四ツ橋

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「旧名所 四ツ橋跡」碑
四つ橋跡
江戸時代の四つ橋(浪花百景)
1910年(明治43年)頃の四ツ橋交差点
四ツ橋交差点(2018年5月)

四ツ橋(よつばし)は、大阪市内に唯一存在した「堀川の十字交差部」に架橋されていた4つの橋を一括して称した名称「四つ橋[1]、およびその周辺の地域の通称である。その後、堀川は埋め立てられ、現在は交差点名や駅名としてその名を残している。

「四つ橋」(橋)[編集]

現在、ともに埋め立てられている長堀川西横堀川が十字に交差した地点に「ロ」の字型に架けられていた4つの橋の総称である[2]。これら4つの橋は、長堀川が開削された1622年元和8年)より間もなく架けられたと考えられ[1]、道路、水路、その後の市電にとっての重要な交通の要所であった。

上繋橋(かみつなぎばし)
  • 西横堀川に架かる北の橋。ほかの3つの橋と違い、この橋だけが川の交差部よりやや離れて架けられていたことから「縁切り橋」と呼ばれ、別れを招くとされた[1]1964年昭和39年)撤去。
下繋橋(しもつなぎばし)
  • 西横堀川に架かる南の橋。1964年(昭和39年)撤去。
炭屋橋(すみやばし)
  • 長堀川に架かる東の橋。1970年(昭和45年)撤去。島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来する[1]
吉野屋橋(よしのやばし)
  • 長堀川に架かる西の橋。1970年(昭和45年)撤去。北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来する[1]

四ツ橋交差点[編集]

現在は長堀通四つ橋筋の交差点名となっている。本来の四つ橋は、長堀川と西横堀川の交差部、つまり、長堀通と阪神高速1号環状線北行きの交差部であるので、四ツ橋交差点は本来の四つ橋の位置より少し西側にずれていることになる。なお、四ツ橋交差点の位置で長堀川に架けられていた橋は「西長堀橋」である。

長堀通の中央部には、江戸時代中期の俳人小西来山上島鬼貫が詠んだ句碑が建つ。上島鬼貫の句は「後の月 入て貌よし 星の空」、小西来山の句は「涼しさに 四つ橋を四つ わたりけり」となっている。

また、日本初の国産ダイヤモンドクロッシング(軌道の交差点)が設置されたのもこの交差点である。四ツ橋のダイヤモンドクロッシングは、東西方向と南北方向の軌道が交差、その各線を繋ぐ複線の渡り線があり、線路面の輝く様が宝石の「ダイヤモンド」の様に見えたことからダイヤモンドクロッシングの名がついた。

また、大阪市電を歌った「大阪市街電車唱歌」の5番には
「新町過ぎて四橋の 風景一目に見え渡る 線路もここは交差点 水は十字に流れたり」
と、同13番には
「又電車にて立ち帰る 西長堀の変圧所 ここは特殊の軌条にて ダイヤモンドの名もしるし」
と同交差点が歌われている。

周辺[編集]

四ツ橋は、かつてより建物が建て込んだ都心部の中、開けた貴重な部分であったので、よく散歩コースとして市民に親しまれ、また、大阪の名所として観光名所の写真や絵はがきにも多く用いられた。

橋の北西角、交差点の北東角には、東洋初のプラネタリウムが置かれた大阪市立電気科学館1937年(昭和12年)に完成し、四ツ橋のシンボルとなっていたが取り壊され、現在はヴィアイン心斎橋長堀通を主テナントとする大阪市交通局所有の複合ビル「ホワイトドームプラザ」となっている。ビルの外観は、屋上部分がドーム状に造られるなど大阪市立電気科学館を模している。

1965年(昭和40年)には、大阪市営地下鉄四つ橋線四ツ橋駅が完成した。

表記(四ツ橋・四つ橋)[編集]

地名(交差点名・駅名)は、「四ツ橋」「四ツ橋駅」とカタカナの「ツ」になっているのに対して、橋名、および線名(道路名・地下鉄路線名)は「四つ橋筋」「四つ橋線」とひらがなの「つ」となっている。

道路を管理していた市の土木局(当時)と、交通事業(市電に四ツ橋の電停があった)を管理していた電気局(当時)が、監督官庁に別の表記で届け出たことに原因があるといわれている。さらに、地下鉄路線名が通過する街路の名前(四つ橋筋)に合わせたのに対して、駅名は地名を採用したという結果、上記のような状況になっている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 松村博 『大阪の橋』 松籟社1987年、重版、206-209頁。
  2. ^ れとろ探訪 四ツ橋/大阪”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2016年3月24日). 2018年6月21日閲覧。

外部リンク[編集]