坊城俊定

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坊城俊定
時代 鎌倉時代後期
生誕 建長3年(1251年)?
死没 延慶4年12月4日1310年12月25日
別名 号:坊城大納言
官位 参議
主君 伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族 藤原北家勧修寺流吉田家庶流坊城家
父母 父:吉田経俊、母:平業光の娘
兄弟 吉田俊氏吉田俊方俊定中御門経継吉田経世、経誉、経円、吉田経藤室、堀川具守室、中納言貞平室、藤原忠雄室、正親町三条実仲
宮仕女房
定資俊平吉田国房基定、俊海、俊助、俊子
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坊城 俊定(ぼうじょう としさだ)は、鎌倉時代後期の公家藤原北家勧修寺流吉田家中納言吉田経俊の子。官位参議。能力に富んだ公卿と言われる[1]

経歴[編集]

正応元年(1288年7月11日に参議となる。徳治3年(1308年8月28日に出家。

延慶4年(1310年)に死去。

系譜[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 中世朝廷の人々”. 本郷和人. 2021年2月8日閲覧。