四十口径八九式十二糎七高角砲

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四〇口径八九式十二糎七高角砲
使用勢力 大日本帝国海軍
採用年 1932年(昭和7年)2月6日
口径 127mm
砲身長 5,080mm(40口径)
初速 720m/秒
最大射程 14,622m
最大射高 9,439m
発射速度 14発/分
俯仰角 -8度から+90度
俯仰速度 12度/秒(人力の場合3度/秒)
旋回速度 6度/秒(人力の場合3度/秒)
動力 電動
重量 20.5トン(A1型)
要員 11名
使用弾 通常弾
三式弾
照明弾
弾薬包全長 970.8mm
弾薬包重量 34.400kg
弾丸重量 23.00kg
炸薬重量 1.778kg
装薬重量 4.000kg
信管 九一式時限信管
製造数 約1,300門
水上機母艦「千歳」の前甲板には連装高角砲2基が搭載された。

四〇口径八九式十二糎七高角砲(40こうけいはちきゅうしき12せんち7こうかくほう)は、日本海軍の開発した高角砲。通称12.7センチ高角砲1932年(昭和7年)2月6日正式採用された。

概要

日本海軍がはじめから高角砲として設計した初めての砲。設計に当たっては

  • 発射速度を大とする。1門あたり毎分14発を目標とした。
  • 弾の威力を大きくする。既存の12cm高角砲より径を0.7cm大きくし、被害半径を拡大させた。
  • 弾薬包の重量を35kg以下に抑える。砲員の体力消耗により発射速度が低下することを押さえるため。
  • 砲架はなるべく軽量化し、動作速度を上げる。俯仰速度は12度/秒となった。
  • 信管は自動調停とする。これも発射速度の低下を抑えるため。

とされた。

尾栓は閉鎖速度の速い横鎖栓式とされた。以後日本海軍で開発された高角砲は全てこの尾栓方式を採用している。

1929年(昭和4年)より設計が開始され1931年(昭和6年)に第1号機が完成、翌年に正式採用される。

この砲の時限信管は装填時に自動的に調停されるがこの調停器の開発は難航した。当初は誤差が許容範囲内(±0.2秒)に収まらず、たびたび改設計がされている。1935年(昭和10年)にようやく安定した精度が出るようになったという。

発射速度が大きく操縦性良好で命中精度も高かったため使用実績は良好であり、対空戦闘のみならず対水上艦戦闘においても高い評価を得ていた。「なぜこの砲を両用砲としてもっと積極的に使わなかったのか」という声は、当時の関係者からも聞かれている。

形式

連装砲架

A1型
初期の開発型
A1型改1
重巡洋艦用。波よけ盾付き
A1型改2
航空母艦用。煤煙よけ盾付き
A1型改3
大和型戦艦用。爆風よけ盾付き
A2型
大量生産用
A3型
照準器の変更
A4型
照準器の変更
B1型
電動機を10kWから15kWに強化
B2型
高射装置搭載艦用

単装砲架

B1型改4
松型駆逐艦1番砲用

搭載艦船

日本海軍の高角砲では最も成功した砲といわれている。戦艦、空母をはじめとする多くの主要艦艇に搭載された。

参考文献

  • 国本康文『40口径八九式12.7センチ高角砲』歴史群像太平洋戦史シリーズVol.47 松型駆逐艦、学研、2003年、p119-127 ISBN 4-05-603251-3
  • 鈴木範樹『重巡摩耶の改装後の対空兵装』丸スペシャルNo4 重巡鳥海・摩耶、潮書房、1976年、p36-37
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』グランプリ出版、1997年 ISBN 4-87687-184-1

関連項目