コンテンツにスキップ

四苦八苦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦(ドゥッカ、dukkha)の分類。

概略

[編集]

根本的なドゥッカを(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし

  • 生苦(jātipi dukkha)[1] - しょうく。衆生の生まれることに起因する苦しみ。
  • 老苦(jarāpi dukkha)[1] - 衆生の老いていくことに起因する苦しみ。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
  • 病苦(byādhipi dukkha)[1] - 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題。
  • 死苦(maraṇampi dukkha)[1] - 死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。衆生が免れることのできない死という苦しみ。また、死ぬときの苦しみ、あるいは死によって生ずるさまざまな苦しみなど。

根本的な四つの苦に加え、

  • 愛別離苦(あいべつりく、piyehi dukkha)[1] - 親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離すること
  • 怨憎会苦(おんぞうえく、appiyehi dukkha)[1] - 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
  • 求不得苦(ぐふとくく、yampiccha dukkha)[1] - 求める物が思うように得られない苦しみ
  • 五取蘊苦(ごしゅうんく、pañcupādānakkhandhā dukkha) - 五蘊盛苦(ごうんじょうく)とも。五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。

四苦では「生」自体も苦として扱われている。釈迦輪廻からの解脱を目指したが、本来の釈迦の教説では浄土を想定せず「死後に天界を含めて、一切皆苦のこの世界で二度と生まれ変わらないこと」を目指していたと説明される(大乗非仏説参照)[2][3]佐々木閑は「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻を断ち切って涅槃に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」と説明している[4]。釈迦の生涯を体系的に網羅した叙事詩『ブッダチャリタ』では涅槃に入った釈迦について「地上においては老・死の恐怖はなく、天上においては天界から落ちる恐怖(天人五衰)はない。(中略)生があれば不快が生じる。再び輪廻に生まれないことによる非常な快以上の快はない。」と述べている[5]

抜粋

[編集]

釈迦初転法輪において四諦を説き、その中では苦諦として四苦八苦を説いた。

比丘等よ、苦聖諦とは、此の如し、
生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり、
怨憎するものに曾ふは苦なり、愛するものと別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、
略説するに五蘊取蘊は苦なり。

—  南伝大蔵経, 律蔵大犍度

生は苦なり

[編集]

アルボムッレ・スマナサーラは生苦を「生きるとは、苦から逃れ続けること」と説明している[6]。人は空腹という苦から逃れるために食事を取り、食べ過ぎは苦であるから食事を終了する[6]。座り続けることは苦痛であるから立ち、立ち続けることは苦痛であるから座るのである」と説明している[6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g アルボムッレ・スマナサーラ『苦の見方』サンガ (出版社)、2015年、Kindle版、位置No.全2025中 1188 / 59%。ISBN 978-4865640199 
  2. ^ 佐々木閑『ブッダ 最期のことば』NHK出版 2016年、p22-24
  3. ^ 佐々木閑『いかにして多様化したか 部派仏教の成立』NHK出版 2025年、p85-86
  4. ^ 佐々木閑『いかにして多様化したか 部派仏教の成立』NHK出版 2025年、p85-86
  5. ^ 完訳 2019, p. 322.
  6. ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ『結局は自分のことを何もしらない』〈サンガ新書 役立つ初期仏教法話〉2008年。ISBN 978-4901679619 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]