国家非常事態委員会
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略称 | ГКЧП |
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設立年 | 1991年8月19日 |
廃止年 | 1991年8月22日 |
種類 | クーデターによる暫定政権 |
地位 | 国家委員会 |
目的 | 新連邦条約調印の中止、6ヶ月間の国家非常事態 |
本部 | ![]() |
重要人物 | ゲンナジー・ヤナーエフ(連邦副大統領) |
関連組織 | KGB ソビエト軍 ソ連内務省 |
国家非常事態委員会(こっかひじょうじたいいいんかい、ロシア語: Государственный комитет по чрезвычайному положению、略称:ГКЧП、ラテン文字表記の例:Gosudarstvennyi Komitet po Chrezvechainomu Polozheniyu、GKChP) とは、新連邦条約の締結阻止を掲げて1991年8月19日にソ連でクーデター未遂を起こした8人のメンバーからなる委員会である。
概要[編集]
メンバーはゲンナジー・ヤナーエフソ連副大統領、ボリス・プーゴ内相、ウラジーミル・クリュチコフKGB議長、ドミトリー・ヤゾフ国防相などである。メンバーはクリミア・フォロスの別荘で休暇中のゴルバチョフ大統領を軟禁し、大統領辞任を迫ったが拒否された。ロシア連邦共和国の首都モスクワでは、連邦共和国大統領のボリス・エリツィンら急進改革派と市民がクーデターに抵抗し、8月21日にはクーデターは失敗、国家非常事態委員会は解散した。
ソ連共産党への批判が高まる中、8月24日にはゴルバチョフがソ連共産党書記長を辞任し、同時にソ連共産党の解党を宣言し事態は急展開した。
現在の評価[編集]
ゴルバチョフが事前にクーデター計画を察知していたはずだという説も根強くあり、ロシアの大手ビジネス紙ヴズグリャドは、ゴルバチョフ自身がクーデターの首謀者だった可能性も否定しきれないと指摘している。
モスクワ国立大学の歴史学者・政治学者のドミトリー・アンドレーエフは、GKChPの声明が、企業の自由、民主主義、犯罪の取り締まりなど国民生活に直結する課題を挙げていたことに着目している。
国家戦略協議会のヴィクトル・ミリタリョーフは、首尾よく行動していれば、GKChPが政権に居座り続ける可能性もあったと見ている。PRのまずさも手伝って威圧的な一派だと誤解されたが、独裁を求めていたわけではなく単に連邦の解体を阻止しようとしていただけであった。彼らが一定期間政権を手中に収めていたとしても、実質的にはゴルバチョフと大差ない改革路線を継続したであろうとも言われている。
ロシア国内では、国の崩壊を食い止めたいという実行者らの良心から発生したものであったと擁護する声も多いが、それでもこのような政変劇は認められないという評価が一般的である。
外部リンク[編集]
- (ロシア語) [年代記: [1], [2]
- (ロシア語) 1991年8月19日ブレーミヤ(Youtube)