聘を企画。気仙沼市民を対象に署名運動を展開し、5ヶ月で約1万人(一日あたり60人程度)の署名を集め、東国原英夫宮崎県知事気仙沼招聘・講演会を実現。カツオ不漁に共に立ち向かいながら、気仙沼市と宮崎県の友好の絆を、更に深めていくことを約束した。

2010年4月、民主党みんなの党の推薦で気仙沼市長選挙に立候補。15,945票を獲得するも菅原茂に敗れ、落選[1]

同年、宮崎県の口蹄疫被害に際し、口蹄疫被害支援募金を気仙沼市内で開始した。

気仙沼市で初となる視覚・聴覚障害者のためのバリアフリー映画上映会を企画し、気仙沼を舞台にした映画「春との旅」上映会を実施。

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、気仙沼市で街宣活動中に被災。 津波で事務所を流される。 震災後、気仙沼市・南三陸町の復旧・復興活動につとめる。

2011年11月、宮城県議会議員選挙に、みんなの党公認で出馬。7,007票を獲得し、最年少で初当選[1]

2012年10月、グエン・ドク氏が震災見舞いに気仙沼市を訪れ、境と再会。 『国境を越えて~グエン・ドク 被災地の絆~』がNHK BS-1「tomorrow beyond 3.11」、NHK教育テレビ(E-テレ)で放送される。

同年12月、イケメン政治家名鑑(廣済堂出版)に掲載。

2015年10月、宮城県議会議員選挙にて、維新の党公認、民主党県連からの支援により6,551票を獲得し、2期目の当選[1]

2016年4月、民進党に合流し宮城県総支部常任幹事に就任[1]

2018年6月、立憲民主党宮城県連合常任幹事に就任[1]。同年11月、立憲民主党宮城県連合政調会長・青年局長に就任[1]

2019年10月、宮城県議会議員選挙にて、立憲民主党公認、連合宮城推薦により5,325票を獲得し、3期目の当選[1][3]

2022年11月、文化の日表彰にて県治功労を受賞。

2023年宮城県議会議員選挙には立候補せず、同年11月に立憲民主党を離党[4]

2024年2月7日、日本維新の会が次期衆院選宮城5区に境を擁立すると発表[5]


脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]