土浮 (佐倉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 千葉県 > 佐倉市 > 土浮 (佐倉市)
土浮
土浮の位置(千葉県内)
土浮
土浮
土浮の位置
北緯35度45分19.7秒 東経140度12分42.4秒 / 北緯35.755472度 東経140.211778度 / 35.755472; 140.211778
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 佐倉市
地区 佐倉地区
標高
26 m
人口
2017年(平成29年)10月31日現在)[1]
 • 合計 149人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
285-0001[2]
市外局番 043[3]
ナンバープレート 千葉
※座標・標高は土浮区民館付近

土浮(つちうき)は、千葉県佐倉市大字郵便番号285-0001[2]

地理[編集]

北は土浮干拓、北東は萩山新田干拓、東は萩山新田、南は飯野、南西は萩山新田飯野町、西は飯野干拓に隣接している。

歴史[編集]

江戸期は土浮村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」213石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに229石余。なお、慶長9年の高207石余、反別田7町3反余・畑7町2反余(佐倉市史2)。享保8年指出帳によれば、反別田14町歩余・畑7町、屋敷5反余、ほかに郷林5町歩、川鳥殺生の運上として鴨を上納。安政4年「領分村高帳」によれば、小物成として林下苅金1両1分・茶園栗代160文。山銭鐚9貫342文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。なお、印旛沼の舟渡場があったため夫役永などは免除。土浮村~瀬戸村間の渡しは、川幅680間、増水でも舟が止まらず、馬渡舟・小伝馬船核1艘があった。明治5年の渡賃は人1人200文・駄荷1駄500文・馬1疋馬士共500文(佐倉市史2)。佐倉藩の刑罰における領分追放では、土浮~瀬戸間の大川岸を渡り、角田村境まで送り見届けた(堀田藩御仕置)。明治6年千葉県に所属。神社は猿田彦神社など、寺院は真言宗正福寺(印旛郡誌)。明治22年内郷村の大字となる[4]

年表[編集]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
土浮 63世帯 149人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

地域 小学校 中学校
全域 佐倉市立内郷小学校[5] 佐倉市立佐倉中学校[6]

施設[編集]

  • 土浮区民館
  • 佐倉市民の森
  • 正福寺
  • 猿田彦神社

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 562頁
  5. ^ 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2013-12-15閲覧。
  6. ^ 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2013-12-15閲覧。