坂元蔵之允

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坂元 蔵之允(さかもと くらのじょう、1863年文久3年)[1] - 1931年昭和6年)1月13日[2])は、日本政治家実業家

経歴・人物[編集]

仙台中教院に学ぶ[1][2]宮城県に出仕し、刈田郡長、仙台市助役柴田郡長などを歴任する[1][2]。その後実業界に転じ、内国生命仙台支店長[2]、宮城県農工銀行取締役支配人[2]仙台鉄道、宮城株式会社などを創立し、社長となる[2]

1915年大正4年)仙台市会から市長に推挙されたが、固辞し、就任しなかった[1][2][3]。仙台市会議員となり、議長を務めた[1][2]。1931年(昭和6年)在任中に死去した[1][2]

このほか各組合の理事長、組合長を務めた[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『宮城県姓氏家系歴史人物大辞典』347頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『仙台人名大辞書』422頁。
  3. ^ 『仙台市史』通史編7 近代2、20頁。

参考文献[編集]

  • 菊田定郷編『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会、1933年。
  • 宮城県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編著『宮城県姓氏家系歴史人物大辞典』角川書店、1994年。
  • 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編7 近代2、仙台市、2009年。