土師牛勝

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土師 牛勝(はじ の うしかつ、生没年不詳)は、奈良時代貴族宿禰。勤広参・土師甥の子。官位従五位上諸陵頭勲位は勲十二等。

経歴[編集]

聖武朝天平10年(738年)ごろに上総介を務める。天平17年(745年)には正六位上右大史の官位にあったが、勲十二等の勲位を持っていたことから、かつて蝦夷征討に従軍していた可能性もある。天平18年(746年)4月に従五位下に叙せられ、同年8月に土師氏にかかわりの深い諸陵頭に任官する。

孝謙朝に入ると、天平勝宝3年(751年従五位下、天平勝宝6年(754年従五位上と昇進を果たした。この間の天平勝宝4年(752年大仏開眼供養に際して、文上麻呂とともに楯伏舞々頭を奉仕している[1]

官歴[編集]

注記のないものは『続日本紀』による

系譜[編集]

  • 父:土師甥[4]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:大枝真仲[4]

脚注[編集]

  1. ^ 東大寺要録』2巻供養章3
  2. ^ 「上階官人歴名」『大日本古文書』巻24-75頁
  3. ^ 谷森本天平古文書
  4. ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻10,土師連諸流(宝賀[1986: 1009])

参考文献[編集]