坂本城 (播磨国)

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坂本城(さかもとじょう)は、現在の兵庫県姫路市書写にあった日本の城南北朝時代赤松円心によって築かれたとされる。北は圓教寺のある書写山、西は天神山に挟まれた平地にあった。

沿革[編集]

築城以来、代々赤松氏播磨守護所として使用され、政治の中心地であった。嘉吉元年(1441年)、赤松満祐室町幕府6代将軍足利義教を京の赤松邸に招いて暗殺し、嘉吉の乱が勃発した。満祐は坂本城に入って山名持豊(宗全)を主力とする幕府軍と戦ったが、劣勢を覆せず、ついには防御力のない坂本城では戦えないと判断して山城である城山城に移動した。そして坂本城は陥落、城山城の戦いでも敗れ、満祐は自刃して城山城も陥落した。

乱後、播磨は山名宗全の分国となり、宗全は坂本城に入って播磨を統治した。しかし応仁の乱勃発後、赤松政則山名氏を播磨から追い出し、赤松氏が播磨を再び平定した。その間の文明元年(1469年)、政則は新たに置塩城を築いてそこを本拠としたため坂本城は廃城となった。

参考文献[編集]