堀内三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀内三郎

堀内 三郎(ほりのうち さぶろう、1870年1月6日明治2年12月6日) - 1933年昭和8年)12月20日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴[編集]

篠山藩家老吉原利恒の三男として生れ、同藩士・堀内令順の養子となる[1]鳳鳴義塾攻玉社を経て、1890年7月、海軍兵学校17期)を卒業し、1892年6月、海軍少尉任官。「天龍」乗組、横須賀海兵団分隊長、「浪速」分隊長、呉水雷団水雷艇隊艇長などを歴任。

1900年3月から海軍大学校で学び始めたが、義和団の乱により一時退学し、常備艦隊参謀、「常磐」分隊長、佐世保鎮守府参謀を勤めた後復校し、1901年5月、海大(将校科甲種2期)を卒業した。呉鎮守府参謀、砲術練習所教官、イギリス駐在、イギリス海軍大学入校などを経て、日露戦争では第1艦隊司令部付(香港丸乗組)、同艦隊参謀として出征した。

砲術練習所教官、第1艦隊参謀、海大教官、教育本部第2部員、「宗谷艦長、「筑波」艦長、海兵教頭、教育本部第1部長などを歴任し、1915年12月、海軍少将に進級。第1艦隊参謀長、横須賀鎮守府参謀長、海軍砲術学校長、兼海軍水雷学校長、練習艦隊司令官などを経て、1919年12月、海軍中将となった。以後、将官会議議員、軍務局長、海大校長、軍令部次長、横須賀鎮守府司令長官、軍令部出仕を経て、1925年3月、予備役に編入された。

その後、財団法人海軍協会副会長を務めた[2]

栄典・授章・授賞[編集]

位階
勲章等

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 秦 2005, p. 280, 第1部 主要陸海軍人の履歴:海軍:堀内三郎
  2. ^ 『多紀、氷上人名鑑』pp.46-47
  3. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  4. ^ 『官報』第3501号「叙任及辞令」1924年4月28日。
  5. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  6. ^ 『官報』第2296号「叙任及辞令」1920年3月31日。
  7. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  8. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2)東京大学出版会、2005年。 
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 『多紀、氷上人名鑑』篠山新聞社、1933年。