坂口静夫
表示
坂口 静夫(さかぐち しずお、1887年1月17日 - 1947年3月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]熊本藩士・坂口騏十郎の三男として生まれる。中学済々黌を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、同年12月、陸軍少尉に任官。
1920年8月、歩兵第48連隊中隊長に就任し、陸軍兵器本廠員、陸士予科中隊長などを経て、1925年4月、近衛歩兵第3連隊付(東京府立第二中学校配属将校)となる。歩兵第27連隊付、第1師団司令部付、第7師団副官、歩兵第24連隊付、独立守備歩兵第9大隊長などを歴任し、1937年8月、陸軍大佐に昇進。
1937年11月、第16師団司令部付(第三高等学校配属将校)となり、歩兵第109連隊長を経て、1939年9月、陸軍少将に進級。歩兵第12旅団長、第56歩兵団長を務め、1941年11月、坂口支隊長となり太平洋戦争を迎えた。
フィリピンの戦い、蘭印作戦、拉孟・騰越の戦いなどに従軍。1943年6月、陸軍中将となり留守第55師団長に就任、さらに第65師団長に親補された。1945年3月に待命となり、翌月に予備役となった。
栄典
[編集]- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[1]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[2]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[3]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[4]