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土御門有春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土御門有春
時代 戦国時代
生誕 文亀元年(1501年
死没 永禄12年6月19日1569年8月1日
官位 従二位治部卿
主君 後奈良天皇
氏族 安倍姓土御門家
父母 父:不詳、養父:土御門有宣
兄弟 養兄弟:有尚
有脩勘解由小路在高
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土御門 有春(つちみかど ありはる)は、戦国時代公卿陰陽家陰陽頭土御門有宣の猶子。土御門家29代当主。官位従二位治部卿

経歴

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文亀元年(1501年)誕生。実父は明らかでなく、土御門有季とするものもあるが[1]、有季は寛正6年(1465年)死去とされており[2]、有春の生年からすると年代が合わない。なお、『公卿補任』では、「故正二位有宣卿子(實者猶子)」と記されており、実父についての記載が無い[3]

永正年間前期に叙爵すると、永正10年(1513年)従五位上、永正16年(1519年正五位下と昇進するが、この間の永正11年(1514年)養父の有宣が82歳で没している。中務大輔を経て、大永5年(1525年)有宣が任ぜられなかった陰陽頭に任官、翌大永6年(1526年従四位下に叙せられた。天文3年(1534年修理大夫を兼ねている。

天文11年(1542年従三位に昇叙されて公卿に列すが、この際に陰陽頭は辞任するも、引き続き修理大夫を帯びた。天文12年(1543年治部卿に遷ったのち、天文16年(1547年正三位に叙せられ、天文21年(1552年従二位に至る。

当時、土御門家と並んで陰陽道宗家の双璧であった賀茂氏勘解由小路家の当主・在富の唯一の息子である賀茂在昌は、永禄7年(1564年)に妻子を連れて京を出奔して、キリシタンとなって豊後府内に留学していた。永禄8年(1565年)在富は後継者が不在のまま没する。しかし、嗣子がいなかったため、有春は四男の福寿丸(1553-1575・13歳)を勘解由小路在高として養子に入れて相続させた。

なお、永禄7年(1564年)ごろより有春は地方に下っていたが、永禄10年(1567年)再び上洛している。永禄12年(1569年)6月19日に卒去享年69。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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脚注

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注釈

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出典

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  1. 「土御門家譜」『大日本史料 第10編之2』東京帝国大学、1930年、p.756。
  2. 公卿補任』寛正六年条
  3. 『公卿補任』天文十一年条
  4. 1 2 『系図纂要』