嘘の嘘の新年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

嘘の嘘の新年(うそのうそのしんねん)とは、ウィキペディア日本語版において、2006年4月1日から2019年3月29日(以降いずれもJST)まで掲載されていた、元祖エイプリルフールに起こった悲劇を起源として行われていたとされる風習である。

概要[編集]

ウィキペディア日本語版に掲載されていた記述[WP 1]によれば、以下の通りである。

その昔、ヨーロッパでは3/25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル九世が1月1日を新年とする暦を採用した。 これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。 しかし、シャルル九世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。 処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。 フランスの人々はこの事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れない為に、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりである。 そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれた。 その後エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなったが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていった。

この記述は2006年4月1日の内にページ上から削除された[WP 2]が、同月15日に再び復帰[WP 3]され、その後13年間に渡り掲載され続けた。またそれに伴って日本語のインターネット上の情報発信サイト等においても、「逆エイプリルフール」等の呼び名で同様の情報が発信されるようになった[1][2][3][4][5]

真相[編集]

2019年3月25日タニタTwitter公式アカウントが「【拡散希望】2019年は逆エイプリルフールの年」という趣旨のツイート[6]をしたことでインターネット上でこの風習が話題となった[7]ことをきっかけに、これについて2019年3月28日にオンラインメディア・BuzzFeedが詳しい検証を行った[7]ところ、以下のことが分かった。

この内容についてウィキペディア日本語版のページ上には出典(ソース)が一切記されておらず、ブリタニカ百科事典は元よりウィキペディアの英語版フランス語版などの他言語版にもそのような情報は記されていなかった。そのためにフランス大使館に取材を行うも、広報担当者も「嘘の嘘の新年や処刑の逸話については初耳」との回答であったという。その後の調査等も経て、同サイトはこの情報を「ネタ」である可能性が高いと結論付けている。

同サイトの記事が配信された翌日の3月29日未明に、ウィキペディア上のエイプリルフールのページからは、嘘の嘘の新年についての記述は削除された[WP 4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

Wikipedia[編集]

  1. ^ エイプリルフール 2006年3月31日 (金) 19:22 (UTC) - ウィキペディア日本語版 2019年4月1日閲覧
  2. ^ 「エイプリルフール」の版間の差分 2006年4月1日 (土) 17:37 (UTC) - ウィキペディア日本語版 2019年4月1日閲覧
  3. ^ 「エイプリルフール」の版間の差分 2006年4月15日 (土) 13:19 (UTC) - ウィキペディア日本語版 2019年4月1日閲覧
  4. ^ 「エイプリルフール」の版間の差分 2019年3月28日 (木) 18:05 (UTC) - ウィキペディア日本語版 2019年4月1日閲覧

その他[編集]