四方町
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| よかたまち 四方町 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1954年3月30日 |
| 廃止理由 |
新設合併 四方町・倉垣村・八幡村 → 和合町 |
| 現在の自治体 | 富山市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方(北陸地方) |
| 都道府県 | 富山県 |
| 郡 | 婦負郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 1.22[1] km2. |
| 総人口 |
4,803[1]人 (1938年末[1]) |
| 隣接自治体 | 八幡村、倉垣村 |
| 四方町役場 | |
| 所在地 | 富山県婦負郡四方町四方中坪→西岩瀬 |
| 座標 | 北緯36度45分24秒 東経137度11分42秒 / 北緯36.75675度 東経137.19508度座標: 北緯36度45分24秒 東経137度11分42秒 / 北緯36.75675度 東経137.19508度 |
| ウィキプロジェクト | |
現在は、富山市の一部。
地理
[編集]古くから栄えてきた港町であり、北側は富山湾に面する。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、婦負郡四方町、西岩瀬町、北窪村及び四方新村の区域をもって、婦負郡四方町が発足する。当時の戸数は1,150戸、人口5,012人(男性2,471人、女性2,541人)[2]。
- 1908年(明治41年)5月25日 - 町会において、町役場の庁舎を新築するため、大字四方中坪の地(旧恵比須宮跡)の敷地を借り上げる決議を可決[2]。
- 1910年(明治43年) - 同地において2階建て69坪の庁舎を建築し、階下に事務所、階上を議会室に充当[2]。
- 1913年(大正2年)
- 1944年(昭和19年)2月 - 西岩瀬の旧永守銀行の建物を買い受けて、同地に町役場を移転[2]。
- 1954年(昭和29年)3月30日 - 婦負郡四方町、倉垣村及び八幡村が合併して、婦負郡和合町が発足する。和合町役場が旧八幡村役場に設置されたため(後に旧四方町西岩瀬に移転[4])、旧四方町役場は1957年(昭和32年)4月に廃止されるまで、和合町役場の支所として使用されていた[2]。
歴代町長
[編集]- 栂野安親(不詳 - 1889年7月4日)
- 永守伊八郎(不詳 - 1890年10月)
- 中山和平(和七郎)(1890年10月14日 - 1893年10月21日)
- 中島信常(常信)(1893年10月30日 - 1897年10月29日)
- 井本三信(1898年2月 - 1898年6月)
- 本郷清完(1898年7月30日 - 1898年6月)
- 西村久太郎(1898年8月17日 - 1898年11月30日、職務管掌)
- 西村久太郎(1898年12月1日 - 1899年4月)
- 松下義男(1899年4月14日 - 1901年1月5日)
- 森敬直(1901年1月10日 - 1901年2月14日、職務管掌)
- 堀内潤二(1901年2月15日 - 1901年3月31日、職務管掌)
- 本郷清完(清定)(1901年4月1日 - 1901年7月)
- 本郷清完(清定)(1901年7月28日 - 1902年3月22日)
- 矢後藤次郎(1902年11月22日 - 1906年11月21日)
- 井本三信(1906年12月20日 - 1910年12月19日)
- 国井俊彰(1911年1月6日 - 1915年1月5日)
- 国井俊彰(1915年1月6日 - 1916年8月15日)
- 増山政次郎(1916年10月18日 - 1920年10月17日)
- 山崎京太郎(1920年10月18日 - 1920年10月25日)
- 竹脇乙吉(1920年10月25日 - 1924年9月3日)
- 木谷栄太郎(菊太郎)(1924年2月24日 - 1926年3月19日)
- 栂野安房(1926年4月9日 - 1930年4月8日)
- 永守作郎(1930年4月17日 - 1931年9月16日)
- 永守作郎(1931年10月10日 - 1935年9月11日)
- 栂野吾一(1935年9月26日 - 1937年9月22日)
- 七間与三郎(1938年2月10日 - 1940年2月29日)
- 栂野吾一(1940年3月31日 - 1944年4月3日)
- 森善三(1944年4月4日 - 1946年11月27日)
- 高橋源重(1947年4月5日 - 1951年4月4日、のちに和合町初代町長)
- 井本政信(1951年4月23日 - 1954年3月28日)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編著『角川地名大辞典 16 富山県』角川書店 (1979年)