坂部十寸穂

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坂部十寸穂

坂部 十寸穂(さかべ としお、1877年12月1日 - 1930年11月4日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

徳島藩士・寺沢男也の三男として生まれ、元徳島市長・坂部広織の養子となる。徳島中学校を経て、1895年(明治28年)12月、士官候補生となり、翌年9月、陸軍士官学校に入学。1897年(明治30年)11月、陸士(9期)を卒業。翌1898年(明治31年)6月、砲兵少尉に任官し野戦砲兵第15連隊付となる。

1901年(明治34年)12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。1902年(明治35年)6月、陸軍野戦砲兵射撃学校教官となり、野戦砲兵第15連隊中隊長を経て、1903年(明治36年)8月、陸軍大学校に入学。日露戦争勃発により1904年(明治37年)2月、陸大を中退。1905年(明治38年)8月、第4軍副官となり出征。1906年(明治39年)3月、陸大に復校し、1908年(明治41年)11月、同校(20期)を優等で卒業した。

1908年12月、砲兵少佐に昇進し参謀本部員に就任。1909年(明治42年)6月、ロシア差遣(ハバロフスク駐在)となり、1910年(明治43年)6月に帰国。同年11月、陸大教官兼参謀本部員に就任。1914年(大正3年)9月から1916年(大正5年)5月までロシア軍に従軍した。

1915年(大正4年)4月、砲兵中佐に進級し参謀本部付となり、参謀本部員、シベリア出張などを経て、1918年(大正7年)8月、浦塩派遣軍参謀に発令されシベリア出兵に出征。同年11月、砲兵大佐に昇進。1919年(大正8年)11月、近衛野戦砲兵連隊長となり、第14師団参謀長、参謀本部課長などを経て、1923年(大正12年)8月、陸軍少将に進級し陸大幹事となった。

1927年(昭和2年)7月、野戦重砲兵第4旅団長に就任し、1928年(昭和3年)3月、陸軍中将に進み砲兵監に就任。1930年(昭和5年)8月、第3師団長に親補されたが、同年11月に現職で死去した。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。