国吉源次

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国吉 源次
出生名 国吉 源次
生誕 (1930-06-10) 1930年6月10日(89歳)
出身地 日本の旗 日本
沖縄県宮古郡城辺村(現在の宮古島市
ジャンル 民謡
職業 歌手、三線奏者

国吉 源次(くによし げんじ、1930年6月10日 - )は、沖縄民謡(主に宮古民謡)の歌手。宮古島歌謡の第一人者と称されている。

来歴・人物[編集]

1930年沖縄県宮古郡城辺村(後に城辺町宮古島市)に生まれる。幼い頃から歌うことが好きで、四六時中「歌ってばかり」の少年だったという。
1945年、15歳で新城青年会に入会。20歳の頃から地域の演芸会で歌・三線を披露するようになる。その後、24歳の若さで新城青年会会長に就任し、宮古島内の大会で活躍した。
1965年宮古民謡の道に生きることを決意して宮古丸那覇へ渡る。翌年、琉球放送の番組「金の歌銀の歌」に出演。伊良部トーガニーを歌った。その翌年には第20回NHKのど自慢沖縄地区大会・民謡の部優勝を果たし、沖縄本島においても類稀なる才能を発揮する。
1968年から25年連続で琉球放送の番組「新春民謡紅白歌合戦」にも出演した。この年、戦前の友利明令に次ぐ戦後初めての宮古民謡のレコードを発売。
1969年に初のリサイタルを故郷宮古島で開催するも、昼夜2回、2日間の公演予定が、超満員で収容できず、3日間に延長された。以後、これまで5回宮古でリサイタルを開催。
1971年には、那覇市内で民謡研究所を開設し、沖縄テレビの「東西民謡歌合戦」に出演。以後、同番組には20年連続して出演した。
1990年、芸道40周年を記念し、リサイタル「芸道四十年 国吉源次の世界」を開催するも、1991年1993年の2度にわたって脳腫瘍で手術を受けた。2度目の手術の半年後より、本格的に演奏活動再開。 1995年、初のCDアルバム「初恋」を発売。1999年には芸道50周年記念リサイタル「芸道五十年 国吉源次の世界-宮古民謡の真髄を20世紀ヘー」 を開催。
過去に琉球民謡協会理事長(2期)、宮古総合芸能協会会長、琉球民謡保存会理事長(2期)等の重役を務めた。
妻は同じく宮古民謡歌手の国吉義子

ディスコグラフィー[編集]

映画出演[編集]