土井大助

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土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日[1] )は、日本詩人劇作家社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。

人物[編集]

山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。

1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。

1974年(昭和49年)の多摩川水害に関しては、訴訟の事務局長をつとめた。

2014年7月30日に87歳で死去した。

主な作品[編集]

  • 「小林多喜二」汐文社、1974年
  • 「八鹿の夜明け」日本共産党中央委員会出版局、1975年
  • 「多摩川の凱歌」新日本出版社、2001年、多喜二・百合子賞受賞作。
  • 「よみがえれ小林多喜二―詩とエッセー」白樺文学館多喜二ライブラリー、2003年

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『しんぶん赤旗』2014年8月1日付に訃報記事