坂本復経

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坂本 復経(坂本復經、さかもと またつね、(1855年安政2年) - 1888年明治21年)5月30日)は、明治期に活躍した日本の建築家。工学士。長崎県出身。佐賀藩士族

経歴[編集]

学歴
官費生として工部大学校造家学科(現 東京大学工学部建築学科)に進学し、1881年(明治14年)卒業。
経歴
工部省に七等技手として奉職。営繕局に勤務。その後は四等技手待遇で白川宮邸に従事。1885年(明治18年)工部省廃止に伴い内務技師。ただし間もなくこれを辞す。
その後辰野金吾の勧めもあり、1886年(明治19年)、横浜の建築請負師清水満之助商店(現・清水建設)製図場の初代技師長として招聘される。店主清水満之助は坂本を伴い欧米の建設事情視察のため歴訪。同年辰野金吾、松ヶ崎万長河合浩蔵らと創立委員として「造家学会」を設立。墓所は青山霊園

主要作品[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]