坂口博信

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さかぐち ひろのぶ
坂口 博信
Hironobu Sakaguchi 20070706 Japan Expo 2.jpg
生誕 1962年????
日本の旗 日本 茨城県日立市[1]
住居 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ハワイ州ホノルル
職業 ゲームクリエイター脚本家映画監督
ミストウォーカー創立者

坂口 博信(さかぐち ひろのぶ、1962年[2] - )は、日本ゲームクリエイター脚本家映画監督茨城県日立市[1]出身。『ファイナルファンタジーシリーズ』の生みの親。ゲーム制作会社ミストウォーカー代表取締役社長

現在はハワイ在住[要出典]。最も好きなゲームのジャンルはシミュレーションRPG[3]

坂口はAQインタラクティブの株主でもある[4]

経歴[編集]

スクウェア在籍時代[編集]

1983年アルバイトとして大学の同級生でもあった田中弘道と共にスクウェアに入社。その後PCソフトやファミコンソフトを制作していたが振るわず、市場からの撤退を考えていた時期に最後の望みを託して彼の総指揮の下制作されたのが、『ファイナルファンタジー』である。このソフトの大ヒットの結果、スクウェアは大手ゲーム開発会社として成長していった。

長年開発トップとしてファイナルファンタジーシリーズ、『クロノ・トリガー』などの制作を主導した。優秀な人材を集める事でも成果を発揮し、タイトルラインナップや作品クオリティが強化されたスクウェアは90年代にかけて黄金時代を築く事になる[要出典]2001年に同社の経営が創業初の赤字に転落する見通しとなったため、2月に責任をとって代表取締役会長らと同時に副社長を辞任し以後坂口はスクウェアとは専属契約のエグゼクティブプロデューサーとして関わるようになった[7]

当時の『FF』チームは体育会系のノリであり、新人がこのチームに入ると甲子園を目指すような気分になると話すことから、熱気・パワーがゲームの中に入っていたと答えていた[5]。また、仕様書・企画書を書かず、坂口自身は古いやり方を壊すのが好きだった[5]

ミストウォーカー設立[編集]

2001年に独立しゲーム制作会社ミストウォーカーを設立[8]同社はタイトル開発前の準備作業に時間をかける事が可能な少数規模体制であり、実開発作業は外部とのコラボレーションを基本として、フリーのクリエイターとも積極的に提携していく事を旨としているようである[要出典]坂口はミストウォーカーに関して「クリエイターが集まれる宿のようになれれば」と語っている[要出典]

ミストウォーカー始動後には、これからの自身のゲームクリエイターとしてのゲーム作品に対するスタンスの一部を明かしている[要出典]その要旨は作品において、坂口がみずからシナリオ・ゲームデザインを手掛けるというもの。坂口はそれらシナリオ、システムに散りばめた要素を、ユーザーに伝えたい自身の「こだわり」であると位置づけている。また、システム面も含めた坂口のシナリオライティングでは、その連動性も図られる。[要出典]

ゲームの制作スタイルとしては物語性を重視している[注 1]加えて、近年においても映画の制作は機会があれば挑戦したい、といった発言も度々見られた[要出典]

既に発売されたソフトは、Xbox 360用ソフト『ブルードラゴン』、『ロストオデッセイ』、ニンテンドーDS用ソフト『ASH -ARCHAIC SEALED HEAT-』、『ブルードラゴン プラス』、『ブルードラゴン 異界の巨獣』、Wii用ソフト『ラストストーリー』の計6タイトルとなっている。また、AQインタラクティブの手掛けた『AWAY シャッフルダンジョン』のシナリオも担当している。Xbox 360用のアクションRPGとして発売が予定されていた『クライオン』は開発中止になった。

ファミ通』との共同でコンテストが開催され、そこから幾人かのクリエイターと契約をしている[要出典]

作品[編集]

スクウェア在籍時代

ファイナルファンタジーXII』では、エグゼクティブプロデューサーとしてではなくスペシャルサンクスとして坂口の名前が掲載されている。これは初期の開発立ち上げの頃に協力したためだが、製品版は序盤しかプレイしていないと発言している[要出典]

ミストウォーカー在籍時代

脚注[編集]

  1. ^ ファイナルファンタジーIII』制作時、実家の火災で母が焼死した事件をきっかけに、物語を重視するようになった[9]

出典[編集]

外部リンク[編集]