嘉豊駅

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嘉豊駅
嘉豐
ヂャーフォン
Jiafeng
中興 (1.5km)
(5.5km) 初鹿
所在地 台湾台東県卑南郷嘉豊村東38郷道稲葉站前7鄰
駅番号 006
所属事業者 台湾鉄路管理局
等級 三等駅
旧名 稲葉
種別 廃駅
所属路線 台東線(旧線)
キロ程 153.7km(花蓮港起点)
電報略号 ㄐㄈㄥ
駅構造 地上駅
開業年月日 1922年4月20日
廃止年月日 1982年6月27日
備考 スイッチバック式
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嘉豊駅
各種表記
繁体字 嘉豐車站
簡体字 嘉丰车站
拼音 Jiā fēng Chēzhàn
通用拼音 Jia fong Chējhàn
注音符号 ㄐㄧㄚ ㄈㄥ ㄔㄜㄓㄢˋ
発音: ヂャーフォン チャーヂャン
台湾語白話字 Ka-hong Chhia-thâu
日本語漢音読み かほうえき
英文 Jiafeng Station
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本駅が記載された旧線時代の補助補價票

嘉豊駅(かほうえき)は台湾台東県卑南郷にあった台湾鉄路管理局台東線廃駅1982年の台東線拓寬計画(軌間を762mmのナローゲージから1,067mmの狭軌化する台東線改軌計画。東拓とも略する)の完成前は台東線は太平渓に沿ったルートで当駅はその旧ルート上にあった。このうちの檳榔及び嘉豊は1000分の18-25(パーミル)の勾配途上だったことからスイッチバック式の駅とされた[1](p281)

現在の郷道東38線(稲葉産業道路)と郷道東37線(嘉豊産業道路)の交点付近に位置し、軌道は撤去され稲葉産業道路に転換されている。跡地付近にある「稲葉站前」という住所表記や道路標識が当時を物語る数少ない痕跡となっている[2](p50)[3]

駅構造[編集]

スイッチバック式の地上駅であった。

駅周辺[編集]

  • 台東小熊渡假村
  • 鹿野渓

歴史[編集]

  1. 卑南語で「客死」を意味する『Mubaran』、「客死の地」を意味する『Inobaragan』が『Inabaran』に転じて省略された説
  2. 当地の地形が急峻で旅人の事故死が多かったことから、卑南語で同じく「事故死、不慮の死」などを意味する『Enaba』が転じた説。
  3. 当時属していた北絲鬮社(現・初鹿)から人里離れた場所だったため、卑南古語で「離れた場所」を意味する『Muba-ran』、その後の卑南語で「離別した人」などを意味する『Muwabaran』が『Inabaran』に転じた説
  • 1954年 - 行政区域が初鹿村から嘉豊村へと分割されたことに伴い[5]嘉豊駅と改名[1](p257)
  • 1982年6月27日 - 鹿野~馬蘭間の新線への切替と同時に廃止[6]

隣の駅[編集]

台湾鉄路管理局
台東線(東拓前の旧線)
中興駅 - 嘉豊駅 - 初鹿駅

出典[編集]

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  1. ^ a b (繁体字中国語)鄭仁崇 (2000-04). 臺灣後山鐵道風華. 花蓮県文化局. p. 257. ISBN ISBN 9570243422{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。. https://tm.ncl.edu.tw/article?u=022_001_00000673 2019年2月9日閲覧。. 
  2. ^ (繁体字中国語)古庭維、鄧志忠 (2010-08-11). 台灣舊鐵道散步地圖. ISBN 9789861774015. https://books.google.co.jp/books?id=KQSGDwAAQBAJ 2019年2月9日閲覧。. 
  3. ^ (繁体字中国語)消失的鐵道 探訪舊線2 教育部2013網界博覽會/馬蘭國小
  4. ^ 臺東開拓株式會社鐵道臺東、池上間買收臺東里壠間運輸營業開始. 大蔵省印刷局. (1922-08-09). p. 222. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955125/4 2019年2月9日閲覧。.  官報第3003号台湾総督府告示第69号 国立国会図書館
  5. ^ a b (繁体字中国語) 臺灣地名辭書(卷三)臺東縣 第十一章 卑南鄉 第四節 各村地名釋義 第四項 嘉豐村. 臺灣省文獻委員會. (1999-12). p. 214. https://tm.ncl.edu.tw/article?u=022_004_00003152 2019年2月9日閲覧。.  国家図書館
  6. ^ (繁体字中国語)東拓,新東鐵 2005-11-26,花蓮鉄道文化園区

外部リンク[編集]