城端城

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城端城
富山県
万福寺山門(城端城大手門)
万福寺山門(城端城大手門)
別名 荒木館、城ヶ鼻城
城郭構造 平城
築城主 荒木氏
主な城主 荒木氏、斉藤氏、佐々氏
廃城年 天正13年(1585年)以降?
遺構 大手門、太鼓堂?
指定文化財 大手門(県指定文化財
位置

城端城(じょうはなじょう)は富山県南砺市(旧富山県東砺波郡城端町)に在った日本の城荒木館城ヶ鼻城とも呼ばれる。

規模[編集]

正確な跡地は未だ特定されていない。長年、現在真宗大谷派 廓龍山 城端別院善徳寺[1]県指定文化財)が建つ場所に築かれていたと云われてきたが、善徳寺の周囲では城端城時代のものと断定出来る遺物の類は発見されておらず[2]、『越登賀三州志』には城端の町の入り口に出丸が在って町の南に城が在ったと記されており、『三州測量図籍』には善徳寺の南東にあたる場所(やはり町の南側)に城が在ったと図示されている。また善徳寺が建った後も城主が存在していたと思われる事から善徳寺と城端城が並存していた時期が在ると考えられ、城端城の城域をそのまま善徳寺が継承して建てられたとは考えにくいと思われる。

歴史[編集]

築城年代は不明。この辺りを治めていた土豪荒木氏が拠っていた。荒木氏については史料に乏しく詳述するのは難しいが、永禄2年(1559年)か元亀3年(1572年)に城端城城主だった荒木大膳が現在の富山県南砺市福光(旧富山県西砺波郡福光町山本)に在った善徳寺に城の敷地、城門を寄進し、善徳寺を招致した(『寺伝』)。善徳寺は瑞泉寺勝興寺と共に越中一向一揆の中心として活躍した寺であり、大膳は一向一揆勢力に属していたと思われる[3]。 のち斎藤九右衛門なる者が拠り、佐々成政が越中国を平定した後は家臣の河内才右衛門を入れたと云う。廃城年代は成政が豊臣秀吉に降った天正13年(1585年)以降か。

遺構[編集]

  • 大手門

善徳寺の大門として使用された後、富山県砺波市苗加に在る万福寺薬医門として移築されている(県指定文化財)。

  • 太鼓堂

善徳寺の太鼓堂は城端城の遺構であるとする言い伝えが在る。

脚注[編集]

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  1. ^ 〒939-1863 富山県南砺市 城端 西上405 真宗大谷派 廓龍山 城端別院善徳寺, [1], [2], [3]
  2. ^ 寺の南に土塁が残るが、これは善徳寺の城郭伽藍としての遺構であるとも云え、遺構に関しては城端城と単純に結び付けるのは難しい。
  3. ^ 『越登賀三州志』によると、大膳は後に前田利家に仕え、天正18年(1590年武蔵国八王子城攻めにおいて戦死したと云う。

関連項目[編集]