国際言語学オリンピック
国際科学オリンピック |
---|
国際数学オリンピック 国際物理オリンピック 国際化学オリンピック 国際情報オリンピック 国際生物学オリンピック 国際哲学オリンピック 国際天文学オリンピック 国際地理オリンピック 国際言語学オリンピック 国際ジュニア科学オリンピック 国際地学オリンピック 国際天文学・天体物理学オリンピック |
国際言語学オリンピック(IOL)は、12ある国際科学オリンピックのひとつで、4番目に新しい。その略称IOLは、この組織のどの特定の言語における名称にも一致しないよう意図的に選択されている。また加盟組織は、それぞれの言語での大会名称を自由に選択することができる[1]。このオリンピックは計算言語学、理論言語学、記述言語学の各分野の発展を図るものである。
概要[編集]
主に言語学の分野が出題される。他のほとんどの科学オリンピックとは異なり、テストには個人競技と団体競技の両方があり、個人戦は制限時間6時間で5問を、団体戦は一つの難解な問題を4人一組のチームで協力して解く。団体競技の制限時間は、年によって異なる。主な出題ジャンルは理論言語学・計算言語学・応用言語学の主要な分野(音声学・形態論・意味論・統語論・社会言語学)など。
団体競技は、第2回IOL以降、非常に困難で時間のかかる問題一つが出題される。各チームは一般的に4人以下の学生で構成され、この問題を解決するために3~4時間与えられる。
ほとんどすべての国際科学オリンピックと同様に、問題はいくつかの言語に翻訳され、解答されるため、いかなる母語の制約も受けないように書かれていなければならない。しかし、他のオリンピックとは異なり、翻訳は代表チームのリーダーから独立した専門家で構成される多言語の問題委員会によって提供される。参加者が課題の対象となっている1つ以上の言語群に精通していると有利になる可能性があるため、世界であまり知られていない言語に基づいた問題が増えている。幸いなことに、世界中では6,000以上の言語(いわゆる死語は含まない)が話されており、選択肢はたくさんある。委員会はその問題に人工言語や架空の言語を使わない方針をとっている。独立した問題委員会と審査員の存在は、チームのリーダーがその分野に詳しい必要がないことを意味している(しかしほとんどのリーダーは詳しい)。彼らは、競技の週を通して、チームと緊密に協力して直前でのコーチングを提供することができ、多くの場合そうする。
すべての解答は明確な推論と正当化を含まなければならないことから、どんな場合でも、最も役に立つ能力は分析的で演繹的な思考である。
参加国は東欧や北欧が中心であり、日本は2012年から参加している。2008年アジアの国家の中で韓国が初めて参加し、その後2009年にインドも参加し始めた。東南アジアやアフリカからはまだ参加国が少なく、そのためテストではそれらの地域の言語が多く出題される。数式が出ることもある。その際はtàtnààs=bākūrū bītīīmìn ná vɛ̀ ʃāātàtという風に、個々の数をある言語での数の書き方で書いた形で数式を書く(この数式は、2017年出題のものから抜粋)。
日本代表はこれまで金メダルを1個、銀メダルを2個、銅メダルを7個、最優秀解答を1個取っている。
歴史[編集]
開催の背景と目的[編集]
1965年、ロシアのモスクワで、当時は言語学を学んで五年に過ぎなかった著名な言語学者アルフレッド・ジュリンスキー(1938~1991年)の提唱により、委員長を務めた数学者ウラジーミル・アンドレヴィッチ・ウスペンスキー、言語学者のアレクサンドル・キブリック、アンナ・ポリワノワ、アンドレイ・ザリズニャクらによる委員会が組織され[2]、中学生を対象とした初めての言語オリンピックが開催された。1982年までモスクワ大学で定期開催され、1988年に現在のロシア人文大学で再開された[3]。1989年以降は両機関が共同で行った。なお1989年から1991年にはモスクワ国立言語大学も参加した[4]。1996年からサンクトペテルブルクのサンクトペテルブルク大学でも同様の大会が開催されている[3]。
1982年以来、ブルガリアでもブルガリア数学者連合、教育科学省により定期的に言語学オリンピックが開催されている[3]。アメリカのオレゴン州[5]やオランダでも同様のオリンピックが開催された。ブルガリア言語学オリンピックの設立後、モスクワ言語学オリンピックの優勝チームがブルガリアの大会に出場したり、その逆の形での出場も行われたりして、この分野での国際協力に大きな可能性を示した。
場所、年ごとの歴史[編集]
IOLの初回は、モスクワ大学(MSU)のアレクサンドル・キブリックが委員長を務め、ブルガリア、チェコ、エストニア、ラトビア、オランダ、ロシアの六か国の参加を得て、ブルガリアの山岳リゾート地、ボロヴェッツにおいて2003年9月6日から12日まで実施された。最初の国際審査員は、イワン・デルジャンスキー(委員長)(ブルガリア科学アカデミー数学・情報研究所)、アレクサンドル・ベルディチェフスキー(モスクワ大)、ボリス・イオムディン(ロシア語学会)、エレナ・ムラヴェンコ(ロシア国立人文大学ロシア語学科)で構成されていた[3]。個人戦における五つの問題はヤーコプ・リンツバッハの「超越代数」筆記体系、エジプト・アラビア語(アフロ・アジア語族)、バスク語(孤立した言語)、アディゲ語(北西コーカサス語族)、フランス語(インド・ヨーロッパ語族)に関するものであった。団体戦は、トカラ語(インド・ヨーロッパ語族)、添字の名詞としての使用、遂行動詞の三つの問題から構成された。
IOL 2は、2004年の8月2日から6日まで、ロシアのモスクワにあるロシア人文大学(RSUH)で開催された[6]。7カ国が出場し、ポーランド、セルビア・モンテネグロは初参加だった。個人戦の5つの問題は、カヤポ語、ラテン語、英語、ラコタ語、チュヴァシュ語だった。団体戦の問題はアルメニア語だった。
IOL 3は2005年の8月8日から12日までオランダのライデンで開催され、初参加のフィンランドとルーマニアを含む9カ国13チームが参加した。個人戦の5つの問題は、ツォツィル語、ランゴ語、マンシ語、ヨルバ語、リトアニア語だった。団体戦の問題はフィギグだった。
IOL 4は、2006年の8月1日から6日まで、エストニアのタルトゥにあるタルトゥ大学で開催された[7]。Renate Pajusaluが統括し、9カ国から13チームが参加し、リトアニアも初めてチームを派遣した。個人戦の5つの問題は、ラコタ語、カタルーニャ語、クメール語、ウデヘ語、ンゴニ語だった。団体戦はアメリカ手話だった。
IOL 5は、2007年7月31日から8月4日まで、ロシアのサンクトペテルブルクにあるHotel Geliosで開催された[8]。Stanislav Gurevichを委員長とし、9カ国から15チームが参加した;スペイン、スウェーデン、アメリカは初めて参加した。その年には、各国が1チームまたは2チーム (それぞれ4人ずつ) を派遣し、最初のチームの費用はホスト国が全額負担することが決まった。また、開催国は第3チームを派遣することもできる[8]。個人コンテストでの五つの問題は点字、モビマ語(孤立した言語)、グルジア語(カルトヴェリ語族)、ンドム語(トランス・ニューギニア語族)、トルコ語とタタール語(チュルク語族)の対応であった。チームの問題はハワイ語(オーストロネシア語族)であり、家系を表す語に焦点が当てられていた。
IOL 6は、2008年8月4日から9日まで、ブルガリアのサニー・ビーチ(スランチェフ・ブリャク)にあるサニー・ビーチ・リゾートで開催された[9]。Iliana Raevaが委員長を務め、初参加のドイツ、スロベニア、韓国を含む11カ国から16チームが参加した。問題委員会はイヴァン・デルジャンスキーが委員長を務めた。五つの個人問題は、ミクマク語(アルゴンキン語派)、古ノルド語(北ゲルマン語群)の詩歌(特にdróttkvætt)、デフ語とチャムヒン語の対応(大洋州諸語)、コパイナラ・ソケ語(ミヘ・ソケ語族)、イヌクティトゥット語(エスキモー・アレウト語族)であった。チーム問題は、反切を用いた標準中国語と広東語(シナ語派)の対応に関するものであった。
IOL 7は、2009年7月26日から31日まで、ポーランド、ヴロツワフのヴロツワフ大学で開催された[10]。ミハウ・スリヴィンスキが委員長を務め、初参加のオーストラリア、イギリス、インド、アイルランドをはじめ世界17カ国から23チームが参加した。問題委員会はTodor Tchervenkov(フランスのリヨン大学)が委員長を務めた。対象とした五つの個人戦の問題の主題は、スルカ語(孤立した言語)の数字、ンコ文字及びラテン文字表記のマニンカ語及びバマナ語(マンデ語派)、伝統的なビルマ語(シナ・チベット語族)の名及びそれらの誕生日との関係、古インド語(インド語群)における強勢の位置、及び古典ナワトル語(ユト・アステカ語族)における文法と形態論の関係である。チームの問題はベトナム語(オーストロアジア語族)だった。
IOL 8は、2010年の7月19日から24日まで、スウェーデンのストックホルムにあるÖstra Real Hostelにて開催された[11]。Hedvig Skigårdが委員長を務め、ノルウェーやシンガポールなど18カ国からの26チームが参加した。問題委員会はアレクサンドル・ピペルスキーが委員長を務めた。個人のコンテストは次の五つの問題から構成されていた:ブドゥフ語(北東コーカサス語族)における種々の動詞の関係、デフ語(オセアニア)の数え方のシステム、ブリスシンボル、mRNAのコーディング、ロマンシュ語(西ロマンス語)におけるスルシルヴァ方言とエンガディン方言の関係。チームの問題はモンゴル語(モンゴル語族)単一の辞書からの抜粋の翻訳であった。
IOL 9は、7月25日から30日まで、米国ピッツバーグのカーネギーメロン大学で開催された[12]。Lori Levinが司会を務め、ブラジル、カナダ、アラブ首長国連邦、ベトナムなど19カ国から27 2011チームが初参加した。問題委員会はAdam Hesterbergが委員長を務めた。個人戦の問題は、フェロー語(ゲルマン語派)の正書法、メノミニー語(アルギック語族)の形態学、ヴァイ語(マンデ語族)の構文、ナワトル語(ユト・アステカ語族)の意味論、バーコード言語EAN-13の構造についての推論を必要とした。チーム・コンテストには、サンスクリット語(インド・アーリア語派)の詩の規則と構造が含まれていた。
IOL 10はスロベニアのリュブリャナにあるリュブリャナ大学で2012年7月29日から8月4日まで開催された[13]。Mirko Vaupoticが率いるは、中国、ギリシャ、ハンガリー、イスラエル、そして日本を含む26カ国から34チームを集めた。問題委員会はイヴァン・デルジャンスキーが委員長を務めた。個人戦における五つの問題は、ジルバル語(パマ・ニュンガ語族)の統語論、ウンブ=ウング語(トランス・ニューギニア)の数、バスク語(孤立した言語)の代名詞、テオプ語(オーストロネシア語族)の構文、ロツマ語(オーストロネシア語族)の意味論であった。チームの問題には、ラーオ語(タイ・カダイ語族)で国名を認識することが含まれていた。
IOL 11は、2013年の7月22日から26日まで、イギリス・マンチェスターのマンチェスターグラマースクールにて開催され[14]、ニール・シェルダンが委員長を務め、マン島をはじめ、台湾、トルコなど世界26カ国から35チームが参加した。問題委員会はStanislav Gurevichが委員長を務めた。個人戦における五つの問題は、英語に基づくイディン語(パマ・ニュンガ語族)の形態学、ツンドラ・ユカギール語(ユカギール語族)の意味論、ピダハン語(ムーラ語)の音韻論、ムナ語(オーストロネシア語族)の統語論、英語に基づくテレパシーに関するものであった。チームの問題は、9世紀のヌスフリ文字で書かれたグルジア語(カルトヴェリ語族)によるマーティン・セイモア=スミスの『世界を変えた100冊の本』のリストを翻訳することに関係していた。
IOL 12は、2014年の7月21日から25日まで、中国・北京の北京語言大学で開催された[15]。Jiang Yuqinが委員長を務めた。28カ国から39チームが参加し、パキスタンとウクライナも初参加した。問題委員会の委員長はJae Kyu Lee。個別コンテストにおける五つの問題は、ベナベナ語(トランス・ニューギニア語族)の形態論、カイオワ語(カイオワ・タノア語族)の形態音韻論、タングート語(チベット・ビルマ語派)の親族、エンゲンニ語(ベヌエ・コンゴ語族)の構文、北西バヤ語(ウバンギ語族)であった。チームの問題には、世界人権宣言の記事をアルメニア語(インド・ヨーロッパ語族)に翻訳したものと一致させることが含まれていた。
IOL 13は、2015年の7月20日から24日まで、ブルガリアのブラゴエヴグラトにあるブルガリア・アメリカン大学で開催された[16]。アレクサンドル・ベリノフが委員長を務めた。初参加のバングラデシュ、フランス、カザフスタンなど29カ国から43チームが参加した。問題委員会はBozhidar Bozhinovが委員長を務め、個別コンテストにおける五つの問題は、ナワトル語(ユト・アステカ語族)とアランバ語(中南パプア語族)の数、カバルド語(アブハズ・アディゲ語派)のベスレネイ方言の形態論、Soundex(サウンデックス)、ワンバヤ語(西バークリー語族)の文法、ソマリ語(アフロ・アジア語族)の詩の規則についてだった。チームの問題は、北ソト語(バントゥー語群)単一の辞書からの抜粋を用いて言語の文法と語彙を構築することであった。
IOL 14は、2016年の7月25日から29日まで、インドのマイソールにあるインフォシス開発センターで開催され[17]、Monojit Choudhury博士とGirish Nath Jha博士が委員長を務めた。31カ国から44チームが集まり、ネパールとスリランカは初めてチームを送った。問題委員会はBoris Iomdinが委員長を務めた。個人戦における五つの問題は、アラッレ・タブラハン語(オーストロネシア語族)の空間の直示、ルウィ語(インド・ヨーロッパ語族)の象形文字、クヌーズ・ヌビア語(東スーダン語族)の形態統語論、イアトムル語(セピック語族)の意味論、ハカル語(アイマラ語族)の形態論における空間的特異性に関するものであった。チームの問題は、タア語(ツウ語族)における100以上の発話とIPA転写とのマッチングであった。
IOL 15は、7月31日から2017年8月4日までアイルランドのダブリンにあるダブリンシティ大学で開催された[18]。カラ・グリーン博士が委員長を務め、27カ国から43チームが参加し、カナダから初めてフランス語圏のチームが派遣された。問題委員会はヒュー・ドブスが委員長を務めた。個人戦における五つの問題は、ビロム語(プラトー語群)の数、アブイ語(ティモール・アロール・パンタール語族)の所有と意味、キンブンド語(バントゥー語群)の形態統語論、コム文字で書かれたラベン語(オーストロアジア語族)、マダク語(中部メラネシア語群)の形態音韻論に関するものであった。団体戦は、87個の絵文字とインドネシア語(オーストロネシア語族)の記述との対応関係を確立することだった。
IOL 16は、チェコ共和国のプラハにあるチェコ生命科学大学で、2018年の7月26日から30日まで開催された[19]。Vojtěch Diatkaを委員長とし、29カ国から49チームが参加し、マレーシアとデンマークは初参加だった[20]。問題委員会はマリア・ルビンスタインが委員長を務めた。個人戦における五つの問題は、クリーク語(マスコギ語族)の強勢、ハクン語(サル語派)の形態統語論、テレナ語(アラワク語族)の音韻論、山岳アラペシュ語(トリチェリ語族)での数の数え方、アカン語(大西洋・コンゴ語族)での血縁関係に関するものであった。団体戦では、ジェ語派の3つの言語メンベンゴクレ語、シャバンチ語、クリンカチー語の音韻論的対応を調べた。
IOL17は、2019年7月29日から8月2日まで韓国の龍仁市にある韓国外国語大学校龍仁キャンパスで開催された[21]。キム・ミンギュとチェ・ユジョンが委員長を務め、36の国と地域から53チームが参加した。ネパール、香港、ウズベキスタン、コロンビアは初参加であった[22]。問題委員会はイ・テフンが委員長を務めた。個人戦の問題はヨンゴム語(トランス・ニューギニア語族)の形態統語論、ユロック語(アルギック語族)の色彩語彙、書物のパフラヴィー文字で書かれた中期ペルシア語(イラン語派)、西タランガン語(オーストロネシア語族)の北部方言と海岸部方言における重複形、ノニ語(ベボイド語群)の形態統語論と曜日に関するものであった。団体戦では新体操の動きの表記体系と評価の法則を明らかにした。
IOL18は当初ラトビアのヴェンツピルスで2020年の7月20日から24日まで開催される予定であったが、新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)によって2021年の7月19日から23日へ延期された[23]。
開催地[編集]
IOLの各大会の概要を次の表に示す。
回数 | 開催年 | 開催地 | 開催日 | 参加国 | 参加者数 | Webページ |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2003年 | ![]() |
9月6日 – 9月12日 | 6 | 33 | here |
2 | 2004年 | ![]() |
7月31日 – 8月2日 | 7 | 43 | here |
3 | 2005年 | ![]() |
8月8日 – 8月12日 | 9 | 50 | here |
4 | 2006年 | ![]() |
8月1日 – 8月6日 | 9 | 51 | here |
5 | 2007年 | ![]() |
7月31日 – 8月4日 | 9 | 61 | here |
6 | 2008年 | ![]() |
8月4日 – 8月9日 | 11 | 63 | here |
7 | 2009年 | ![]() |
7月26日 – 7月31日 | 17 | 86 | here |
8 | 2010年 | ![]() |
7月19日 – 7月24日 | 18 | 99 | here |
9 | 2011年 | ![]() |
7月24日 – 7月30日 | 19 | 102 | here |
10 | 2012年 | ![]() |
7月29日 – 8月4日 | 26 | 131 | here |
11 | 2013年 | ![]() |
7月22日 – 7月26日 | 26 | 138 | here |
12 | 2014年 | ![]() |
7月21日 – 25日 | 28 | 152 | here |
13 | 2015年 | ![]() |
7月20日 – 24日 | 29 | 166 | here |
14 | 2016年 | ![]() |
7月25日 – 29日 | 30 | 167 | here |
15 | 2017年 | ![]() |
7月31日 – 8月4日 | 27 | 180 | here |
16 | 2018年 | ![]() |
7月26日 – 30日 | 29 | 192 | here |
17 | 2019年 | ![]() |
7月26日 – 30日 | 37 | 209 | here |
18 | 2021 | ![]() |
||||
19 | 2022年 | ![]() |
個人戦メダリスト[編集]
年度 | 開催地 | 金賞 | 銀賞 | 銅賞 |
---|---|---|---|---|
2003 | ![]() |
Alexandra Petrova ![]() |
Mirjam Plooij ![]() |
Polina Oskolskaya ![]() |
2004 | ![]() |
Ivan Dobrev ![]() |
Maria Mamykina ![]() |
Alexandra Zabelina ![]() |
2005 | ![]() |
Ivan Dobrev ![]() |
Eleonora Glazova ![]() |
Nikita Medyankin ![]() |
2006 | ![]() |
Maria Kholodilova ![]() |
Yordan Mehandzhiyski ![]() |
Yuliya Taran ![]() |
2007 | ![]() |
Adam Hesterberg ![]() |
Kira Kiranova ![]() |
Anna Shlomina ![]() |
2008 | ![]() |
Alexander Daskalov ![]() |
Anand Natarajan ![]() |
Guy Tabachnick ![]() |
2009 | ![]() |
Diana Sofronieva ![]() |
Vitaly Pavlenko ![]() |
Deyana Kamburova ![]() |
2010 | ![]() |
Vadim Tukh ![]() |
Martin Camacho ![]() |
Mirjam Parve ![]() |
2011 | ![]() |
Morris Alper ![]() |
Wesley Jones ![]() |
Min Kyu Kim ![]() |
2012 | ![]() |
Anton Sokolov ![]() |
Darryl Wu ![]() |
Pedro Neves Lopes ![]() |
2013 | ![]() |
Alexander Wade ![]() |
Omri Faraggi ![]() |
Nilai Sarda ![]() |
2014 | ![]() |
Miłosz Mazurkiewicz-Dubieński ![]() |
Ada Melentieva ![]() |
Anindya Sharma ![]() |
2015 | ![]() |
James Wedgwood ![]() |
Kevin M Li ![]() |
Bálint Ugrin ![]() |
2016 | ![]() |
Jaeyeong Yang ![]() |
Margarita Misirpashayeva ![]() |
Tsuyoshi Kobayashi ![]() |
2017 | ![]() |
Samuel Ahmed ![]() |
Andrew Tockman ![]() |
Ekaterina Voloshinova ![]() |
2018 | ![]() |
Przemysław Podleśny ![]() |
Jakub Petr ![]() |
David Avellan-Hultman ![]() |
2019 | ![]() |
Ken Jiang ![]() |
Diego Król ![]() |
Tatiana Romanova ![]() |
団体戦メダル[編集]
回数 | 年度 | 開催地 | 金賞 | 銀賞 | 銅賞 | 個人競技で優勝したチーム |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2003 | ブルガリア、ボロヴェッツ | オランダ ![]() |
ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
オランダ ![]() |
2 | 2004 | ロシア、モスクワ | ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
ラトビア ![]() |
ブルガリア1 ![]() |
ブルガリア1 ![]() |
3 | 2005 | オランダ、ライデン | オランダ ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
ブルガリア1 ![]() |
4 | 2006 | エストニア、タルトゥ | ブルガリア2 ![]() |
オランダ ![]() |
ポーランド1 ![]() |
ブルガリア1 ![]() |
5 | 2007 | ロシア、サンクトペテルブルク | アメリカ2 ![]() モスクワ ![]() |
ブルガリア1 ![]() ブルガリア2 ![]() |
受賞なし | エストニア ![]() |
6 | 2008 | ブルガリア、スランチェフ・ブリャク | アメリカ2 ![]() ブルガリア・東 ![]() |
オランダ ![]() アメリカ1 ![]() |
受賞なし | アメリカ ![]() |
7 | 2009 | ポーランド、ヴロツワフ | アメリカ・赤 ![]() |
韓国1 ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
8 | 2010 | スウェーデン | ラトビア ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
ポーランド2 ![]() |
アメリカ・青 ![]() |
9 | 2011 | アメリカ、ピッツバーグ | アメリカ・赤 ![]() |
ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
10 | 2012 | スロベニア、リュブリャナ | アメリカ・青 ![]() |
オランダ ![]() |
ポーランド2 ![]() |
ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
11 | 2013 | イギリス、マンチェスター | アメリカ・赤 ![]() |
ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
ブルガリア1 ![]() ルーマニア ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
12 | 2014 | 中国、北京 | アメリカ・赤 ![]() |
ロシア・サンクトペテルブルク ![]() |
ロシア・モスクワ ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
13 | 2015 | ブルガリア、ブラゴエヴグラト | イギリス・西 ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
ポーランド・白 ![]() オランダ ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
14 | 2016 | インド、マイソール | スウェーデン ![]() |
オーストラリア1 ![]() |
イギリス ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
15 | 2017 | アイルランド、ダブリン | 台湾・TaiTWO ![]() |
ポーランドĄ ![]() |
スロベニア ![]() |
イギリス・K ![]() |
16 | 2018 | チェコ、プラハ | アメリカ・青 ![]() |
アメリカ・赤 ![]() ブルガリア1 ![]() |
Pões ![]() イギリス・U ![]() Tým křivopřísežníků ![]() |
アメリカ・青 ![]() |
17 | 2019 | 大韓民国、龍仁 | スロベニア ![]() |
中国・KUN ![]() ロシア・Strelka ![]() |
ポーランド・Bóbr ![]() ロシア・Belka ![]() マレーシアA ![]() |
アメリカ・赤 ![]() |
メダル・トロフィー総獲得数[編集]
順位 | 国名 | 出場回数 | 金 | 銀 | 銅 | 総計 | 特別賞 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
13 | 27 | 38 | 20 | 82 | 22 |
2 | ![]() |
17 | 21 | 23 | 31 | 75 | 24 |
3 | ![]() |
17 | 18 | 33 | 45 | 96 | 22 |
4 | ![]() |
11 | 14 | 8 | 15 | 37 | 12 |
5 | ![]() |
16 | 9 | 23 | 22 | 54 | 28 |
6 | ![]() |
17 | 4 | 5 | 5 | 14 | 18 |
7 | ![]() |
11 | 2 | 6 | 13 | 21 | 11 |
8 | ![]() |
10 | 2 | 6 | 5 | 13 | 9 |
9 | ![]() |
7 | 2 | 6 | 3 | 11 | 10 |
10 | ![]() |
12 | 2 | 4 | 14 | 20 | 17 |
11 | ![]() |
17 | 2 | 4 | 10 | 16 | 10 |
12 | ![]() |
9 | 2 | 3 | 6 | 11 | 11 |
12 | ![]() |
9 | 2 | 3 | 6 | 11 | 4 |
Media coverage[編集]
関連項目[編集]
References[編集]
- ^ “International Linguistics Olympiad”. www.ioling.org. 2016年9月11日閲覧。
- ^ “International history”. United Kingdom Linguistics Olympiad. 2013年8月9日閲覧。
- ^ a b c d “First International Olympiad in Linguistics (2003)”. Department of Theoretical and Applied Linguistics, Moskow State University. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “Традиционная олимпиада по лингвистике и математике. История”. web.archive.org (2015年4月25日). 2019年8月3日閲覧。
- ^ “History of Linguistic Challenges”. North American Computational Linguistics Olympiad. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “Second International Linguistic Olympiad (2004)”. Department of Theoretical and Applied Linguistics, Moskow State University. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “Fourth International Linguistics Olympiad for Secondary School Students”. 2012年9月8日閲覧。
- ^ a b “The Fifth International Linguistics Olympiad”. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “6th International Linguistics Olympiad”. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “7th International Olympiad in Linguistics”. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “IOL10”. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “IOL 2011: Venue”. 2012年9月8日閲覧。
- ^ “The 10th International Linguistics Olympiad”. 2013年8月7日閲覧。
- ^ “The International Linguistics Olympiad 2013”. 2013年8月7日閲覧。
- ^ “The International Linguistics Olympiad 2014”. 2014年7月27日閲覧。
- ^ “The International Linguistics Olympiad 2015”. 2015年8月17日閲覧。
- ^ “International Olympiad for Linguists 2016”. iol14.plo-in.org. 2016年1月6日閲覧。
- ^ “International Linguistics Olympiad”. www.ioling.org. 2016年9月11日閲覧。
- ^ “International Linguistics Olympiad 2018”. iol.ff.cuni.cz. 2018年8月5日閲覧。
- ^ “IOL 2018 Participants”. IOL. IOL. 2018年8月8日閲覧。
- ^ “IOL Yongin 2019”. IOL 2019. IOL 2019. 2018年8月8日閲覧。
- ^ “Yongin 2019” (英語). International Linguistics Olympiad. 2020年8月11日閲覧。
- ^ “Ventspils 2021” (英語). International Linguistics Olympiad. 2020年8月11日閲覧。
- ^ 2016年までのCanadaおよび2017年以降のCanada Anglophone、Canada Francophoneの総計。
- ^ “It may be semantics, but linguistics can be a team event”. The Age. 2012年8月7日閲覧。
外部リンク[編集]
![]() |
- IOL日本非公式サイト - OBなどによる非公式サイト